春待つ花嫁と妖狐の蜜契

多茶

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 母親に付き添われた息子は、本当に妊娠しているように下腹部が大きく膨らんでいた。
 ゆとりのあるコートで誤魔化しているが、肌を見せてもらえば、ビール腹とも人間の妊婦とも違う、男が水風船のようだと比喩した通りの異様な膨らみ方をしていた。
 明るい色のマッシュルームカットに大きめのラウンドフォルムのメガネをかけた、文化人のような雰囲気を持った青年だ。整った顔をしているが、顔色の悪さがその可愛さを台無しにしている。

「祠で何かあったんですか?」
「何も覚えてないんです。気づいたら家にいて……。動画を見れば思い出せると思うんですけど、カメラはあっちが持ってるし、スマホはどこかで落としてしまって」
「それは災難でしたね。今、体調はどうですか? 寒ければ毛布も持ってきますが」

 社務所や家からストーブを移動させたが、隙間風の絶えない社殿の中はじっとしていると冷える。
 ストーブの上に置いたヤカンが沸騰するのも少し時間がかかりそうだった。蒔麻は息子の体調を気遣う阿生の隣で、母親に膝掛けを渡した。

「大丈夫です。ときどき動くので、それが変な感じがするくらいで」

 息子が腹を撫でる。その仕草には愛情が感じられ、異様な腹に対する悲壮感はない。
 蒔麻にはそれが妙に引っかかった。

「じゃあ、私たちはあっちにいますから、ゆっくりされていってください」

 社殿を出て、阿生に肩を押されるように社務所に戻った。

「少し出てきてもいいかな? 確かめたいことがある」
「どこに行くんですか?」

 教えて欲しかったが、阿生は答えてくれなかった。

「あの、息子さんのお腹、本当に神様の子どもがいるんでしょうか?」
「彼がなぜ神の子と言っているかわからないけど、腹を弄られているのは間違いなかった。ただ、妖の中でも人間の記憶を操作できるのは妖狐しかいない。それに、この京都で人間の男を花嫁の器にできるほど妖力のある妖は多くないはずなんだ」

 意味は違っても《狐の嫁入り》という言葉がある通り、妖狐が人間の花嫁になることはままあるらしい。妖狐といえども出産にはリスクが伴うが、下級の妖狐はそうすることでしか子孫を残すことはできない。玉藻前ほどの妖力があれば分裂することもできるが、それは分身であって子孫ではない。

「人間との間にもうけた子であれば、下級の妖でも人間に変化できる。人間社会に溶け込むことができれば、それだけ子どもが野垂れ死にする確率は下がる」

 そう言われて、今朝の子狸を思い出した。
 蒔麻には視えなかったが、妖怪は想像よりずっと身近にいる。

「君がそんな顔をするのはわかるよ」
「え?」

 そんな顔と言われて、とっさに両頬に触れた。

「妖は残忍で、隙があればいつだって人間を利用する。人間を食料と思っている妖がいるのは蒔麻くんも知ってるよね」

 身長差の分だけ上から見下ろされる。
 見た目はいつもの蒔麻だというのに、圧に負けて思わず後退った。

「だけど、君を解放すると約束する」

 蒔麻が返事をするより早く、阿生は出かけてしまった。
 阿生を残忍だと思ったわけではない。どうしてすぐに誤解を解かなかったのかと、一人で阿生の表情を思い返して後悔した。
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