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37 大貴族の落日7(ハーロルト視点)
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カリーナを手に入れるための策謀は着々と進行しつつあった。儂はこの日、屋敷の執務室に4人の人間を招き入れた。ひとりは御用商人デニス・ガイガー。さらにラングハイム派の両翼、カウニッツ侯とアメルハウザー公。そして嫡男のアルフォンスだ。
だが意外なことに執務室は紛糾した。
「ありったけの資金を用意するのだ。大丈夫だ、ラングハイム家が保証する。南部はこの儂がおさえておるのだ、なんの心配もいらん!」
儂が力説するも、デニスの表情は晴れなかった。
「しかし公爵閣下、ほんとうに南部全域の統制がとれているのでしょうか」
「なんだ、貴様はラングハイム家の━━この儂の影響力を軽んじておるのか?」
ジロリと睨むと、デニスは恐縮する。だが儂の腹の虫はおさまらなかった。
「貴様、汚らわしき商人の分際で、儂を侮るつもりなのか。このハーロルト・フォン・ラングハイムの判断に、疑念をもつのか!」
「そ、そのようなつもりは」
「父上、ガイガーどのの言うことをもう少し聞いてやってください」
ふいにアルフォンスが口をはさんだので、儂は虚をつかれた思いだった。
「なんだ、アルフォンスまで」
「父上、これは私がつかんだ情報なのですが、近ごろ帝国内の伯爵家が結託し、物価をコントロールしているフシがあるのです」
このアルフォンスの発言には、さすがの儂も驚愕した。まさか賢いアルフォンスが、そのようなことを言い出すとは思ってもみなかったのだ。
「アルフォンス、何を言い出すのだ。言うに事欠いて伯爵家だと?やつらは建国前、土豪も同然だった小領主で、いまも祝儀不祝儀の費用を捻出するのにも、いちいち困るような貧しい連中だ。儂に逆らうような度胸があると思うか?また、逆らってみたところで何が出来るというのだ」
「一頭の獅子に率いられた羊の群れは、一頭の羊に率いられた獅子の群れを駆逐すると申します」
「獅子などどこにいる」
「カーマクゥラの御前を名乗る男がおります」
「なんだそいつは」
はじめて聞いた名に、戸惑いを隠せなかった。だがアルフォンスは真剣な表情だ。
「私も最近になってようやくその正体を掴んだのです。伯爵家を扇動し、物の値段をつりあげて、利益を吸い上げている黒幕。その組織をカーマクゥラというのです」
「バカバカしい、とんだ陰謀論に取り憑かれたものだな、アルフォンス。賢い人間ほど、思春期になるとそういった陥穽にはまり込むのだ」
「これは陰謀論などではありません!」
必死になるアルフォンスを見ていると、笑いがこみあげてきた。すまし顔の優等生かと思えば、意外とかわいいところがあるではないか。
「父上、カーマクゥラの御前は実在します。かの組織は、高い能力を有した四天王をかかえており…」
「わかったわかった、その話は後で聞いてやる。それよりもアメルハウザー公、デニスに言ってやれ!南部諸侯はラングハイム家のもとにまとまっていると。完全な一枚岩なのだとな!」
ところがアメルハウザーの魯鈍野郎は、なにやらモジモジしていた。
「あのう、そのう、な、南部は、南部の貴族は…」
「なんだ、いつにもましてトロいではないか。馬鹿に磨きがかかったか?」
せせら笑うと、今度はカウニッツ侯が口をはさむ。
「ラングハイム公、そのおっしゃりようは流石に。アメルハウザー公は、官職こそ帝国宰相よりも下位ですが、公爵ですぞ」
「ふん、そやつがプライドを踏みにじられて、儂を裏切るとでも言うのか?アメルハウザー公にそのような気概があれば、儂は10年はやく今の立場を手に入れておったわ。そいつは役にも立たぬ腰抜けよ」
少し前まではアメルハウザーにも気を遣っていた儂だが、それも地位が盤石になるまでのこと。いまや敵がいなくなった儂がアメルハウザーごときに気を遣う道理がない。
するとアメルハウザーは流石に顔を真っ赤にしたが、次に飛び出したやつのセリフがケッサクだった。
「な、南部諸侯はラングハイム家のもとにまとまっていますっ。完全な一枚岩でございます!」
