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23 逢瀬
しおりを挟む連合の会長と会談といったって、立場的にはこっちが上だ。なんせ相手は中小の商人をまとめるギルドの会長なわけで、たいして資金力があるわけじゃない。
むしろ免税札を与えることで、こっちが恩を売れる立場なんだ。だから、多少、遅れていくぶんには問題ない。
だからといって、あまり待たせすぎると、中小をあなどる尊大な態度を嫌われるだろうし、約束をスッポカスなんざ問題外さ。これから友好関係を築いて、互いに大きくなっていこうという間柄なんだしね。
そんなわけで急いで馬車に乗り込んだアタシの、その隣には━━なぜかカリーナがいる。
「その殿方とはいつお知り合いになりましたの?」
目をキラキラさせながらカリーナが聞いてくる。恋人の話は全部嘘っぱちなんだが。
「そ、そんなことより、大丈夫なんですか?一緒に屋敷を抜け出したりして…」
「いつも抜け出してますから、大丈夫ですわ。バレたことなんかありませんもの!」
こいつも同じ穴のムジナかい!
しかしナンだねえ、十代の娘ってのは、どうしてこう色恋沙汰が好きなんだろう。恋人と逢瀬するってデタラメを吹き込んだら、付いていくといって聞かないんだから。そりゃもう、蹴飛ばさないかぎり振り払えないような勢いだったよ。
「相手のかたは、どういうお方ですの?」
カリーナが好奇心丸出しで質問してくる。だけどアタシはこの状況に混乱していた。まともに答えられる精神状態じゃない。そんな有様で答えをひねり出すとこうなる━━。
「…ええと、49歳の男性で、職業は実業家。妻と5人の子どもに恵まれ、このあいだ初孫が生まれたとか…」
「大丈夫なんですの、そのひと!」
あっ、これから会うオスカーの情報を喋っちまった。カリーナが目をむいて迫ってくる。
「孫までいらっしゃるのに、13歳の娘に手を出すなんて…。ハンナさま、あなた騙されているのでは」
「あ、いや…。み、道ならぬ恋なればこそ燃えあがるものですから」
「これはもう、相手の殿方を確かめずにはいられませんわ!」
無理もない反応を示すカリーナを横目に、アタシゃため息をついた。どうしよう。このままついてこられちゃ、鎌倉の御前の正体がバレちまう。頭を抱えたくなったアタシの耳元に、ささやき声がきこえた。
「…御前さま、もしかして、お困りなのですか」
ん?この声は、フリッツだ。
「…緊急のご様子なので、失礼させていただきました。この声は御前さまにしか聞こえないはずです」
言われて、アタシはキョロキョロと見回したが、フリッツがどこにいるのかまったくわからない。本物の忍者だよ、こりゃあ。
だけどフリッツなら…。フリッツならなんとかしてくれるかもしれない。よくできた部下だよ、本当に。アタシゃ、涙が出そうになったねえ。
「…御前さま、色々訊ねますので、イエスなら1回、ノーなら2回、座席の背もたれを叩いてください」
フム、それならカリーナに不自然に思われずにすむ。アタシは背もたれを1回叩いた。
「御前さまはお困りですか?」
1回叩く。
「この女が邪魔なのですか?」
やはり1回叩く。
「……殺しますか?」
「馬鹿かお前は!」
思わず大声で怒鳴っちまった。カリーナが心配そうにアタシを見ている。どうしよう、この空気。アタシはもうしどろもどろだ。
「いえ、その、最近すこしストレスが溜まっていて…」
「すとれす、というのが何かはわかりませんが━━やはり相手の殿方に問題があるのでは」
「ええと、そ、そういえばカリーナさまには、良いお相手がおりませんの?」
話題を変えるんだ、とにかく話を━━。
「…私はつまらない女ですから。ハンナさまのように、貴族社会の外に居場所をみつけることができませんでした」
「は、はあ」
「貴族にとっては、色恋なんて物語の中の出来事ですわ。親が決めた縁談に従い、良き妻になることに努める。それが正しいことだと、信じるしかありません」
