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地下鉄烏丸線の今出川駅を出て、京都御所の角にあるバス停から銀閣寺方面に向かう市営バスに乗り込む。京都のバスは少し怖い。東京と違い、同じバス停から乗り込んでも同じ目的地に向かうとは限らない。河原町今出川、出町柳、百万遍。京都特有の名前が連なり、目的地に近づいていることを確認して、蒔麻はやっと肩の力を抜いた。
位置の高い窓越しに、中心街から離れて住宅街一色になっていく街並みを眺める。アルバイトができるようになり、一人の遠出を許されるようになってから何度も通った道だ。
祖母からは《養子に出たのだから鳥居を跨がないように》ときつく言われていたため、神社に入ることはしなかったが、それでも入口までは何度も訊ねた。数年で景観が変わる中心地と違い、碁盤の目から外れた住宅街は何年経っても変わらない。
「さむ……」
蒔麻はバスを降りるなり、マフラーに顔を埋めた。
空は雲一つないペールブルーでも、山へ駆け上がっていく風は容赦ない二月の温度だ。ここから十五分ほど歩く。
祖母が宮司を勤める神社──山戸祇神社はいわゆる鎮守神を祀る神社だ。古事記に登場するスーパースターのような神はおらず、ご利益は厄除と家内安全。地元住民のための神社だ。
常緑樹に囲われた参道の石段には一定間隔で苔に覆われた灯籠が設置され、下から見上げると落ちてくる緑の光が美しい。まるで森の一部のような神社だ。石でできた鳥居まで軽く六十段はあったが、追い風に背中を押されながら、蒔麻は胸を震わせ一歩一歩慎重に参道をあがった。
境内は寒々としていた。先ほどまで晴れていたはずだが、ここだけ雲で覆われたように薄暗い。社殿はメンテナンスされており、砂地は綺麗に履かれて落ち葉も集められている。それでも廃墟に近い寂しさを醸している。
──こんな感じだったかな……?
社殿に近づくと、中から笑い声が聞こえてきた。
──あ……。
二十年ぶりだというのに、その男は美しいままだった。
顎まで長さのある黒髪をハーフアップにし、紺地の作務衣の上から紺の綿入り半纏を羽織っている。おまけに片膝の上におかっぱ髪の市松人形を乗せていたが、座っていてもわかる長身とスタイルのよさ、内側から発光していると疑うほど美しく白い肌が野暮ったいはずの恰好をも絵にしてしまう。
男は切れ長の目を細め、向かいに座る白髪の女性に微笑みかけた。
「じゃあ、御祓いできるまで預かりますね」
「別に、返してもらわんでもええんやで?」
「そんなこと言って。可愛いお孫さんからの贈り物なんでしょう?」
男は表情だけでなく声も柔和だった。低めではあるが圧がなく、笑い声も優しい。
「そんな大層な。置いてっただけや。明美さんも大変なんやさかい、急がんでええで」
「わかりました」
「ほんまに、急がんでええから」
「ふふっ、そうさせてもらいます。気をつけて帰ってくださいね」
男は帰っていく女性の背中に向かって、「ようこそお参りでした」と手を振るように市松人形を振っている。
記憶の中の男は世界一美しく、美しすぎるせいでどこか冷たさを帯びていた。
再会に緊張していたのだが、勝手に肩透かしを食らっていた。倒れた祖母を病院に運んだのもこの男だ。警戒するのは失礼だったかもしれない。
すれ違いざま女性に会釈し、蒔麻は男の方に視線を戻した。
「──蒔麻くん?」
「あ……、はい。あの、お久しぶり……です」
蒔麻が頭を下げると、男は一瞬真顔になり、すぐに元の笑顔に戻した。
「久しぶりだね。変わってなくて驚いた」
「え、いや、変わ──、そうでしょうか……」
男とは二十年ぶりだ。面影が残っていたとしても、変わっていないわけはない。しかし、目が合ってすぐに蒔麻だと見抜かれたことを思うと、変わっていないのだろうか。
反応に困り、蒔麻はにこにこと微笑み続ける男に曖昧に笑い返した。
「明美さんのことで戻ってきたのかな?」
「はい。あの、今日からお世話になります。よろしくお願いします」
「ん?」
「え?」
東京土産のバナナ菓子を差し出しながら、思わず顔を見合わせた。
「叔父から聞いてませんか? 神社を手伝うよう言われてきたんですが……」
阿生は顔を横に向け、しばらく思い出しているようだった。
──これはきっと、聞いてない……っ!
叔父は阿生を快く思っていないようだったから、もしかすると抜き打ち調査を期待して事前に伝えなかったのかもしれない。蒔麻は顔を青ざめながら、「あの」と切り出した。
「だったら、その、ホテルか叔父の家に泊まりますから、いったん帰ります……っ!」
「ああ、いやいや。部屋なら余ってるし案内するよ。けど、このあとすぐ出ようと思ってたから」
阿生が市松人形を持ち上げる。
「俺のことはお構いなく! その、適当にしてますから!」
「そういうわけにも……。あ。よければ暇つぶしがてら一緒に来る? この通り、俺は神職じゃなくて助勤奉仕者だから、散歩だと思ってくれればいいよ」
阿生は半纏姿を見せるように両手を広げた。
小首を傾ける仕草は、百九十センチに届きそうな美丈夫のやるものではないが、本人の纏うほんわかした雰囲気と相まって、違和感なく受け入れられる。
「いえ、勉強させてください」
神社の裏にある母屋に荷物を置き、蒔麻は半纏姿に白いマフラーを巻いた阿生の後ろに続いた。
位置の高い窓越しに、中心街から離れて住宅街一色になっていく街並みを眺める。アルバイトができるようになり、一人の遠出を許されるようになってから何度も通った道だ。
祖母からは《養子に出たのだから鳥居を跨がないように》ときつく言われていたため、神社に入ることはしなかったが、それでも入口までは何度も訊ねた。数年で景観が変わる中心地と違い、碁盤の目から外れた住宅街は何年経っても変わらない。
「さむ……」
蒔麻はバスを降りるなり、マフラーに顔を埋めた。
空は雲一つないペールブルーでも、山へ駆け上がっていく風は容赦ない二月の温度だ。ここから十五分ほど歩く。
祖母が宮司を勤める神社──山戸祇神社はいわゆる鎮守神を祀る神社だ。古事記に登場するスーパースターのような神はおらず、ご利益は厄除と家内安全。地元住民のための神社だ。
常緑樹に囲われた参道の石段には一定間隔で苔に覆われた灯籠が設置され、下から見上げると落ちてくる緑の光が美しい。まるで森の一部のような神社だ。石でできた鳥居まで軽く六十段はあったが、追い風に背中を押されながら、蒔麻は胸を震わせ一歩一歩慎重に参道をあがった。
境内は寒々としていた。先ほどまで晴れていたはずだが、ここだけ雲で覆われたように薄暗い。社殿はメンテナンスされており、砂地は綺麗に履かれて落ち葉も集められている。それでも廃墟に近い寂しさを醸している。
──こんな感じだったかな……?
社殿に近づくと、中から笑い声が聞こえてきた。
──あ……。
二十年ぶりだというのに、その男は美しいままだった。
顎まで長さのある黒髪をハーフアップにし、紺地の作務衣の上から紺の綿入り半纏を羽織っている。おまけに片膝の上におかっぱ髪の市松人形を乗せていたが、座っていてもわかる長身とスタイルのよさ、内側から発光していると疑うほど美しく白い肌が野暮ったいはずの恰好をも絵にしてしまう。
男は切れ長の目を細め、向かいに座る白髪の女性に微笑みかけた。
「じゃあ、御祓いできるまで預かりますね」
「別に、返してもらわんでもええんやで?」
「そんなこと言って。可愛いお孫さんからの贈り物なんでしょう?」
男は表情だけでなく声も柔和だった。低めではあるが圧がなく、笑い声も優しい。
「そんな大層な。置いてっただけや。明美さんも大変なんやさかい、急がんでええで」
「わかりました」
「ほんまに、急がんでええから」
「ふふっ、そうさせてもらいます。気をつけて帰ってくださいね」
男は帰っていく女性の背中に向かって、「ようこそお参りでした」と手を振るように市松人形を振っている。
記憶の中の男は世界一美しく、美しすぎるせいでどこか冷たさを帯びていた。
再会に緊張していたのだが、勝手に肩透かしを食らっていた。倒れた祖母を病院に運んだのもこの男だ。警戒するのは失礼だったかもしれない。
すれ違いざま女性に会釈し、蒔麻は男の方に視線を戻した。
「──蒔麻くん?」
「あ……、はい。あの、お久しぶり……です」
蒔麻が頭を下げると、男は一瞬真顔になり、すぐに元の笑顔に戻した。
「久しぶりだね。変わってなくて驚いた」
「え、いや、変わ──、そうでしょうか……」
男とは二十年ぶりだ。面影が残っていたとしても、変わっていないわけはない。しかし、目が合ってすぐに蒔麻だと見抜かれたことを思うと、変わっていないのだろうか。
反応に困り、蒔麻はにこにこと微笑み続ける男に曖昧に笑い返した。
「明美さんのことで戻ってきたのかな?」
「はい。あの、今日からお世話になります。よろしくお願いします」
「ん?」
「え?」
東京土産のバナナ菓子を差し出しながら、思わず顔を見合わせた。
「叔父から聞いてませんか? 神社を手伝うよう言われてきたんですが……」
阿生は顔を横に向け、しばらく思い出しているようだった。
──これはきっと、聞いてない……っ!
叔父は阿生を快く思っていないようだったから、もしかすると抜き打ち調査を期待して事前に伝えなかったのかもしれない。蒔麻は顔を青ざめながら、「あの」と切り出した。
「だったら、その、ホテルか叔父の家に泊まりますから、いったん帰ります……っ!」
「ああ、いやいや。部屋なら余ってるし案内するよ。けど、このあとすぐ出ようと思ってたから」
阿生が市松人形を持ち上げる。
「俺のことはお構いなく! その、適当にしてますから!」
「そういうわけにも……。あ。よければ暇つぶしがてら一緒に来る? この通り、俺は神職じゃなくて助勤奉仕者だから、散歩だと思ってくれればいいよ」
阿生は半纏姿を見せるように両手を広げた。
小首を傾ける仕草は、百九十センチに届きそうな美丈夫のやるものではないが、本人の纏うほんわかした雰囲気と相まって、違和感なく受け入れられる。
「いえ、勉強させてください」
神社の裏にある母屋に荷物を置き、蒔麻は半纏姿に白いマフラーを巻いた阿生の後ろに続いた。
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