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1 主人公ハンナの憂鬱
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「よくお似合いですわ、お嬢様っ」
メイドに言われて、アタシは鏡の中の自分をじっくり観察する。長年慣れ親しんだ身体とは似ても似つかない少女の姿がそこにはあった。
肩まで伸びた赤い髪、丸っこい赤い瞳、子どもらしいつやつやした肌。背丈は150センチに満たないくらいだろう。15歳の女の子にはとうてい見えなかった。12歳だと自己紹介したら、誰もが納得するはずさ。
「顔が悪いのかねぇ」
ひとりごちて、ほっぺたの肉をつまむ。いくら15歳ったって、童顔にもほどがあるよ。白いドレス風の制服が、あまりにも似合わない。
「お可愛らしいですっ」
はしゃぐメイドに苦笑を返す。アタシがいま着ているのは、今日入学する予定の『学園』の制服だ。貴族の子女は15歳になったら必ず『学園』に通うことになるんだよ。このアタシには今さら必要のない場所なんだがね。
そのときノックの音がして、ふたりの男がアタシの部屋に入ってきた。ひとりは家宰のクラウスで、もうひとりは━━
「おお、ハンナ。なんと可愛らしい姿なのだ。まるで春の妖精がおどけてダンスを踊っているようだよ!」
━━間抜けな感想を口にしたのは、この世界におけるアタシの兄、コンラート・グレッツナー伯爵だ。ふくよかな身体に乗っかった、アンパンみたいな顔に人の良さそうな微笑みを浮かべている━━実際に人が良いんだよ。どれくらいのお人よしかって?乞食娘を自分の妹として引き取るくらいさ。
アタシがグレッツナー家に迎えられたのは、8歳のときだ。それまでのアタシは、帝都の裏街で娼婦をする母と、食うや食わずの貧しい暮らしをしていたのさ。
そして母が梅毒で死んだ日、アタシは母の遺言に従ってグレッツナー家を訪ねた。そうさ、アタシは先代のグレッツナー伯の子どもだったのさ。だけど、まさか自分が伯爵令嬢として迎えられるだなんて、思いもしなかった。いくらか金をもらえればそれで十分だったのに。
異母兄のコンラートは、こ汚いアタシを門前払いにしてもよかったはずだ。だけどコンラートは、アタシを見るなりわんわん泣いて「妹ができた」と喜んだ。それ以来、アタシは伯爵家の令嬢として大切に扱われてきた。
アタシゃコンラートに返しきれないほどの恩がある。本当なら、裏街育ちの娼婦の娘は、やっぱり身体を売って生活するしかなかったはずだ。それが今や貴族令嬢だってんだからねぇ。この恩を返さずにはいられないってモンさ。
だからアタシはコンラートに内緒で、グレッツナー家にひと儲けさせてやった。貧乏伯爵だったコンラートを、帝国でも有数の大富豪にしてやったのさ。するとどうだ、今度は公侯爵っていうような大貴族から、グレッツナー家は目をつけられるようになった。
だからしょうがないじゃないか。アタシは降りかかる火の粉を払うつもりで、諜報機関をつくり、帝国内の貧乏貴族を連帯させ、流通に大革命をおこして、帝国を裏から支配することにした。
どうしてそんなことが出来たのかって?
アタシには前世の記憶があったんだよ。聞いて驚きな。アタシの前世は、裏社会にその人ありと知られた海千山千の女親分『金貸しのしらみ』なのさ。
世の中の裏も表も知り尽くしたアタシにゃ、たやすいことさ。帝国を裏から支配する組織を『鎌倉』と名付け、アタシは『鎌倉の御前』と呼ばれるようになった。
知ってるかい?昔から日本では、政財界の黒幕は、鎌倉に住んでいると相場が決まってるんだ。それで『鎌倉の老人』とか『鎌倉のあの男』とか『鎌倉御前』とか呼ばれるんだよ。アタシゃ鎌倉に住んだことはないけど。
そんなアタシが今さら『学園』だって?ちゃんちゃらおかしいよ。アタシゃこの世界の黒幕なんだよ。
「あの小さかったハンナが、こんなに立派になって」
制服姿に感激したコンラートがついに泣き出した。すると家宰のクラウスが、余計なことを口走る。
「ハンナさまはまだ小そうございます」
「なにを言うんだクラウス、背丈なんか関係ない。ハンナはこう見えて、帝国でもいちばんの天才なのだ。そのことがつい先日、証明されたじゃないか!」
コンラートが自慢げに言うのは、『学園』の入学試験のことだ。クラス分けのためにあるその試験で、アタシは1位を取ってしまった。うっかりしてたんだよ。試験結果が貼りだされるわけじゃないから、1位でも100位でも関係ないと思ってたんだけどねぇ。
「ハンナは『学園』の新入生代表として、挨拶をすることになったんだぞ。それがどういう意味かわかるかね、クラウス。200名を数える新入生のなかで、ハンナの試験結果がもっとも優秀だったのだ!」
文字通り、狂喜乱舞してコンラートは歌いだした。「1位だ1位だ、天才だー」とかほざいている。アタシゃ頭がジンジンしてきたよ。
アタシにとっては『学園』での成績なんか関係ない。とにかく卒業さえできればそれでいいんだ。波風がたたないように学園生活を送りたいアタシにとっちゃ、首席入学者の称号なんざ、邪魔にしかならない。