「クハハハっ、聞いたか、あれだけ馬鹿にされて、ラングハイム家に従うとな。アメルハウザー家を含む、南部諸侯は一枚岩だと宣言しおったわ!」
馬鹿だがその忠誠心は信用してやってもよい。とくに最近、この屋敷に日参して、ご機嫌うかがいをしてくる姿は殊勝なものだ。これだからアメルハウザー公を切り捨てられぬ。誰だって自分になついてくるペットは、かわいいものなのだ。
儂はデニスに向き直った。
「どうだ、諸侯の地盤固めを任せておるアメルハウザー公もこう言っている。南部の綿花は儂の号令があるまで出荷を見合わせるわ。これで市場の綿花を買い占めれば、あとはグレッツナー伯に、こちらの言い値で売ることができる。近ごろ豊かなグレッツナー家から、すべての財産をしぼりとることができるのだぞ」
絶対に儲かる話に乗らない馬鹿はいない。儂はデニスに詰め寄った。だがまだやつは渋い顔をしている。
「…南部の統制が本当に完全であるか、やはり確信がもてないのです。アメルハウザー公爵さまのご判断では、いささか不安が多うございます」
「ウハハハっ、アメルハウザー公、おぬしはいち商人にまで馬鹿にされておるわ!」
「いえ、けしてそのようなつもりは…」
「そのようなつもりだろうが。だが安心せよ、アメルハウザー家は南方貴族の名家だ。わがラングハイム家以上に、諸侯とのつながりは深く、豊かなのだ。それにアメルハウザー公がこのとおりのうつけでも、その家来まで馬鹿ぞろいではあるまい。実務を取り仕切っている家令のエルマーは優秀な男だぞ」
結局、儂は渋るデニスを押し切って、ラングハイム家のもつ家財を担保に現金を用意させた。いくらラングハイムが豊かとはいえ、常に現金をたくわえているわけではないのだ。たいていは土地や美術品として、財産を保有している。
全財産を抵当にいれたのは過剰かもしれないが、この大勝負でいざというときに種銭を切らすわけにはいかない。デニスの情報によれば、意外なくらいグレッツナー家の資産は多いのだ。勝てば賭金は倍にもなって戻ってくる。そして必ず勝つのだからなんの心配もいらない。
なによりも━━追い詰められたグレッツナー伯が、カリーナを差し出して許しを乞う姿を想像するだけで、儂の全身に高揚感がみなぎった。
儂にはもはや、手に入れられないものなどないのだ。儂は神に選ばれた、特別な人間なのだから。
だが意外なことに執務室は紛糾した。
「ありったけの資金を用意するのだ。大丈夫だ、ラングハイム家が保証する。南部はこの儂がおさえておるのだ、なんの心配もいらん!」
儂が力説するも、デニスの表情は晴れなかった。
「しかし公爵閣下、ほんとうに南部全域の統制がとれているのでしょうか」
「なんだ、貴様はラングハイム家の━━この儂の影響力を軽んじておるのか?」
ジロリと睨むと、デニスは恐縮する。だが儂の腹の虫はおさまらなかった。
「貴様、汚らわしき商人の分際で、儂を侮るつもりなのか。このハーロルト・フォン・ラングハイムの判断に、疑念をもつのか!」
「そ、そのようなつもりは」
「父上、ガイガーどのの言うことをもう少し聞いてやってください」
ふいにアルフォンスが口をはさんだので、儂は虚をつかれた思いだった。
「なんだ、アルフォンスまで」
「父上、これは私がつかんだ情報なのですが、近ごろ帝国内の伯爵家が結託し、物価をコントロールしているフシがあるのです」
このアルフォンスの発言には、さすがの儂も驚愕した。まさか賢いアルフォンスが、そのようなことを言い出すとは思ってもみなかったのだ。
「アルフォンス、何を言い出すのだ。言うに事欠いて伯爵家だと?やつらは建国前、土豪も同然だった小領主で、いまも祝儀不祝儀の費用を捻出するのにも、いちいち困るような貧しい連中だ。儂に逆らうような度胸があると思うか?また、逆らってみたところで何が出来るというのだ」
「一頭の獅子に率いられた羊の群れは、一頭の羊に率いられた獅子の群れを駆逐すると申します」
「獅子などどこにいる」
「カーマクゥラの御前を名乗る男がおります」
「なんだそいつは」
はじめて聞いた名に、戸惑いを隠せなかった。だがアルフォンスは真剣な表情だ。
「私も最近になってようやくその正体を掴んだのです。伯爵家を扇動し、物の値段をつりあげて、利益を吸い上げている黒幕。その組織をカーマクゥラというのです」
「バカバカしい、とんだ陰謀論に取り憑かれたものだな、アルフォンス。賢い人間ほど、思春期になるとそういった陥穽にはまり込むのだ」
「これは陰謀論などではありません!」
必死になるアルフォンスを見ていると、笑いがこみあげてきた。すまし顔の優等生かと思えば、意外とかわいいところがあるではないか。
「父上、カーマクゥラの御前は実在します。かの組織は、高い能力を有した四天王をかかえており…」
「わかったわかった、その話は後で聞いてやる。それよりもアメルハウザー公、デニスに言ってやれ!南部諸侯はラングハイム家のもとにまとまっていると。完全な一枚岩なのだとな!」
ところがアメルハウザーの魯鈍野郎は、なにやらモジモジしていた。
「あのう、そのう、な、南部は、南部の貴族は…」
「なんだ、いつにもましてトロいではないか。馬鹿に磨きがかかったか?」
せせら笑うと、今度はカウニッツ侯が口をはさむ。
「ラングハイム公、そのおっしゃりようは流石に。アメルハウザー公は、官職こそ帝国宰相よりも下位ですが、公爵ですぞ」
「ふん、そやつがプライドを踏みにじられて、儂を裏切るとでも言うのか?アメルハウザー公にそのような気概があれば、儂は10年はやく今の立場を手に入れておったわ。そいつは役にも立たぬ腰抜けよ」
少し前まではアメルハウザーにも気を遣っていた儂だが、それも地位が盤石になるまでのこと。いまや敵がいなくなった儂がアメルハウザーごときに気を遣う道理がない。
するとアメルハウザーは流石に顔を真っ赤にしたが、次に飛び出したやつのセリフがケッサクだった。
「な、南部諸侯はラングハイム家のもとにまとまっていますっ。完全な一枚岩でございます!」
「クハハハっ、聞いたか、あれだけ馬鹿にされて、ラングハイム家に従うとな。アメルハウザー家を含む、南部諸侯は一枚岩だと宣言しおったわ!」
馬鹿だがその忠誠心は信用してやってもよい。とくに最近、この屋敷に日参して、ご機嫌うかがいをしてくる姿は殊勝なものだ。これだからアメルハウザー公を切り捨てられぬ。誰だって自分になついてくるペットは、かわいいものなのだ。
儂はデニスに向き直った。
「どうだ、諸侯の地盤固めを任せておるアメルハウザー公もこう言っている。南部の綿花は儂の号令があるまで出荷を見合わせるわ。これで市場の綿花を買い占めれば、あとはグレッツナー伯に、こちらの言い値で売ることができる。近ごろ豊かなグレッツナー家から、すべての財産をしぼりとることができるのだぞ」
絶対に儲かる話に乗らない馬鹿はいない。儂はデニスに詰め寄った。だがまだやつは渋い顔をしている。
「…南部の統制が本当に完全であるか、やはり確信がもてないのです。アメルハウザー公爵さまのご判断では、いささか不安が多うございます」
「ウハハハっ、アメルハウザー公、おぬしはいち商人にまで馬鹿にされておるわ!」
「いえ、けしてそのようなつもりは…」
「そのようなつもりだろうが。だが安心せよ、アメルハウザー家は南方貴族の名家だ。わがラングハイム家以上に、諸侯とのつながりは深く、豊かなのだ。それにアメルハウザー公がこのとおりのうつけでも、その家来まで馬鹿ぞろいではあるまい。実務を取り仕切っている家令のエルマーは優秀な男だぞ」
結局、儂は渋るデニスを押し切って、ラングハイム家のもつ家財を担保に現金を用意させた。いくらラングハイムが豊かとはいえ、常に現金をたくわえているわけではないのだ。たいていは土地や美術品として、財産を保有している。
全財産を抵当にいれたのは過剰かもしれないが、この大勝負でいざというときに種銭を切らすわけにはいかない。デニスの情報によれば、意外なくらいグレッツナー家の資産は多いのだ。勝てば賭金は倍にもなって戻ってくる。そして必ず勝つのだからなんの心配もいらない。
なによりも━━追い詰められたグレッツナー伯が、カリーナを差し出して許しを乞う姿を想像するだけで、儂の全身に高揚感がみなぎった。
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