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剣闘士編

5:アルの頭の中

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私の名前はアル。

人間族が多く住む平地に築かれた帝国、そこの首都である帝都に住む奴隷の一人。でも、奴隷とは思えないほどの暮らし、いや生まれの村で暮らしていたころよりもずっといい暮らしをさせてもらっている。毎日お腹いっぱいになるまで食べさせてもらって、戦い方も、読み書きも教えてもらって、そして剣闘士として生き残ってお金を稼ぐ方法も教えてもらっている。……普通の奴隷は、こんな暮らしはできない。

同じ宿舎の中で暮らす剣闘士、もう試合に出ている人たちを見ればどれだけ私が恵まれているか、運が良かったのかを理解できてしまう。私と同じ年齢でこれだけ食べさせてもらっているのは片手で数えるほどしか知らないし、それ以外の剣闘士の人たちは私よりもずっと貧しい暮らしをしている。まぁ村で暮らしていた時の私よりは豪華だけど……。

師匠が遠出、お得意様への訪問に連れて行ってもらった時も。お館に到着するまでの道で見た奴隷の人の顔色はすごく悪くて、ろくに食べてなさそうな人がいた。すっごいお金持ちで有名なお得意様にいる奴隷でも、私みたいに食べさせてもらっている人はいなかった。


「んぐッ!」


元々、自分は何もない村。帝国の西にある穀倉地帯の村で生まれた。昔はその地方の名前とか、自分がなんで奴隷になったのかがよくわかっていなかったが、師匠から色々学ぶうちにその理由が見えてきた。

私が生まれた地方では私が奴隷として売られる数年前からずっと雨が少なく、また気温が低い年が続いていたらしい。師匠によると寒かったり雨が少なかったりすると麦の成長が遅くなったり、そもそもダメになるみたいで……。まぁ生きていくのができないくらい追い込まれていたようだ。

税を納めるのに苦労するぐらいだから日々の暮らしを維持するのも大変。子供の何も解らない私からすれば私を含めた家族みんなずっとお腹を空かせている、ぐらいしかわからなかったけど両親がもうどうしようもない状態に陥っていたのは理解していた。


「むり、むりれふ!」


周りは平地で食べ物を探しに行けるような森はなかったし、魔物を狩って肉を得ようにも戦える人間はいない。食べ物を買おうにもこのところずっと不作続きでお財布はどこも空っぽ。銅貨一枚残っていない。このまま何もしなければ家族全員が飢えで死ぬ、収穫期を迎えても手元に残ったのはほんの少しの食べ物だけ。これじゃ誰も冬を越せない。……そんな中、両親が選んだのは、子供を売る。ということだった。

実際、私の家だけではなく私の村のほぼすべての家族が子供を売っていたみたいだし、師匠から聞いた話だと私が奴隷になった時期は奴隷商人たちが非常に忙しかった。つまり奴隷として売られた子が大量にいたらしい。なにもおかしいことではなかった。

何か仕事を任せるのには幼く、大きくなるまで時間がかかる年齢。そして長女ではない。そんな理由から奴隷として売り飛ばされた私。その決定は正しいものだった、多分同じ立場に置かれたら私も同じことをするだろうし、そもそも今こんなにいい暮らしをさせてもらっているのに親を恨むのは間違ってると思う。


「し、ししょぉ!」


確か2000ツケロぐらいだったけ、両親に手渡されたそれと引き換えに私は売られた。ほとんど何も食べてないせいでガリガリだったけど、それでも顔は整ってたということでかなり値上げしてもらってそれらしい。師匠からすれば一回の試合をこなすだけですぐに貢がれるような値段だけど、私たちからすれば大金で。これで冬は越せる、って値段だった。

その後は同じように売られた同じ村の子供たちと近くにある大きな町まで運ばれて、久しぶりに食べ物にありつけたと思ったらみんな教会まで連れていかれて、それぞれの能力とかを司教さまに見てもらった。その時の私は文字が読めなくて解らなかったけど、なんでも見込みがあったみたい。そこで村のみんなとはお別れで、大人の奴隷何人かと一緒に帝都まで運ばれた。

あとはまぁ到着して数日で師匠に見つけられて、ご主人様に買われて。師匠の保護下に。

村にいたころには考えられないほどの暮らしをさせてもらってるし、村で暮らしていたら一生覚えなかったであろう読み書きや簡単な計算まで教えてもらった。それに多分私のことを妬んだ人に何度か襲われた時も師匠がとんでもない速度で助けてくれたし。本当に貰い過ぎなくらい師匠からは頂いている。

だから毎日、少しでも返せるようにって色々頑張ってはいるんですけど……。


「くひぃ! くひはいってまふから!」

「ほらお代わりだぞ~?」


こう、まだ食べ物が口の中に入ってるのにスプーン突っ込まれるのはなんか違うと思うんです! 漏れる! 色々と漏れちゃいますから!


