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不穏の予兆(3)

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 テオドール皇子について、私が知っていることは少ない。

 オルディウス帝国の第一皇子。年齢は二十五歳。未婚で、美男子のわりに浮いた話を聞いたことがない。

 というよりも、テオドールの噂自体をほとんど聞いたことがなかった。
 後継者である第七皇子の評判が圧倒的で、他の皇子たちが陰に隠れてしまっているとはいえ、それにしたって話がなさすぎる。
 功績らしい功績もなければ、逆に失態や悪評の類すらも耳にしたことがなかった。

「やっぱり、知らないよねえ」

 私の反応を予想していたように、ジュリアンはそう言ってうなずいた。
 それから前のめりの体を戻し、椅子に背を預けて腕を組む。

「僕はあまり外交をしてこなかったけど、オルディウスは隣国だからね。さすがにそれなりに行ったことがあるし、テオドール皇子とも、そのときに何度か顔を合わせたことがあるんだ」

 そのまま視線を上に向け、一つ長い息を吐く。眉間にはしわを寄せ、時折考えるように目も閉じる。
 まるで淡い記憶でも探るようなその姿は、記憶力の良い彼にしては珍しかった。

「僕から見た彼は……なんというか、良くも悪くも目立つところのない男だったよ。弟が優秀すぎるってことを差し引いてもね。凡愚……ってほどでもないんだけど、穏やかで人当たりが良くて――ただそれだけって感じ」

 淡々とした声には、馬鹿にするような響きはない。
 本当に印象が薄かったのだろう。語る言葉も見つからない様子で、ジュリアンは眉間のしわを深くする。

「すごい善人ってわけでもない。頭の回転が早い方でもない。覇気や度胸もあるとは言えない。僕には、他国で騒動を起こせるような人間には見えなかったな」

「…………かなり印象が違うわね」

 ジュリアンのテオドールへの印象に、私もまた眉根を寄せた。

 私から見たテオドールは、自信に満ちた堂々とした人物に思えた。
 なにせ他国の王宮へ国外追放された姉を連れてきて、そのうえ自分の名前を出してのあの宣言だ。度胸がないどころか、怖いもの知らずにもほどがある。
 良くも悪くも――というよりは、明確に悪い意味ではあるけれど、とても目立つところのない男とは思えなかった。

「まるで別人みたいだよ。なにがあったらあんなに変わるもんかな」

 実際にテオドールと会ったことのあるジュリアンには、余計に奇妙に思えるのだろう。
 彼は上に向けていた視線を私に向け、複雑そうな顔で首をかしげてみせる。

「まさか、ルシアに恋をして強くなった――なんてことはないだろうし」

 冗談めかしてそう言って、肩をすくめて笑うジュリアンに、しかし私ははっと顔を上げた。
 まさか――とは思いつつも、『恋』という単語から浮かぶものがある。

 人を別人のように変えること。
 他者を意のままに操ること。
 筋の通らない行動をさせること。

 すべてができる、魔術がある。

 はるか古代に失われた魔術であり、現在では使い手がいないと言われるそれは――。

「――魅了魔術」

 強引に人の心を奪う、禁断の術だ。
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