続・ゆびさきから恋をするーclose the distance

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エピソード3

憂いの二カ月③

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手当をしてくれる手はとても丁寧で優しくて。「痛い?」と聞いてくれる声もひどく甘く響いた。



優しくしないでほしい。



どうせ振るなら無駄に優しくしなければいいのに。

別に責めたりしない、夢かなと思っていたのが覚めるだけ。



この世界が滲んで歪むのは、きっと夢だったからだー。



「なんで、泣くの?」

そう言われて視界が一瞬でクリアになった。



「ご、ごめ……なさ……」



泣くつもりじゃなかった。

面倒な女にだけはなりたくない、そう思って逃げるように席を立とうとしたら手を掴まれて椅子に引き戻される。



「泣いてる理由はまだ聞けてない」

そんなこと言われても困る、仕事じゃないんだからなんでも報告する義務なんかない。

そう思って口を閉ざしていたら謝られた。



ごめん、それはもう終わりという事なんだろう。

その言葉を聞いた瞬間、胸にぽっかり穴が開いた。



別れるという意味ですか?もう、迷惑になりました?我慢できなくて聞いてしまった。



「なんの話?」



ここでどうして私に聞いてくるのか。



「貴島さんと、付き合うんですか?」

そう聞き返したら困惑した表情。



「もう、義理でラインとか送ってくれなくていいですよ」

突き放すようにそう言ってまた席を立とうとしたら腕を掴む手に力が込められた。その腕の力に気持ちが昂った。



「勝手に終わらせるな」

「別に勝手に終わらせてません」



「どこが?一人で答え出してるだろ」

「私のせいですか?」

「俺のせいだよ、俺のせいだけど!ちょっと待って」



「彼女いないって言ったくせに!」



不安と嫉妬、焦りに恐怖、いろんな気持ちが胸の中を締め付けて、思わず吐き出した自分の言葉にゾッとした。



(ちがう、こんなことが言いたかったわけじゃない)



「ちがう、そうじゃなくって。私、わたしは――」



涙が止まらない。



「もう、会議……行ってください。こんなこと、話してる場合じゃないし、仕事……しないと」



もう離して――そばにいたら言わなくていいことをさらに言ってしまいそうになるから。



「その話をどこでどう聞いたのか知らないけど……いないとは言った。でもそれは貴島さんに本音を言う気なんかなかったからで、別に千夏のことを否定した訳じゃない」



久世さんが罰が悪そうに頭をかいて続ける。



「いるって言えば誰だとかどんな人だとかしつこく聞いてくるだろ、ああいうタイプの子って。いないって言うのが一番詮索されないし手っ取り早かっただけ」

「――今度、ご飯も行くって」

「ごはん?行かないけど」



「ごはん一緒に行くって……」

「なんの話?もしかして部の飲み会のことかな、飛躍しすぎて意味わかんないな」



「飲み会……?」

「打ち上げも兼ねたやつじゃない?なんかそんな話してた気はするけど。行かないよそんなの、めんどくさ」



「……二人が、仲良く歩いてるの見たら……もうなんか気持ちがおかしくなっちゃって」

「仲良くって……。話しかけられたら話しはするけど……仲良くも何もないよ、何話してたとかも全然覚えてないし。しょうもない内容な気がする、あんまりちゃんと聞いてないし覚えてないわ」

「――聞いてないって……ひどい」

あんまりな意見に思わず言うと笑われた。



「ひどいよ、俺。知らなかった?千夏が思ってるほど周りの人間に興味持ってないし」

クスッと笑う顔が意地悪だった。



「仕事しないやつなんか論外。こっちはわざわざ手伝わされて必死で時間作ってやってんのに、全然仕事覚えないし、いちいち時間かけるし同じミス何回もして同じこと何回も聞いて……思い出すだけでウンザリするわ。そんなところに聞いてくることがどんな子が好きだとか、いつから彼女いないんだとかどうでもいいことばっかり。黙って仕事しろって絡むたびに思う。余計な事考える暇があるならミスの一個も減らせよって……しかもあの香水。マジで臭くて嫌」



「……」

一気に言われて何も言えなくなった。



「言ってもいいなら言うけど。貴島さんに、彼女いるって」

「い、言わないでいいです」

「いいのかよ」

呆れたように笑われて頬が赤くなる。



(だって……)



「久世さんの迷惑になることは、したくないので」

「迷惑、ねぇ……」



探るような声色に顔を上げると椅子がいきなり引かれて体がぐんっと前のめりになった。



「きゃあ!」



久世さんの長い足が椅子を挟んで、その足がキャスターに引っ掛けられると椅子ごと体が引き寄せられる。



「言っといたよな?寂しくなったらちゃんと言えって。言ってくんなきゃわかんないよ。甘えてた俺が悪いけど、不安になってるなんて全然思わなかった」

「あの、あの、ち、ちかい……と思います」

この場所だと誰か入ってきたら間違いなく見られてしまう。あわあわする私をよそに、久世さんが言う。



「迷惑かけてくれていいよ」



(え?)



