19 / 30
19
しおりを挟む
祖母を看取り、後のことは叔父に任せて家に戻った。
昼前から降り始めた雨は本格化し、家に着く頃には季節外れの土砂降りに変わっていた。境内の砂地は泥濘んでおり、スニーカーやズボンの裾に泥水が跳ねる。
病室から追い出された阿生は先に帰っているはずだが、社務所は閉まったままだった。こんな天候では参拝客もいないだろうが、日中にも関わらず雨戸が下ろされた社務所の窓は寂れた印象を与える。
母屋の玄関は黒く汚れたままだった。わずかな死臭を感じて、中へ入るのを躊躇う。
たった半日。いろんなことがありすぎた。悲しみや恐怖が疲れに変わっていく。
息を止め、引き戸のサッシを掴んでいると中から阿生が顔を出した。
「傘を差さずに帰ってきたの?」
警戒する蒔麻に残念そうな顔をする。
「風邪ひくよ。お風呂に入っておいで」
半日前なら素直に従っていた。しかし、今は風呂を用意してくれたことにさえ、何か裏があるのではないかと邪推してしまう。
「訊きたいことがあります」
「ダメだよ。先にお風呂」
睨みつけると阿生が折れた。
「わかった。お風呂で聞くよ」
強引に腕を引かれ、濡れた靴下のまま風呂場に連れられた。
蒔麻が湯船に浸かるのを見届けないと気が済まないようで、阿生の前で服を脱いで浴槽を跨いだ。羞恥よりも事情を説明してほしい怒りが勝る。
「どんな事情があっても許せないと思います」
天井から落ちてくる水滴が跳ねる音に混じって、蒔麻の声が反響する。
「心臓を食べるつもりの相手の孫を、よく花嫁になんてできましたね」
蒔麻がどんな思いをするかわからなかったのだろうか。そう考えながら、頭の片隅で自分のことを慮ってほしい厚かましさが嫌になる。それでも、阿生を責めずにいられなかった。
「妖怪は残忍だって言ってたの、自分のことだったんですね」
蒔麻が何を言っても、阿生は浴槽の縁に黙って座っている。
「どうして……。どうして、祖母だったんですか? 二十年前なら俺の心臓でもよかったのに……」
「老い先短い方が早く心臓が手に入るから」
「……っ!」
自分で訊いていても、答えを聞くと阿生に湯を浴びせずにいられなくなった。
「ひどい……」
「妖はそんなものだって言っただろう。それに、明美さんとは心臓を差し出す代わりに君を保護する契約をした。お互いにメリットのあることだよ。妖の前で人間は非力だから」
だから阿生は蒔麻を助けたのか。花嫁にしたのも全部、祖母との契約があったから。
「君が妖を見なくて済んでるのも、その年まで食われずに済んだのも、全部明美さんのおかげだよ」
「え?」
頬を掴まれ、無理やり鏡の方に顔を向けられた。水蒸気で曇った鏡が拭われると、蒔麻の後ろに阿生の顔が映る。
「目、俺と同じなのわかる?」
火花を散らして浴室の電球が消えた。
暗闇で光る目が四つ──。
「妖が視えないよう目に細工をした」
「どういう……」
「血なんだろうね。君は視える子で、妖に脅かされては泣き叫んで──妖は人間が嫌がることが好きって言ったろう? 小さい頃はいつも君を食おうと舌舐めずりする雑魚を引き連れてた」
記憶にない話だ。
「養子に行く前、明美さんに頼まれて妖に関わる記憶を消した。ああ、明美さんが君を養子に出したのは俺から遠ざけるためだったよ。いくら契約していても、妖が約束を守ると思えなかったんだろうね」
ずっと祖母に疎まれていると思っていた。
何も知らなかった自分が嫌になる。
鏡の中の蒔麻は眉を潜め、阿生に縋るような表情で涙を流していた。
「だったら俺の心臓にしてください。全部俺のためだったって言うのなら、殺してもいいから、だから、おばあちゃんの心臓は食べないで……」
最後くらい祖母のために何かしたい。その一心だった。
「君の心臓はいらない」
「……そんな、でもおばあちゃんのは……」
「人間になっても君がいないんじゃ寂しいし。かと言って、明美さんの心臓も食べない」
阿生は「人間のいう情なのかな」と独りごちた。
「人間に愛されるには人間になるしかないと思ってきたけど、愛されなくても妖でいれば人間を守れる。まだしばらくはそれも悪くない」
冷えた肩に温かい湯が掛けられる。
阿生を責めることで保っていた平常心が崩れていく。蒔麻は泣き顔を隠すように水面に顔を伏せた。
「溺れるよ!」
慌てた阿生に抱え上げられるが、自力で立つ気にもなれず、支えられるまま温かい胸に顔を埋めた。
「……俺にかけた術、解いてください」
