春待つ花嫁と妖狐の蜜契

多茶

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 薄い水色のカーテン越しに朝日が差し込んでくる。朝の雰囲気をまとった部屋で、蒔麻は布団に頭まで潜り込み膝を抱えた。

 ──合わせる顔がない……。

 いつになく卑猥な夢だった。脳裏に焼き付けようと阿生の様子を詳細まで見ていたのがよくなかった。こうしている今も、布団に包まれた体は本当に熱に浮かされたようにだるい。

「さすがに起きないと……」

 今日は阿生が神社を案内してくれると言っていたが、時間を確認すると七時を過ぎている。客ではないのだから食事の支度や神社の朝の仕事も覚えなくては。そう意気込んでいたが初日から失態だ。
 掛け布団を半分に畳み、息を吐いたところで襖の向こう側から声がかかった。

「蒔麻くん、起きてる?」
「は、はい!」

 声が上擦った。しかし、構うことなく襖が開かれる。

「おはよ」
「おはよう、ございます」

 阿生の顔は朝一番でも整っていて、いかがわしい夢を見た自分が恥ずかしい。

「ごはんにしてもいい?」
「あ、ああ……。すみません、今起きます」
「そのままでいいよ」
「え? そういうわけには──」

 布団の上で食事をするなんて、病人に見えるほど顔色が悪いのだろうか。早く顔を洗おう。中腰になったところで顔に阿生の影が被った。

「え……」

 美貌で視界がいっぱいになる。大きな両手に頬を掴まれ、動けない状態で唇を重ねられた。肉の柔らかさを確かめるように唇を噛まれ、まるで暴くように口腔を舐められる。

「っ、ふ……ぅ、うっ、ん……んっ」

 驚いて逃げようとした舌は阿生の口内に迎え入れられ、綺麗に並んだ歯で甘噛みされた。酸欠で頭が回らない。下半身がずくっと重くなり、阿生の唇が離れていく頃には布団の上に腰を抜かしていた。

「へ、あ……、いや、な、なんですか……?」
「何って、ごはん」
「ご、ごは、ん……」
「食事」
「……僕の、ですか……?」

 おかしなことを言ったのか、短い沈黙のあと、阿生は肩を振るわせた。

「人間は精気じゃお腹いっぱいにならないでしょ」

 また顔が近づいてくる。体を引こうとしたところで、阿生の瞳孔が縦長に見えて固まった。

「昨日のこと、覚えてないね」
「昨日のこと?」
「君が俺を選んだ」
「え……」

 選べと訊かれて、選んだつもりもなく阿生の服を掴んでいた。

「あれ、夢じゃ……」
「夢? ああ、何も感じなかったから? 花嫁の悦がる姿をその他大勢に見られたくなくて、術を掛けさせてもらった。ごめんね」

 太股の上に毛並みのいい白金の尻尾が現われ、息が止まった。
 異類婚姻譚をテーマにした研究は日本でも多くなされていて、その角度もさまざまだ。一般的なパターンとしては、①動物を助けた結果、②動物が人間に化けて家に訪ねてくる。③守るべきルールを提示されたうえで花嫁に迎え入れると、④家に富がもたらされる。しかし、⑤人間がルールを破り、花嫁の正体を知ってしまう。⑥結果、花嫁は動物の姿に戻り家から出ていってしまう。
 しかし、阿生の様子を見ていると、狐の姿に戻って家から出ていく様子はない。そもそも、困っている狐を助けた記憶がない。

「花嫁っていうのは、その、労働を提供して富をもたらせば……?」

 もしそうだというなら、自分から抱いてくれとせがんだわけでもないが馬車馬のように働こう。

「花嫁に苦労させたりしないよ」

 混乱して頭の中の引き出しをひっくり返してみるが、役に立ちそうな情報は何もない。
 そもそも食事というのは何だ?

「妖狐の花嫁は絶対的な庇護を受ける代わりに、番に精気を与え、子を宿す器になる」
「子……?」
「体が番の精液を欲して疼き、徐々に妊娠できる器に変わる」
「男ですけど……」
「人間の雌雄は些末な問題かな。妖から見ればね」

 信じられないことだが、阿生の指の背が下腹部を撫でた途端、腰にたまった快感を自覚した。後孔がひくつき、堪えようと力を込めると零れた蜜が臀部を伝う。

「あ……、ぇ…?」

 体がおかしい。阿生の手に腹を押しつけるように腰が揺れる。誰でもいいから抱かれてみたいと思っていたが、妖怪が相手とは想定外だ。どきどきしていた阿生の表情も、今見ると恋の始まりを期待していた自分にがっかりする。

「離縁の方法はどちらかが死ぬか、俺が妖でなくなるか」

 思わず喉がヒュッと鳴った。死ぬなんて縁起でもない。

「妖でなくなるっていうのは?」
「人間の心臓を千個食った妖狐は人間になると言われている。そんな顔をしなくても、残り一つだ。もう宛てもある」
「心臓を差し出す人間が……?」

 オカルトマニアやおかしな性癖の人間がいるのだろうか。

「少しばかりの力と交換に、その身を差し出す人間は多いよ」
「……生贄」
「ギブアンドテイク」

 ギブが大きすぎる。

「心配しなくても春になる頃には心臓が手に入る予定だから。じゃないと人間と契約したりしないよ」

 ゆったりとした笑顔は昨日までの阿生と変わらないが、《人間》という呼び方が引っかかる。昨日は気にならなかったのに。

「ただ、それまでに神社をなんとかしないと、蒔麻くんが一人になったらまた雑魚に襲われかねない」
「雑魚……」

 阿生に足首を撫でられた。

「うそ……」

 足首にはくっきりと痣が浮かび上がっていた。人間のものにしてはやけに指が長い。
 阿生との行為が夢ではないということは、視えない何かに襲われたのも現実なのだ。足を掴まれ、縁側まで引き摺られた記憶が蘇る。体を震わせると、阿生は痣を温めるように足首に手を重ねた。

「蒔麻くんを攫おうとしたのは、神がいないのをいいことに好き勝手し始めた妖たちだ」
「神様がいない?」

 驚きのあまり体が前のめりになる。

「二十年前に戻ってきたときにはもういなかった。ただ、俺がここを離れたのは五百年前だから、いつから居ないのかまではわからない」
「おばあちゃん──祖母は知ってるんですか?」
「さあ、どうかな。ただ、君と違って妖に血肉を狙われることはなかったよ。眷属だったよしみで今は俺が散らしてるけど、離れればここはすぐに陰気が溜まって廃れるだろうね」
「そんな……」

 信じがたい話だが、今膝に乗っている温かい尻尾が嘘のような話を現実なのだと伝えてくる。
 やっと祖母に認められるきっかけを掴み、神社を継げるかもしれないと思ったのにこれだ。

「神様は戻ってくるんですか?」

 曖昧に首を傾げる阿生を見て察した。阿生にもわからないのだ。しかし、待っている時間はない。おかしな体質を克服するどころか、自分自身が人間でなくなってしまうかもしれない。
 そうでなくても視えない何かに食い殺されるかもしれない──。
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