それにしても面倒くさいよ。前世と合わせりゃ100歳を越えるこのアタシが、十代の小僧や小娘と机を並べてお勉強だなんて冗談じゃない。
メイドに言われて、アタシは鏡の中の自分をじっくり観察する。長年慣れ親しんだ身体とは似ても似つかない少女の姿がそこにはあった。
肩まで伸びた赤い髪、丸っこい赤い瞳、子どもらしいつやつやした肌。背丈は150センチに満たないくらいだろう。15歳の女の子にはとうてい見えなかった。12歳だと自己紹介したら、誰もが納得するはずさ。
「顔が悪いのかねぇ」
ひとりごちて、ほっぺたの肉をつまむ。いくら15歳ったって、童顔にもほどがあるよ。白いドレス風の制服が、あまりにも似合わない。
「お可愛らしいですっ」
はしゃぐメイドに苦笑を返す。アタシがいま着ているのは、今日入学する予定の『学園』の制服だ。貴族の子女は15歳になったら必ず『学園』に通うことになるんだよ。このアタシには今さら必要のない場所なんだがね。
そのときノックの音がして、ふたりの男がアタシの部屋に入ってきた。ひとりは家宰のクラウスで、もうひとりは━━
「おお、ハンナ。なんと可愛らしい姿なのだ。まるで春の妖精がおどけてダンスを踊っているようだよ!」
━━間抜けな感想を口にしたのは、この世界におけるアタシの兄、コンラート・グレッツナー伯爵だ。ふくよかな身体に乗っかった、アンパンみたいな顔に人の良さそうな微笑みを浮かべている━━実際に人が良いんだよ。どれくらいのお人よしかって?乞食娘を自分の妹として引き取るくらいさ。
アタシがグレッツナー家に迎えられたのは、8歳のときだ。それまでのアタシは、帝都の裏街で娼婦をする母と、食うや食わずの貧しい暮らしをしていたのさ。
そして母が梅毒で死んだ日、アタシは母の遺言に従ってグレッツナー家を訪ねた。そうさ、アタシは先代のグレッツナー伯の子どもだったのさ。だけど、まさか自分が伯爵令嬢として迎えられるだなんて、思いもしなかった。いくらか金をもらえればそれで十分だったのに。
異母兄のコンラートは、こ汚いアタシを門前払いにしてもよかったはずだ。だけどコンラートは、アタシを見るなりわんわん泣いて「妹ができた」と喜んだ。それ以来、アタシは伯爵家の令嬢として大切に扱われてきた。
アタシゃコンラートに返しきれないほどの恩がある。本当なら、裏街育ちの娼婦の娘は、やっぱり身体を売って生活するしかなかったはずだ。それが今や貴族令嬢だってんだからねぇ。この恩を返さずにはいられないってモンさ。
だからアタシはコンラートに内緒で、グレッツナー家にひと儲けさせてやった。貧乏伯爵だったコンラートを、帝国でも有数の大富豪にしてやったのさ。するとどうだ、今度は公侯爵っていうような大貴族から、グレッツナー家は目をつけられるようになった。
だからしょうがないじゃないか。アタシは降りかかる火の粉を払うつもりで、諜報機関をつくり、帝国内の貧乏貴族を連帯させ、流通に大革命をおこして、帝国を裏から支配することにした。
どうしてそんなことが出来たのかって?
アタシには前世の記憶があったんだよ。聞いて驚きな。アタシの前世は、裏社会にその人ありと知られた海千山千の女親分『金貸しのしらみ』なのさ。
世の中の裏も表も知り尽くしたアタシにゃ、たやすいことさ。帝国を裏から支配する組織を『鎌倉』と名付け、アタシは『鎌倉の御前』と呼ばれるようになった。
知ってるかい?昔から日本では、政財界の黒幕は、鎌倉に住んでいると相場が決まってるんだ。それで『鎌倉の老人』とか『鎌倉のあの男』とか『鎌倉御前』とか呼ばれるんだよ。アタシゃ鎌倉に住んだことはないけど。
そんなアタシが今さら『学園』だって?ちゃんちゃらおかしいよ。アタシゃこの世界の黒幕なんだよ。
「あの小さかったハンナが、こんなに立派になって」
制服姿に感激したコンラートがついに泣き出した。すると家宰のクラウスが、余計なことを口走る。
「ハンナさまはまだ小そうございます」
「なにを言うんだクラウス、背丈なんか関係ない。ハンナはこう見えて、帝国でもいちばんの天才なのだ。そのことがつい先日、証明されたじゃないか!」
コンラートが自慢げに言うのは、『学園』の入学試験のことだ。クラス分けのためにあるその試験で、アタシは1位を取ってしまった。うっかりしてたんだよ。試験結果が貼りだされるわけじゃないから、1位でも100位でも関係ないと思ってたんだけどねぇ。
「ハンナは『学園』の新入生代表として、挨拶をすることになったんだぞ。それがどういう意味かわかるかね、クラウス。200名を数える新入生のなかで、ハンナの試験結果がもっとも優秀だったのだ!」
文字通り、狂喜乱舞してコンラートは歌いだした。「1位だ1位だ、天才だー」とかほざいている。アタシゃ頭がジンジンしてきたよ。
アタシにとっては『学園』での成績なんか関係ない。とにかく卒業さえできればそれでいいんだ。波風がたたないように学園生活を送りたいアタシにとっちゃ、首席入学者の称号なんざ、邪魔にしかならない。
それにしても面倒くさいよ。前世と合わせりゃ100歳を越えるこのアタシが、十代の小僧や小娘と机を並べてお勉強だなんて冗談じゃない。
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