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病魔

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魔王ライトがエルシドに侵入したという知らせは大灯台にいる教会の上層部を揺るがせた。
「魔王の侵入を許しただって?」
「これからどうすればいいんだ!」
動揺する枢機卿たちを、教皇は叱りつける。
「うろたえるな。『輝きの珠』があるかぎり、魔王など敵ではない」
『耀きの珠』を高く掲げながら、教皇はそう告げる。
「し、しかし……」
「忘れたか。ワシも勇者ライディンの血を引く勇者の子孫の一人だ。だから『輝きの珠』を使いこなすことができる。『聖光結界』」
教皇が再び『耀きの珠』を祭壇に安置して呪文を唱えると同時に、大灯台を中心とした光による結界が張られる。
「これで魔王は大灯台に侵入することができなくなった。ワシらは安泰じゃ」
それを聞いて枢機卿たちはほっとするが、一人の年老いた者が尋ねる。
「し、しかし、結界の外にいる騎士や市民たちはどうなるのでしょうか」
その問いかけに、教皇は残酷な笑みを浮かべた。
「知らぬ。だが、外に居る者たちを虐殺するために、必ず魔王は現れる。そこを光の矢で狙いうちにするのじゃ」
教皇は、騎士や市民たちを囮にして、安全な場所から魔王を倒す作戦を練っていた。
「おお、さすがは教皇様」
「それなら、確実に勝てますな」
それを聞いて、枢機卿たちは安心するのだった。


私はノストラダムス。神に仕える敬虔な神官だ。水の魔法が使えるので、このエルシドでは主に治療師として活動している。
そんな私は、他の神官や修道女たちと一緒に、傷付いた市民たちの治療に追われていた。
「ノストラダムス師よ、私たちはこれからどうなるのでしょうか?」
市民たちの不安そうな言葉に、胸が締め付けられそうになる。
魔王ライトが現れたという報告が大灯台に伝わるや否や、教皇と教会の上層部は光の結界を張って閉じこもってしまった。
そのせいで私のような一般神官や大部分の聖堂騎士でさえ、市街地に取り残されている。
光の結界越しに『魔王を探せ』という命令を受け、騎士や市民たちは街を捜索しているが、魔王はなかなか姿を現さない。
そのため、「教皇に見捨てられたのではないか」という不安が広まっている。
市民たちの不安を鎮めるには、私のような市街地に取り残された神官たちが毅然とした態度を取るしかない。
そう思って今日も慰撫に勤めているが、市民たちの不安はどんどん高まっていった。
なぜなら、奇妙な病気が流行りだしたからである。
「ノストラダムス師。また急患です」
「……またか」
私はその患者を診る。まだ若いその騎士は、まるでリンゴのような大きさの腫瘍を足に作っていた。
「いったい何があったのだ」
「わかりません。ダンジョンラットに噛まれたところが腫れてしまって……」
「わかった」
とりあえず治療ポーションを作って飲ませてみたが、全然腫瘍はおさまらない。
「体調はどんな具合だ」
「熱が下がりません。ほかにも頭痛、関節痛、吐き気や嘔吐、倦怠感などがあるみたいで……きゃっ!」
腫瘍が潰れて、中の膿が飛び散り、看護していたシスターが悲鳴を上げた。
「危ないな。気をつけなさい」
慌てて、私たちは口を布で覆う。
ラットに噛まれて腫瘍ができた患者以外にも、発熱や咳などの症状が出て救護院に担ぎ込まれる者たちが続出した。
「ノストラダムス師……ラットに噛まれた程度でこんなに腫れるのはおかしいです。もしかして、魔王が言っていた罰なのでは?」
「バカなことを!魔王の妄言に惑わされるでない。信仰を保ちなさい」
私はそうしかりつけるが、シスターたちの不安の表情は消えない。
「これからどうなってしまうのでしょうか……」
私たちは不安を感じながらも、病人の治療に全力を尽くすのだった。



それからの私たちは、不眠不休で患者の治療に当たったが、病気は悪化の一途をたどった。
どうやらこの病気は二種類あるらしく、全身に腫瘍ができた後、黒い斑点や青痣が腕や太腿その他様々な部位に発現して死亡するものと、発熱、咳、喀痰などが続き、最後には血のような痰を吐いて呼吸困難に陥るものがある。
魔法で鑑定したところ、前者は水魔法と闇魔法が、後者は風魔法と闇魔法が病魔に影響したものと診断された。
「闇魔法ということは、魔王が関わっているのか……」
この病気に人為的な作為を感じ取り、私はさらなる不安に襲われる。もしこの病気が水や風を媒介にして広がることにでもなったら……。
私の不安は的中し、病人の体液や咳を通じて瞬く間にエルシド中に蔓延していくのだった。
元気な者は王都に逃げ出してしまい、けが人や病人はエルシドに取り残されてしまう。
「ノストラダムス様……お助け下さい」
次々と神官やシスターが倒れていく中、患者たちが私に助けを求めてくる。
市街には死体が転がり、あちこちで病魔に冒された人たちが苦しんでいた。
「闇魔法が関わっているのなら、『輝きの球』を使えば治療ができるかもしれぬ」
そう思った私は、最後の救いを求めて大灯台に直談判しにいった。
「教皇様。この病気に対してはポーションは聞きません。なにとぞ『輝きの珠』をお貸しください」
大灯台の光結界の前で土下座して頼み込むが、応対した枢機卿にすげなく断られた。
「ならん。『耀きの球』は魔王に対する切り札になるものじゃ。大灯台の祭壇から動かすわけにはいかん!」
「そんな!大勢の無辜の民を見捨てるつもりですか?」
私は力の限り訴えるが、冷たい笑いを浮かべた枢機卿たちには無視された。
「民を救いたければ、一刻も早く魔王を見つけるがいい。話は終わりだ」
そう言い捨てて、大神殿にこもってしまう。
教皇ともあろうお方が自己保身に走って、病に苦しむ民を見捨てるとは!
魔王であるライトが民を苦しめるのはわかる。悪の象徴ともいうべき者なのだから
だが、神の僕である我ら神官が民を見捨ててどうする!正義はどこにあるのだ!神は何をしているのだ。
私はそう憤るが、相手にされないので肩をおとして救護院に戻るしかなかった。
「……こほん」
帰り道、私は苦しい咳をする。胸の奥に鍼にでも刺されたかのように痛みが走る。体に倦怠感が感じられ、疲労のあまり動くことすらむずかしくなる。
それでも、最後に残った私が患者たちを救わねばと、心を奮い立たせて救護院に戻る。
救護院に入ると、黒いローブを着た男が患者たちを見下ろしていた。
「どうやら、うまくいったようだな」
そうつぶやく男には見覚えがあった。このエルシドを地獄に落とした男である。
「魔王ライト!」
驚いた私はナイフを構えるが、奴は私のことなど眼中にないようで、ただ薄笑いを浮かべて苦しむ患者たちを見下ろしている。
「どうやら、俺がばらまいた『黒死病』は効果があったようだな」
「『黒死病』だって?それはなんなんだ!」
私の問いかけに、奴は冷たく答える。
「異世界で、人類史上最悪の病魔として猛威を振るった病原菌だ。ラットについている蚤が感染源で、一度人間に感染すると風と水を媒介にどこまでも広がっていく。人間にとって最悪といえる病だ」
ライトは残酷な笑みを浮かべながらつぶやく。
「この都市から逃げ出した奴の中にも、きっと感染している奴がいるだろう。ふふふ、人間はこの病のせいで、さらなる地獄に落ちていく」
「貴様!」
私は力の限りナイフを突き出すが、奴はあっさりとかわした。
「貴様はなぜこんなことをするのだ!」
「なぜ、だと?」
ライトは恐ろしい目つきで、私を睨んできた。
「貴様たちが俺に何をしてきたのか、都合よく忘れたみたいだな」
「うっ……」
それを聞いて、ライトがこの都市に連れてこられた時に何が行われたのかを思い出す。
「お前たちは俺がこのエルシドでさらし者にされているとき、大喜びで石を投げつけてきたよな。偽勇者、盗人として、それはそれは嬉しそうに。お前もその中にいたはずだ」
「そ、それは、お前が『輝きの球』を盗んだせいで」
私は必死に言い返すが、奴は首を振った。
「それは冤罪だ。先代魔王の『復讐の衣』をはぎ取るために『輝きの球』が必要だった。だから教会は勇者パーティに貸し出したんだ」
ライトは淡々と話す。
そんな……それじゃ、ライトは無実の罪で貶められたのか?だとすると、私たちがやってきたことは……。
「どうだ?教皇の言うがまま、正義の立場に立って石を投げつけるのは楽しかったか?自分が断罪者として上位に立って、罵声をなげつけるのは気持ちよかったか?」
そう弾劾されて、私は自らの罪を自覚する。
確かにライトが民の前でさらし者にされたとき、私も喜々として責め立てた。
許しがたい罪人を裁くのは、正義の執行者である私に与えられた使命だと思っていた。
それが冤罪だったということになると……。
「……私たちは罪を犯したのかもしれぬ。だが、この子たちに何の罪がある」
私は苦しむ子供たちを指さして、ライトを責め立てる。
「罪はある。罪人の子供だという立派な罪がな。それを教えてくれたのはお前たちだ。俺の家族は、罪人の身内というだけで火刑にされた。お前たちがそうしたんだ。恨むなら、愚かな自分たちを恨め。はっはっはっは」
ライトはそう言って、高笑いした。
うっ……しかし、たった数人のことではないか。その復讐に、何千何万人もの罪なき民を巻き込むべきではない。
私はそう思ったが、なぜか口に出すことはできなかった。その代わりにライトの前に跪いて、許しを請う。
「頼む。罪のない子どもたちだけでも助けてくれ。私の身を捧げてもいい」
「断る。それに、お前の身など何の価値もない。なぜなら、お前はすでに病魔に冒されているからだ」
「なっ!ごほっ!」
私の口から血が混じった痰が吐き出される。まさか、私も死病に取りつかれていたのか?
「苦しみながら死ね。罪深き者たちよ」
ライトの呪詛を聞きながら、私は床に崩れ落ちる。
おお、神よ。なぜ私たちを助けてくださらないのですか?
絶望の中で神への信仰が揺らぎそうになった時、教護院に澄んだ声が響きわたった。
「眠りなさい。神の意志に翻弄される哀れな人間たちよ。あなたたちは充分に苦しみました。死という救いを与えましょう」
私の霞んだ視界に、黒い清楚なシスター服を纏った美少女が映る。彼女はまるで死の女神のように美しかった。
「ああ……感謝します。聖女マリア様」
マリア様の闇の魔力が、苦しむすべての者たちの体を覆っていく。
私たちの魂は安らぎを感じながら、天へと昇っていった。


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