春待つ花嫁と妖狐の蜜契

多茶

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「八月なのに桜って不思議ですよね。今回の事件とあわせて、またあることないこと言われそうだな」

 社務所の庇にいても、境内の砂地に反射した陽差しが眩しい。散ったピンク色の花びらを掃き集めながら、どうして花の盛りが終わらないのか首を捻る。

「そんなの、お前の気持ち次第だろ」
「そうなの?」
「当然だろ。浮かれてるから桜が散らない」

 前足でコンクリートを掻くフクの姿は普通の参拝客には視えない。フクが視えるようになってしばらく経つが、視えているものを視えていないように振る舞うのはいつまで経っても難しい。
 蒔麻は誤魔化すように社務所の窓口に座る阿生に目を向けた。

「俺はずっと咲いててほしいくらいだけどね」
「阿生さん、そんなに好きだったんですね」

 百日紅さるすべりが見頃の神社も多い中、山戸祇神社では相変わらず桜が満開のままだ。
 一連の事件が噂になり、神社はオカルトマニア人気に拍車を掛けた。この散らない桜も、木の下に行方不明者の死体が埋まっているから……などとSNSで囁かれている。
 とはいえ今はその状況を受け入れ、神社の付加価値として参拝者に何か提供できないか考えているところだ。
 蒔麻の心臓を食い人間になった吽助は、殺人容疑で京都府警察に逮捕された。聞いた話では、精神鑑定の結果、異常ありと診断されて精神科病院に措置入院させられたそうだ。
 岩に封じられてから五百年が経ち、吽助の反省の様子を伺いにきた神を食い殺した。ちょうどいい鴨がいたので兄弟狐への復習を画策した。そう供述し続けては無理もない。
 山戸祇神社の敷地内で起きた事件とあって蒔麻も事情聴取に応じたが、神や妖怪のことには触れなかった。
 叔父は病院に搬送され、利き腕は失ったものの昨日意識を取り戻した。阿生が記憶を操作したおかげで事件について何も覚えていない。叔父が事の発端ではあったが、叔父が置かれていた状況を考えると同情せざるを得ない。
 神社へ参拝に来るなら助けてあげたい。阿生には呆れられたが、蒔麻は本心からそう思っている。

「やあやあ、今日も満開だねぇ」

 和菓子屋の包みを掲げる鎌倉に、蒔麻は体を向けて応じた。

「鎌倉さん。今日は早いんですね」

 地蔵に戻れず嘆いていた鎌倉だが、情報が集まってくるという理由で最近は辻で占いを始めた。仕事中は老女に化けているのだが、当たるとの噂が人気を呼び、開業して数ヶ月だというのに予約でいっぱいらしい。

「蒔麻が神職になったって聞いたからお祝いしたいなって。資格取得おめでとう。はい、いちご大福」
「わっ、ありがとうございます! 夏でも売ってるお店あるんですね」
「錦で見つけたよ」

 牛皮の中に白餡と瑞々しいいちごが包まれた大福は蒔麻の好物だ。ただ、いちごの旬と同じく冬から春限定の味覚とあって、夏場にはなかなか手に入らない。
 蒔麻は箒を置き、鎌倉を社務所に通した。

「蒔麻が可愛い食べ物を好きでいてくれて嬉しい。蒔麻の好物は阿生の好物だからね。いちご大福、とってもいいと思う」

 妖狐の主食は人間の精気だったが、眷属になると食事は必要なくなり、嗜好品として仕える神と同じ食べ物を好きになる。
 蒔麻としても鎌倉の言うことは納得だった。
 いちご大福を頬張る阿生の表情は、見ているこちらが嬉しくなるくらい美味しそうなのだ。
 二人してよく和菓子屋に赴くせいでご近所に好物として広まったらしく、最近の参拝客の手土産はもっぱら和菓子だ。

『ご隠居に似合うのはもっと美しい供物なのに……』

 阿生に強火のフクはぶつぶつ言うが、美しい供物の詳細を聞けば『石榴』と返ってくるので、もう誰も突っ込まなくなった。

「手土産はそれだけじゃないんだろう?」
「わぁ、よくわかってるね。さすが弟」
「危険なものは引き受けないよ」
「そんなの、氏子が困ってるっていうのに神様が黙っちゃいないよね?」
「えっと……、どんなことでしょう?」

 蒔麻がそう言うやいなや、背後から阿生の腕が伸びてくる。両耳を塞がれ、「自分で解決できる男に手を貸す必要ないよ」と呆れ声のストップが入る。

「二人が仲睦まじいのは境内を見ればわかるけど、そんなに警戒することないじゃない」
「境内?」
「桜が咲き続けてるなんて、ラブラブハッピーな証以外に何かある?」
「へっ? ラ…、ブ……」

 思わず声が裏返った。しかし、頬を膨らませる鎌倉は「蒔麻、お茶ちょうだい。冷たいやつ」と言って、阿生から目を逸らさない。
 阿生と触れあっている背中を汗が伝う。
 満開の桜にそんな意味があるなんて聞いていない!

「お茶入れてきます!」

 逃げるように一人で台所へ駆け込んだ。
 気を取り直して冷蔵庫から水出しの麦茶を出し、氷を入れたグラスに注ぐ。氷がグラスを打つ音でいくらか気分が凪いだものの、風に乗って舞ってくる桜の花びらを見てしまい、蒔麻は自分の浮かれぶりと自己主張の強さに頭を抱えた。

「そんなに恥ずかしい?」

 追いかけてきた阿生が背中に引っついてくる。

「恥ずかしいというか、事実なんですけど、俺の頭の中ってこんなにお花が咲いてたんだってちょっと……そうですね、恥ずかしいです」

 思わず両手で顔を覆いたくなるくらいに。

「さっきも言ったけど、俺はずっと咲いててほしいけどね。蒔麻くんは言葉数が控えめだから、桜が咲いてると俺の一方通行じゃないって安心する」
「いっ!」

 一方通行なんてありえない。しかし、それを宣言するのも日が高いうちは恥ずかしく、阿生を振り返るだけになった。
 見つめ合っているうちに阿生が肩を揺らし始め、「あー、ごめん」と言って肩にしな垂れかかってくる。笑われている!

「神様って隠し事ができないですね。他の神社もそうなんですか? あまりそんな話聞かないですけど」
「聞かないね。でも、おかげで割り込む隙がないって察した妖は境内から出ていったよ」
「み……、見せつけてしまって……」
「見せつけてやりたいくらいだけど」

 阿生は誰かに見られるのが好きなのだろうか。そういえば初めての夜も、妖怪の前だというのに平然としていた。

「神も神職も頑張ってる蒔麻くんが、俺に愛されて桜を咲かせてるって見せつけてやりたい」

 そんな風に言われると、蒔麻だって阿生目当ての参拝客に見せつけたくなってくる。こんなわがままは昔の蒔麻が聞いたら信じないだろう。

「一年中咲いてるのも、喜ばれるかもしれないですしね」
「ふふっ、そうそう」

 頬に落ちたサイドの髪を耳にかけてもらい、蒔麻は近づいてくる唇を迎えるように踵をあげた。
 社務所から「折れた枝からも桜が咲いたって騒ぎになってるよ!」と鎌倉の声が聞こえてくる。
 二人は目を合わせ、笑った唇のままもう一度キスを重ねた。


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