悪役令嬢より悪役な〜乙女ゲームの主人公は世界を牛耳る闇の黒幕〜

河内まもる

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46 夜明け

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 まぶたの裏でほんのりと明るさを感じ取った。うっすらと目を開けると、眩しい光に目がくらむ。だけどそれにもすぐに慣れて、やがてそれが見慣れた天井の見慣れたシャンデリアだと気づいた。

「お嬢さまっ」

 耳元で女の声がした。

「旦那さまっ、お嬢さまが、お嬢さまが目を覚まされましたっ」

 声はやがて足音とともに遠ざかり、ドアを開けて部屋の外へと出ていく。アタシはぼんやりとした思考の中で、そこが天国でも地獄でもなく、グレッツナー家の自分の部屋であることを悟る。するとさっきの女は使用人か。

「そうかい、アタシゃ死にぞこなったのかい」

 ひとりごちたところで、バタバタと足音が近づいてくる。ふたり、いや3人か。さて誰だろうね。どやどや部屋に入ってきた中で、最初に声をあげたのはコンラートだった。

「ハンナぁあぁっ、よかっ、よかった。おまえが死んでしまったら、私はっ」

 不細工な顔で泣きじゃくっているコンラートのそばで、上品に涙をぬぐっているのはカリーナだ。クラウスは半歩うしろにひかえて感無量といった様子だった。

 カリーナがアタシの手を握る。

「ハンナさま、あなたは本当に死ぬところだったのですよ。たまたま近くに治癒術をつかえる学園生がいたから助かっただけで…」

「ほう、そんな都合のいい野郎がよくいたモンだね」

「クライド・ユルゲンという━━司教のご子息ですわ。クライドさまには、グレッツナー家から、よくお礼をしておきました。なにせあの方はハンナさまの命の恩人なのですから」

 そうか、クライドがあの場にいたのか。こりゃずいぶん大きな貸しができたねえ。あるいはクライドも、そこまで考えてアタシを救ったのかもしれない。あの少年には大志がある。いずれ地位を得て教会を改革するという志がね。だったら鎌倉は、あいつに手を貸すことになるだろう。クライドは近い将来、最年少の大司教猊下になる男ってわけだ。

 クラウスが重くため息をついた。

「…それでもハンナさまは、3日ほど寝込んでおいででした。いったん大量の血を失ったことで、身体がダメージを受けていたのです」

「フーム、するとずいぶん心配をかけてしまったねえ。悪いことをした━━ところで、エリーゼはどうなった?」

 いちばんの気がかりについて、アタシは訊かずにいられなかった。コンラートたちには悪いけど、さっきからそれが気になってソワソワしていたんだよ。

 するとクラウスは怪訝な顔をして言った。

「なにをおっしゃっているのですか。エリーゼさまなら━━いまハンナさまの隣で眠っておられるではありませんか」

「んなあっ!」

 はっと隣を見ると、エリーゼがそこで寝息をたてていた。馬鹿なっ。どうしてウチの家族たちは、よその娘が病床のアタシと寝ていることを奇妙に思わないんだ。

 カリーナはニコニコしていた。

「エリーゼさまはずっとハンナさまの看病をしておいでだったのですよ」

「看病って…」

「肉体は完全に治癒しているから、あとは体力の回復次第だと神官さまはおっしゃったのですけれど、エリーゼさまは、血を失ったのだから身体を温める必要があるはずだと断言されて、ずっとハンナさまに抱きついてらっしゃったわ」

 そんなワケがない。治癒術ってのは時間操作の1種なんだ。肉体の時間を巻き戻す法術さね。だから出血していたとしても、治癒術をほどこした段階で、すでに流れた血はアタシの体内に戻っているはず。身体を温める必要なんざありゃしない。

