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第一章 誰が駒鳥を隠したか
【013】胡散臭い手紙
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モナの姉の結婚式翌日は、アーサーが午前中に情報収集目的で役場へ寄ってから合流し、この町の神殿を見学――という建前の調査――をする予定だった。魔女であるカサンドラが共に役場へ赴くと先方が大げさになりすぎる……という理由での別行動なのだが、予定時刻をだいぶ過ぎても待ち合わせ場所にアーサーが現れない。
エフィストはあれから一度も戻ってきておらず、カサンドラは日除け布の下でひとり、二杯目のぬるい果実水を啜っていた。
「あの律儀な人が、遅くなるとの伝言を一言も寄越さないとは思えないけど……」
少なくとも、何かがあったのは確実である。
役所ならその性質上、伝言役の人員には余裕があるはずだ。つまり、それすら出来ない状況なのか、必要がないと思っているのか……そもそも、そこにいないのか。
何が起きているのかわからない以上、下手に動くのは得策ではない。
様子見ついでに勝手に調査を進めてしまうのもひとつの手段だろうが、ひとりで神殿へ行くのは気が進まない。
事故や事件に巻き込まれたのだろうかと心配になるのと同時に、別角度の不安が脳裏を過ぎる。
あのアーサーに、裏があったとは思えない――思いたくない。
たった数日で、どうしてこうも彼を信用したのか。カサンドラは俯き、真一文字に結んだ唇を歪めて自嘲する。
アーサーは確かにパム爺のことを知っていたが、直接紹介されたわけではなかった。疑うべき点なら、ちゃんと思い浮かぶ。
そうして思い返せば必要以上に彼を信用してしまっていたが、別に重要な情報は何も渡していないし、預けた実験中のサシェも普通の魔女の知恵である。
だから万が一、アーサーがカサンドラの利に反する何かを目論んでいたとしても、離れるタイミングは今ではないはずだ。得られたものがあるとは思えない。
昨日のカサンドラがしたことだって、何かを感づかれるような下手は打っていないはずで……とまで思考が進み、カサンドラは片手で額を覆う。
「(――――そうか、私は彼を疑いたくない……信じたいんだ)」
同じことに笑い合える心地よさを、「おやすみ」と言ってくれたときの温かさを、カサンドラは否定したくない。
ここの主であるマーガトン子爵夫妻とは一応顔見知りである。役所で不測の事態が起きていたとしても、組織のトップである領主本人の協力を得られる可能性があるし、多少の荒事だってカサンドラなら影の祝福で対処できる。
彼自身がそもそものターゲットなことも考えられるが、魔女を狙う何かに巻き込まれたと予想したほうが自然だ。
カサンドラは、たっぷりと長い深呼吸で感情を落ち着かせ、残っていた果実水を飲み干す。
頬を軽く叩いて改めて気合をいれると、役所へ向かうべく夏の日射しの中に足を踏み出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
勢いよく足を踏み入れた役所の受付フロアは、賑やかだが落ち着いた様子の場所だった。
人心の乱れた場所では、無駄に騒がしかったり張り詰めた空気の漂う空間になるものだ。それを考えれば、マーガトン子爵がこの領を丁寧に治めていることがよくわかる。
「ま、魔女様!? よ、よよよ、ようこそいらっしゃいまして……」
「こんにちは、ご丁寧にありがとうございます。急ぎなので、それ以上は結構です。……本日もこちらにベルがお伺いしたと思いますが、彼が今何処にいるかご存知ありませんか?」
「魔女様の従者のベルさん……は、グレイシャー伯爵領のアンブロにご所属のベルさんですよね? はい、確かにお見えになりましたが………………ねぇ~、今日ベルさんの対応したの誰だっけ~?」
受付対応の職員に声を掛ければ、昨日にも対応を頼んだ人だったので話が早かった。アーサーは別にカサンドラの従者ではないのだが、正しい関係性に訂正する手間さえ今は惜しい。
目撃情報をいくつか集めた結果、アーサーを担当した職員は現在早めの昼休憩に出ているらしい。
そういうことなら一体どうしたものかとカサンドラが悩み、役所側の厚意で応接室を借りようかという話になった頃、アーサーを担当したという男が帰ってきた。年の頃はカサンドラと同じくらいで、上等な誂えの制服に隙無く整えた髪型の少し神経質な普通の男という印象だが……笑顔が胡散臭い。
「これはこれは魔女様……ご機嫌麗しゅう。ああ、そうそう、アーサー様からお手紙を預かっております」
「………………ありがとう」
一見慇懃な無礼さを隠しもしない男が、懐から手紙を取り出した。使用されたレターセットと封蝋は、役所から発送するものに用いられる汎用的なものらしい。
その見た目から得られる情報は特に無く、ペーパーナイフを借りてその場で開封すれば、便箋には簡潔な内容だけが書かれていた。
「(これを更に要約すれば、商業地区にあるグロッシェ商会のマーガトン支店へ行くから私にも来い……ってところだけど……)」
差し出してきた男が胡散臭ければ、内容も胡散臭い。
グロッシェ商会は、調査のために昨日訪れたが、特に変わった店舗ではなかったと思う。
カサンドラはアーサーの筆跡をよく知らない。サインだけなら宿帳を書いた際に見かけたが、これとは何かが違う気がする。
そして、いつ役所に来るかわからないカサンドラに宛てた手紙を持ったまま、堂々と外へ休憩に出てしまうこの男こそが本当に不審なのだ。カサンドラがこの手紙の内容を知るのが、この時間以降でなければならない理由でもあったのではないかと穿ってしまう。
なにより、魔女を尊ぶふりをして農婦風情がと蔑む目――この胡散臭い男が持つのは、そんな感情か。
「……ええ、状況は把握できたわ。貴方はもう結構よ」
かつてのエマと同じ作り笑顔のカサンドラが、故意に上からの声を掛ければ、目の前の胡散臭い男は笑顔のままで器用に眉を顰めた。
これまでの雰囲気から察するに、この男はアーサーと同様に貴族に縁のある出なのかもしれない。だとしても、アーサーのように望んで公務官をしているのではないのだろう。随分と鬱憤が溜まっていそうだ。
ちらと外に視線を向ければ、前日の曇り空なんて忘れてしまったような快晴である。
カサンドラは迷うことなく、怯むこともなく、糸を引く誰かの誘いに乗ることを選んだ。
エフィストはあれから一度も戻ってきておらず、カサンドラは日除け布の下でひとり、二杯目のぬるい果実水を啜っていた。
「あの律儀な人が、遅くなるとの伝言を一言も寄越さないとは思えないけど……」
少なくとも、何かがあったのは確実である。
役所ならその性質上、伝言役の人員には余裕があるはずだ。つまり、それすら出来ない状況なのか、必要がないと思っているのか……そもそも、そこにいないのか。
何が起きているのかわからない以上、下手に動くのは得策ではない。
様子見ついでに勝手に調査を進めてしまうのもひとつの手段だろうが、ひとりで神殿へ行くのは気が進まない。
事故や事件に巻き込まれたのだろうかと心配になるのと同時に、別角度の不安が脳裏を過ぎる。
あのアーサーに、裏があったとは思えない――思いたくない。
たった数日で、どうしてこうも彼を信用したのか。カサンドラは俯き、真一文字に結んだ唇を歪めて自嘲する。
アーサーは確かにパム爺のことを知っていたが、直接紹介されたわけではなかった。疑うべき点なら、ちゃんと思い浮かぶ。
そうして思い返せば必要以上に彼を信用してしまっていたが、別に重要な情報は何も渡していないし、預けた実験中のサシェも普通の魔女の知恵である。
だから万が一、アーサーがカサンドラの利に反する何かを目論んでいたとしても、離れるタイミングは今ではないはずだ。得られたものがあるとは思えない。
昨日のカサンドラがしたことだって、何かを感づかれるような下手は打っていないはずで……とまで思考が進み、カサンドラは片手で額を覆う。
「(――――そうか、私は彼を疑いたくない……信じたいんだ)」
同じことに笑い合える心地よさを、「おやすみ」と言ってくれたときの温かさを、カサンドラは否定したくない。
ここの主であるマーガトン子爵夫妻とは一応顔見知りである。役所で不測の事態が起きていたとしても、組織のトップである領主本人の協力を得られる可能性があるし、多少の荒事だってカサンドラなら影の祝福で対処できる。
彼自身がそもそものターゲットなことも考えられるが、魔女を狙う何かに巻き込まれたと予想したほうが自然だ。
カサンドラは、たっぷりと長い深呼吸で感情を落ち着かせ、残っていた果実水を飲み干す。
頬を軽く叩いて改めて気合をいれると、役所へ向かうべく夏の日射しの中に足を踏み出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
勢いよく足を踏み入れた役所の受付フロアは、賑やかだが落ち着いた様子の場所だった。
人心の乱れた場所では、無駄に騒がしかったり張り詰めた空気の漂う空間になるものだ。それを考えれば、マーガトン子爵がこの領を丁寧に治めていることがよくわかる。
「ま、魔女様!? よ、よよよ、ようこそいらっしゃいまして……」
「こんにちは、ご丁寧にありがとうございます。急ぎなので、それ以上は結構です。……本日もこちらにベルがお伺いしたと思いますが、彼が今何処にいるかご存知ありませんか?」
「魔女様の従者のベルさん……は、グレイシャー伯爵領のアンブロにご所属のベルさんですよね? はい、確かにお見えになりましたが………………ねぇ~、今日ベルさんの対応したの誰だっけ~?」
受付対応の職員に声を掛ければ、昨日にも対応を頼んだ人だったので話が早かった。アーサーは別にカサンドラの従者ではないのだが、正しい関係性に訂正する手間さえ今は惜しい。
目撃情報をいくつか集めた結果、アーサーを担当した職員は現在早めの昼休憩に出ているらしい。
そういうことなら一体どうしたものかとカサンドラが悩み、役所側の厚意で応接室を借りようかという話になった頃、アーサーを担当したという男が帰ってきた。年の頃はカサンドラと同じくらいで、上等な誂えの制服に隙無く整えた髪型の少し神経質な普通の男という印象だが……笑顔が胡散臭い。
「これはこれは魔女様……ご機嫌麗しゅう。ああ、そうそう、アーサー様からお手紙を預かっております」
「………………ありがとう」
一見慇懃な無礼さを隠しもしない男が、懐から手紙を取り出した。使用されたレターセットと封蝋は、役所から発送するものに用いられる汎用的なものらしい。
その見た目から得られる情報は特に無く、ペーパーナイフを借りてその場で開封すれば、便箋には簡潔な内容だけが書かれていた。
「(これを更に要約すれば、商業地区にあるグロッシェ商会のマーガトン支店へ行くから私にも来い……ってところだけど……)」
差し出してきた男が胡散臭ければ、内容も胡散臭い。
グロッシェ商会は、調査のために昨日訪れたが、特に変わった店舗ではなかったと思う。
カサンドラはアーサーの筆跡をよく知らない。サインだけなら宿帳を書いた際に見かけたが、これとは何かが違う気がする。
そして、いつ役所に来るかわからないカサンドラに宛てた手紙を持ったまま、堂々と外へ休憩に出てしまうこの男こそが本当に不審なのだ。カサンドラがこの手紙の内容を知るのが、この時間以降でなければならない理由でもあったのではないかと穿ってしまう。
なにより、魔女を尊ぶふりをして農婦風情がと蔑む目――この胡散臭い男が持つのは、そんな感情か。
「……ええ、状況は把握できたわ。貴方はもう結構よ」
かつてのエマと同じ作り笑顔のカサンドラが、故意に上からの声を掛ければ、目の前の胡散臭い男は笑顔のままで器用に眉を顰めた。
これまでの雰囲気から察するに、この男はアーサーと同様に貴族に縁のある出なのかもしれない。だとしても、アーサーのように望んで公務官をしているのではないのだろう。随分と鬱憤が溜まっていそうだ。
ちらと外に視線を向ければ、前日の曇り空なんて忘れてしまったような快晴である。
カサンドラは迷うことなく、怯むこともなく、糸を引く誰かの誘いに乗ることを選んだ。
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