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3巻

3-3

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魔皇妃まこうひカイザーリン様! こちらにご降臨ください」

 ネリーが心を込めて祈ると、蒼い月の光の中から男装の麗人が静かに現れた。
 麗人――カイザーリンが口を開く。

「くっくっく。いいだろう。炎の魔公サラマンダーよ! その女の身によみがえるがいい!」

 次の瞬間、スネミの胸にルビーがめり込むと、全身から炎が噴き上がった。

「あっちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 床を転げまわって暴れるスネミの姿がどんどん巨大化していく。為すすべもなく見守るほかない手下の前で、彼女の姿は赤いトカゲの巨大なモンスターに変わっていった。

「あ、姉御? その姿は……?」

 恐怖に震える手下たちを、赤いトカゲは爬虫類はちゅうるい特有の冷たい目で見つめる。そして素早く彼らに近づくと、いきなりぱくりと呑み込んだ。

「ま、まさか! やめろーー!」

 続けてトカゲは炎を吐き、手下たちを炭にしてしまった。
 手下たちを全滅させると、赤いトカゲ、炎の魔公サラマンダーは、カイザーリンの前にひざまずく。

「ふふ。よしよし。よくぞよみがえった、我がしもべよ。私に会いたかったのだな」

 カイザーリンが頭をなでると、サラマンダーはうれしそうにして、赤い舌で彼女の顔を舐めた。

「よいか? 外に勇者の後継者になろうとしている者がいる。そいつと戦ってこい」

 カイザーリンの命令を受けて、サラマンダーは外に飛び出していった。



 † ピラミッドの外


 リトネとアッシリア家の家臣たちが、ピラミッドの入り口を取り囲んでいる。

「いいですか? 人質となったリンとネリーさんを助け出すことが目的です。そのことを肝に銘じておいてください。そのために、二人の顔を知っている俺が先に突入します」

 まず自分が先頭に立って、ピラミッドに潜入すると言うリトネ。

「あたいも行くぜ」
「リトネ坊ちゃんと一緒なら、やつらなんて赤子の手をひねるようなもんでさぁ!」

 トーラの直臣たちも付いていくことを希望してくる。
 リトネはトーラに、白い液体が入ったペットボトルを差し出す。

「これは?」
「マザードラゴンのお乳です。体力と魔力を増強する効果があります。念のため、飲んでおいてください」

 トーラはしぶしぶ受け取り、一滴だけ舐めた。

「これでいいんだろ……ほら、リトネ、行こうぜ」

 トーラがリトネを促すが、彼は鋭い目をピラミッドに向けたまま、その場から動こうとしない。

「どうした?」
「……感じませんか? ピラミッドの屋上から強い魔力が放出されています」

 リトネがそう言ったとき、炎の塊がピラミッドの頂上からいきなり落ちてきた。
 現れたのは、炎をまとった真っ赤なトカゲだった。

「ばかな! 炎のトカゲ……伝説の炎の魔公サラマンダーだと!」

 家臣たちの間に恐怖が走る。
 サラマンダーとは、四百年前、豊かな森が広がるアッシリア領を焼き尽くし、不毛の砂漠と変えた伝説のモンスターである。その化け物は、勇者アルテミックと武道家トールに倒されたあとも、恐怖の対象として砂漠の民に伝えられていた。
 家臣たちが動揺する間に、トカゲは口から炎と油を交互に吐きかけてきた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 一瞬のうちに、大混乱におちいるアッシリア軍。
 リトネが叫ぶ。

「こいつは俺が抑えます! 先生はリンの救出に向かってください」
「だ、だけど、あんた一人でこんなでかい魔物を相手にするのは無茶だ!」
「いいからさっさと行け! 『剛竜体ドラゴンマッチョ』」

