君の攻略法

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第4話

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 カーテンの隙間から差し込む陽の光で目が覚める。
 一ヶ月前から始まった拓也との同居生活は夢みたいに楽しくて、アトラは毎朝目覚めるたびに頬をつねっていた。
「おはよ、アトラくん。朝ご飯できてるよ」
「おはようございます」
 リビングにあるダイニングテーブルの上には、美味しそうな和風の朝食が湯気を立てて並んでいる。
 料理ができないアトラに代わり、食事はもっぱら拓也が用意してくれていた。
 住まいまで提供してもらっているのだから、せめて自分の食べる分は自分でなんとかすると最初に伝えたのだが、拓也は「アトラくん放っておいたらカップ麺ばっかり食べるでしょ」と言って、結局キッチンにすら立たせてもらえなかった。
「今日は店内のレイアウトをちょっと変えようと思ってるんだけど、手伝ってくれるかな?」
「もちろんです!」
 住まいだけではない。誰かのために頑張りたいと思う気持ちも、誰かと好きなものについて語り合う喜びも、全部拓也からもらったものだ。
 物心ついた頃からずっと孤独だったアトラにとって、拓也は世界のすべてだった。
 叶うことならずっとそばにいたいと思うし、そのためにできることならなんだってしたい。
 今はまだもらってばかりだが、いつかは拓也に恩返しがしたかった。
 その日の夜。いつもなら働いたあとの心地よい疲労感ですぐに眠りにつけるのだが、今日はどうしてか目が冴えていた。
 水でも飲もうとリビングへ行くと、薄暗い部屋で拓也が一人テレビモニターを眺めていた。
「アトラくん、どうしたの? 眠れない?」
 アトラの気配に気付いた拓也が振り向いて声をかけてくる。
「はい。なんだか寝付けなくて。拓也さんは何してたんですか?」
「アトラくんと一緒だよ。俺も眠れなくて、久々にアニメリアタイしてた。よかったら一緒にどう?」
 拓也がソファの空いたスペースをぽんぽんと叩いて誘う。
 このまま部屋に戻っても眠れる気がしなかったアトラは、ありがたく拓也の言葉に甘えることにした。
「これって、たしか漫画原作ですよね?」
「そうそう。俺も途中まで読んでたんだけど、最近ほかの漫画にハマっちゃって追えてないな」
 他愛ない雑談を交えつつ、拓也も原作を知っているという今期の新作アニメを二人で観る。
 作品のジャンルとしてはよくあるバトルものなのだが、胸を強調した衣装の女性キャラクターがやたら登場したり、もはや衣服の意味をなしていないほど頻繁にスカートがめくれたりと、実に深夜アニメらしい内容だった。
 少し気まずくなってちらりと隣を見ると、拓也はこともなげに画面を眺めている。
 今日は気温が高かったせいか、拓也はタンクトップにスウェットパンツというラフな格好で過ごしていて、露出の多さにドキドキしてしまう。
 こんなところにもタトゥーがあったんだとか、しっかり筋肉が付いていてかっこいいなとか、そんなことを考えているうちに、あろうことか身体の中心に熱が集まってしまった。
「……っ、すみません。僕、そろそろ寝ます」
 これ以上一緒にいるのはまずい。そう思って与えられた自室へ戻ろうと立ち上がるが、股間がパジャマの布を押し上げているのを拓也にはっきりと見られてしまった。
「あら」
 拓也が察したように苦笑する。
「ぁ、その……」
「このアニメ、けっこう過激だもんね」
 本当はアニメじゃなくて拓也に興奮したとは言えず、恥ずかしさにただ俯くことしかできない。
「ねえ、アトラくん」
 改まって名前を呼ばれ、びくりと肩が揺れる。
「抜いてあげよっか」
 信じられない申し出に顔がかあっと熱くなって、アトラは手をバタバタさせながらそれを拒否した。
「そんな! いいです!」
 拓也の綺麗な手に、そんな汚らわしいことをさせるわけにはいかない。
 心ではそう思っているのに、拓也がアトラの足元にしゃがみこむのをただ見ていることしかできなかった。
「まあまあ。可愛い女の子にされてると思ってさ」
 違う。拓也がいい。ほかの誰かじゃなく、拓也に触れてほしいのだ。
「い、嫌じゃないんですか」
「アトラくんこそ、俺に触られるの嫌じゃないの?」
「嫌じゃ、ないです。だって僕……」
 拓也のことが好きだから。
 そう喉元まで出かかった言葉をすんでのところで飲み込む。
 アトラが羞恥で固まっていると、パジャマのズボンと下着に手をかけられ、手際よくずり下げられた。
 瞬間、拓也の動きがぴたりと止まる。やはり嫌になったのだろうか。
「ぼっ、僕やっぱり寝ます!」
「待って待って! そうじゃなくて、その……。おっきいんだね、アトラくん」
 遠慮がちに指摘され、あまりのいたたまれなさに死にそうになる。
「へ、変ですよね……」
 顔や身体と不釣り合いな大きさのそれは、アトラのコンプレックスの一つだった。
「ううん、かっこいいよ」
 言いながら拓也がアトラのものに手を伸ばす。
「っ、あ……」
 拓也の大きな手のひらに敏感なところを包み込まれ、自分の意思とは関係なく腰がびくついた。
「そんなに緊張しなくていいよ。ほら、力抜いて」
 拓也はそう言うが、未知の感覚にどうしても身体が強張ってしまう。
 拓也のすらりと長い指がアトラのものを優しく擦り上げるたびに「あ、あ……」とはしたない声が漏れ、まるで自分が自分ではなくなってしまうような錯覚に陥った。
「だっ、誰かにこういうことしてもらうの、初めてで……っ」
「っはは、マジ? 燃えちゃうな」
 拓也は可愛い女の子でも想像していればいいと言っていたが、アトラの頭の中は拓也でいっぱいだった。
 世界で一番好きな人が、手ずからアトラの欲望を愛撫している。
 その事実だけで胸がいっぱいになり、嘘みたいに感じてしまうのだ。
「ひ、あぁっ……!」
 自分でする時とは比べものにならないほどの快感に、アトラはがくがくと震えながら拓也の手の中で達した。
「すっきりした?」
 アトラがはあはあと荒い息を吐いていると、拓也がテーブルの上にあるティッシュを手に取り、アトラの吐き出したものを拭う。
「っ、はい。その、すみませんでした。おやすみなさい」
 申し訳ないやらなんやらで消えてしまいたくなったアトラは、ぺこりと頭を下げてから逃げるように自室へ戻り、布団の中に頭まで潜り込んだ。
 すごいことをしてしまった。
 一人になっても心臓のドキドキがおさまらない。
 拓也はああいったことに慣れているのだろうか。
 拓也がほかの人としているところを思い浮かべて、アトラは勝手に落ち込んだ。
「早く寝なくちゃ……」
 目を閉じると、先ほどまでの拓也の姿が脳裏を過る。
 艶かしい手つきに、上目遣いで時折こちらの様子をうかがってくる視線。
 ともすればふたたび身体の中心が熱を帯びてしまいそうで、アトラは無理矢理眠ることに集中した。
 