「アルちゃん胃がちっちゃいからもの突っ込んで大きくしなきゃ、ハンガーノックとか悲惨だよ? たくさん動いたのならたくさん食べないと。」

「じぶんれ! じぶんれたべまふから!」


この目の前にいるたまに意味の解らないことや変なことするけど、それ以上にお世話になっている師匠。彼女が差し出してくる匙を何とか避けようとするが失敗、お口の中に要らぬ増援がやってくる。というかこんなところで目で追えない速度を発揮しないでください! 試合の時とか外回りの時とかのクソカッコいい師匠はどこ行ったんですか! 返して!

それにこれでも食べられるようになったんですからね! 来たばっかりのころは小さなお椀いっぱいでお腹いっぱいだったんですよ私! それが大皿一枚ぐらいは食べれるようになったんですよ! だから押し込まないで!

いや確かに食べないと強くなれないことは解ってるんです。師匠は師匠で私にちょっかいかけながら煮魚が入った大きなお椀とか、生野菜のサラダとか、具沢山のスープとか無茶苦茶食べてますし、隣でお弟子さんたちと食卓を囲んでいるタクパルさんは師匠の三倍くらいは食べてる。動いた分だけ食べないといけないのも、体を強くするために食べないといけないのも口酸っぱく言われたので理解はしてるし、その実例が近くにいるから解るんですけど! 私にもペースってもんがあるんです!


「っん! というかいつも思うんですけど師匠も師匠でどこにそんな量入ってるんですか。」

「ん~?」


これ以上やらせるかと、以前からの疑問を投げかければ目の前には誰もいない。いつの間に移動していたのか厨房の方から師匠の声が、振り返ってみればお願いしてないのに私のお代わりと自分のお代わりを両手に彼女がゆっくりと歩いてきている。しかも両手はもちろん腕の上にも器用にお皿を乗せて大量に運搬中、私の目の前に広げた手の平の倍くらい大きい木の大皿が置かれ、そして師匠のところには残りの料理。全部が全部大盛りで、明らかに女の人が食べる量じゃない。

これだけだったらまだ『異様なほど食べる女性』で収まるかもしれないがこの人はお代わり二回目である。

確かにタクパルさんとかと比べれば小さいですけど、それでも人間族の女性としては結構な高身長である師匠。だから食べる量が多い、ってのは解るけどそれでもその量はいろいろとおかしい。というかなんでそんなに食べてるのに、その引き締まった綺麗なお腹はそのままなんですか? どこに消えてるんですか!


「まぁ私はカロリー使うからねぇ、食べないとやってられないのよ。こっちには高カロリーで体積小さめな食品とかないし。」


まぁ~た、よくわからない言葉使ってますよ師匠……。かろりー、ってなんすか。


「あ~。私速いでしょ? だからその分お腹減るの。しょゆこと。おわかり?」


なるほど、おわかりです。おかわりはいらないです。

師匠はこのあたり、少なくとも帝国の生まれではないみたいで。時たまというか、結構意味の解らない言葉を使う。文字も違う所みたいで、私に読み書きを教えてくれる時も全く読めない何か呪いの印みたいな文字を書いてる時がある。かんじ、というらしいがどこからどう見ても悪い呪い師が使う文字だった。

何でも気が付いたら帝国まで連れてこられていて、剣闘士になったみたい。『人狩りに捕まっちゃったんだろうねぇ~。』と言っていたけどそれって思いっきり犯罪に巻き込まれてる奴じゃないですか。あの頃は私もダメダメだったなぁ、みたいに笑いながら話すことじゃないと思うんですけど。


「あ。あとどこに入ってる、だっけ?」


そう、それです。……あ! 胸とかおしりはナシですからね! もうこっちは比較されるのも弄られるのも嫌なんですからね! ツルペタでも直線でもないんですよ私は! お母さんにちょっと膨らみあったし、大きくなったら私でももうちょっと何とかなるはずです!

……と叫びそうになったけど、どうやら違うようで。師匠は自身のお腹の方を指さす。そして。


 ボンッ


という音が聞こえてきそうなほどに、急にそれが膨らんだ。


「……は?」

「いやあんまりお腹出てると見た目悪いし、たまに『臨月?』と言われるからさ。こうやって……、噴ッ!」


膨らんでいたそれが、圧縮される。元通りの、スッキリすべすべなお腹。さわりたい。


「こうやってへこませてるの。」

「…………師匠って人間ですか?」


いや確かに私世間知らずですよ? 生まれの村とこの宿舎ぐらいのことしかわかんないですし、村には戦えるような人なんかいませんでしたし。ここに来てから初めて自分以外の種族とか魔法とかに出会いましたよ? 読み書きだって師匠に教えてもらってからできるようになりましたよ? これまでの情報源って人から聞いた話ぐらいしかないですよ?