 リトネはトーラに向かって怒鳴ると、体を膨らませていく。やがてその肉体は筋骨隆々のマッチョとなり、サラマンダーに匹敵する巨体となった。

「す、すごい……あの筋肉。素敵……それがあんたの本当の姿だったのかい」

 今まで小さな子供だったリトネがマッチョマンになるのを見て、トーラはうっとりしてしまう。

「姫御! 見とれている場合じゃありませんぜ!」
「俺たちはメイドさんを助けに行きやしょう!」

 直臣につつかれて、トーラはハッとなった。

「わ、わかった。られるんじゃねえぞ! あんたはあたいの旦那だんなになるんだからな!」

 トーラはそう言うと、家臣たちを率いてピラミッドに入っていった。

(旦那って……トーラは強い人間が好きな『ツヨデレ』だと思っていたけど、実は筋肉が好きな『ニクデレ』だったのか! 待てよ、だったら彼女に好かれるためには、このままずっとマッチョでいないといけないとか? それはちょっとな……)

 内心でそんなことを思いながら、リトネは油断なく身構えてサラマンダーと対峙たいじした。

「シャァァァァァァァァァァァァァァァ!」
「ふん! 『剛竜拳ごうりゅうけん』」

 襲いかかってくるサラマンダーの鋭い牙を左手で受け止めると、リトネは右手でサラマンダーの腹を力いっぱい殴りつけた。



 † ピラミッドの中


 トーラ率いる潜入部隊は、ピラミッドの最上階目指して進んでいった。
 最上階に到着したトーラは、意外な光景を見て驚く。

「リトネ様、しっかり! ああもう、だらしない。それでも勇者ですか!?」
「心配ない。命までは奪わないようにサラマンダーに命令してある。ふふ、あいつに死なれては、ダークカイザー様のが減ってしまうからな」

 さらわれたはずのメイドのネリーと、怪しい男装の麗人が仲良く並んで外のリトネの戦いを観ているのである。
 まるで試合でも観戦しているかのような余裕たっぷりな二人に、トーラは大声を上げた。

「どういうことだ! お前たちがサラマンダーを操っているのか! いったい何者なんだ!」

 二人は振り向き、トーラたちを見て驚く。

「チッ、見られたか! ! こいつらを始末しろ!」
「仕方ないですね……では、体をお貸ししましょう」

 スネリと呼ばれたネリーはカイザーリンのもとにひざまずき、『水のサファイア』に手を当てた。

「ここに命じる。水の魔公セイレーンよ、この女の体を通じてよみがえるがいい」

 カイザーリンがネリーの額に手を当てて念じると、彼女の胸元のサファイアのペンダントが輝き、水色の光が部屋いっぱいに広がった。
 同時に、カイザーリンの姿が消える。

「な、何が起こるんだ……まぶしい!」

 トーラたちが見ている前で、ネリーの体が膨れ上がっていく。

「グググ……ギャーーーーーーーー」

 瞬く間に、その姿は美しい若い女性から、巨大なはさみ尻尾しっぽを持つ黒いサソリに変わっていった。

「な、なんだこの化け物は……」

 動揺しているトーラたちの前で、黒サソリは全身を震わせる。全身のふしが擦り合わされ、キーンッという甲高い音が響き渡った。

「この音はなんだ! 耳の奥が痛い!」

 巨大なサソリから発せられる超音波で鼓膜こまくが揺らされ、耳に激痛が走る。
 さらにその音に呼ばれて、黒サソリが大量に集まってきた。

「ブシャーーー」

 黒サソリたちが、口から黒い油を噴きかけてくる。

「う、うわっ!」

 鼓膜のさらに奥の三半規管まで激しく揺すられて、平衡感覚が狂わされるトーラたち。ふらふらになったところで、床に撒かれた黒い油に滑って転倒する。
 トーラたちは耳を押さえながら、黒い油が撒かれた床を這うのだった。


 ピラミッドの外では、達磨だるまになったリトネが必死に炎を消そうと地面を転げまわっていた。

「待てよ。前世の防災訓練だと、火の上に、濡れたタオルを被せて消火するんだったな。だとすると……『柔気装じゅうきそう』」

 体にまとっている硬い『気』の膜の上に、さらにもう一段薄い膜をまとう。
 すると、みるみるうちに炎は消えていった。

「ぷはっ。空気がうまい! 呼吸できるってサイコー!」

 ずっと呼吸を止めていたリトネは、『気』を解いて新鮮な空気を吸う。
 しかし、すぐ目の前に赤トカゲが迫ってきた。

「……こうなったら。ツチグーモを倒した奥の手を使って……トラック召喚!」

 杖を掲げて日本から壊れたトラックを召喚する。巨大なトラックが空から落ちてくるが、サラマンダーは素早い動きでかわした。

「くっ、逃げるな! もう一回召喚」

 再びトラックを召喚して押しつぶそうとするが、やはり軽々と避けられてしまう。どうやらサラマンダーはツチグーモよりも動きが素早く、頭もいいようだった。

「くそっ! こいつにはあの手が通じないのか!」

 必殺技を破られて、大苦戦するリトネ。

(このままじゃ、こっちが負ける。なんとかしてやつの動きを止めないと……)

 リトネは油断なく相手の動きを見ながら、サラマンダーに勝つ方法を考える。

(『剛竜拳』じゃだめだ。なら、『柔竜拳じゅうりゅうけん』を使ってわなを仕掛けるしかない)

 リトネは足に『気』を集中させて、地面に柔らかい『気』を伝わらせた。

(よし。気づいていないな。うまくかかってくれよ……)

 地面に布団のように柔らかい『気』の面を張りながら、サラマンダーを誘うようにジリジリと後退するリトネ。
 さっそくサラマンダーはリトネを追いかけて、柔らかい『気』で作られたトラップに足を踏み入れた。

「よし! くらえ! 新技『柔気包じゅうきほう』」

 次の瞬間、リトネは柔らかい『気』をめくり上げ、サラマンダーを巻き込んだ。まるで透明な布団でグルグル巻きされるように、サラマンダーの細長い体は拘束される。

「グギャァァァァァァァ」

 サラマンダーは悔しそうに炎を吐くが、『気』の膜で覆われて動けなくなる。

「とどめだ。『転送拳』」

 トーラから学んだ戦法を応用して、闇の召喚魔法を反転させた魔力をまとった拳をサラマンダーの頭に向けて振り抜く。

「グアッ」

 リトネの拳が触れた瞬間、頭だけがどこかに転送され、断ち切られた胴体から黒い油が勢いよく飛び出した。その油に火がついて、あっという間にサラマンダーの体は燃えていった。

「うえっ……な、なんだ。人間の体?」

 サラマンダーの体が、炎の中で一瞬だけ首のない女に変わる。
 その死体が燃え尽きたあと、灰の中にキラキラと輝くルビーのネックレスだけが残った。

「これは『炎のルビー』か。トーラの守護石なんだよな……そうだ! リンを助けに行かないと!」

 リトネはネックレスを回収し、ピラミッドに入っていった。


 一方ピラミッドの最上階では、トーラたちが床を転げまわって苦戦していた。
 黒いサソリがいっせいに黒い油を吐きかけ、セイレーンの発する超音波が彼女たちの三半規管を揺らして苦しめる。
 トーラたちにかかっていた『剛竜拳』のガードも、その音波によって弾け飛んでいた。

(ふふ。滑って転んですってんてんですね)

 恐ろしげなサソリの外見をしている魔公セイレーンだが、その中身のネリーは、トーラたちが七転八倒する様子を見て楽しんでいた。
 とはいえ彼女は、水の魔公セイレーンの体を制御せいぎょし、トーラたちを傷つけないように手加減もしている。眷属けんぞくのサソリたちにも、彼らを襲わないように命令していた。

(さて。そろそろ私たちを誘拐した人たちに、お仕置きをしましょうかね。一度試してみたかったんです。この体じゃないと、アレはできませんからね)

 ネリーは巨大サソリの体で不気味に笑うと、ゆっくりと男たちに迫る。巨大な鋏を使って彼らをうつぶせにすると、サソリの尻尾の針を尻に近づけた。

「い、いやだぁ……やめて! そっちは未経験!」
(えいっ)

 ネリーは泣きわめく男たちの尻の穴に、容赦なくプスッと針を突き刺し、麻酔液を注入していった。

「うっぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! アーーーーーッ! 入ってくる!」

 人生で初めて感じる刺激に、男たちは気持ちよく気絶していった。

(きゃははは。これは面白いですね! いつかリトネお坊ちゃまの後ろも私が……)

 勝利を確信しながら危ないことを考えるセイレーンの中の人、ネリーだった。

「て、てめえ……あたいの家臣になんてことを!」

 家臣たちが倒されたのを見て、怒りの表情を浮かべたトーラが這うようにして近づいてくる。

(トーラさんか……彼女もダークカイザー様復活に必要な人なんですよね。うーん。さすがにリトネお坊ちゃまの婚約者になる人の初めてを先に奪っちゃうのは、メイドとしてあるまじき行為ですし……どうしようかな?)

 そんなことを考えていると、トーラの拳に炎が宿る。

(な、何考えているんですか! ここでそんな技を使ったらだめですよ!)

 内心大あわてするネリーだったが、トーラはかまわず攻撃してくる。

「くらえ! 『燃焼拳』!」

 トーラが渾身こんしんの力を込めて殴ると、セイレーンは吹き飛ばされ、仰向あおむけに倒れた。

(ば、ばか! なんてことを! ここは油がいっぱい撒かれているんですよ! 火の魔法なんか使ったら……)

 焦りまくるネリー。もちろん大したダメージは受けていなかったが、問題はそこではない。
 次の瞬間、ネリーの思った通り油に火がついて、辺り一面は炎に包まれた。

「や、やったぜ……ついにこいつを倒した」

 仰向けに倒れたセイレーンを見て、トーラは倒したと思い、満足そうにがくっと力尽きる。

(このおばか! どうしてくれるんですか? 火をつけておいて、勝手に気絶しないでくださいよ! もう……仕方ないですね。セイレーン、とりあえず元に戻りなさい)

 ネリーは自らの意思でセイレーンの魂を『水のサファイア』に封じ込め、元の姿に戻る。
 しかし、周囲の炎を消そうにも水の魔法が使えない。

「……くっ、魔力切れですか。やはり、そう簡単には魔公を制御できないみたいですね……なんとかして、リトネ坊ちゃんたちが助けに来てくれるまでこの人たちを守らないと……そうだ!」

 この場にもう一人水の魔法を使える人間がいるのを思い出す。ネリーはリンの元に駆け寄ると、リンにかけられていた眠りの魔法を解いた。

「リンさん。起きてください」
「あれ……ネリーさんの目が真っ赤……ふえ?」

 起きだしたリンは寝ぼけまなこをこする。

「リンさん、寝ぼけてないで力を貸してください」

 ネリーはリンにサファイアを渡す。

「これは? きれいな宝石!」
「水の魔力を込めた『水のサファイア』です。私は起動する魔力も残ってないので使えませんが、リンさんならたぶん……いいですか。心を静めて、サファイアに魔力を集中させてください」

 ネリーのアドバイスに従い、目の前のサファイアをじっと見つめるリン。
 すると、すさまじい魔力が伝わってきた。

「ネリーさん。来たよ!」
「いいですか! 水の結界を張って、ここにいる人たちを炎から守るのです」
「うん。『水膜ウォーターフィルム』」

 その瞬間、リンの手から出た青い光が水となり、トーラたちを覆った。炎に焼かれる寸前だった彼女たちは、すんでのところで水の結界によって守られた。

「……やれやれ、これで一安心ですね」

 そうつぶやきながら、ネリーは床に座り込む。
 そんなネリーに、リンは不思議そうに尋ねる。

「ネリーさん。なんだか疲れてるみたい」
「ええ。無鉄砲なヒロインのおりとか、人質の救出に間に合わない勇者様のフォローとか、つまらない理由で世界を征服したがる変な人を止めたりとか……とにかくいろいろ疲れたんですよ」

 ネリーはそう言いながら、力なく笑うのだった。


 数分後、リトネとアッシリア家の家臣たちがピラミッドの最上階に来る。
 部屋に飛び込んだリトネは、駆け寄ってリンを思いっきり抱きしめた。リンのほうもリトネに笑顔を返す。

「本当に心配したんだぞ! 大丈夫だったか?」
「うん。ネリーさんが守ってくれたの」

 リンは明るく笑う。その隣で油で汚れたメイド姿のネリーは深く頭を下げた。

「リトネお坊ちゃま。私が付いていながら、リンさんを危険にさらしてしまい、申し訳ありません」
「何を言うんですか! リンを助けてくれて、本当にありがとうございました」

 リトネがネリーの手を握って感謝すると、彼女は照れくさそうに微笑んだ。

「それよりお坊ちゃま。ここはまだ危険です。黒い油に火が付いています」

 ネリーが指差すほうを見ると、炎が轟々ごうごうと燃え盛っていた。そのそばには水の結界に包まれたトーラたちがいる。

「まずい。火を消さないと。『柔気装』」

 リトネが炎に手を向けると、『気』による薄い膜が炎を覆い、簡単に炎を消してしまった。
 それを見て、ネリーは眉根を寄せる。

(どうやら、実力で炎の魔公サラマンダーを倒したようですね。リトネ坊ちゃまは確実に勇者として成長しているみたいです。カイザーリン様の計画通りというわけですが……ちょっとかわいそうかもしれませんね。お坊ちゃまが強くなればなるほど、選ばれる可能性も高まってしまいますので)

 ネリーがリトネを痛ましそうに見つめていると、結界から出てきたトーラたちが近寄ってきた。
 ネリーが声をかける。

「トーラ様ですね。水の魔公セイレーンを倒していただき、本当にありがとうございました。おかげで私たちは救われましたわ」

 ネリーはトーラの手を握って頭を下げるが、トーラは首をかしげる。

「あれ? あんたは魔族とつるんでいたんじゃねえのか?」
「そ、それは誤解ですわ。私は水の魔公セイレーンに体を乗っ取られていただけ。あなたがセイレーンを倒してくれたので、元に戻ることができたのです。セイレーンの魂は、この『水のサファイア』に封じ込められましたわ。二度と復活することはないでしょう」

 そう言ってネリーは青く輝くサファイアを掲げる。

「そ、そうか。それならいいんだ。助かってよかったな」

 単純なトーラはすぐに信じて、ネリーに対する疑いを捨てた。リトネがネリーにお願いする。

「『水のサファイア』かぁ。キチクゲームでは、ヒロインの守護石になるんだよな。ネリーさん、それリンに譲ってもらえませんか?」
「ええ、もちろんいいですよ。私のものじゃありませんから」

 ネリーはあっさりと、リンに『水のサファイア』を手渡す。

「これは君の力を大幅に上げてくれる宝石だからね。大事にして、いつも身につけておくように」
「うん! お兄ちゃん、ありがとう!」

 リンは満面の笑みを浮かべて、『水のサファイア』を首にかけた。

「きれいな宝石。いいなぁ……」

 きらきら輝くサファイアを見てうらやましそうにするトーラ。リトネは彼女には赤い宝石を渡す。

「もちろん、ヒロインの一人であるトーラにも守護石はあるよ。この『炎のルビー』だ」
「マジか? そのヒロインって何のことかわからねえが、ありがとうよ! 大切にするぜ!」

 トーラも満面の笑みを浮かべて『炎のルビー』を身につける。
 仲睦なかむつまじいリトネとヒロインたちを見て、ネリーは腹の中でこう思っていた。

(ふふふ……ヒロインたちに守護石を渡すことができました。これで魔族の復活という私の目的は実現にまた一歩近づきましたね。私の協力者になるはずだったスネミの暴走は予定外でしたが、まあ終わりよければよしとしましょう)

 すべての計画が順調に進んでいることを確信して、ネリーは笑うのだった。



 † アッシリア領都 アリア


「ふう。これで一息つけるかな」

 騒動後も休まず後始末を続けていたリトネ。さすがに疲れを感じて椅子にもたれかかったとき、執務室のドアがノックされる。

「はい。どうぞ」
「……お邪魔するよ」

 入ってきたのは、踊り子のような赤いセクシードレスを着たトーラだった。その姿はエキゾチックで、褐色かっしょくの肌をしたトーラの美しさを引き立てていた。

「へえ……見違えたよ。どうしたの? その服」
「家臣たちから言われたんだ。アッシリア家は再興するんだから、姫らしい格好をしろってな。どうだい? あたい……変じゃないか?」
「ううん。きれいだよ」

 リトネに褒められて、トーラは笑みを浮かべる。

「そ、そうか。いろいろありがとうな。お礼に一曲舞わせてもらうぜ」

 トーラはそう言うと、リトネの前で優雅に舞いを踊ってみせる。リトネはその神秘さにうっとりとなった。

「うん……すごいよ。美しい。こんなの初めて見た」
「あ、ありがとう」

 トーラは頬を真っ赤に染める。しばらくもじもじしていたが、ついに決心して口を開く。

「あ、あのさ。あたいを婚約者って言ったのは冗談だよな。家臣たちは本気にしているみたいだけど……あたいみたいなデカくて可愛くない女、勇者であるあんたにふさわしくないよな」

 そう言いながら、何か期待したような目を向けてくる。

「いや、本気だよ。それにトーラは美人で可愛いよ」

 リトネはやさしく答えた。

「そ、そうか。だけど……その。あたいを気に入ってくれたのはうれしいんだけど、それならどうしても謝らないといけないことがあるんだ」

 そう言うと、トーラはその場でいきなり土下座をはじめた。

「すまねえ! 実はリンという女の子とメイドをさらったのは、あたいたちなんだ!」

 自らの罪を白状し、額を床にこすりつける。

「あの子たちを餌にあんたをおびき寄せて人質にすれば、アッシリア家の再興への道が開かれて、同時に憎きシャイロック家に復讐できると思ったんだ」
「……」

 リトネはただ黙って、謝り続けるトーラを見守っていた。

「だけど、あんたたちがアッシリア家を潰したのには、ちゃんと理由と立場があったことがわかった。それに、何の関係もない少女をさらったのは明らかに間違いだった。本当にすまない」

 彼女からは、心から後悔しているのが伝わってきた。

「悪代官アクターも倒したし、『砂漠の黒炎』も壊滅させた。このアリアはあんたに任せれば大丈夫だろう。これで家臣たちと民を救えた。もう思い残すことはねえ。あたいはあんたの奴隷になって、一生かけて罪をつぐなうから、新たなる勇者として砂漠の民を導いてくれ」

 そう言うとトーラは、自ら『隷属の首輪』を付けた。
 しかし、リトネは苦笑して、やさしく彼女の首輪をはずしてあげる。

「……婚約者を奴隷にする趣味はないよ」

 そう言ってトーラの手を取って、立ち上がらせる。

「……いいのかい? こんなあたいを許してくれるのかい?」
「うん。もし償いがしたいと思うのなら、僕に協力して世界を救ってくれ」

 リトネは明るく笑って、トーラの罪を許した。

「……ありがとう。あたいの旦那」

 トーラは感極まって涙を浮かべ、リトネに抱きつく。

(魔公を倒す強さ。人を許すやさしさ。やっぱりガキじゃねえ。あたいよりよっぽど大人だ)

 リトネの中に大人のような寛容さを見たトーラは、幸せそうに微笑んだ。

「よかった。ガキの婚約者になんかなれるかってフラれると思ってたよ。トーラは放っておいたら大変なことになるからね」
「へっ? どういうことなんだ?」

 トーラは目をぱちくりとさせる。

「怒られるかもしれないけど……実は、君は将来、世界を崩壊に導くおそれがあるんだ」

 リトネはトーラに女神めがみベルダンティーの予言を一通り話した。
 聞き終えたトーラは、真っ赤な顔をして喚きだす。

「そもそも、あんたが勇者じゃないってどういうことだ? 勇者の拳を使っていたじゃないか!」
「あれはマザードラゴンから教えてもらったんだよ。俺は『雲亢竜拳』の後継者だけど、勇者の後継者じゃないんだ」

 きっぱりと否定され、混乱するトーラ。

「で、でも、もしあんたが言ったことが本当なら、あたいは何をしでかすんだ?」
「君と勇者は協力して魔皇帝を倒し、国王と王妃になる。それで終わればハッピーエンドだけど、現実はそうはならない。勇者は金持ちや金貸し、商人などのことを考えもせず、自分の一方的な正義を押しつけ、逆らう者を虐殺する。こうして世界は戦乱の世を迎えるんだ。そのように勇者をそそのかす悪女が、未来の君だよ」

 それを聞いてトーラは怒りに顔を染めた。

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