「それくらい覚悟もって付き合うって決めてる」

まさかそんな言葉を言われると思わなかった。





「……都合がいいって、どういう意味だったんですか?」

「え?」



「この関係を、秘密にしたいって私が言ったとき。久世さんはそう言いましたよね?」

久世さんはじっと私を見ている。



「久世さんにとっての都合がいいって、いつでも別れられるってことじゃなかったんですか?」

声が震えた。油断するとまた目から涙がこぼれてしまう、それがわかるほど視界が揺れている。



「……あのさぁー」

そっと長い指が頬に触れてきた。





―――――――――――――――――――





涙で潤んだ瞳で真っ直ぐ見つめられると理性が保てなくなる。

大きな瞳は涙で濡れて煌めいて、抱いてる時と同じように熱を含んでいてたまらなくなった。



「そんな目で見ないでくれる?」

「え?」



「俺、理性ギリギリなんだけど」

「……理性」繰り返すな。



「それ、本気で言ってる?本気でそんなこと思ってた?」



――いつでも別れられるってことじゃなかったんですか?

(まさか、そんな風に捉えられていたとは思わなかった)



「その方が、お前が仕事しやすいだろ。それだけだよ、理由なんか」



表面上の関係が変わらなければ同じように千夏を上司として守ってやれる、もしそれが恋人になったと周知されれば、千夏の評価が正当にされにくくなる。

俺が、私情を挟んでいるとなる、千夏が、俺に媚びてるように思われる。

そういう妬みや中傷を投げつけてくる奴がきっと必ず出てくる。



「俺は、千夏の仕事が色恋なんかで誤魔化されんのが嫌なんだよ。ちゃんと評価してるのに、付き合ってるんだろ、でくくられたらたまんない。絶対に納得できない、でも言い訳になる、そう思ったから内緒でいいって思ってた」



そう言ったら千夏の瞳からボロボロと涙が落ちた。



「ほかに女が出来たときに捨てやすいように、みたいに思ってたってこと?お前、結構俺の気持ち舐めてるな」

「……怒ってますか?」

「多少ね。こんな直属の部下に手を出すってだけで軽い気持ちじゃないってこと、いい加減気づいてほしいわ」



「……すみません。私、妄想がだいぶ激しいみたいで……すみません」

そう言って千夏は鼻水をすすりながら項垂れたから笑ってしまった。



「もういいよ。どっちにしろ忙しい理由にほったらかしにしてた俺が悪い。他に溜めてることはないの?せっかくだしあるなら全部吐いといて?」



変に我慢もさせたくないし、無駄な心配や不安も持たせたくなかった。

言えること、聞きたいことは今吐き出してほしい、そう思って言ったら聞いてくる言葉に目を剥いた。



「――好きでいて、いいんですか?」



(――ここでそのセリフを吐くとかないわ)



「いて欲しいですね」

「……まだ、彼女って思ってていいんですか?」

「まだもなにも別れてませんけど」

「……ありがとうございます」



(無理、可愛すぎる)



「――好きです」



(だからーー)



「あぁーもう……」



机に肘をついて頭を抱えた。



「久世さん?」



(クソ、なんでここが会社なんだ。部屋なら押し倒してるぞ)



「……そろそろ離してもらえますか」

「あ、すみません」



椅子にかけていた足を離すと千夏がゆっくり後ろに下がって照れたように微笑むと席を立った。

顔を見上げると一歩近づいた、と、思ったらソッと指に触れてきた。



「……会議、遅れさせてすみません。手当も、ありがとうございました……仕事してきます」



絡めるようにゆびさきに触れて離れていく。

セリフと行動のアンバランスが堪らなかった。

恥ずかしいのか逃げるように実験室に走っていくからひと息ついて彼女の後を追った。涙で濡れた目元をティッシュで拭いているところを強引に抱き寄せた。



「――あのっ」



身じろぎするのを強く抱きしめて拘束したら、抵抗を諦めたのか強ばる体の力が抜けたのがわかる。

千夏の腕がソッと俺の腰の裾を掴んだ。



「……週末、行ってもいいですか?」

「もちろん」

来なければきっと俺が会いに行っていた。



小さな体がホッとしたように息を吐く、それがもう無性に性欲を掻き立てた。



腕の力を弱めて頬に手を触れると千夏が顔を上げる。涙のせいで少し化粧が落ちてあどけなくなるその顔にゆっくりと近づくと大きな瞳が静かに瞼を閉じた。

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