あぁ…。これは良くわかる話さ。日本でも、ほんの7、80年前まではそれがあたりまえだった。アタシだって、前世の夫とは親同士の話し合いで結婚した。有り難いことに、夫は尊敬できる人だったけど、あれは色恋じゃなかったねえ。思えばアタシは、恋をしたことがない。
「それならせめて、お父様と、アスペルマイヤー領の民たちのためになる結婚をしようと思ったのですが」
その結果、自分が不幸になるのだとわかっていても、か。カリーナはまるで聖女さね。皮肉じゃなく、アタシはそう感じた。こういう女には、幸せになってほしいもんだ。
「━━それが恋じゃなくても、せめて尊敬できるような殿方に、お心当たりはありませんか?」
アタシゃなんだか、世話焼き婆さんの気持ちになっていた。いずれアタシが昇りつめたら、カリーナの縁談を世話してやろう。するとカリーナは少し考え込んだあと━━
「そうですわね、それなら、グレッツナー伯爵さまでしょうか」
━━と言った。
「ウーン、私が妹だからといって、なにもそんなお世辞は…」
「いいえ、グレッツナー伯さまは素晴らしいお方です。温厚で誠実、しかも名君でおられるわ」
『名君』はアタシの作った虚像だけど、その他はまあ、的を得ている。お世辞ならこういう言葉が出てくるだろ。
だけどカリーナの眼差しは真剣だった。
「私は先日のパーティーでグレッツナー伯にお会いしたとき、驚きましたの。父がグレッツナー伯に、カーマクゥラの御前を紹介してくださったお礼を言ったとき、グレッツナー伯はただただ、父の成功を喜んでらしたわ。これは出来そうで出来ないことですのよ。グレッツナー伯は、アスペルマイヤー家の救世主ですから。常人であれば、恩を売ろうとするか、そうでなくても自らの功をほこって尊大になるものです。けれどグレッツナー伯は、ただ『よかったですな』と微笑まれて…」
「わかります」
それしか言葉が出てこなかった。アタシと初めて会ったとき、コンラートはただ喜び、ただ泣いた。
━━これからはこの屋敷がおまえの家だ。
アタシを伯爵家に迎え入れ、それでいて少しも恩着せがましいことは言わず、グレッツナー家の財政にかかわろうとするアタシに自由裁量を与えた。
こんな貴族は、たぶん他にいない。コンラートはカリーナに負けず劣らずの善人さ。アタシはね、こういう人間が損をするのはガマンならないんだよ。
彼らを救うことが、前世の罪滅ぼしになんかならないってわかっていても。
「ハンナさま、どうしましたの?お顔が怖いですわ」
「あ、いえ…」
ハッとしてとりつくろおうとすると、ふいに馬車が止まった。窓の外を見ると、そこに会談場所の高級宿が建っている。
「しまった!」
つい話し込んでいるうちに、目的地に到着してしまった。どうしよう、カリーナをそのまま連れて歩くわけにはいかない。
「…御前さま、大丈夫です」
耳元でフリッツの声が聞こえた。
「…御前さまはこのまま、一目散に宿へ飛び込んでください。あとはこちらで処理します」
処理って、まさかカリーナを殺す気じゃないだろうね。不安をぬぐいされないアタシの目に、窓の外に待機するあの男の姿が飛び込んできた。ヨシ、それなら宿へ飛び込もう。
「ハンナさま!?」
馬車から降りるなり、駆け出したアタシにカリーナが驚く。だけど振り返ることなく、宿の建物に入ってしまうと、外でなにやらもめごとが起きていた。
「カリーナさま、ようやく見つけましたぞ。こういうことをなさっては困ります!」
たぶんフリッツが連絡していたんだろう、クラウスの声だ。
「で、ですけどハンナさまがっ」
「ハンナお嬢様は別の者に保護させております。さあ、カリーナさまもお屋敷にお戻りください。あなたの身になにかあれば、わがグレッツナー家の信用問題になります」
クラウスがうまいことカリーナを言いくるめているのを確認して、アタシは予約してある部屋へと向かう。いずれカリーナとは話をする機会をもうけよう。
盛大な誤解も解かなくちゃならないしねえ。
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