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15. 0と1の間にあるのは絶望 (リヒター視点)

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 主人公はやはり主人公だった。
 この世界で珍しい浄化能力を、しかもかなり強力な浄化能力を持っていたらしい。
 なぜ今ごろそれが発覚したのかは謎だが、この国にとっては歓迎すべきことだろう。

 問題は、私のせいで公爵領の浄化が後回しになることだ。
 けれど、もともと国全体で見れば公爵領の危険度は相対的に低い。北側を森に接しているが、王都に近く、辺境に比べれば魔物の発生頻度は低いのだ。それに、この領が潰れれば、被害は王都へと向かう。
 浄化の順番は、男爵子息の私への嫌がらせだけで判断できることではないはずだ。
 ただ、領民は私のせいだと思うだろう。

「彼の私への敵愾心だけで浄化の順番が決められるとは思えません。領民の不安が私への不満に変わるのは仕方のないことでしょう」
「リヒター……」

 きっとヴェルナーも、今の話を聞いた護衛も皆分かっているのだろう。この先領内の魔物の被害増えれば、領民から私がやり玉に挙げられることを。
 今まで領民との関係が良好だっただけに悲しいが、仕方のないことだ。

 国の視点で見れば、資金の面でも体力のある公爵領には国からの支援はなしに、王都の防波堤となってくれるのが最良だ。けれどそのことで公爵家の不満を買って離反されるのは避けたい。
 だが今回は、男爵子息と私のトラブルがあったので、それを言い訳にできるという大義名分がある。

「王都へ被害が及ぶ可能性が出てくるまでは、国からの支援はあてにできないでしょう。他領からの支援も男爵子息への遠慮から期待できないでしょうね」
「土の改良薬剤のレシピで取引できないかと思っているが」
「無理でしょう。自領の対応で手いっぱいでしたと言われればこちらは納得せざるを得ません」
「レシピの販売は止めるか。リヒター、しばらくは食事には戻れないと思う」
「無理はなされませんよう。領主館のみなに私のせいで負担をかけることを謝っておいてください」
「リヒターのせいではないよ」

 私の頭を撫でて額にキスをしてから、ヴェルナーは仕事に戻って行った。
 父上は、私の公爵家からの追放も考慮に入れて、公爵領を守るために動いているだろう。
 私も自分に出来ることをしなければ。


 翌日、魔道具技師を訪ねた。
 魔道具に使われている魔石には、周りの魔素を取り込むものがあると聞いたことがある。魔石に瘴気を吸収するのにそれが使えないかと思ったからだ。

「瘴気を魔石に溜めるですか?」
「はい、魔石に溜めることが出来るなら、それで瘴気の濃度が測れないかと思ったのです」
「ご子息様、お立場が厳しいのは分かりますが、越えてはならない一線というものがあるんですよ」
「実現に向けて多くの問題があるのは分かっています。ですが、このまま手をこまねいているわけにはいかないのです」

 彼も瘴気が持ち運べるかもしれない危険性に気付いたようだ。
 けれど技術者なら、私のしようとしていることが、もし実現すれば、魔物の対策に有効だということも分かってくれるはずだ。
 私が実現したいと思っていることを懸命に説明した。

 学部生時代に友人と話したことがある。倫理的にはよくないと分かっている実験をすれば大発見があると見えている状況で、その誘惑に勝って歯止めをかけられるかどうか。結果は3人とも誘惑に負けるだった。社会に出てからであれば、その後に起きるめんどくさいあれこれが想像出来て踏みとどまるだろうが、あの頃は若かった。
 今回は、運用に危険はあるが倫理的な問題はない。技術者なら試してみたいはずだ。自分でズルいと思いながらも、技術者としての好奇心をくすぐる交渉をした。

「分かったよ。とりあえずやってみるが、どうやって試すんだ」
「実際に瘴気のあるところに行って試してみます」
「ヴェルナー様がお許しにはなりません」
「ヴェルナーには言わないでください。ただでさえ今は対策で忙しいのです。これ以上手を煩わせたくありません」
「リヒター様、なりません」

 上手くいくかどうかも分からない、そのためにヴェルナーの時間を取りたくない。
 護衛と私のやり取りに、技師がため息をつきながら割り込んできた。

「依頼料は出してもらえるんですよね?」
「もちろんです」
「冒険者への依頼料も払ってくれるなら、知り合いの冒険者と行ってきますよ」
「待て、それならば我らも同行する」
「ああ、監視について来ればいい」

 もし出来た場合、この技術はあまりにも危険だ。護衛が同行してくれるなら、冒険者への口止めもしてくれるだろう。
 手付金として、執事に言って出してもらった私の資産から、1か月くらいは冒険者を雇えそうな額を払った。


 ひと月近く立って護衛と技師が持ち帰ってきた結果は、期待以上のものだった。

 今までは捨てていたクズ魔石と呼ばれる小さな魔石から、魔素を全て取り出した空の小さな魔石に瘴気を吸収させて、いくつの魔石がいっぱいになったかで瘴気の濃度を測る魔道具が完成していた。魔石に瘴気を取り込む魔法陣を独自に開発したそうだ。
 瘴気が溜まった魔石は、神官の浄化も効くが、燃やせば瘴気が消えることも分かった。浄化に比べて、燃やし尽くすためにはかなりの火の魔法が必要になるようだが、それでも燃やしつくすと瘴気が消えて、周りの濃度も上がらないという。
 火の魔法に含まれる魔素が正、瘴気に含まれる魔素が負で、そこに熱が加わるか何かの理由で中和されて、瘴気が打ち消されるのかもしれない。
 私の知らないうちに、技師が知り合いの神官まで巻き込んで、様々な実験をしていた。
 彼らには固く口止めして、謝礼金を払って帰ってもらった。

 この結果をどうしよう。


「ヴェルナー、忙しいのにすみません」
「いや、話があると聞いたが」

 最近は忙しすぎて領主館に寝泊まりしているヴェルナーに、どうしても聞いてもらいたいことがあると、執事に伝えてもらった。
 領内の魔物の被害は増え続けている。このひと月、坂道を転がるように、事態は悪くなり続けている。
 周りの者は口には出さないが、領内での私への風当たりがキツくなっているのも、私を公爵家から追放すべきだという声が出ているのも知っている。
 そして、ヴェルナーがそれを何とかしようと頑張ってくれているのも知っている。寝不足なのだろう、目の下にクマが出来ている。

 瘴気の濃度を測る魔道具について、危険も孕むこの魔道具を公表してよいのか、迷った。
 アイデアを出しただけとはいえ、これは私の前世の記憶が介入した、この世界に存在してはならない技術なのではないか。
 私には判断が出来ないので、ヴェルナーに聞きたい。けれどそのためには、前世の話をしなければならない。そして、私が男爵子息にしたことも。
 知れば、頭のおかしな人だと思われるのではないか、嫌われるのではないか、そう思って、そう思う自分に驚いた。

 ずっと気付かない振りをしてきたけれど、ヴェルナーは私の中でなくてはならない人になっていたのだ。
 つかず離れずの位置でいつも見守ってくれていた。私からヴェルナーに近寄る理由を作ってくれて、出来なくても、仕方がないなと笑ってくれた。ちょっと意地悪だけど、逃げ道を塞がず、私が受け入れられるギリギリのところを見極めて、気長に待っていてくれたから、少しずつそばにいることに慣れていくことができた。

「それで話とは何かな」
「ヴェルナー、抱いてください」
「リヒター?」

 戸惑うヴェルナーの首に抱き着いて、唇を重ねた。
 この優しい時間は、もう終わってしまう。
 どんな形でもいいから、共に過ごした思い出が欲しかった。

「リヒター、どうした?こんなことしなくてもいいんだ」
「私がしたいのです。お願いです」
「リヒター、待ちなさい」
「……貴方も私を愛してはくださらないのですか」

 何をやっているんだろう。
 私は悪役令息だったのに、運命を曲げて、その結果、ヴェルナーも領民も苦しめて。
 私が大人しく断罪されていれば、こんなことにはならなかったのに。
 ゼロには何をかけてもゼロだ。私が幸せになれる可能性など、元からなかったのだ。
 寝る間もなく働いているヴェルナーの時間をこんなことで奪ってしまった。

「忘れてください。領のことをよろしくお願いします。お忙しいところすみませんでした」

 上手く笑えているだろうか。
 魔道具については魔道具技師と護衛が経緯を知っているのだから、私がいなくてもヴェルナーと父上が判断してくれるだろう。
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