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エピソード1

とまどいの一カ月①

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上司と部下から彼氏彼女になって一か月。



あいかわず鬼上司っぷりは健在で、むしろ以前より仕事の振り方はきつくなって指摘も遠慮がなくなってきた。



(仕事はしたいとはいいましたが!)



久世さんは私にもきつい言葉を投げるようになったし、私もそれに噛みつく日々。

多分誰も私たちが付き合っているなんか思わないだろう。自分でもたまに信じられなくなる。そのくらい上司と部下感が抜けない。



(オフィスラブってこういうもんなのかな。こんななんか殺伐としたもん?)



今日は月一に行われるグループ進捗会議。

この会議だけは派遣の私も参加する。

だいたい月初めに半日くらいかけて会議室で行われて各々が先月の業務結果を報告して、今月の業務予定と進捗を発表する。内容によっては長引く日もあるけれど遅くても午後からなら16時くらいには終わる。

今日も予定通り16時前に会議は終了した。チームメンバーがぞろぞろと退室していく中、椅子や机を片付ける。私はブラインドをあげようと窓辺に寄った。



(甘い雰囲気以前に、そもそも仕事振りすぎるんだ、よ!)



そんな思いをぼやきながら、最後のブラインドの紐を引っ張ってみたものの絡んで引っかけてしまった。



(しまった)



「菱田ちゃん、ごめん、時間来てるし先にもどるね」

時短勤務で16時退社の高田さん。



「はぁい、お疲れ様です」とりあえず顔だけ向けて返事をした。

下から引っ張ったりクイクイと動かしてみるもののうまく絡みを外せない。ふと部屋を見渡したら気づくと一人。

ブラインドを下げたままにしてもいいかもしれないが絡めたのは私だし、一ヵ所だけ露骨に閉まっているのもなんだかなぁと思いつつ……



(誰もいないならいいか)



そう思い椅子を持ってくる。

靴を脱ぎ捨ててパイプ椅子に体を乗り上げた。

私は153センチと標準より背が小さい。椅子に乗ったところで知れているのだけれど少しでも絡んでいるところに届くようにと手を伸ばす。少しづつ絡みを外していたら急に背後から声をかけられた。



「なにやってんの」

「わ!」

低い声にびっくりして悲鳴を上げると、持っていたブラインドの紐まで引っ張ってしまって身体がぐらつく。



「あぶな……っ」椅子から落ちそうになるところを久世さんに抱き留められた。



「すみませ……「バカなのか?」「ごめんなさい……」



(怒り方よ、というか言い方よ。助けてもらって言うのもなんだが)



「呼べよ」

「え?」



「椅子に乗るとかマジでやめて」

「ごめんなさい」

もはや謝るしかない。



「そのカッコで椅子に乗るとかほんとないから」



カッコ??



「スカートでしょ」



(そうですけど)



「……この制服も……」久世さんがそこまで言って言い淀んだ。

何を言いたいのかわからない。女性社員はみんな同じ制服を着ている。なにも私が特別なものを着ているわけではない。



椅子の上に乗っているせいか彼より少しだけ背が高くなって見下ろす形になるのはなんというか新鮮で。抱き留められた腕の中で彼を見つめると、じっと見つめ返されて勝手に頬が赤くなる。



「あの……」



言葉を発したのと同時くらいにぎゅっと抱きしめられた。

制服の上からでもわかるくらいに彼の息がデコルテあたりにかかって心拍数が勝手に上がる。

今までにない立ち位置。

久世さんから放たれる髪の毛の匂い。

誰もいないとはいえ会社の会議室。



胸がドキドキしてくる。そのドキドキがさらに増したのは彼の手が腰に回ったせいだ。



「久世さん……あの」



(もうなんだか精神的にキャパオーバー、オーバーヒートしかけ、無理です)



「……だ、め」



ひとが来ちゃうかも……そう思って言ったのに久世さんの何かを煽ってしまったようだ。



「ダメってなにが?」ニヤリと笑われた。



(なにって……何その顔。面白がってふざけてるの?!)



「人が……「来ないよ」

「誰かが次……「次は誰も予約してない」

全部言いくるめられる。



「でも」

「ちょっと黙って」



そう言って口を塞がれた。今までとは違う強引なキスに思わず声を漏らす。



「んっ……むぅ……ン」



(ちょっと待ってちょっと待って!!!)



かろうじて私のほうが高さの優位に立ってるのをいいことに肩を掴むけどびくともしてくれなくて。それよりも腰を引き寄せる力が強くなる。



「あ、ンん……まっ」待ってが全然伝わらない。



(なになに!?ここ会社!何してんの?何考えてんの?ていうか、何このキス!!!)



抱きしめられて、熱いキスを降るように浴びせられて足が立ってられない。

そもそも椅子の上で不安定なのだ。普通に立つより力をいれられないのにこの力技。

徐々に体の力が抜けていくのがわかったのかくちびるを離されると彼がフッと微笑んだ。



「誘ってんの?」

「誘ってないし!!」

このイケメンは何を言い出すのか。



「よかったよ、出てこないなって気づいて戻ってきて」



戻ってきてくれたんだとそんなことで単純に喜んだ矢先、予想外の言葉。



「てか、前から思ってたんだけど。その制服サイズ合ってる?」聞かれた言葉に眉を顰めた。



(前から思ってたってなに)



「……それってセクハラじゃないですか?」

「彼氏にもセクハラって通用するの?」

「それは……」



(彼氏という言葉に喜んでしまう私、ちょろすぎるぞ)



言い返せなかった私はしぶしぶ答える。



「上は……これでもすこし大きめなんですけど…」

「でかいの?」



(これ絶対セクハラだと思う、なにを言わせるんだ)



「ええ、でかいんです、すみません」ふてくされたように言って、中に織り込んでいる袖口を伸ばしたら黙ってそれを見つめている。



「背が低いから仕方なくて……その」言いよどむ言葉を素直に待たれるのが辛い。



「前が、その……ってこれ言わなきゃダメ?」恥ずかしすぎる。



言いよどむ私の言葉を察してくれたのか彼はおかしそうに笑った。



「なるほど」



納得されるのも恥ずかしいだけで。体型コンプレックスをなぜわざわざ公言させられるのか。



私は多分人より胸が大きめで。

この会社の制服は少し体のラインにフィットするデザインになっていた。前はボタンで留めるタイプだけど、ウエストは少ししぼられた形になるから結構体のラインが出てしまう。

身長からみたサイズ感を試着する時渡されたが、それだと前が……留まらなかったのだ。



(一応留まったけど、もう目線がそこにいくでしょ、みたいな無駄に目立ったんだもん)



だからあえてワンサイズ大きいのを選んだのだけど。



高校生の時、クラスの男子に体型を揶揄われた。

「背が低くて胸がでかい、オタクに好かれそうなロリ体型」

言われた言葉は案外根深く胸の中に残るものだ。

それ以来、自分の体型はコンプレックスだしなるべく隠せるように努力はしていた。





「それ笑うのも失礼ですからね!いきなりなんなんですか、そもそもが失礼です!」

「すみません。気になってたんで。すっきりしました」



真面目に言われると余計恥ずかしい。



「でも危ないことはしないで。椅子の上に乗るとか今後絶対禁止」

「危ないって……そんなに危なくも……」

「いい大人がスカートで椅子には立ち上がらない」いろんな意味で危ないわ、と冷静に怒られて言い返せない。



「すみません」



「今度からは声かけて」

「……はい」なんだかもういたたまれない。それよりも。



「あの……」



「ん?」優しい声で聞き返さないでほしい。



胸のドキドキがずっとおさまらない。

言いたいことはいろいろあるけどどうしよう。抱きしめられる時間が愛しくて何も言えない。就業までまだ一時間も残ってるのにもう仕事のことが頭の中からすっぽりと抜けてしまった。そっと彼の頬に指先で触れる。



「もう……」離してください、そう言わないと体の中が沸騰しそうになる。



「離さないとな」



心の中で思った言葉を発せられてその通りなんだけど寂しくもなる。



(勝手……私の心って)



首筋にくちびるを寄せて彼の甘い吐息が肌をなでる。それに身体が震えた。



「ん……」

「そんな声出すな」我慢できなくなるから、彼はそう笑った。



「ごめん……なさい」身体が熱い、それをきっと悟られているほどに距離が近い。



「あー帰りたいな。本気で」



そう言いぎゅっと抱きついてくる。その姿が今まで見たことのない可愛さで。



「なにかありました?このあと」

「いや、打ち合わせ一件入ってるけど内容は大したことない。もう帰りたいだけ」



仕事大好きな人でも帰りたいとか思うんだ、とか真面目に思った。



(そこまでワーカーホリックでもないのね、なんか疲れているのかな)



労りの気持ちで頭を撫でてしまったらなんだか無性に愛おしさが増してぎゅっと抱きしめてしまった。瞬間、バッと身体を引きはがされて我に返る。



「……ごめんなさい」

「なんのごめん?」

「なんか……なんとなく」



とりあえず謝ってしまっただけで意味がないなんて言ったら怒られそう、そう思っていると久世さんがじっと見つめてくる。



「無自覚か?」

「へ?」

「いや、もういろいろ危ない、降りて」そう言って手を取ってくれて椅子から降ろされる。



「明日、なにか用事あるの?」

「とくには」明日はお天気だって聞いてるからシーツを洗いたいと思っていたくらいだ。

「今日はもう定時で上がる?」

「え、あー……」



仕事のことがすっぽり抜けた脳内にいきなり問われても間抜けな返事しかできない。フル回転であとなにをしようとしていたのか思い返す。でもだいたい会議の後は大した業務もできないのでデータをまとめるかできてない片づけをするかくらいしかしない。



「月曜のサンプルの準備して、報告書の確認して……」



「定時であがるな」彼のほうが察してしまった。



「19時までには終わるはずだから、どこかで待っててくれる?」

「あ、はい」



(え?)



条件反射で返事してしまって思わず見上げる。



「用事ある?ないならメシでも行かない?」

「……はい」



突然の誘いに胸が高鳴りつつ返事をすると優しく微笑まれる。



「またあとでラインして」頬に軽く口づけて彼は会議室を出て行った。



「……なにいまの、むり」



赤くなった顔の熱を冷ますのに必死になった私だけが残された。

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