 カリーナは口元をおさえて、さらにニコニコした。

「夜中になると、ハンナさまの部屋からベッドのきしむ音が聞こえてきて、これは大変な看病ぶりだと、感心していましたのよ」

 あーっ、エリーゼのスケベ女めっ。時と場所をわきまえたらどうなんだい。どんな状況で盛ってるんだ。このメス猫め。アタシはもう、怖くてコンラートの顔を見られなかった。

 そのコンラートが咳払いをする。

「…うん、まあ、ハンナに良い人ができて本当によかった。私はおまえが幸せだったら、他になにも言うことはないんだよ」

 本心から言っているんだろう。コンラートがお人好しなのは重々承知していたけど、個人の幸福を至上とするこの男の考えは、この世界の価値観からすると先進的すぎる。理解がある兄をもって幸せだ、と言いたいところなんだけど、さっき部屋にいた使用人といい、ひょっとして屋敷中の人間がアタシとエリーゼの関係を知っているんじゃないのかい。

「…アタシはちょっと考えをまとめたいから、悪いンだけど部屋から出ていってくれないかい」

 頭を抱えて言うと、渋るコンラートの背中をカリーナが押して、3人は部屋から出ていった。カリーナのやつ、最後に「あとは2人でごゆっくり」とかほざいていたけど、頭が痛くなるから考えないようにしよう。それよりもまずは、状況の整理だ。

「フリッツ、いるんだろ」

「はっ、ここにひかえております」

 物陰から声がして、ぬるりとフリッツが現れた。アタシは最初に、フリッツに言わなくちゃならないことがある。

「今回の襲撃はアタシの判断ミスだ。自分の元から裏影を散開させるべきじゃなかった。それ以上でもそれ以下でもない」

「しかし━━」

「誰にも責任は問わせないよ。わかってるだろうね。アタシを守りきれなかったからといって、ミアを罰することは許さない」

「…御前さまのお慈悲に感謝いたします」

 フリッツだってミアを処罰したかったわけじゃないだろう。だから素直に引き下がった。そのうえで、アタシはことの顛末を聞いておく必要があった。

「皇帝派のテロリストどもはどうなってる」

「━━賊の正体、御前さまにはすでにご存知でしたか」

「殺したのかい」

「いえ、御前さまの判断を仰ぐべく、我ら復讐心を抑えて、監視するだけに留めております」

「上出来だ」

 アタシが殺すことを好まないことを、フリッツは前回の暗殺未遂事件から学んだらしい。アタシは少し思惟を巡らせたあと、決断した。

皇帝ヴィルヘルムに処罰させよう。皇帝派の貴族が皇帝に裁かれるのさ、これ以上の罰はないだろう」

「さすがでございます」

 辛辣なやり口だが、少し痛い目をみないとわからないだろうからね。それからアタシは、フリッツに部屋から出ていくように命じた。これでようやく、室内にはふたりきりってわけさ。

「エリーゼ、狸寝入りはおよし。起きているんだろ」

「…あら、どうしてわかりましたの」

「さっきからアタシの太ももをなでまわしておいて、よく言うよ。寝ぼけてるにしちゃ、触りかたがいやらしすぎるんだよ」

 呆れて言うと、エリーゼが可愛らしく頬を膨らませた。

「ハンナが悪いのですわ」

「アタシが?」

「私、本当に心配しましたのよ。ハンナが死んでしまったら、どうしようって…」

「ああ━━悪かったよ。本当に」

 心の底から思う。アタシは自分の命を軽くあつかいすぎていた。それはアタシが、誰からも愛されなかった『金貸しのしらみ』のままだったから。だけどアタシは、もう前世のアタシじゃない。この世界でハンナ・グレッツナーとして生きている。それがわかったから、死のうだなんてもう思わない。

 エリーゼがアタシの耳元でささやく。

「反省してるなら、私のお願いをひとつ、きいてくださる?」

「ああ、なんでも言ってごらん」

「ハンナの前世の名前を、私にだけ教えてちょうだい」

 死神はもう消えた。呪いの声は聞こえない。いまはただ、甘い余韻を残すエリーゼの鈴のような声が絡みついて、アタシの世界を包み込む。長く生きてきたアタシがようやくつかんだ、世紀をまたいだ大団円だ。

「アタシの名前はね━━」

 長い夜が明け、恋とともに朝がはじまる。
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