でもそんな何も知らない私でもそれは人間技じゃないって解ります! 明らかにおかしいですよそれ! ほら横にいたタクパルさんも、そのお弟子さんたちも目を丸くしてますよ! 絶対おかしいですって!


「そう? 腹筋鍛えれば誰でもできると思うけどなぁ? というかアルちゃんにも教えるつもりだったし。」

「はぁ!? 何教えるつもりだったんですかぁ! 私師匠みたいな化け物になるの嫌です!」




ちなみに、師匠に奴隷から解放してもらってから数年後。やってみたら普通に出来ちゃって、『こちら側へようこそ。』って肩を掴まれながら無茶苦茶良い笑顔で師匠から煽られました。なんかすごくくやしい。





 ◇◆◇◆◇





まぁそんないつもの朝ごはんが終わった後。

普段は師匠の興行に付いて行くか、もしくは訓練って感じ。師匠みたいな上の方の剣闘士はそのオーナーから大事にされるみたいで、他の剣闘士と比べて毎日試合を組まれるってわけではない。三日に一度、もしくは二日に一度の間隔で試合が組まれて、休みの日は師匠のファンの人のためにいろんなところに行ったりする。

なんか師匠が提案したらしいんだけど、厚紙に師匠の名前が書いてあるものを売ったりとか、握手する権利を売ったりとか、師匠と一緒に食事とかできる権利をご主人様が売ってるらしくて、基本私はそれに付いて行くことになる。

普段の様子を知っている身からすれば『えぇ、お金払って貢ぐ価値あります?』というところがある師匠だけど、外行きの顔をしている師匠こと“ビクトリア様”はマジですごい。神様の教えは同性同士の恋愛はあんまりよくない、って言っていたけど、師匠なら教えを破っちゃっても仕方ないと思ってしまうぐらいに魅力的だ。

実際すごくたくさんの人が破りまくってるし。

なんでも『おっぱいがあるイケメン』という者を実践しているらしく、一つ一つの動作が洗練されているというか、物語の中から出てきたのかと錯覚してしまうほど。普段のちょっとアレな師匠や、実際はこの役をすることを嫌がっている師匠を知っているから何とか耐えられているけど、知らなかったら私もキャーキャー言いながら師匠に詰めよるご婦人方みたいになってたのかなぁ、と思って見たり。


「アルちゃん、忘れ物は?」

「えっと……、大丈夫です!」


今日はそんな外回りがない日、私の剣を見てもらったりとか師匠が自分の訓練に当てる日だったんだけど、いつもとは違うことがあった。タクパルさんという師匠と同じくらい稼いでいる剣闘士の人と一緒に訓練することになったのだ。

何度か宿舎や食堂で話したことがあるし、闘技場の控室から帰るときに顔を合わせたこともある。宿舎にいる人たちが毎日変わるのでここで師匠以外の人を覚えるのは途中からやめていたんだけど、その中で顔と名前を自然と覚えてしまったのがこの人だった。体が大きいせいでちょっと怖いけど、少し話してみればとっても優しい人。

師匠によると山みたいに大きな体を存分に使う戦い方をするみたいで、力自慢の相手にはそれを上回る力で押しつぶし、速さ自慢の相手にはその首根っこを掴んで握りつぶし、技自慢の奴は技を使われる前に踏みつぶす、なんてことをしているみたい。……うん、やっぱり強い剣闘士の人ってバケモノだ。


「まぁそんなパワータイプなんだけど、別に力だけじゃなくて技術もあるし速度に対応できる眼も持ってる。鬼に金棒……、こっちじゃゴブリンに鉄と女だっけ? オーナーが同じだから試合では当たらないけど、まぁ相手したくないタイプだよね。」

「力だけでは生き残れないからな。」

「でもまぁ私の方が速いし強いけど。」


私の行ったことのない訓練場に向かいながら、わざわざ本人の目の前でそれを言う師匠。いや確かに師匠が速度に無茶苦茶思い入れがあるのは知ってますし、私の短い人生の中で師匠よりも速い存在見たことないですけど、絶対目の前で言うことじゃないですよね!

そんな風に師匠がいつものように話し、タクパルさんがたまに反応したり無視したりしながら私たちはようやく訓練場までたどり着いた。いつも師匠やタクパルさんが戦っている闘技場の隣にある建物で、今まで私が入ったことのない場所。闘技場の剣闘士たちが戦っている場所だけを切り取って何倍も広くして、壁で囲ったみたいな建物。

あと入場料は100ツケロ。とても高い。一月使うだけで私が売られた値段よりも高くなる。


「まぁ作ったはいいけど資金回収ができなかった、とかでその分高くなってるんだろうねぇ。維持費とかもかかるだろうし。もしかしたら建て替えの資金でも集めてるのかも。出す奴は出すだろうし。」

「正直こんな時でなければ来ないな、ここは。」

「そうだよねぇ。」


剣闘士以外も入ることはできるけど、わざわざここに来るのは剣闘士ぐらい。たまに宿舎に入り込んできちゃうファンや、他の剣闘士から自分の戦い方とか新たな戦術とかを隠したり、今日みたいに周りの被害を気にせず模擬戦する人が使うみたいだ。そんな施設についての豆知識とか、ここを使用する人たちのことをお二人から聞きながら、他の利用者の人たちから十分離れた場所に移動した後。



模擬戦が、始まった。



タクパルさんにとっては速度で戦う剣闘士との経験を積むために、師匠としてはより負荷のかかる鍛錬をするために。両者の剣が交わる。その結果は、横で一緒に見ているお弟子さんたちからすれば驚きだったんだろうけど私からすれば予想通りだった。

何度か師匠が取られることもあったけど、終始その速度に翻弄されるタクパルさん。師匠から飛び切り眼がいいと言われた私でも全部を目で追いきれない速度で繰り広げられる試合。傍から見れば多分一本の線になって見えるような師匠の動きは、常人じゃとらえきれないほど速い。横にいるお弟子さんたちには何がどうなっているかほとんど解ってないだろうけど、タクパルさんが押されていることは理解できているはずだ。

傍で見ているから解る。色々と師匠は規格外だ。

あの目で追えないような速度に入らずとも、大半の剣闘士に勝てるような実力を誇っている。そうでなきゃわざわざ“ビクトリア”様という役を演じながら剣闘士なんかできない。他の剣闘士の人たちがしているような命がけの戦いじゃなくて、魅せるような戦い。剣に触れるようになってからそんなに時間は経ってないけど、師匠の中にとても高い技術が眠っていることは解る。

それこそ最初から相手がどう動くのか解っている動き、どこにどう剣を置けばより美しく魅せることができるか。どう動けばより人の注目を得ることができるのか。どう振舞えば“ビクトリア”としてあり続けられるのか。毎日宿舎の顔ぶれが変わり、それまで勝ち続けていた人でも急に消えるこの厳しい世界で、一人だけ違う世界を生きている。

そんな師匠が役に縛られず、本気で戦った場合どうなるのか。


弱いはずがない。


木剣と木剣がぶつかっているはずなのにひどく鈍いというべきか、何か潰れているんじゃないかと思うほどの音が重なり合うように連続して響き続ける。そして鳴っていたはずの音がワンテンポ遅れる、もしくは聞こえなくなったということはタクパルさんが一本取られたということ。そしてまた、音が鳴り始める。

何処をどう動いているか、少し離れた場所から見ればわかるんだけど実際に目の前でそれをやられればどうなるのか。“ビクトリア”として振舞っているときは絶対にしないような足技や、人の体の一部を踏み台にするような動き。振るわれた剣の力を利用しての攻撃。普段の師匠が使わない、殺すための。生き残るための戦い方。


その美しさではなく、強さに見惚れてしまう。


気が付けば師匠たちの試合は終わっていて、タクパルさんに向かっていくお弟子さんたちが視界に入ることでそれをようやく理解した。私も行かなくちゃと歩を進めるが、近づけば近づくほどにその体が大きくなっていく。汗で着ていた服がその体に張り付き、高まった体温がゆっくりと蒸気を空に返していく。その顔はまだずっと相手のことを見つめていて、のぞき込めば吸い込まれてしまいそうなほどその瞳は澄んでいた。

うん、ちょっと師匠とは思えないほどかっこよくてちょっとムカついた。

だからいつもの仕返しをしてやろうと思い、すごく小刻みに震えている足を触ってやろうと思えば普通に怒られちゃった。疲れてるだろうし、今やれば師匠の聞いたことのないような声が聴けると思ったのに……、残念。あ、それとその綺麗なお腹に頬ずりしてもいいですか? いいですよね?

……え? 私の訓練?

その後めちゃめちゃ訓練させられた。ちんどい……。でも頑張ったご褒美にお腹触らせてもらえたので私は満足です。ぶい。

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