 
「アトラくん、それ終わったら備品の買い出しお願いしてもいい?」
「はい。分かりました」
 あの夜以降、拓也は拍子抜けするほどいつもどおりだった。
 態度はこれまでと変わらず、リビングでの出来事に言及してくる様子も一切ない。
 やはり、拓也にとっては取るに足らない行為だったのだろうか。
 アトラにとっては大事件だったのに、まるでなかったことにされたようで少しもやもやしていた。
 そしてアトラのほうはというと、それはもう悲しいくらいに意識しまくりで。
 手と手が軽く触れあっただけで過剰に反応してしまうので、いつの間にか拓也との接触を意図的に避けるようになっていた。
「戻りまし、た……」
 アトラが買い出しから戻ると、拓也は最近よく店に来る女性客と話している最中だった。
 女はただのアルバイトスタッフであるアトラにも良くしてくれていて、拓也の次によく話す人間と言っても過言ではなかった。
「黒木さんのことが好きなんです」
 挨拶をしようと近付いた瞬間に聞こえてきたのはそんなセリフで、ぎょっとしたアトラは咄嗟に物陰に隠れた。
 いくら色恋に疎いアトラでも、今目の前で繰り広げられている会話が告白だということくらいは嫌でも分かる。
 物陰から二人の様子を盗み見ると、女は艶のある黒髪をふんわりと巻き、上品な花柄のワンピースを身にまとっていた。
 きっと拓也に想いを伝えるため、精一杯おしゃれをしてきたのだろう。
 自分なんかよりもよっぽど拓也の隣がふさわしくて、アトラはズキズキと痛む胸を押さえた。
「私と、付き合ってくれませんか」
 女が切実な声で伝える。
 答えを聞きたくないのに、身体が言うことを聞かずこの場から離れられない。
 少しの沈黙が永遠のように感じて、自分の鼓動の音だけがいやに鮮明だった。
「気持ちは嬉しいけど、ごめんね」
 拓也が落ち着いたトーンで告げる。
 心底ほっとするとともに全身の力が抜けて、油断するとその場にしゃがみこんでしまいそうだったが、拓也の言葉がそうはさせてくれなかった。
「俺、好きな人いるからさ」
 激しく動揺して、手から荷物が滑り落ちる。
 その音でアトラに気付いた拓也が、「大丈夫?」と駆け寄ってきた。
「は、はい。大丈夫です」
 本当はちっとも大丈夫じゃなかったけれど、拓也を困らせてしまわないよう努めて気丈に振る舞った。
「よかった。買い出しありがとね」
「いえ。ここに置いておきますね」
 震える手で買ってきた備品をカウンターに乗せる。
 周りの音はろくに耳に入らず、拓也のセリフだけが頭の中で何度もループしていた。
 拓也だって人間だ。想い人がいたって何もおかしくはない。むしろ自然なことだろう。
 それなのに自分が拓也を好きなことに夢中で、拓也が誰かに想いを寄せている可能性なんて考えようともしなかった。
 そして自分がただ拓也のそばにいるだけではなく、恋人として愛されたいと望んでいることを思い知らされて、その厚かましさに呆れ返る。どこまで欲張りになれば気が済むのだろうか。
 それからの仕事にはまったく身が入らなくて、買ったばかりの備品を壊してしまうし、本当に散々な一日である。
 皮肉なことに、その日の夜に拓也が作ってくれた卵焼きの甘さだけがアトラの心を慰めた。
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