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阿生に求められている状況は心が安らぐ。ろくに抵抗もしないまま、目を覚ましたときには朝の六時になろうとしていた。
外はまだ薄暗く、蒔麻は布団から腕だけを出して手探りでパソコンを引き寄せた。
「わわ……っ」
液晶の眩しさが寝起きの目に刺さり、蒔麻はあわてて阿生の目元を手で遮った。ここで阿生を起こしてはまた邪魔されかねない。
──起きてない、よな……?
一緒に眠る日は朝まで抱きかかえられていることが多い。腰を引き寄せる力が強くなったが、阿生が瞼をあげる様子はない。
──人間が好きって、くっつくのも好きなのかな。
鎌倉から昔の話を聞いたあとでは、寂しがり屋の一言では終わらせられない。同情なのか、共感なのか。頭を撫でたい衝動に駆られる。しかし、伸ばした手が阿生に届くより先に、蒔麻は呆けた声を出していた。
「な……っ!」
「どうしたの?」
手のひらがふわふわの耳に触れたが、パソコンに映った映像から目が離せない。
「お札が浮いてる……」
考えるより先に社務所を飛び出した。
暗くても賽銭箱を目視することはできる。
いったいどうなっているのか、南京錠は地面に落ち、カメラで見た通り、千円札が宙に浮いていた。
困惑していると、追いかけてきた阿生が千円札──ではなく、その近くの宙を掴んだ。
阿生が腕を動かすと一緒に千円札も動く。
「あの、何してるんですか?」
「犯人の子狸」
「え……?」
「諦めて姿を見せろ。捕まるようなヘマをしたお前が悪い」
阿生がそう言うと、一枚の枯れ葉がひらひらと宙を舞った。
妖怪は幽霊と違い、人間に姿を見せるかどうか選ぶことができるという。何かの文献でその説を読んだときは、古事記のように神話めいた空想が含まれる史料なのだと読み流したが、もし事実が書かれていることだとしたら、蒔麻が子狸の姿を確認できない理由はなんだ?
「ひいっ!」
遠くで男の悲鳴があがった。阿生とともに振り向き、ジョギングに来ていた高校生を見つけて肩の力が抜けた。
「おはよう。早いね」
という会話もおかしいが、阿生が声をかけると、高校生はほっとしたようだった。
「虐待現場に遭遇したのかと思った」
「まさか。賽銭をくすねようとしたから説教してただけだよ」
「ここ、子どもいたんだ?」
問いには曖昧に答え、阿生はジョギングに戻っていく高校生に手を振った。
蒔麻は置いていけぼりをくらっている気分だった。
子ども?
あの高校生には何が見えていたというのか。
「阿生さん、あの、《子ども》を掴んでるんですか?」
「そうか。君は視えないんだったね。うーん、そしたらカメラか携帯電話を持っておいで」
言われた通り携帯電話を取ってくると、阿生は蒔麻に写真を撮るよう言った。
カメラの画角には、何かを掴みピースサインをする阿生と宙に浮いたままの千円札が収まっている。
「本当にこれでいいんですか?」
「いいから、いいから。はい、チーズ」
シャッターを押すと、そこにはにこやかな阿生とともに、首根っこを掴まれて四肢をぷらぷらさせた子どもがぼんやり写っていた。
携帯電話を砂地に落としてしまい、阿生が拾ってくれる。
「これはまた嫌そうな顔だな」
「あの、犯人は妖怪だったってことですか?」
腑に落ちないが、写真を見ると信じざるを得ない。
「未熟なうちは子どもの姿にしか変化できないからね。アルバイトもできないし、人間社会で生活するために現金を盗むしかない妖は一定数いるんだ」
せめて高校生の姿に変化できればアルバイトもできるが、身長百センチにも満たない子どもではまともな大人なら雇わない。
「だから見逃してあげてたんですか?」
「俺は腹が減るより先に眷属として拾われたからね、そういう苦労を知らない。だからまあ、バレないようにしろって注意してたんだけどね」
祖母が疑問に思わないよう、減った賽銭は阿生が足していたらしい。だったら初めから食事を分けてあげればいいのにと考えて、そう単純な話ではないと思い至る。
子どもの姿をしているが相手は妖怪だ。
しかし、知ってしまった以上、黙認するわけにもいかない。責任感と情の板挟みになりながら、蒔麻は森の方へ飛んでいく千円札を引き留めた。
「今度お腹が空いたら阿生さんに声をかけて! 少しならお裾分けできると思う」
千円札はぴたりと動きを止め、すぐに森に吸い込まれていった。
「そんなこと約束して、大勢で押し掛けてきたらどうする?」
「境内で犯罪が起きてるよりいいです」
「んー……。人間の善悪の基準は難しいね。九百年近く経ってもまだ理解しきれないよ」
阿生は賽銭箱に鍵を掛けると、立ち上がってズボンの腿を払った。蒔麻の目にはそれが気持ちを切り替える行為に映った。
「でも、阿生さんが情に厚い人だっていうのはわかりました」
「え?」
「犯罪は犯罪ですからやり方は間違ってると思いますけど、その、寛容なところはすごくいいと思います」
マリの話を拒んだときは淡泊なのだと思ったが、今考えれば、阿生は私欲で他者を動かそうとしたことを嫌ったように思う。
「人間っぽいというか、神様っぽいというか」
元眷属の奉仕者というのはしっくりくる。
眷属だった頃、阿生がどんな様子だったのだろう。
気になって訊ねると、阿生は口元に手を当てそっぽを向いてしまった。
「あっ。すみません。俺、余計なことを」
「いや、ううん」
煮え切らない様子が引っかかる。
「あの、阿生さん?」
「えっと、俺が眷属だった頃だっけ」
「無理に聞き出す意図はないんです。言いたくなければ全然」
「いや、知りたいことがあれば話すよ。ただその、寒いことだし、とりあえず中に戻ろうか」
外はまだ薄暗く、蒔麻は布団から腕だけを出して手探りでパソコンを引き寄せた。
「わわ……っ」
液晶の眩しさが寝起きの目に刺さり、蒔麻はあわてて阿生の目元を手で遮った。ここで阿生を起こしてはまた邪魔されかねない。
──起きてない、よな……?
一緒に眠る日は朝まで抱きかかえられていることが多い。腰を引き寄せる力が強くなったが、阿生が瞼をあげる様子はない。
──人間が好きって、くっつくのも好きなのかな。
鎌倉から昔の話を聞いたあとでは、寂しがり屋の一言では終わらせられない。同情なのか、共感なのか。頭を撫でたい衝動に駆られる。しかし、伸ばした手が阿生に届くより先に、蒔麻は呆けた声を出していた。
「な……っ!」
「どうしたの?」
手のひらがふわふわの耳に触れたが、パソコンに映った映像から目が離せない。
「お札が浮いてる……」
考えるより先に社務所を飛び出した。
暗くても賽銭箱を目視することはできる。
いったいどうなっているのか、南京錠は地面に落ち、カメラで見た通り、千円札が宙に浮いていた。
困惑していると、追いかけてきた阿生が千円札──ではなく、その近くの宙を掴んだ。
阿生が腕を動かすと一緒に千円札も動く。
「あの、何してるんですか?」
「犯人の子狸」
「え……?」
「諦めて姿を見せろ。捕まるようなヘマをしたお前が悪い」
阿生がそう言うと、一枚の枯れ葉がひらひらと宙を舞った。
妖怪は幽霊と違い、人間に姿を見せるかどうか選ぶことができるという。何かの文献でその説を読んだときは、古事記のように神話めいた空想が含まれる史料なのだと読み流したが、もし事実が書かれていることだとしたら、蒔麻が子狸の姿を確認できない理由はなんだ?
「ひいっ!」
遠くで男の悲鳴があがった。阿生とともに振り向き、ジョギングに来ていた高校生を見つけて肩の力が抜けた。
「おはよう。早いね」
という会話もおかしいが、阿生が声をかけると、高校生はほっとしたようだった。
「虐待現場に遭遇したのかと思った」
「まさか。賽銭をくすねようとしたから説教してただけだよ」
「ここ、子どもいたんだ?」
問いには曖昧に答え、阿生はジョギングに戻っていく高校生に手を振った。
蒔麻は置いていけぼりをくらっている気分だった。
子ども?
あの高校生には何が見えていたというのか。
「阿生さん、あの、《子ども》を掴んでるんですか?」
「そうか。君は視えないんだったね。うーん、そしたらカメラか携帯電話を持っておいで」
言われた通り携帯電話を取ってくると、阿生は蒔麻に写真を撮るよう言った。
カメラの画角には、何かを掴みピースサインをする阿生と宙に浮いたままの千円札が収まっている。
「本当にこれでいいんですか?」
「いいから、いいから。はい、チーズ」
シャッターを押すと、そこにはにこやかな阿生とともに、首根っこを掴まれて四肢をぷらぷらさせた子どもがぼんやり写っていた。
携帯電話を砂地に落としてしまい、阿生が拾ってくれる。
「これはまた嫌そうな顔だな」
「あの、犯人は妖怪だったってことですか?」
腑に落ちないが、写真を見ると信じざるを得ない。
「未熟なうちは子どもの姿にしか変化できないからね。アルバイトもできないし、人間社会で生活するために現金を盗むしかない妖は一定数いるんだ」
せめて高校生の姿に変化できればアルバイトもできるが、身長百センチにも満たない子どもではまともな大人なら雇わない。
「だから見逃してあげてたんですか?」
「俺は腹が減るより先に眷属として拾われたからね、そういう苦労を知らない。だからまあ、バレないようにしろって注意してたんだけどね」
祖母が疑問に思わないよう、減った賽銭は阿生が足していたらしい。だったら初めから食事を分けてあげればいいのにと考えて、そう単純な話ではないと思い至る。
子どもの姿をしているが相手は妖怪だ。
しかし、知ってしまった以上、黙認するわけにもいかない。責任感と情の板挟みになりながら、蒔麻は森の方へ飛んでいく千円札を引き留めた。
「今度お腹が空いたら阿生さんに声をかけて! 少しならお裾分けできると思う」
千円札はぴたりと動きを止め、すぐに森に吸い込まれていった。
「そんなこと約束して、大勢で押し掛けてきたらどうする?」
「境内で犯罪が起きてるよりいいです」
「んー……。人間の善悪の基準は難しいね。九百年近く経ってもまだ理解しきれないよ」
阿生は賽銭箱に鍵を掛けると、立ち上がってズボンの腿を払った。蒔麻の目にはそれが気持ちを切り替える行為に映った。
「でも、阿生さんが情に厚い人だっていうのはわかりました」
「え?」
「犯罪は犯罪ですからやり方は間違ってると思いますけど、その、寛容なところはすごくいいと思います」
マリの話を拒んだときは淡泊なのだと思ったが、今考えれば、阿生は私欲で他者を動かそうとしたことを嫌ったように思う。
「人間っぽいというか、神様っぽいというか」
元眷属の奉仕者というのはしっくりくる。
眷属だった頃、阿生がどんな様子だったのだろう。
気になって訊ねると、阿生は口元に手を当てそっぽを向いてしまった。
「あっ。すみません。俺、余計なことを」
「いや、ううん」
煮え切らない様子が引っかかる。
「あの、阿生さん?」
「えっと、俺が眷属だった頃だっけ」
「無理に聞き出す意図はないんです。言いたくなければ全然」
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