「婚姻契約は解けない」
「目、だけでもいいから……」
祖母を失った悲しみと阿生への怒りを昇華しきれないまま、一方的に契約を破棄させた罪悪感に押しつぶされそうだった。
「部屋へ行こうか。少し顔が赤くなってる」
こんなときでも蒔麻の体は容赦なく疼いた。
灯りもつけないまま蒔麻の部屋に入り、引っ張り出した敷き布団の上に座る阿生に跨がった。
阿生の突き上げは穏やかで、いつものように肩や背中にしがみつかずに済んだ。そのかわり果てるには物足りない緩い快感が長く続くため、蒔麻は体を揺すられながら啜り泣いた。
「んぅ…っ、ん、あ…っ、はやく終わって……」
「ごめん。もう少し付き合って」
「あっ、やぁっ、乳首、摘ままないで……っ」
阿生の手から逃げるように体をくねらせる。
今日に限って阿生は人間の姿を保ったままだ。妖狐を突き放した蒔麻への気遣いなのかもしれないが、その優しさは阿生の夢を先延ばしにさせた蒔麻を落ち込ませた。
他人を責めるなんてしたくない。しかし、阿生を責めなければ一人ではこのやりきれなさを抱えきれない。
「ふ…ぁっ、う……んっ、うぅ……」
蒔麻は涙を拭いながら阿生を盗み見た。向かい合って座っていても、真っ直ぐ目を見るなんてできなかった。
そこには好きになりかけていた男がいる。
責めているはずなのに縋りつきたい。
どこまでも自分本位で恥ずかしい。
「っ、ごめん、なさい……」
蒔麻は阿生の胸にもたれかかった。
何に謝っているのかは自分でもわからなかった。
「っ、ごめ……っなさい……」
「前にも言ったけど、妖は人間が嫌がることを好む。信じるに足りない。術を使えば君を簡単に騙せるし傷つけることもできる。そんな相手に気遣う必要はないよ」
阿生の人間好きがそう言わせるのだろうか。妖怪を貶めさせるつもりはなかったのに。
阿生は蒔麻の体を緩く抱き、布団の上に倒れた。必然的に覆い被さる恰好になり、蒔麻は阿生の温もりに身を委ねながら気が済むまで泣き続けた。
昼前から降り始めた雨は本格化し、家に着く頃には季節外れの土砂降りに変わっていた。境内の砂地は泥濘んでおり、スニーカーやズボンの裾に泥水が跳ねる。
病室から追い出された阿生は先に帰っているはずだが、社務所は閉まったままだった。こんな天候では参拝客もいないだろうが、日中にも関わらず雨戸が下ろされた社務所の窓は寂れた印象を与える。
母屋の玄関は黒く汚れたままだった。わずかな死臭を感じて、中へ入るのを躊躇う。
たった半日。いろんなことがありすぎた。悲しみや恐怖が疲れに変わっていく。
息を止め、引き戸のサッシを掴んでいると中から阿生が顔を出した。
「傘を差さずに帰ってきたの?」
警戒する蒔麻に残念そうな顔をする。
「風邪ひくよ。お風呂に入っておいで」
半日前なら素直に従っていた。しかし、今は風呂を用意してくれたことにさえ、何か裏があるのではないかと邪推してしまう。
「訊きたいことがあります」
「ダメだよ。先にお風呂」
睨みつけると阿生が折れた。
「わかった。お風呂で聞くよ」
強引に腕を引かれ、濡れた靴下のまま風呂場に連れられた。
蒔麻が湯船に浸かるのを見届けないと気が済まないようで、阿生の前で服を脱いで浴槽を跨いだ。羞恥よりも事情を説明してほしい怒りが勝る。
「どんな事情があっても許せないと思います」
天井から落ちてくる水滴が跳ねる音に混じって、蒔麻の声が反響する。
「心臓を食べるつもりの相手の孫を、よく花嫁になんてできましたね」
蒔麻がどんな思いをするかわからなかったのだろうか。そう考えながら、頭の片隅で自分のことを慮ってほしい厚かましさが嫌になる。それでも、阿生を責めずにいられなかった。
「妖怪は残忍だって言ってたの、自分のことだったんですね」
蒔麻が何を言っても、阿生は浴槽の縁に黙って座っている。
「どうして……。どうして、祖母だったんですか? 二十年前なら俺の心臓でもよかったのに……」
「老い先短い方が早く心臓が手に入るから」
「……っ!」
自分で訊いていても、答えを聞くと阿生に湯を浴びせずにいられなくなった。
「ひどい……」
「妖はそんなものだって言っただろう。それに、明美さんとは心臓を差し出す代わりに君を保護する契約をした。お互いにメリットのあることだよ。妖の前で人間は非力だから」
だから阿生は蒔麻を助けたのか。花嫁にしたのも全部、祖母との契約があったから。
「君が妖を見なくて済んでるのも、その年まで食われずに済んだのも、全部明美さんのおかげだよ」
「え?」
頬を掴まれ、無理やり鏡の方に顔を向けられた。水蒸気で曇った鏡が拭われると、蒔麻の後ろに阿生の顔が映る。
「目、俺と同じなのわかる?」
火花を散らして浴室の電球が消えた。
暗闇で光る目が四つ──。
「妖が視えないよう目に細工をした」
「どういう……」
「血なんだろうね。君は視える子で、妖に脅かされては泣き叫んで──妖は人間が嫌がることが好きって言ったろう? 小さい頃はいつも君を食おうと舌舐めずりする雑魚を引き連れてた」
記憶にない話だ。
「養子に行く前、明美さんに頼まれて妖に関わる記憶を消した。ああ、明美さんが君を養子に出したのは俺から遠ざけるためだったよ。いくら契約していても、妖が約束を守ると思えなかったんだろうね」
ずっと祖母に疎まれていると思っていた。
何も知らなかった自分が嫌になる。
鏡の中の蒔麻は眉を潜め、阿生に縋るような表情で涙を流していた。
「だったら俺の心臓にしてください。全部俺のためだったって言うのなら、殺してもいいから、だから、おばあちゃんの心臓は食べないで……」
最後くらい祖母のために何かしたい。その一心だった。
「君の心臓はいらない」
「……そんな、でもおばあちゃんのは……」
「人間になっても君がいないんじゃ寂しいし。かと言って、明美さんの心臓も食べない」
阿生は「人間のいう情なのかな」と独りごちた。
「人間に愛されるには人間になるしかないと思ってきたけど、愛されなくても妖でいれば人間を守れる。まだしばらくはそれも悪くない」
冷えた肩に温かい湯が掛けられる。
阿生を責めることで保っていた平常心が崩れていく。蒔麻は泣き顔を隠すように水面に顔を伏せた。
「溺れるよ!」
慌てた阿生に抱え上げられるが、自力で立つ気にもなれず、支えられるまま温かい胸に顔を埋めた。
「……俺にかけた術、解いてください」
「婚姻契約は解けない」
「目、だけでもいいから……」
祖母を失った悲しみと阿生への怒りを昇華しきれないまま、一方的に契約を破棄させた罪悪感に押しつぶされそうだった。
「部屋へ行こうか。少し顔が赤くなってる」
こんなときでも蒔麻の体は容赦なく疼いた。
灯りもつけないまま蒔麻の部屋に入り、引っ張り出した敷き布団の上に座る阿生に跨がった。
阿生の突き上げは穏やかで、いつものように肩や背中にしがみつかずに済んだ。そのかわり果てるには物足りない緩い快感が長く続くため、蒔麻は体を揺すられながら啜り泣いた。
「んぅ…っ、ん、あ…っ、はやく終わって……」
「ごめん。もう少し付き合って」
「あっ、やぁっ、乳首、摘ままないで……っ」
阿生の手から逃げるように体をくねらせる。
今日に限って阿生は人間の姿を保ったままだ。妖狐を突き放した蒔麻への気遣いなのかもしれないが、その優しさは阿生の夢を先延ばしにさせた蒔麻を落ち込ませた。
他人を責めるなんてしたくない。しかし、阿生を責めなければ一人ではこのやりきれなさを抱えきれない。
「ふ…ぁっ、う……んっ、うぅ……」
蒔麻は涙を拭いながら阿生を盗み見た。向かい合って座っていても、真っ直ぐ目を見るなんてできなかった。
そこには好きになりかけていた男がいる。
責めているはずなのに縋りつきたい。
どこまでも自分本位で恥ずかしい。
「っ、ごめん、なさい……」
蒔麻は阿生の胸にもたれかかった。
何に謝っているのかは自分でもわからなかった。
「っ、ごめ……っなさい……」
「前にも言ったけど、妖は人間が嫌がることを好む。信じるに足りない。術を使えば君を簡単に騙せるし傷つけることもできる。そんな相手に気遣う必要はないよ」
阿生の人間好きがそう言わせるのだろうか。妖怪を貶めさせるつもりはなかったのに。
阿生は蒔麻の体を緩く抱き、布団の上に倒れた。必然的に覆い被さる恰好になり、蒔麻は阿生の温もりに身を委ねながら気が済むまで泣き続けた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
処女姫Ωと帝の初夜
切羽未依
BL
αの皇子を産むため、男なのに姫として後宮に入れられたΩのぼく。
七年も経っても、未だに帝に番われず、未通(おとめ=処女)のままだった。
幼なじみでもある帝と仲は良かったが、Ωとして求められないことに、ぼくは不安と悲しみを抱えていた・・・
『紫式部~実は、歴史上の人物がΩだった件』の紫式部の就職先・藤原彰子も実はΩで、男の子だった!?というオメガバースな歴史ファンタジー。
歴史や古文が苦手でも、だいじょうぶ。ふりがな満載・カッコ書きの説明大量。
フツーの日本語で書いています。
受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店
ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。
新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~
焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。
美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。
スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。
これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語…
※DLsite様でCG集販売の予定あり
出産は一番の快楽
及川雨音
BL
出産するのが快感の出産フェチな両性具有総受け話。
とにかく出産が好きすぎて出産出産言いまくってます。出産がゲシュタルト崩壊気味。
【注意事項】
*受けは出産したいだけなので、相手や産まれた子どもに興味はないです。
*寝取られ(NTR)属性持ち攻め有りの複数ヤンデレ攻め
*倫理観・道徳観・貞操観が皆無、不謹慎注意
*軽く出産シーン有り
*ボテ腹、母乳、アクメ、授乳、女性器、おっぱい描写有り
続編)
*近親相姦・母子相姦要素有り
*奇形発言注意
*カニバリズム発言有り
ずっと、ずっと甘い口唇
犬飼春野
BL
「別れましょう、わたしたち」
中堅として活躍し始めた片桐啓介は、絵にかいたような九州男児。
彼は結婚を目前に控えていた。
しかし、婚約者の口から出てきたのはなんと婚約破棄。
その後、同僚たちに酒の肴にされヤケ酒の果てに目覚めたのは、後輩の中村の部屋だった。
どうみても事後。
パニックに陥った片桐と、いたって冷静な中村。
周囲を巻き込んだ恋愛争奪戦が始まる。
『恋の呪文』で脇役だった、片桐啓介と新人の中村春彦の恋。
同じくわき役だった定番メンバーに加え新規も参入し、男女入り交じりの大混戦。
コメディでもあり、シリアスもあり、楽しんでいただけたら幸いです。
題名に※マークを入れている話はR指定な描写がありますのでご注意ください。
※ 2021/10/7- 完結済みをいったん取り下げて連載中に戻します。
2021/10/10 全て上げ終えたため完結へ変更。
『恋の呪文』と『ずっと、ずっと甘い口唇』に関係するスピンオフやSSが多くあったため
一気に上げました。
なるべく時間軸に沿った順番で掲載しています。
(『女王様と俺』は別枠)
『恋の呪文』の主人公・江口×池山の番外編も、登場人物と時間軸の関係上こちらに載せます。
九年セフレ
三雲久遠
BL
在宅でウェブデザインの仕事をしているゲイの緒方は、大学のサークル仲間だった新堂と、もう九年セフレの関係を続けていた。
元々ノンケの新堂。男同士で、いつかは必ず終わりがくる。
分かっているから、別れの言葉は言わないでほしい。
また来ると、その一言を最後にしてくれたらいい。
そしてついに、新堂が結婚すると言い出す。
(ムーンライトノベルズにて完結済み。
こちらで再掲載に当たり改稿しております。
13話から途中の展開を変えています。)
【R18】息子とすることになりました♡
みんくす
BL
【完結】イケメン息子×ガタイのいい父親が、オナニーをきっかけにセックスして恋人同士になる話。
近親相姦(息子×父)・ハート喘ぎ・濁点喘ぎあり。
章ごとに話を区切っている、短編シリーズとなっています。
最初から読んでいただけると、分かりやすいかと思います。
攻め:優人(ゆうと) 19歳
父親より小柄なものの、整った顔立ちをしているイケメンで周囲からの人気も高い。
だが父である和志に対して恋心と劣情を抱いているため、そんな周囲のことには興味がない。
受け:和志(かずし) 43歳
学生時代から筋トレが趣味で、ガタイがよく体毛も濃い。
元妻とは15年ほど前に離婚し、それ以来息子の優人と2人暮らし。
pixivにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる