ぶらんこ

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ぶらんこ(1)

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「あれに乗りたい!」


 私たちの横を少女がよたよたと走り抜けて行く。
 優しげな歩みの女がその後に続き、不器用な動きを見せるその子の両脇に手を差し入れ、抱えあげた。そっと板の上に置かれた少女は歓声をあげて前後に揺れ始めた。
 こんな小さな公園ではブランコの軋みも耳につく。ギリッギリッと何かを締め上げるような音の中で、私は佐々木さんの話を聞くことになった。


─── 二歳のときに私は産みの母・チヨコと生き別れたんですよ。そのことを物心つく頃には知っていましたが、父・幸治の再婚相手が腹を痛めた我が子のようにかわいがってくれまして。実母と会えなくて寂しいと思ったことはありませんでした。
 25年ほど前になりますか父が70の頃に大病を患い、病室で「もう一人の我が子に会いたい」と呟きましてね。
 私の知らないところで親父が余所に子供を作っていたのかと驚きました。
 すると父は「チヨコとの間に子供がもう一人いるはずだ」と言ったのです。「いるはず」とは一体どういうことなのか問うと、父は何が起きたのかを語ってくれました。


─── 一人目の出産から二年後にチヨコが身籠ったのです。それまでゴロツキのような生活を送っていた幸治は、家族が増えるとこのままでは暮らしていけないと考えて心機一転、大阪で仕事を見つけて家族を連れて引っ越し、働き始めました。
 少し離れた所にチヨコと同郷の者が住んでおり、親戚関係にあるその人をチヨコはおじさんと呼んでいました。おじさんはチヨコが二人目を授かったことを知ってからしばらくすると、しきりに幸治の今までの放蕩ぶりを責め立てるようになり「チヨコと別れてやってくれ。産まれてくる子もこちら側で面倒をみるから」と、夫婦間に口を挟むようになりました。
 チヨコはおじさんの執拗な訪問に怯えていましたが、幸治も働きだしたばかりで日中はチヨコのそばにいるわけにもいきません。そうこうしながらも、妊婦と幼子とともに春を迎えました。
 あと3ヶ月ほどで二人目が生まれる。仕事も長く続きそうだ。幸治には順風に見えていたそうです。

 ところがチヨコが幼子と離婚届を置いて忽然と消えたのです。

 幸治は仕事を休んで、チヨコが頼りにしそうな人たちに行方を聞いて捜しまわったけれど、誰もが本当に何も知らないようでした。
 まさかと思っておじさんのところに行くと、そこの家族の者に玄関で追い返される始末。2、3日続けて見張りに行ってみたものの家の中からおじさんもチヨコも出てくる様子が一向に無い。
 これはもう実家に連れていかれたにちがいない。そう思った幸治はチヨコの友人に頭を下げて幼子を預け、旅費をかき集めて、結婚前と結婚後の2度しか訪れたことのない妻の実家のあるN町に向かいました。

 N町は、現在でも大阪から数時間かかる場所にあります。今でこそ町まで車でたどり着くことができますが、昔は道もろくに鋪装されておらず山間で半ば孤立している状態だったそうです。たどり着くには山のすそにあるO町へ行って慣れている人に道案内をしてもらわなければなりませんでした。
 O町に宿をとった幸治が女将に道案内人を紹介してほしいと頼むと「何しに行きんさる」と訝しがられたので、とっさのでまかせで「友人から遊びにこいと便りが届いたので会いに行くのです」と告げると、女将さんはしぶしぶといったていで了承して半時後に男を連れてきました。
 今日はN町まで商いに行って戻ってきたばかりなので明日にしてくれないかと言う男に、どうしても今日中に行きたいのだと小銭を握らせて頼み込むと「それならば明るいうちに」とすぐに出発することに。
 雨量が多いX県の中でも特に水害が出やすい地域のせいか、道沿いの斜面には土砂崩れの跡がいくつもあり、粗末な補修が施されてました。
 しばらくすると鋪装された道路は途絶えました。そこから先は木々の間が他よりも少し開いている中を、自分が歩いているところが本当に道なのかもわからず、案内人の腰にある鈴の音を聞きながらただひたすらついて行くばかり。



