3 / 58
姉、戻る(2)
しおりを挟む
「――ルシア・バークリー! 君との婚約も今日までだ! 君のしてきたことは、ここにいるリリアからすべて聞いている!」
その宣言が響き渡ったのは、一年前。
フィデル王国の重臣や主要な貴族たちが一堂に会する、大広間でのことだった。
「今まで婚約者だからと見逃していたが、これ以上は黙ってはいられない。今すぐこの国から出て行くがいい! 君に、このフィデルの土地を踏む資格はない!」
宣言を下したのは、見る者の目を奪う美貌の男性だ。
青みを帯びた黒い髪。高貴さを示す、紫水晶にも似た輝きの瞳。
王家の血筋を示すその容姿を持つ彼は、このフィデル王国の第一王子――次期国王たる、王太子殿下だった。
王太子殿下の険しい視線の先にいるのは、彼の元婚約者だ。
私の姉、ルシア・バークリーは、王太子の視線を受けてもなお、大広間の中心で背筋を伸ばしていた。
「……私がしてきたこと、ですか」
「ルシア、知らないとは言わせないぞ! 君に傷つけられた者たちが、どれほどいると思っているんだ!」
「知らないと言わせないもなにも……まるで心当たりがありませんけれど……」
姉は眉をひそめ、心底わからないと言いたげにそう言った。
これだけ大勢の注目にさらされても、その態度には少しも動揺は見られない。
怖じることも、恥じることもなく堂々と胸を張る姉の姿に、殿下の端正な顔が歪んだ。
「心当たりがないだと!? 君に魔術の指導を願った令嬢が、あまりにも無茶な訓練を押し付けられたと泣きながら訴えたと私は聞いているんだぞ!」
「たしかに、頼まれて魔術を教えることはありましたけれど……無茶を押し付けた記憶はありません。それで泣くなんて、失礼ですが相手のご令嬢のほうに問題があるのでは?」
「なっ……! い、言い訳をするのか!? 他にも、君に訓練を頼んで傷つけられたという報告があるんだぞ! 心だけではない、体にも傷ができたと!」
「訓練をすれば傷くらいは当然でしょう」
「ぐぐ……あ、あくまでも認めないつもりか! それなら、君が未来の王太子妃として魔術師団を視察するようになってから、退団する人間が後を絶たない! その理由も、君についていけないからだそうじゃないか! これはどう言い訳する気だ!」
「もともと魔術師団は激務で、退団者が後を絶たなかったでしょうに」
そこまで答えてから、姉は頬に手を当ててため息をついた。
殿下を見つめる姉の瞳には、あらわな呆れの色がある。まるで、出来の悪い子どもでも見るかのようだ。
「そもそも、殿下のお話は『聞いた』というお話ばかり。……どうせ、そこの愚妹があることないこと告げ口したのでしょうけど――そんな曖昧な話で、本気で私を国外追放するつもりですか?」
愚妹――と言いながら、姉はその視線を殿下から移動させた。
姉の視線の先が向かうのは、殿下の背後。ちょうど殿下の背中に隠れる位置にいる、私だった。
だけど、その視線はすぐに遮られる。
殿下の護衛騎士であるライナスが、すかさず間に割って入ったからだ。
「告げ口ではない! リリアには、私から頼んで君の行動を報告してもらっていたんだ!」
殿下もまた、そう言って私をかばうように前に出る。
殿下とライナスの二人から鋭い視線を受け、姉はいっそう呆れたように溜息を吐いた。
「……殿下が妹を甘やかすのは構いません。ですが、この婚約は殿下ではなく、王家とバークリー家で取り決めたもの。勝手に破棄して、そのうえ独断で追放するなど、王太子ともあろう方のなさることとは思えません」
「ぐ、ぐぐ…………」
あくまでも落ち着き払った姉の言葉に、殿下の頬がさっと紅潮した。
だけど、言い返すべき言葉は出てこないらしい。かすかな呻き声を上げたきり、殿下は悔しそうに奥歯を噛んで黙ってしまった。
その光景を、私は殿下の後ろで苦々しく見つめていた。
反論できない殿下。動揺の広がる重臣たち。そして、相変わらず涼しい顔で胸を張り続ける姉。
なにも知らない人間がこの光景を見たら、あるいは殿下に非があると思うかもしれない。
殿下の言葉は言いがかりで、姉はそれを正論で切り捨てる。殿下の後ろに隠れ、殿下の護衛騎士に守られる私は、さしずめ男をたぶらかして姉を陥れようとする悪い妹と言ったとこか。
だけど、この場に『なにも知らない人間』はいない。
殿下に非があると思っているのは、姉ただ一人だ。
殿下が激高しているのは、これだけ言っても姉が自覚しないからだ。
重臣たちの動揺は、どこまでも反省の色のない姉に戸惑っているだけ。
ライナスが私をかばったのは騎士として当然のことであり、私が殿下に伝えたのも実際に起きた出来事のみ。
そして、殿下が姉に突き付けたのは、言いがかりどころか一切の誇張もない事実だ。
魔術を『たしなみ程度』に習いたいという令嬢に、正規の魔術師さえ音を上げるほどの訓練をしたのも姉。
まだ新米の魔術師に、実戦さながらの訓練をして怪我人を続出させたのも姉。
姉の態度に不満の声を上げる人々に耳を貸さず、私や殿下がたしなめても聞かず、「私は悪くない」と王宮のあちこちに敵を作り続け――。
ついに「こんな王太子妃にはついていけない」と、国に欠かせない人材である魔術師たちの大量退団を招いてしまったのも、姉なのである。
その宣言が響き渡ったのは、一年前。
フィデル王国の重臣や主要な貴族たちが一堂に会する、大広間でのことだった。
「今まで婚約者だからと見逃していたが、これ以上は黙ってはいられない。今すぐこの国から出て行くがいい! 君に、このフィデルの土地を踏む資格はない!」
宣言を下したのは、見る者の目を奪う美貌の男性だ。
青みを帯びた黒い髪。高貴さを示す、紫水晶にも似た輝きの瞳。
王家の血筋を示すその容姿を持つ彼は、このフィデル王国の第一王子――次期国王たる、王太子殿下だった。
王太子殿下の険しい視線の先にいるのは、彼の元婚約者だ。
私の姉、ルシア・バークリーは、王太子の視線を受けてもなお、大広間の中心で背筋を伸ばしていた。
「……私がしてきたこと、ですか」
「ルシア、知らないとは言わせないぞ! 君に傷つけられた者たちが、どれほどいると思っているんだ!」
「知らないと言わせないもなにも……まるで心当たりがありませんけれど……」
姉は眉をひそめ、心底わからないと言いたげにそう言った。
これだけ大勢の注目にさらされても、その態度には少しも動揺は見られない。
怖じることも、恥じることもなく堂々と胸を張る姉の姿に、殿下の端正な顔が歪んだ。
「心当たりがないだと!? 君に魔術の指導を願った令嬢が、あまりにも無茶な訓練を押し付けられたと泣きながら訴えたと私は聞いているんだぞ!」
「たしかに、頼まれて魔術を教えることはありましたけれど……無茶を押し付けた記憶はありません。それで泣くなんて、失礼ですが相手のご令嬢のほうに問題があるのでは?」
「なっ……! い、言い訳をするのか!? 他にも、君に訓練を頼んで傷つけられたという報告があるんだぞ! 心だけではない、体にも傷ができたと!」
「訓練をすれば傷くらいは当然でしょう」
「ぐぐ……あ、あくまでも認めないつもりか! それなら、君が未来の王太子妃として魔術師団を視察するようになってから、退団する人間が後を絶たない! その理由も、君についていけないからだそうじゃないか! これはどう言い訳する気だ!」
「もともと魔術師団は激務で、退団者が後を絶たなかったでしょうに」
そこまで答えてから、姉は頬に手を当ててため息をついた。
殿下を見つめる姉の瞳には、あらわな呆れの色がある。まるで、出来の悪い子どもでも見るかのようだ。
「そもそも、殿下のお話は『聞いた』というお話ばかり。……どうせ、そこの愚妹があることないこと告げ口したのでしょうけど――そんな曖昧な話で、本気で私を国外追放するつもりですか?」
愚妹――と言いながら、姉はその視線を殿下から移動させた。
姉の視線の先が向かうのは、殿下の背後。ちょうど殿下の背中に隠れる位置にいる、私だった。
だけど、その視線はすぐに遮られる。
殿下の護衛騎士であるライナスが、すかさず間に割って入ったからだ。
「告げ口ではない! リリアには、私から頼んで君の行動を報告してもらっていたんだ!」
殿下もまた、そう言って私をかばうように前に出る。
殿下とライナスの二人から鋭い視線を受け、姉はいっそう呆れたように溜息を吐いた。
「……殿下が妹を甘やかすのは構いません。ですが、この婚約は殿下ではなく、王家とバークリー家で取り決めたもの。勝手に破棄して、そのうえ独断で追放するなど、王太子ともあろう方のなさることとは思えません」
「ぐ、ぐぐ…………」
あくまでも落ち着き払った姉の言葉に、殿下の頬がさっと紅潮した。
だけど、言い返すべき言葉は出てこないらしい。かすかな呻き声を上げたきり、殿下は悔しそうに奥歯を噛んで黙ってしまった。
その光景を、私は殿下の後ろで苦々しく見つめていた。
反論できない殿下。動揺の広がる重臣たち。そして、相変わらず涼しい顔で胸を張り続ける姉。
なにも知らない人間がこの光景を見たら、あるいは殿下に非があると思うかもしれない。
殿下の言葉は言いがかりで、姉はそれを正論で切り捨てる。殿下の後ろに隠れ、殿下の護衛騎士に守られる私は、さしずめ男をたぶらかして姉を陥れようとする悪い妹と言ったとこか。
だけど、この場に『なにも知らない人間』はいない。
殿下に非があると思っているのは、姉ただ一人だ。
殿下が激高しているのは、これだけ言っても姉が自覚しないからだ。
重臣たちの動揺は、どこまでも反省の色のない姉に戸惑っているだけ。
ライナスが私をかばったのは騎士として当然のことであり、私が殿下に伝えたのも実際に起きた出来事のみ。
そして、殿下が姉に突き付けたのは、言いがかりどころか一切の誇張もない事実だ。
魔術を『たしなみ程度』に習いたいという令嬢に、正規の魔術師さえ音を上げるほどの訓練をしたのも姉。
まだ新米の魔術師に、実戦さながらの訓練をして怪我人を続出させたのも姉。
姉の態度に不満の声を上げる人々に耳を貸さず、私や殿下がたしなめても聞かず、「私は悪くない」と王宮のあちこちに敵を作り続け――。
ついに「こんな王太子妃にはついていけない」と、国に欠かせない人材である魔術師たちの大量退団を招いてしまったのも、姉なのである。
42
お気に入りに追加
1,992
あなたにおすすめの小説
私と結婚したくないと言った貴方のために頑張りました! ~帝国一の頭脳を誇る姫君でも男心はわからない~
すだもみぢ
恋愛
リャルド王国の王女であるステラは、絶世の美女の姉妹に挟まれた中では残念な容姿の王女様と有名だった。
幼い頃に婚約した公爵家の息子であるスピネルにも「自分と婚約になったのは、その容姿だと貰い手がいないからだ」と初対面で言われてしまう。
「私なんかと結婚したくないのに、しなくちゃいけないなんて、この人は可哀想すぎる……!」
そう自分の婚約者を哀れんで、彼のためになんとかして婚約解消してあげようと決意をする。
苦労の末にその要件を整え、満を持して彼に婚約解消を申し込んだというのに、……なぜか婚約者は不満そうで……?
勘違いとすれ違いの恋模様のお話です。
ざまぁものではありません。
婚約破棄タグ入れてましたが、間違いです!!
申し訳ありません<(_ _)>
妹に全部取られたけど、幸せ確定の私は「ざまぁ」なんてしない!
石のやっさん
恋愛
マリアはドレーク伯爵家の長女で、ドリアーク伯爵家のフリードと婚約していた。
