春待つ花嫁と妖狐の蜜契

多茶

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 社務所で御朱印の練習をしていると、顔色の悪い中年男性が売店のガラス戸を叩いた。
 男は臙脂色のニット帽を被り、黒のセーターにオード色のブルゾンを羽織っただけの薄着だった。耳は赤くなり、白い息を吐き出す唇はわずかに震えている。

「すみません」

 何か気になることでもあるのか、男は蒔麻がガラス戸を開けている間もしきりに境内の方へ目を向けている。

「こんにちは。御守りですか?」
「あ、いや、御祓いをお願いできんかと」
「御祓いですか……。申し訳ありません。神職が不在で、今は御祓いは承れないんです」
「そんな、どうしてもここでやって欲しいんですわ……っ!」

 過剰な反応に思わず体が引けた。

「頼んます……っ! 金はここに……っ!」

 厚みのある茶封筒を押しつけられそうになり、思わず悲鳴をあげそうだった。蒔麻としても無資格で適当なことはできない。

「いや、あの困ります!」

「この通りです……っ」

 説得を試みても、男は御守りを並べた台にしがみつき聞く耳を持とうとしない。

「少しお待ちくださいね」

 ──こんなにすぐに阿生さんに頼りたくないけど……。

 どうしようもなくなり、蒔麻は裏で洗濯物を取り込んでいた阿生を呼んだ。
 男は冷静さを取り戻したのか、社務所に通すとニット帽を外して額の広い頭を下げた。

「お父さん、よしてください」

 阿生が男の肩に手を置いて窘める。蒔麻は温かいお茶を出し、定位置になりつつある阿生の隣に腰をおろした。

「……うちの息子に御祓いをしてやってくれませんか」
「そう言われても、彼からも聞いたと思いますが、宮司が入院していて神事を行える者がいないんですよ」
「いつ帰って来はるんですか?」

 そう訊かれても答えることはできない。この二週間、蒔麻はまだ起きている祖母に会えていない。

「御祓いをしてくれる神社は他にもありますけど、うちじゃないといけない理由があるんですか?」

 山戸祇神社のご利益に目ぼしいものはない。京都市内であれば、同じご利益でもっとメジャーな神社も見つけられるはずだ。

「うちのバカ息子──大学の二回生なんですけど、オカルトやらホラーやらのネタで動画の配信をして遊んどるんですわ。先月、ここの裏山の祠に行ったらしくて、そっから『神様の子どもが腹におる』って譫言を繰り返すようになったんです。最近はその、腹が水風船みたいに膨らみ始めて……」

 男は忙しなく膝頭を揉んでいる。

「私も家内も、息子が何か悪いもんに取り憑かれたとしか思えんくなって。他の神社に頼むようなもんでもないと思いまして」

 病院を頼ったが体に異常はなく、レントゲンにも何も写らなかったと。あまり騒いでは近所の目もあるため、藁にも縋る思いで駆け込んだのだと言う。

 ──男なのに妊娠……。

 他人事と思えず、下腹に嫌な感覚が広がる。
 オカルト系の動画配信者が洞窟を冷やかしに来ているのは知っていたが、妊娠したという怪異は聞いたことがない。もし見聞きしていたら、蒔麻が不適切な内容を含んだ情報として通報しているので覚えている。
 阿生は肘に膝をつき、何か考えているようだった。

「息子さんは一人で?」
「いや、一緒に動画をやってる子と二人やったと。その子とは連絡が取れんようになったらしくて……。まあ、春休みなんで実家に帰ってるだけやと思ってるんですけど。一個心配になると何個も心配になるというか」
「ええ、わかりますよ」
「なんとか、御祓いしてもらえんでしょうか」

 再び頭を下げる男を前にどうすることもできず、蒔麻は阿生の横顔を盗み見た。
 眉間に皺を寄せ、男の方を向いているが、その目は男を見ていない。

 ──阿生さん……?

 蒔麻が肩を突っついてようやく、阿生と目が合った。

「お父さん、息子さんをここに呼べますか? 御祓いはできませんけど、ここに来るだけでも違うかもしれません」
「あ、あの、すぐ呼びます。実は家内と一緒に車の中で待たせてまして」

 男は表情を明るくすると、社務所を出て電話をかけた。壁を隔てて男の話し声が聞こえてくる。必然的に蒔麻も声を落とした。

「阿生さん、どうするつもりですか? 神様がいないのに、神社に来てもどうにもならないんじゃ……」
「神がいてもどうにもならないことだけど、どうも嫌な予感がするんだ」

 釣られて蒔麻の眉間にまで皺が寄る。
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