 「ここらはようけ蛇が出るから」と言われて足元に気をつけていたものの、蛇より先に畑や家屋が目の前に現れてきました。
 案内人によればO町の人間はN町に長居しないのが暗黙の掟になっているとのこと。小屋の前に積み上げられた板材に腰を下ろしながら「夕刻までにはここに戻ってきてほしい」と言う案内人を後にして、幸治は記憶を頼りにチヨコの実家を探し当てました。

 家の軒に沿って、弛みながらぐるりと張られた細い縄。その縄には、神社の注連縄や玉串で見かけるような白い紙垂がいくつもぶら下がっていました。
 以前に訪れたときとは異なる風景に胸騒ぎを覚えながら、形ばかりの門を通って「すいません、幸治です。チヨコいますか?」と呼びかけたけど返事はありません。
 家の中から人の気配はするので「幸治です。チヨコいますか?」と数度繰り返し、誰も戸口まで来る様子もないので業を煮やして戸に手をかけたが開かない。苛立って戸を叩く。裏に回り込んで窓も叩く。「チヨコいるんだろう?」「チヨコ!チヨコ!」と妻の名を叫んでも叫んでも、辺りに響いたはずの声はどこかに吸い込まれてしまう。幾度繰り返しどれぐらいの時間が過ぎたか。

「もうやめんさいや」

 いつまでも大声を上げている余所者を不審に思ったのか町の人と連れ立ってやってきた案内人に肩を叩かれ、振り返ると、あたりは薄暗くなっていたのです。
 幸治は他にあてもない町に留まるわけにいかず、仕方なく案内人とO町に戻ることにしました。
 一筋の水にただただ押し流されるように山を下ってO町の家並みが見えてきたところで、案内人は「騒ぎ起こさんでください」と吐き捨てて、そして宿に着くと迎えに出てきた女将に耳打ちをしてそのまま二人して奥へと引っ込みました。
 玄関に残された幸治は泥にまみれた靴を脱捨て、重い足取りで階段を上がり、部屋に入って畳に身を横たえました。しばらくしてから遅い夕飯を運んできた女将と言葉を交わすこともなく。ただ翌朝の出立のときに、女将から遠回しにもうこの町に来ないで欲しいと告げられたのです。
 幸治は大阪に戻ってから何度もN町のチヨコの実家に宛てて手紙を出しましたが、返事は全くありませんでした。

 自分の両親に幼子を預けて働き詰めて、そうして7月の半ば。もう赤子も産まれただろうと、幸治は再びN町に行くことにしたのです。
 妻と新しい我が子に会うまでN町から離れないと決心してO町には宿を取らずに、以前案内された山道を一人で上ることにしました。
 土砂崩れの跡をいくつか通りすぎて舗装のなくなったその先に、誰かが踏みしめた跡が辛うじてわかる道が続いていました。それを追って木々の間をさらに行き、まだN町に着かないのだろうかと不安に思い始めたその時。ズリッ…ズリッ…ズリッ…と地を擦る音が近づき、幸治が足を止めると、横の方で姿なく追い越してゆきました。

 麓から一時間以上歩き続け、春に見た風景にやっとたどり着いて、板材の積み上げられた小屋の前を通り、いくつかの畑や家屋の間を抜けると、そこには細い縄でぐるりと巻かれたままのチヨコの実家がありました。
 中に人がいる気配はなく、生気を失った佇まいの家を取り巻く縄は、妙なことに隣家の軒にまで延びていました。
 家から家へ縄が張り渡され何軒もつづいているようで、縄から垂れ下がり揺れるたくさんの紙垂に手招きされて幸治は歩いて行きました。田畑の間の道にも杭が立てられて縄は続き、そして、気がつくと神社の前にいたのです。

(続く)
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