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:メイド、足を止める:
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彩葉はただいま、黒いクラシックなメイド服を着用している。
本来、クラシックなタイプであるなら丈は長いはずだが、なぜかミニである。
しかもこれが、制服ときた。メイド頭を除いた全員が、これを着ている。
当然お坊ちゃまの趣味である。
そして彩華は、その裾を翻して全力で雇われた先のお屋敷の三階廊下を爆走中なのである。
「待て、止まれ!」
雇い主の命令を無視して疾走継続。
「くそっ、なんという足の速さだ……」
当然でしょ、と、彩葉はちょっとだけ誇らしく思う。
元々ちょこまかしていたのだが、小学校の陸上クラブにはじまり、中学高校とずっと陸上部で鍛えてきた。
ジュニアオリンピックやインターハイなどに出場し、さまざまな記録を打ち立ててきたものの、大きな怪我を機会に一度は競技の世界からは遠のいた。
その後は趣味で走り続け、走力を磨いてきたのである。
そのスピードたるや。飾り窓のカーテンがざざざ……と片方に寄った。さすがにメイドとしてそれは見逃せないので、しぶしぶ足を止めて、ぴぴっと直す。
「よしっ」
そして逃走再開。
彩葉とて、これが「雇われメイド」としてありえない行動だという自覚はある。
さらに、壁にかかっている絵画が二、三個落っこちたり花瓶が五つ六つ倒れたりしたような気がするものの、それは直すどころではなかった。なにせ、獣が迫っている。
書斎を掃除しているメイド頭の九条さんが、疾風の如く走る彩葉を見てはたきを振りかざして怒っているのが視界に入る。
「悠木《ゆうき》さん、何をしているのですか!」
「ごめんなさーい!」
止まりなさいここへ来なさいそれを片付けなさい、と喚いているのが口の動きでわかるものの、やっぱりそれどころじゃない。
ごめんなさい、と、片手拝みに通り過ぎ、自慢の俊足をさらに加速させた。
獣が追いかけてくる。ぎゃおう、がおう、と効果音がつきそうな勢いの、肉食獣。爪の先に引っ掛けられそうなほど、距離は縮まっている。足音と荒い呼吸が聞こえるのだからすごく近い。
「こらまて、彩葉! 止まれ。そして返事をしろ」
心の中だけであれこれ返事をする。口を動かす時間と労力が惜しいのだ。今は出来るだけ足を動かしたい。獣から一ミリでも多く離れたい。
「こら、主人の命令だぞ返事くらいしろ、召使い!」
「やだ!」
短く用件のみを伝え、ふかふかの絨毯を蹴立ててピカピカに磨き上げられた手すりを掴む。
四階へ上がる短い使用人用の階段を昇ろうとしたものの、他のメイドたちが大人しくお掃除をしていたので急いで回避。スカートの裾をおさえながらくるりと身を翻して螺旋階段へと戻る。
そして漫画かミュージカルアニメのように、手摺に腰かけ滑り降りてあっという間に一階へ。ポーズを決めることなく長い廊下を玄関に向かって猛ダッシュ。
「こらぁ! それがご主人様に対する返事か! 九条、お前は部下に、どういう躾をしてるんだ」
申し訳ございません、と、九条さんが謝る声がするが、それはあくまでも形式的。
なにせ、ご主人サマこと住良木辰之進《すめらぎたつのしん》も走っている。九条さんが頭を上げたころには、辰之進の姿は三階から消えているだろう。
「坊ちゃま! 悠木さん! 社長と社長令嬢でしょう、お行儀が悪うございますよ!」
「見逃せ、九条!」
「ごめんなさい九条さん、見逃してください」
「またですかっ! 今日3回目ですよ」
彩葉と同じように手摺にひらりと飛び乗ったご主人サマ。立派なイタリア製のスーツなのに大胆不敵なことだ。
「彩葉、止まれ!」
「お断りよ!」
「辰之進さまの命令だぞ、従わないならお前はクビ、いや、株式会社ユウキとの取引は即刻中止だ」
お屋敷の玄関ホールに、住良木辰之進の心地よいテノール……いや、非情な声が響いた。
「くっ……」
それを言われると、辛い。彩葉は、玄関ドアを開けて一歩踏み出したところで、ブレーキをかけた。そして唇を強く、かみしめた。
悔しいけれど、この命令には従わざるを得ない。
なぜって――彩葉の父親が経営している会社は、住良木辰之進のあらゆる援助をうけて会社の立て直しと業務拡大を図っている最中なのだ。今、住良木グループに手を引かれたらおしまいなのだ。
「……お前、本当に会社が大事なんだな」
呆れたような声で、住良木辰之進が近寄ってくる。彩葉は唇を噛んだままその男を見た。眉間に皴が刻まれたのが自分でもわかる。
「……あたしは、この男から逃げられない」
「わかってるじゃないか」
誰が見ても――いや、100人いたら98人はイケメンだというであろう男が、嫌味なくらい完璧な笑みを浮かべて彩葉の前に立っていた。
本来、クラシックなタイプであるなら丈は長いはずだが、なぜかミニである。
しかもこれが、制服ときた。メイド頭を除いた全員が、これを着ている。
当然お坊ちゃまの趣味である。
そして彩華は、その裾を翻して全力で雇われた先のお屋敷の三階廊下を爆走中なのである。
「待て、止まれ!」
雇い主の命令を無視して疾走継続。
「くそっ、なんという足の速さだ……」
当然でしょ、と、彩葉はちょっとだけ誇らしく思う。
元々ちょこまかしていたのだが、小学校の陸上クラブにはじまり、中学高校とずっと陸上部で鍛えてきた。
ジュニアオリンピックやインターハイなどに出場し、さまざまな記録を打ち立ててきたものの、大きな怪我を機会に一度は競技の世界からは遠のいた。
その後は趣味で走り続け、走力を磨いてきたのである。
そのスピードたるや。飾り窓のカーテンがざざざ……と片方に寄った。さすがにメイドとしてそれは見逃せないので、しぶしぶ足を止めて、ぴぴっと直す。
「よしっ」
そして逃走再開。
彩葉とて、これが「雇われメイド」としてありえない行動だという自覚はある。
さらに、壁にかかっている絵画が二、三個落っこちたり花瓶が五つ六つ倒れたりしたような気がするものの、それは直すどころではなかった。なにせ、獣が迫っている。
書斎を掃除しているメイド頭の九条さんが、疾風の如く走る彩葉を見てはたきを振りかざして怒っているのが視界に入る。
「悠木《ゆうき》さん、何をしているのですか!」
「ごめんなさーい!」
止まりなさいここへ来なさいそれを片付けなさい、と喚いているのが口の動きでわかるものの、やっぱりそれどころじゃない。
ごめんなさい、と、片手拝みに通り過ぎ、自慢の俊足をさらに加速させた。
獣が追いかけてくる。ぎゃおう、がおう、と効果音がつきそうな勢いの、肉食獣。爪の先に引っ掛けられそうなほど、距離は縮まっている。足音と荒い呼吸が聞こえるのだからすごく近い。
「こらまて、彩葉! 止まれ。そして返事をしろ」
心の中だけであれこれ返事をする。口を動かす時間と労力が惜しいのだ。今は出来るだけ足を動かしたい。獣から一ミリでも多く離れたい。
「こら、主人の命令だぞ返事くらいしろ、召使い!」
「やだ!」
短く用件のみを伝え、ふかふかの絨毯を蹴立ててピカピカに磨き上げられた手すりを掴む。
四階へ上がる短い使用人用の階段を昇ろうとしたものの、他のメイドたちが大人しくお掃除をしていたので急いで回避。スカートの裾をおさえながらくるりと身を翻して螺旋階段へと戻る。
そして漫画かミュージカルアニメのように、手摺に腰かけ滑り降りてあっという間に一階へ。ポーズを決めることなく長い廊下を玄関に向かって猛ダッシュ。
「こらぁ! それがご主人様に対する返事か! 九条、お前は部下に、どういう躾をしてるんだ」
申し訳ございません、と、九条さんが謝る声がするが、それはあくまでも形式的。
なにせ、ご主人サマこと住良木辰之進《すめらぎたつのしん》も走っている。九条さんが頭を上げたころには、辰之進の姿は三階から消えているだろう。
「坊ちゃま! 悠木さん! 社長と社長令嬢でしょう、お行儀が悪うございますよ!」
「見逃せ、九条!」
「ごめんなさい九条さん、見逃してください」
「またですかっ! 今日3回目ですよ」
彩葉と同じように手摺にひらりと飛び乗ったご主人サマ。立派なイタリア製のスーツなのに大胆不敵なことだ。
「彩葉、止まれ!」
「お断りよ!」
「辰之進さまの命令だぞ、従わないならお前はクビ、いや、株式会社ユウキとの取引は即刻中止だ」
お屋敷の玄関ホールに、住良木辰之進の心地よいテノール……いや、非情な声が響いた。
「くっ……」
それを言われると、辛い。彩葉は、玄関ドアを開けて一歩踏み出したところで、ブレーキをかけた。そして唇を強く、かみしめた。
悔しいけれど、この命令には従わざるを得ない。
なぜって――彩葉の父親が経営している会社は、住良木辰之進のあらゆる援助をうけて会社の立て直しと業務拡大を図っている最中なのだ。今、住良木グループに手を引かれたらおしまいなのだ。
「……お前、本当に会社が大事なんだな」
呆れたような声で、住良木辰之進が近寄ってくる。彩葉は唇を噛んだままその男を見た。眉間に皴が刻まれたのが自分でもわかる。
「……あたしは、この男から逃げられない」
「わかってるじゃないか」
誰が見ても――いや、100人いたら98人はイケメンだというであろう男が、嫌味なくらい完璧な笑みを浮かべて彩葉の前に立っていた。
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