だが、パーティ会場で一方的に婚約を解消させられる。
しかも新たな婚約者は妹のロゼ。
誰が見てもそれは陥れられた物である事は明らかだった。
だが、敢えて反論もせずにそのまま受け入れた。
それはマリアにとって実にどうでも良い事だったからだ。
主人公は何も「ざまぁ」はしません(正当性の主張はしますが)ですが...二人は。
婚約破棄をすれば、本来なら、こうなるのでは、そんな感じで書いてみました。
この作品は昔の方が良いという感想があったのでそのまま残し。
これに追加して書いていきます。
新しい作品では
①主人公の感情が薄い
②視点変更で読みずらい
というご指摘がありましたので、以上2点の修正はこちらでしながら書いてみます。
見比べて見るのも面白いかも知れません。
ご迷惑をお掛けいたしました
兄にいらないと言われたので勝手に幸せになります
毒島醜女
恋愛
モラハラ兄に追い出された先で待っていたのは、甘く幸せな生活でした。
侯爵令嬢ライラ・コーデルは、実家が平民出の聖女ミミを養子に迎えてから実の兄デイヴィッドから冷遇されていた。
家でも学園でも、デビュタントでも、兄はいつもミミを最優先する。
友人である王太子たちと一緒にミミを持ち上げてはライラを貶めている始末だ。
「ミミみたいな可愛い妹が欲しかった」
挙句の果てには兄が婚約を破棄した辺境伯家の元へ代わりに嫁がされることになった。
ベミリオン辺境伯の一家はそんなライラを温かく迎えてくれた。
「あなたの笑顔は、どんな宝石や星よりも綺麗に輝いています!」
兄の元婚約者の弟、ヒューゴは不器用ながらも優しい愛情をライラに与え、甘いお菓子で癒してくれた。
ライラは次第に笑顔を取り戻し、ベミリオン家で幸せになっていく。
王都で聖女が起こした騒動も知らずに……
婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。
そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。
シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。
ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。
それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。
それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。
なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた――
☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆
☆全文字はだいたい14万文字になっています☆
☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆
目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです
MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。
しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。
フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。
クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。
ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。
番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。
ご感想ありがとうございます!!
誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。
小説家になろう様に掲載済みです。
[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・
青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。
婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。
「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」
妹の言葉を肯定する家族達。
そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。
※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。
もう、今更です
ねむたん
恋愛
伯爵令嬢セリーヌ・ド・リヴィエールは、公爵家長男アラン・ド・モントレイユと婚約していたが、成長するにつれて彼の態度は冷たくなり、次第に孤独を感じるようになる。学園生活ではアランが王子フェリクスに付き従い、王子の「真実の愛」とされるリリア・エヴァレットを囲む騒動が広がり、セリーヌはさらに心を痛める。
やがて、リヴィエール伯爵家はアランの態度に業を煮やし、婚約解消を申し出る。
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる