68 / 87
4. 神殿
6. 先輩訪れる
しおりを挟む
権禰宜が言っていた抜け子は早くも翌日干滝殿の妻戸を叩いた。
宛木は私が勝手に外出したことにおかんむりで、その日も一日口をきいてくれなかったのだが、訪れる人の気配がすると曹司からぱっと出てきて、妻戸を開けた。
しばらくごにょごにょと問答する音がしたが、やがて不機嫌な顔で戻ってきた。
「例の、姫様がおっしゃっていたお客人でいらっしゃいます」
おそらく梅太郎が来たのかもしれないと期待していたのだろう。苦虫をかみつぶしたような顔で、憎々し気にそう言った。それでも初対面の客を大声で誰何しなかったのは、私の願いを聞いてくれたからだった。
私が起きて単衣に表着をひっかけると、むっつりしたまま着付けを手伝ってくれる。
そうして簡単に身だしなみを整えて妻戸を出ると、そこには短髪の男女が二人座り込んでいた。一人は神殿で見かけた女で私と同年齢、男の方はずっと若くて初めて見る顔だった。
「思ったより元気そうじゃないね、波羅蜜。せっかくあんなとこから脱走したってのに、先輩卒業生がこんなんじゃ先が思いやられるな」
「それはこちらの言い分ですよ。尊敬していた先輩が、よもや抜け子になるとは。忌札は持ち出せたのですか」
「忌札など、今さら用はない」
その返事に、私は思わずかっとなって声を荒げた。
「忌札を持ち出さなければ逃げた意味がないでしょう。一体、何をしているのですか!神子であり続けながら許可もないまま神殿から遠ざかれば、神々の怒りを買って命を縮めるだけです」
怒りながら、私は二人に干滝殿に入るように促した。二人の体は氷のように冷えていて、辺りに冷気をまき散らしている。冷たさに当てられて嚏が一つ出た。すると宛木がもう一枚衣をかけようとする。私はそれを断って、お客人二人の方にそれを着せかけるように言うと、女神子の方はそれを断った。
「すぐに失礼するので衣は結構。単刀直入に言うと、二日後、桂川の下流、志免野の妙治寺跡あたりに舟を五艘ほどつけておいてほしい。それから吉美谷の六合目入口に馬と食糧を用意してくれ」
「藪から棒に何を言われますか。そんな要望を私が聞くとお思いですか」
「聞くから我らを部屋に通したんだろう」
平然と言う女神子を、私は無視して男の方を見た。
「あなた、神殿から逃げてどうするか、そして忌札のない自分がどうなるか、考えてはいるの?」
男神子は答えなかった。そもそも私と言葉を交わす気持ちがないようだった。
女神子がなんでもないことのように、
「無駄だ。この者は私以外の声を聞かない」
と言った。私は顔つきが険しくなることを止められなかった。
「あなたはまだ若い。神殿にいた方が長く生きられたはずだ。どうして忌札を探さなかったの。やみくもに逃げることより、神子としての役目から解放されることの方が先のはずでしょう」
女神子の言ったとおり、男には私の声すら届いていないようだった。こんなに無表情で無反応でなければ、かわいらしい顔立ちをした男であるはずなのに。表情がないと人はこんなに気味が悪いものなのか。私はもう一度女神子に向き直った。
「先輩。どうやって若い神子を誘惑したのですか」
先輩は細い皺をたくさん浮かべて一瞬笑顔になりかけたが、すぐにまた真剣な顔に戻った。
「そのうるさい口を閉じろ。無駄話をしにきたのではない」
そして先輩は座に着くやいなや、具体的な指示を口にし始めた。私は宛木に目くばせして筆の用意を急がせたけれど、こちらの準備を待ってくれるような気配はない。
女神子の言葉は終始命令調で、無駄がなく、まるで文を読み上げているようだった。そもそも私には断ることはもちろん、質問する権利も持ち合わせていないと考えているようだった。神殿の先輩方は入殿の年によってそれぞれ特性があったのだが、この代の人たちは、後輩とおしゃべりをすると口が腐ると考えていたことを私は思い出した。
結局会話らしい会話は最初の挨拶だけだった。一通り説明すると、
「お前を頼ることに反対する面々もあった。一度人身御供になりそこねているからな。しかしそこを黙らせてここまできたのだ。抜かりなくやれ」
と押しつけがましいことを言い、座を立った。女神子は終始早口だったし、すべてを覚えきれたか自信がない。私が途中で煙に巻かれ出したのを察した宛木が途中からは身を乗り出して聞いていたけれど、どこまで期待していいものだろうか。
先輩の後ろを男神子がひょこひょことついていくのだけれど、この二人は一体会話することがあるのだろうか、そもそもどうして共に行動することになったのだろうかと私は不思議に思ったのだが、きっとこの謎が解けることはないのだろう。
宛木は私が勝手に外出したことにおかんむりで、その日も一日口をきいてくれなかったのだが、訪れる人の気配がすると曹司からぱっと出てきて、妻戸を開けた。
しばらくごにょごにょと問答する音がしたが、やがて不機嫌な顔で戻ってきた。
「例の、姫様がおっしゃっていたお客人でいらっしゃいます」
おそらく梅太郎が来たのかもしれないと期待していたのだろう。苦虫をかみつぶしたような顔で、憎々し気にそう言った。それでも初対面の客を大声で誰何しなかったのは、私の願いを聞いてくれたからだった。
私が起きて単衣に表着をひっかけると、むっつりしたまま着付けを手伝ってくれる。
そうして簡単に身だしなみを整えて妻戸を出ると、そこには短髪の男女が二人座り込んでいた。一人は神殿で見かけた女で私と同年齢、男の方はずっと若くて初めて見る顔だった。
「思ったより元気そうじゃないね、波羅蜜。せっかくあんなとこから脱走したってのに、先輩卒業生がこんなんじゃ先が思いやられるな」
「それはこちらの言い分ですよ。尊敬していた先輩が、よもや抜け子になるとは。忌札は持ち出せたのですか」
「忌札など、今さら用はない」
その返事に、私は思わずかっとなって声を荒げた。
「忌札を持ち出さなければ逃げた意味がないでしょう。一体、何をしているのですか!神子であり続けながら許可もないまま神殿から遠ざかれば、神々の怒りを買って命を縮めるだけです」
怒りながら、私は二人に干滝殿に入るように促した。二人の体は氷のように冷えていて、辺りに冷気をまき散らしている。冷たさに当てられて嚏が一つ出た。すると宛木がもう一枚衣をかけようとする。私はそれを断って、お客人二人の方にそれを着せかけるように言うと、女神子の方はそれを断った。
「すぐに失礼するので衣は結構。単刀直入に言うと、二日後、桂川の下流、志免野の妙治寺跡あたりに舟を五艘ほどつけておいてほしい。それから吉美谷の六合目入口に馬と食糧を用意してくれ」
「藪から棒に何を言われますか。そんな要望を私が聞くとお思いですか」
「聞くから我らを部屋に通したんだろう」
平然と言う女神子を、私は無視して男の方を見た。
「あなた、神殿から逃げてどうするか、そして忌札のない自分がどうなるか、考えてはいるの?」
男神子は答えなかった。そもそも私と言葉を交わす気持ちがないようだった。
女神子がなんでもないことのように、
「無駄だ。この者は私以外の声を聞かない」
と言った。私は顔つきが険しくなることを止められなかった。
「あなたはまだ若い。神殿にいた方が長く生きられたはずだ。どうして忌札を探さなかったの。やみくもに逃げることより、神子としての役目から解放されることの方が先のはずでしょう」
女神子の言ったとおり、男には私の声すら届いていないようだった。こんなに無表情で無反応でなければ、かわいらしい顔立ちをした男であるはずなのに。表情がないと人はこんなに気味が悪いものなのか。私はもう一度女神子に向き直った。
「先輩。どうやって若い神子を誘惑したのですか」
先輩は細い皺をたくさん浮かべて一瞬笑顔になりかけたが、すぐにまた真剣な顔に戻った。
「そのうるさい口を閉じろ。無駄話をしにきたのではない」
そして先輩は座に着くやいなや、具体的な指示を口にし始めた。私は宛木に目くばせして筆の用意を急がせたけれど、こちらの準備を待ってくれるような気配はない。
女神子の言葉は終始命令調で、無駄がなく、まるで文を読み上げているようだった。そもそも私には断ることはもちろん、質問する権利も持ち合わせていないと考えているようだった。神殿の先輩方は入殿の年によってそれぞれ特性があったのだが、この代の人たちは、後輩とおしゃべりをすると口が腐ると考えていたことを私は思い出した。
結局会話らしい会話は最初の挨拶だけだった。一通り説明すると、
「お前を頼ることに反対する面々もあった。一度人身御供になりそこねているからな。しかしそこを黙らせてここまできたのだ。抜かりなくやれ」
と押しつけがましいことを言い、座を立った。女神子は終始早口だったし、すべてを覚えきれたか自信がない。私が途中で煙に巻かれ出したのを察した宛木が途中からは身を乗り出して聞いていたけれど、どこまで期待していいものだろうか。
先輩の後ろを男神子がひょこひょことついていくのだけれど、この二人は一体会話することがあるのだろうか、そもそもどうして共に行動することになったのだろうかと私は不思議に思ったのだが、きっとこの謎が解けることはないのだろう。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
クラス転移したひきこもり、僕だけシステムがゲームと同じなんですが・・・ログアウトしたら地球に帰れるみたいです
こたろう文庫
ファンタジー
学校をズル休みしてオンラインゲームをプレイするクオンこと斉藤悠人は、登校していなかったのにも関わらずクラス転移させられた。
異世界に来たはずなのに、ステータス画面はさっきやっていたゲームそのもので…。
回復力が低いからと追放された回復術師、規格外の回復能力を持っていた。
名無し
ファンタジー
回復術師ピッケルは、20歳の誕生日、パーティーリーダーの部屋に呼び出されると追放を言い渡された。みぐるみを剥がされ、泣く泣く部屋をあとにするピッケル。しかし、この時点では仲間はもちろん本人さえも知らなかった。ピッケルの回復術師としての能力は、想像を遥かに超えるものだと。
ユニークスキルで異世界マイホーム ~俺と共に育つ家~
楠富 つかさ
ファンタジー
地震で倒壊した我が家にて絶命した俺、家入竜也は自分の死因だとしても家が好きで……。
そんな俺に転生を司る女神が提案してくれたのは、俺の成長に応じて育つ異空間を創造する力。この力で俺は生まれ育った家を再び取り戻す。
できれば引きこもりたい俺と異世界の冒険者たちが織りなすソード&ソーサリー、開幕!!
第17回ファンタジー小説大賞にエントリーしました!
エラーから始まる異世界生活
KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。
本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。
高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。
冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。
その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。
某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。
実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。
勇者として活躍するのかしないのか?
能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。
多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。
初めての作品にお付き合い下さい。
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
流石に異世界でもこのチートはやばくない?
裏おきな
ファンタジー
片桐蓮《かたぎりれん》40歳独身駄目サラリーマンが趣味のリサイクルとレストアの資材集めに解体業者の資材置き場に行ったらまさかの異世界転移してしまった!そこに現れたのが守護神獣になっていた昔飼っていた犬のラクス。
異世界転移で手に入れた無限鍛冶
のチート能力で異世界を生きて行く事になった!
この作品は約1年半前に初めて「なろう」で書いた物を加筆修正して上げていきます。
勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる