嘘つき魔女の妖精事件簿

雀40

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第一章 誰が駒鳥を隠したか

【010】デートじゃない

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「なんか、御馳走になっちゃった。ありがとう」
「誘ったのはこちらだから。楽しんでもらえたようでよかった」

 とっぷりと日が暮れた暗闇の大通りを、アーサーとカサンドラが並んで歩く。

 食堂も宿も中心街の一角にあるため、まだ営業中の店から漏れる光とオイルランプの街灯だけで十分な光量が確保されていた。
 たくさん喋った上に満腹のエフィストはすっかり眠り込んでしまい、今はカサンドラの腕の中でぷすぷすと寝息を立てている。センチネルのくせに幼児みたいだと呆れてしまうが、猫の姿をしているのでカサンドラはどうも許してしまう。この猫は、憎まれ口を叩かねば可愛いのである。

「そういえば、立看板に湖魚料理の紹介があったでしょう? 実は、あれも気になるのよね」
「可能なら帰りがけにまた寄ってみようか。……カサンドラさんって、魚が好きなの?」
「正直に言うと、特別好きってわけではないんだけど……村では殆ど食べないから珍しくて。自分で作るにしてもあまり調理法を知らないし」
「なるほど。確かにアンブロ周辺って魚料理は少ないような……むしろ酒の肴くらいでしか見たこと無いかも」

 恵麻由来の知識頼りでは、魚の調理法は海のものが大半な上に日本の調味料を使うものばかり。この国で手に入る物では活用できない知識だった。
 村人たちだって、子供が釣り遊びついでに焼いておやつにするか、秋の川魚を冬の保存食にするくらいである。

 こんなふうに何でもない話をしながら、次の予定を組んでいく感覚はどこか懐かしい。
 カサンドラは、浮気をした恵麻のかつての恋人と、まだ仲がよかった頃を思い出しかけ――。
 
「(あれ……今の状態は一般的にデートと呼ばれるものでは?)」

 はたと気づき、カサンドラは慌ててこの世界の常識と現状を突き合わせる。
 前世の常識と照らし合わせても、これはデートに含まれると思われる。とはいえ、食事だけなら異性の友人と言うのもギリギリな範囲だが、旅行の時点で既にアウトだ。
 しかし、この世界ではどうだろう。実は、農村などでは男女の仲はもっと即物的だったりするのだが……そうではなく、上の階級になればなるほど、男女共に慎重さというものが求められるはずなのだ。
 
 しかもアーサーは自身が平民とはいえ、貴族に縁がある家の出である。
 昨日は彼が独身なのだとカサンドラが早合点をしてしまったが、彼が既に妻帯していたり、そうでなくとも恋人や婚約者なるものがいてもおかしくない。いたとしたら、この状況はあまりにもまずい。既に、一見すると浮気旅行みたいな状態になっている今では手遅れかもしれないが、早めに挨拶をしておきたい。
 浮気は駄目だ。カサンドラとアーサーの間には何も芽生えていないが、浮気があったように見えることだって駄目なのだ。された方は、とても辛いから。

「あの! アーサーさん……は、その…………ご結婚なさっていたりとか……?」
「えっ……? してませんけど……」
 
 アーサーは「なんでそんなこと聞くんだろう」と言わんばかりのキョトンとした顔で、ぱちぱちと目を瞬かせている。そんな彼を見たカサンドラはどうも居た堪れなくなり、恥ずかしさが湧き上がってきた。自らが発した、いかにもこれから告白をするようなセリフのせいで顔に熱が集まり、思考が散らかっていく。

「それなら、恋人とか……もしかして婚約者様など、いらっしゃれば早めにご挨拶を、したほうがと……思って」
「いや、おれには別に………………あっ、カサンドラさんこそ、恋人とか……いたらこの状況まずいな!?」
「あ、あたしのほうは問題ないので大丈夫!」

 大通りとはいえ夜の町に叫び声はだいぶ響き、思わず叫んでしまった口をふたり同時に手で覆い辺りを見回す。幸いなことに、少し待っても周囲から大声を見咎められることもなく、つい先程に浮上した問題は共有したところですぐに解決した。緊張は一気に解け、赤くなったり青くなったりと忙しかった顔を、同時にほっと緩ませた。

「あー……すみません。カサンドラさんが結婚してないっていうのは事前に聞いてたんだけど、恋人の有無はすっかり抜けてた」
「こちらも、確認不足だったから……ごめんなさい」

 謝罪をし合ってから改めて目が合えば、不思議とおかしくなり同時に小さく吹き出してしまう。
 暫く小さな笑いが止まらず、なんとか衝動を押し込んで顔を上げれば、街灯に照らされた眼鏡越しの淡い黄色の瞳がいつも以上に優しく感じた。

 出会ってから一日と少ししか経っていないというのに、アーサーと居ることは妙に落ち着くのだ。今のところ会話の相性も悪くないし、食事の好みを含めた価値観もそこまで乖離していない。エフィストとだって、うまく噛み合っている。
 長く付き合っていく仕事相手として、これ以上を望むべくもないほどに良い相手なのだろう――もちろん、としても。

 ――あー、まぁ、ごめんね? こんな機会でもなければ君に告らないって。楽しそうだったし、もういいでしょ?

 ふと、忘れてしまいたい声が、言葉が、カサンドラの頭を内側から刺す。一瞬だけ息が止まり、呼吸の仕方がわからなくなってくる。
 カサンドラはこびりついた嫌な記憶を追い出すように、小さく息をゆっくり吐いた。
 その僅かな動きに反応したのか、もぞもぞと動いたエフィストの柔らかな黒い毛をそっと撫でる――その温もりで、何かを誤魔化すように。

 気を取り直して足を進めれば、付かず離れずの心地よい距離感は、宿の部屋の前に辿り着くまで続いてくれた。
 アンブロの町で魚が食べられる店についての情報や、カサンドラが住む村で扱われる魚の保存食のことなど。無遠慮に踏み込んでこない程度の身近な話に終始した会話は、荒れかけの心にじんわりと染みる。

「それじゃあ、カサンドラさん、おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい……アーサーさん」

 それは久しぶりに発する、喋る黒猫以外と交わした「おやすみ」の言葉。
 アーサーの落ち着いた声色は、ざわざわと乱れたままのカサンドラの心をくすぐって落ち着かせ、少しだけ別の波を立てた。
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