10 / 24
第一章 誰が駒鳥を隠したか
【010】デートじゃない
しおりを挟む
「なんか、御馳走になっちゃった。ありがとう」
「誘ったのはこちらだから。楽しんでもらえたようでよかった」
とっぷりと日が暮れた暗闇の大通りを、アーサーとカサンドラが並んで歩く。
食堂も宿も中心街の一角にあるため、まだ営業中の店から漏れる光とオイルランプの街灯だけで十分な光量が確保されていた。
たくさん喋った上に満腹のエフィストはすっかり眠り込んでしまい、今はカサンドラの腕の中でぷすぷすと寝息を立てている。センチネルのくせに幼児みたいだと呆れてしまうが、猫の姿をしているのでカサンドラはどうも許してしまう。この猫は、憎まれ口を叩かねば可愛いのである。
「そういえば、立看板に湖魚料理の紹介があったでしょう? 実は、あれも気になるのよね」
「可能なら帰りがけにまた寄ってみようか。……カサンドラさんって、魚が好きなの?」
「正直に言うと、特別好きってわけではないんだけど……村では殆ど食べないから珍しくて。自分で作るにしてもあまり調理法を知らないし」
「なるほど。確かにアンブロ周辺って魚料理は少ないような……むしろ酒の肴くらいでしか見たこと無いかも」
恵麻由来の知識頼りでは、魚の調理法は海のものが大半な上に日本の調味料を使うものばかり。この国で手に入る物では活用できない知識だった。
村人たちだって、子供が釣り遊びついでに焼いておやつにするか、秋の川魚を冬の保存食にするくらいである。
こんなふうに何でもない話をしながら、次の予定を組んでいく感覚はどこか懐かしい。
カサンドラは、浮気をした恵麻のかつての恋人と、まだ仲がよかった頃を思い出しかけ――。
「(あれ……今の状態は一般的にデートと呼ばれるものでは?)」
はたと気づき、カサンドラは慌ててこの世界の常識と現状を突き合わせる。
前世の常識と照らし合わせても、これはデートに含まれると思われる。とはいえ、食事だけなら異性の友人と言うのもギリギリな範囲だが、旅行の時点で既にアウトだ。
しかし、この世界ではどうだろう。実は、農村などでは男女の仲はもっと即物的だったりするのだが……そうではなく、上の階級になればなるほど、男女共に慎重さというものが求められるはずなのだ。
しかもアーサーは自身が平民とはいえ、貴族に縁がある家の出である。
昨日は彼が独身なのだとカサンドラが早合点をしてしまったが、彼が既に妻帯していたり、そうでなくとも恋人や婚約者なるものがいてもおかしくない。いたとしたら、この状況はあまりにもまずい。既に、一見すると浮気旅行みたいな状態になっている今では手遅れかもしれないが、早めに挨拶をしておきたい。
浮気は駄目だ。カサンドラとアーサーの間には何も芽生えていないが、浮気があったように見えることだって駄目なのだ。された方は、とても辛いから。
「あの! アーサーさん……は、その…………ご結婚なさっていたりとか……?」
「えっ……? してませんけど……」
アーサーは「なんでそんなこと聞くんだろう」と言わんばかりのキョトンとした顔で、ぱちぱちと目を瞬かせている。そんな彼を見たカサンドラはどうも居た堪れなくなり、恥ずかしさが湧き上がってきた。自らが発した、いかにもこれから告白をするようなセリフのせいで顔に熱が集まり、思考が散らかっていく。
「それなら、恋人とか……もしかして婚約者様など、いらっしゃれば早めにご挨拶を、したほうがと……思って」
「いや、おれには別に………………あっ、カサンドラさんこそ、恋人とか……いたらこの状況まずいな!?」
「あ、あたしのほうは問題ないので大丈夫!」
大通りとはいえ夜の町に叫び声はだいぶ響き、思わず叫んでしまった口をふたり同時に手で覆い辺りを見回す。幸いなことに、少し待っても周囲から大声を見咎められることもなく、つい先程に浮上した問題は共有したところですぐに解決した。緊張は一気に解け、赤くなったり青くなったりと忙しかった顔を、同時にほっと緩ませた。
「あー……すみません。カサンドラさんが結婚してないっていうのは事前に聞いてたんだけど、恋人の有無はすっかり抜けてた」
「こちらも、確認不足だったから……ごめんなさい」
謝罪をし合ってから改めて目が合えば、不思議とおかしくなり同時に小さく吹き出してしまう。
暫く小さな笑いが止まらず、なんとか衝動を押し込んで顔を上げれば、街灯に照らされた眼鏡越しの淡い黄色の瞳がいつも以上に優しく感じた。
出会ってから一日と少ししか経っていないというのに、アーサーと居ることは妙に落ち着くのだ。今のところ会話の相性も悪くないし、食事の好みを含めた価値観もそこまで乖離していない。エフィストとだって、うまく噛み合っている。
長く付き合っていく仕事相手として、これ以上を望むべくもないほどに良い相手なのだろう――もちろん、友人としても。
――あー、まぁ、ごめんね? こんな機会でもなければ君に告らないって。楽しそうだったし、もういいでしょ?
ふと、忘れてしまいたい声が、言葉が、カサンドラの頭を内側から刺す。一瞬だけ息が止まり、呼吸の仕方がわからなくなってくる。
カサンドラはこびりついた嫌な記憶を追い出すように、小さく息をゆっくり吐いた。
その僅かな動きに反応したのか、もぞもぞと動いたエフィストの柔らかな黒い毛をそっと撫でる――その温もりで、何かを誤魔化すように。
気を取り直して足を進めれば、付かず離れずの心地よい距離感は、宿の部屋の前に辿り着くまで続いてくれた。
アンブロの町で魚が食べられる店についての情報や、カサンドラが住む村で扱われる魚の保存食のことなど。無遠慮に踏み込んでこない程度の身近な話に終始した会話は、荒れかけの心にじんわりと染みる。
「それじゃあ、カサンドラさん、おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい……アーサーさん」
それは久しぶりに発する、喋る黒猫以外と交わした「おやすみ」の言葉。
アーサーの落ち着いた声色は、ざわざわと乱れたままのカサンドラの心をくすぐって落ち着かせ、少しだけ別の波を立てた。
「誘ったのはこちらだから。楽しんでもらえたようでよかった」
とっぷりと日が暮れた暗闇の大通りを、アーサーとカサンドラが並んで歩く。
食堂も宿も中心街の一角にあるため、まだ営業中の店から漏れる光とオイルランプの街灯だけで十分な光量が確保されていた。
たくさん喋った上に満腹のエフィストはすっかり眠り込んでしまい、今はカサンドラの腕の中でぷすぷすと寝息を立てている。センチネルのくせに幼児みたいだと呆れてしまうが、猫の姿をしているのでカサンドラはどうも許してしまう。この猫は、憎まれ口を叩かねば可愛いのである。
「そういえば、立看板に湖魚料理の紹介があったでしょう? 実は、あれも気になるのよね」
「可能なら帰りがけにまた寄ってみようか。……カサンドラさんって、魚が好きなの?」
「正直に言うと、特別好きってわけではないんだけど……村では殆ど食べないから珍しくて。自分で作るにしてもあまり調理法を知らないし」
「なるほど。確かにアンブロ周辺って魚料理は少ないような……むしろ酒の肴くらいでしか見たこと無いかも」
恵麻由来の知識頼りでは、魚の調理法は海のものが大半な上に日本の調味料を使うものばかり。この国で手に入る物では活用できない知識だった。
村人たちだって、子供が釣り遊びついでに焼いておやつにするか、秋の川魚を冬の保存食にするくらいである。
こんなふうに何でもない話をしながら、次の予定を組んでいく感覚はどこか懐かしい。
カサンドラは、浮気をした恵麻のかつての恋人と、まだ仲がよかった頃を思い出しかけ――。
「(あれ……今の状態は一般的にデートと呼ばれるものでは?)」
はたと気づき、カサンドラは慌ててこの世界の常識と現状を突き合わせる。
前世の常識と照らし合わせても、これはデートに含まれると思われる。とはいえ、食事だけなら異性の友人と言うのもギリギリな範囲だが、旅行の時点で既にアウトだ。
しかし、この世界ではどうだろう。実は、農村などでは男女の仲はもっと即物的だったりするのだが……そうではなく、上の階級になればなるほど、男女共に慎重さというものが求められるはずなのだ。
しかもアーサーは自身が平民とはいえ、貴族に縁がある家の出である。
昨日は彼が独身なのだとカサンドラが早合点をしてしまったが、彼が既に妻帯していたり、そうでなくとも恋人や婚約者なるものがいてもおかしくない。いたとしたら、この状況はあまりにもまずい。既に、一見すると浮気旅行みたいな状態になっている今では手遅れかもしれないが、早めに挨拶をしておきたい。
浮気は駄目だ。カサンドラとアーサーの間には何も芽生えていないが、浮気があったように見えることだって駄目なのだ。された方は、とても辛いから。
「あの! アーサーさん……は、その…………ご結婚なさっていたりとか……?」
「えっ……? してませんけど……」
アーサーは「なんでそんなこと聞くんだろう」と言わんばかりのキョトンとした顔で、ぱちぱちと目を瞬かせている。そんな彼を見たカサンドラはどうも居た堪れなくなり、恥ずかしさが湧き上がってきた。自らが発した、いかにもこれから告白をするようなセリフのせいで顔に熱が集まり、思考が散らかっていく。
「それなら、恋人とか……もしかして婚約者様など、いらっしゃれば早めにご挨拶を、したほうがと……思って」
「いや、おれには別に………………あっ、カサンドラさんこそ、恋人とか……いたらこの状況まずいな!?」
「あ、あたしのほうは問題ないので大丈夫!」
大通りとはいえ夜の町に叫び声はだいぶ響き、思わず叫んでしまった口をふたり同時に手で覆い辺りを見回す。幸いなことに、少し待っても周囲から大声を見咎められることもなく、つい先程に浮上した問題は共有したところですぐに解決した。緊張は一気に解け、赤くなったり青くなったりと忙しかった顔を、同時にほっと緩ませた。
「あー……すみません。カサンドラさんが結婚してないっていうのは事前に聞いてたんだけど、恋人の有無はすっかり抜けてた」
「こちらも、確認不足だったから……ごめんなさい」
謝罪をし合ってから改めて目が合えば、不思議とおかしくなり同時に小さく吹き出してしまう。
暫く小さな笑いが止まらず、なんとか衝動を押し込んで顔を上げれば、街灯に照らされた眼鏡越しの淡い黄色の瞳がいつも以上に優しく感じた。
出会ってから一日と少ししか経っていないというのに、アーサーと居ることは妙に落ち着くのだ。今のところ会話の相性も悪くないし、食事の好みを含めた価値観もそこまで乖離していない。エフィストとだって、うまく噛み合っている。
長く付き合っていく仕事相手として、これ以上を望むべくもないほどに良い相手なのだろう――もちろん、友人としても。
――あー、まぁ、ごめんね? こんな機会でもなければ君に告らないって。楽しそうだったし、もういいでしょ?
ふと、忘れてしまいたい声が、言葉が、カサンドラの頭を内側から刺す。一瞬だけ息が止まり、呼吸の仕方がわからなくなってくる。
カサンドラはこびりついた嫌な記憶を追い出すように、小さく息をゆっくり吐いた。
その僅かな動きに反応したのか、もぞもぞと動いたエフィストの柔らかな黒い毛をそっと撫でる――その温もりで、何かを誤魔化すように。
気を取り直して足を進めれば、付かず離れずの心地よい距離感は、宿の部屋の前に辿り着くまで続いてくれた。
アンブロの町で魚が食べられる店についての情報や、カサンドラが住む村で扱われる魚の保存食のことなど。無遠慮に踏み込んでこない程度の身近な話に終始した会話は、荒れかけの心にじんわりと染みる。
「それじゃあ、カサンドラさん、おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい……アーサーさん」
それは久しぶりに発する、喋る黒猫以外と交わした「おやすみ」の言葉。
アーサーの落ち着いた声色は、ざわざわと乱れたままのカサンドラの心をくすぐって落ち着かせ、少しだけ別の波を立てた。
1
あなたにおすすめの小説
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる