君の攻略法

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第8話

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 八月某日。アトラと拓也は都内で行われる同人イベントの会場に訪れていた。
「わあっ……! すごい人ですね」
 前にも後ろにも人がいて、小さなアトラは簡単に人混みに紛れてしまいそうになる。
「真夏にここまで人が集まるってヤバいよね。アトラくん、はぐれないように俺の腕とか掴まってていいからね」
「は、はいっ」
 お言葉に甘えて、拓也のほどよく筋肉のついた腕に控えめに掴まる。照れくさいが、こうでもしないと本当にはぐれてしまいそうだ。
「この調子じゃ更衣室も混んでそうだし、これ以上人増える前にちゃちゃっと着替えちゃおう」
 拓也とアトラが男性更衣室に入ると、案の定すでに多くのコスプレ参加者が着替えやメイクを行っていた。
「さてと。俺たちも準備しますか」
 本当にここで変身を解くんだ。
 改めてそう思った途端、鼓動がどくんどくんと騒がしくなる。
 しかし意外だったのは、大勢の人間の前で本来の姿をさらけ出すことへの恐怖よりも、ずっと憧れていたイベントに参加できるという高揚感のほうが勝っていることだった。
 更衣室であらかた衣装を身につけてから、トイレの個室に移動する。
 そして変身魔法を解除し、タイミングを見計らって拓也の元へ戻った。
 途中すれ違う人々の「あ、ジェメリだ!」「クオリティすげえ」という声が聞こえてきて心臓が爆発しそうになったが、どうやらアトラの姿はただ手の込んだコスプレにしか見えていないようで、ほっと胸を撫で下ろした。
「お、帰ってきたね」
 拓也はもうほとんど準備が終わったらしく、まるでゲームから飛び出してきたかのような姿でそこに立っていた。
「はわ……」
「うん、やっぱ超似合ってる! 髪だけ軽く整えてあげるから、こっちおいで。……って、どうしたの?」
 クオーレに扮した拓也がぐい、とアトラに顔を近づける。拓也からはいつものいい匂いがして、余計に頭が混乱した。
「はわわ……」
「アトラくーん? さっきから全然目が合わないんですけど?」
 アトラが照れているのを知ってか知らでか、拓也はによによと笑みを浮かべながらわざと距離を詰めてくる。
 家でも何度かメイクやウィッグセットの練習はしていたが、全ての衣装が揃った状態で見ると信じられないくらいかっこいい。
「久々のコスプレで自信なかったけど、これは成功……ってことでいいのかな?」
 言いながら拓也がクオーレの武器である銃を構えてみせる。その姿すら様になっていて、アトラはまた鼓動が早くなるのを感じた。
「か、かっこよすぎて直視できない……」
「ちょっ、あんま可愛いこと言わないで。ほら、髪上げるよ」
 より忠実にジェメリを再現するために、長い前髪を真ん中で分けられて眩しさに目を細める。
 視界が明瞭になったことで余計に視線の逃げ場がなくなってしまった。
 それに普段は前髪で自分の存在ごと覆い隠すような気分でいたから、目元がはっきり見えている今の状態はなんだかすごく頼りない感じがする。
「おでこ気になる?」
 しきりに額を気にするアトラに拓也が笑いかける。
「変、じゃないですか?」
「もちろん! すっごく似合ってる。これは恋人の欲目じゃなくて、客観的事実ね」
 本当だろうか。疑わしいけれど、拓也が言うなら信じてみようという気になるのだから不思議だ。
「さ、それじゃあみんなにお披露目しちゃおっか!」
 拓也がアトラの手を引いて更衣室を出る。
 コスプレエリアに足を踏み入れると、そこはさまざまな衣装を身にまとった参加者たちで溢れかえっていた。
「知ってるキャラがこんなに……!」
 画面越しに見ていた景色が眼前に広がっている。
 まだ何もしていないというのに、見ているだけでキャパオーバーしてしまいそうだった。
「みんな気合い入ってんねー。俺もワクワクしてきちゃった。とりあえずエリア一周して……」
 そう言って拓也が歩き出した瞬間、背後から不意に声をかけられる。
「あのっ、すみません! 撮影いいですか?」
 そう尋ねる女性は手に立派なカメラを持っていて、拓也が振り向くときゃあと小さく歓声を上げた。
「俺たちですか?」
「はい! クオーレ様とジェメリくんですよね? クオリティ高すぎてびっくりしちゃいました……! 身長差まで公式どおりですごいです!」
 女性が興奮気味にまくし立てる。
「それで、もしよろしければお二人のお写真を撮らせていただきたいんですけど……」
 拓也がちらりとアトラのほうに視線を送る。アトラが大丈夫だと頷くと、拓也はにこりと笑ってそれを快諾した。
「もちろん、いいですよ」
「ありがとうございます!」
 撮影を頼まれることもあると拓也から聞いてはいたが、こんなにすぐに声をかけてもらえるなんて思ってもみなかった。
「アトラくん、ポーズできる?」
「は、はいっ」
 事前に拓也から教わっていたので、辛うじてポーズをとることはできそうだ。まだ恥ずかしさが勝って、表情までは上手く作れないけれど。
 アトラと拓也が並んでポーズを構えると、すかさず女性がシャッターをきる音が聞こえる。
 そうして何枚か写真を撮り終えたあと、女性が「そういえば」と話し始めた。
「SNSって何かされてますか? こんなにすごいレイヤーさんなのに、お見かけしたことがないなと思って……」
「あー、俺たち普段コスプレしないんで、どっちもコス垢ないんですよ。特にこの子はイベント参加も今回が初めてで」
 ね、と拓也に話を振られ、小さく頷く。
 すると女性は目を丸くして「初めて!?」と声を上げた。
「初参加のクオリティじゃないですよ……!」
「い、いえっ! 拓也さ……ええと、こっちのお兄さんが色々教えてくれたおかげです」
 まさかほとんどが自前なんですと言うわけにもいかず、曖昧な返事で誤魔化す。
 女性はもう二、三度二人のコスプレを絶賛すると、丁寧にお礼を言ってからその場をあとにした。
「はあ、緊張しました……」
「上手にできてたよ! その証拠に、ほら」
 拓也に促されて周囲を見る。
 いつの間にか拓也とアトラの周りには人だかりができていて、二人の写真を希望する人の列がずらりと伸びていた。
「えっ! こ、これ全部撮影待ち……!?」
「そういうこと。アトラくんすっかり人気者だね。まあ可愛いから当たり前なんだけど」
 拓也が得意げに笑う。
 それを言うなら拓也の人気なのではと思ったが、次から次へとカメラを持った人が押し寄せてくるので言及している暇はなかった。
 それから順調に続いていた撮影の途中。慣れないことをしたせいだろうか。少し足元がふらついて、拓也のほうにぐらりと寄りかかってしまった。
「わっ、すみません」
「大丈夫?」
 拓也がアトラの肩を抱いて顔を覗き込む。
 その瞬間ギャラリーからわあっと歓声が上がり、拓也が「あ、やば」と呟いた。
「今の距離感ただの俺だったな」
 咄嗟にアトラから離れた拓也が「解釈違いで叩かれそう」と肩をすくめる。
「暑くなってきたし、ちょっと休憩しようか」
「はい。ありがとうございます」
 移動するあいだもアトラと拓也は注目の的だったが、先ほどよりは幾分かマシだ。
 拓也が買ってきてくれた冷たいスポーツドリンクを喉に流し込むと、あまり自覚していなかった疲労がどっと押し寄せてきた。
「疲れたよね。無理させちゃったかな」
「いえっ! たしかにちょっと疲れたけど、それ以上に楽しくて……」
「そっか。ならよかった」
 どこもかしこも好きなもので溢れている会場はまるで夢のようだ。ずっと気分が高揚していて、油断すると喉の乾きすら忘れてしまう。
 アトラと拓也を撮りに来た人たちとの会話も新鮮で、初めこそ緊張したものの、後半になると拓也のサポート抜きで談笑できるほど和らいでいた。
「俺さ、アトラくんに色んな人と交流してみてほしかったんだよね」
 拓也がぽつりと呟く。
「すごい大きなお世話だし、アトラくんはそんなの必要ないって思うかもしれないけど。ほら、アトラくんが人間界に来てからずっと俺が囲い込んじゃってたでしょ?」
「囲い込むだなんて、そんな! むしろ拓也さんがそばにいてくれたから安心できたんです。今日だって、僕一人じゃとても……」
「ふふ、ありがと。そう思ってくれてたなら嬉しいな」
 言いながら拓也がアトラの頭を撫でる。優しい声色だ。
「もちろんこれからも俺は一緒にいるし、アトラくんもそのつもりでいてくれてると思うけど……」
 アトラがこくこくと何度も頭を振ると、拓也は「よかった」とはにかんだ。
「アトラくんはせっかく人間界が好きなんだから、このイベントをきっかけに世界をもっと広げてくれたらいいなって。まあ、可愛いアトラくんを自慢したかったっていうのが一番の理由だけどね」
 おどけた物言いだが言葉には確かに拓也の気持ちがこもっていて、胸がじわりと暖かくなる。
 拓也はアトラのこれからを真剣に考えていてくれたのだ。
「ありがとうございます。僕、本格的にコスプレ始めちゃおうかな……」
 今日だけで嬉しいことがありすぎて、そんなことまで口にしてしまうくらいには舞い上がっていた。
「マジ!? じゃあコス垢作ろうよ。あと俺アトラくんにやってほしいキャラがいるんだけどさ……」
 アトラに画像を見せようとスマホの画面をスクロールしていた拓也が「え、待って」と声を上げる。
「なんですか?」
「俺たち万バズしてるんだけど」
 向けられた画面を覗き込む。表示されているのは先ほどの、よろけたアトラを拓也が抱きとめた瞬間を捉えた写真だった。
 きっと周りにいたうちの誰かがアップロードしたのだろう。元々SNSへの投稿は許可していたので、それ自体は別に構わない。
 構わないのだが、不意打ちの写真にこれだけの反応が寄せられているのにはさすがに驚いた。
「す、すごい。数字がどんどん増えていってる……」
「コメントもいっぱいついてるよ。『ジェメリが本物すぎる』『ジェメリくん小さくて可愛い』『クオーレ様メロい』『体格差尊い』だってさ」
 拓也が読み上げるコメントはどれも好意的なもので、ひとまず安心すると同時に恥ずかしさが込み上げてくる。
「やっぱり身の丈に合わないことをしてしまったような……」
「えー? なんでよ。むしろ今までが合ってなかったんだから、その分取り戻さなきゃ」
「そう、ですかね」
 照れ隠しに衣装の裾をぎゅっと握る。
 そんなことないと突っぱねるのはもうやめた。アトラを大切に思ってくれている拓也に失礼だから。
 それに、拓也の言葉に引っ張られるようにして少しずつ変わっていく自分が誇らしくもあった。
 けれど、いつまでももらってばかりではいけない。
 アトラがそこにいるだけで幸せだと、拓也が心からそう思ってくれているのはよく伝わっている。でもそれなら、アトラの努力次第で拓也をもっと幸せにすることができるはずだ。
 自分は何も持っていないから、せめて言葉や行動で拓也に恩を返していきたい。そう思うのに、次から次へと与えられてしまって、ちっともお返しが追いつかないのだ。
 アトラがこんなことを口にしたら、拓也はきっと「もう充分もらってるよ」なんて言って微笑むのだろう。だからこそ、その優しさに報いなければいけない。
 ざわめく会場の中、アトラは一人決意を新たにした。
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