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第8話_気付いてしまった事実
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打ち合わせが終わってから風呂へ直行し、泊まる部屋へ戻った烈は引き戸を静かに開いた。
「蒼矢ー、風呂…」
薄暗い空間に声量を抑えつつ呼びかけるが、静まりかえって反応がない。
「寝ちまったか…」
奥のベッドルームへ歩を進め、就寝灯だけが点いていることを確認し、ベッドへと視線を移すと虚を突かれたように立ち止まった。
「よう」
「…影斗…!? 部屋戻ってたんじゃなかったのかよ…」
寝そべっていた影斗は、思わず声高になる烈へ注意を送る。彼の傍らには、目を閉じて静かに寝入る蒼矢の姿があった。
「…っ……!」
「さっきようやく落ち着いて、寝始めたところだ。起こしてやるなよ」
そう言うと影斗はベッドから離れ、動揺の色を見せたまま硬直する烈とすれ違い、扉へと向かう。
「待っ…」
「心配すんなよ、なんもしてねぇよ」
「! そうじゃなくてっ…、いや、それもあるけどっ…」
あわてた風に言葉をしぼり出す烈の態度に、振り返った影斗はふき出した。
「素直だなぁ、お前。ほんとになんもしてねぇよ。…お前と違って意地っ張りなそいつを慰めてただけだよ」
「…蒼矢は…大丈夫なのか?」
「さーな。何か聞き出したわけじゃねぇから」
そう言うと、影斗は蒼矢へと視線を投げる。
「でもまぁ、無理やりだけど少し吐き出させたから、明日はさっきよりマシになってるんじゃねぇかな」
「影斗…あの」
「――お前も解ってんだろ? あいつが[奴]に、何されたのか」
再び烈へと視線を戻した影斗からは、いつもの飄々としたような表情が消えうせていた。切れ長の奥二重から鋭い視線を投げ、一見無表情に見える面差しからは抑えきれない激情がにじみ、烈に突き刺さる。
「……」
激変したと言ってもいい影斗の面様に、気圧された烈は思わずうつむいてしまい、小さく頷いた。
影斗の言う通り、蒼矢と[異界の者]の間に何があったのか、[異形]から出てきた直後の彼の様子を見れば烈にもなんとなく察しはついていた。おそらく烈たちがむなしく[異形]の外壁を傷つけている間ずっと、自らにふりかかる屈辱にひたすら耐えていたのだろう。
当然、蒼矢がそれを口に出すことはない。だからこそ、心身ともに疲弊している彼をただ黙って見守り続けるしかなかった。単なる想像の範囲にとどまった薄っぺらい言葉をかけたところで心には響かない、傷つく彼を癒すことはできない。…そう思っていた。
「――次で必ずぶっ潰すからな」
「…わかってる」
「じゃ、蒼矢のこと後はよろしくな」
いつに間にか影斗の表情はいつもの調子に戻っていて、烈の肩に軽く手を置くと、入口へ向かっていく。
「まだ貸切時間中だよな? 俺も風呂入ってこよ。おやすみ~」
「あ、あぁ…」
影斗を見送った後、烈はその場でしばらく立ちつくしていた。そしてひとつ息をついてから、再び奥へ向かう。
「……」
ベッド脇にあぐらをかき、こちらを向いて眠る蒼矢の顔を眺める。余程疲れていたのか、影斗との話の最中にも起きることはなく、肌かけ布団を抱きしめるように寝入っている。穏やかな表情の中で睫毛が涙に濡れていて、烈の胸を詰まらせた。
暗く静かな室内に、蒼矢の寝息だけが聞こえてくる。
「…蒼矢、俺…何も出来なかった。ごめんな…」
烈は、眠る彼相手にしか声をかけてあげられない自分を恥じた。
翌日の朝、烈は部屋内にかすかに響く水の音で目を覚ました。
わりとすぐに覚醒し、部屋の入口の方へ耳を澄ます。隣のベッドへ視線を移すと、起き抜けたままの布団の上にタオルが乗っかっていて、それを手に取るとシャワールームへ向かう。
「――蒼矢、開けるぞ」
「あ、烈…、タオル」
「わかってる。ここ掛けとくから」
そう返し、すぐに洗面室から出て行こうとした後方でシャワールームが開く音がし、烈はぎょっとして足を止める。そして、思わず振り返ってしまったことを激しく後悔した。
視界には、半分濡れたままの下着姿の蒼矢が映り込んでいた。
「っ…お前、早いって!!」
「あぁ、…悪い」
蒼矢の薄い詫びを背中に聞きながら、烈はあわてて洗面室から飛び出す。ドア前で立ち止まり、そのまま息を吐きながら床に座り込んだ。
ほんのわずかな1カットが目に入っただけなのに、烈の想像の視界に蒼矢の半裸姿がくっきり残っていた。
「……!」
烈は、自分の中にわきあがる"動揺"を受け止めきれずにいた。
…もう10年以上一緒に育ってきた。上半身裸だって、何度も見てきたはずだった。
ただし、お互い『セイバー』に覚醒してからはまともに見る機会は少なくなっていた。実質、何年か振りに幼馴染の上裸をはっきりと目にしたことになる。
その、自分の覚えている記憶からいつの間にか変貌していた蒼矢の身体に、動揺していた。
そして同時に、その姿を見た途端ざわつき始めた自分の身体にも、動揺していた。
…今の俺は、何かおかしい。
「――烈、そこにいるか?」
「っ!!」
洗面室の中から蒼矢の呼び声が聞こえ、烈は身体を飛び上がらせた。
「っな…何?」
「…昨日のことなんだけど」
その言葉に、狼狽していた烈の表情が素に戻っていく。
「昨日は悪かった。…俺、油断して[奴]に捕まって…なんとかしようと思ったんだけど結局逃げられて、失敗させてしまった。…お前も影斗先輩も何も言わないけど、俺の責任だ」
「!? お前、そりゃ違ぇだろっ…」
ドア越しにぽつぽつと自身を責め始める蒼矢の言い草に、烈は瞬間昂って思わずがなりそうになるが、すぐに我に返り、気持ちを落ち着かせる。
「…違ぇよ、昨日は全員油断してた。影斗も俺も[奴]を舐めてた。陽だって調子乗ってただろ。…責任があるってんなら、俺ら全員だ。」
「…でも…」
「"でも"は無しだ。お前一人が悪いんじゃないんだから、もう謝んな。…そこは譲らねぇからな」
「……わかった」
そのかすかな返答を聞き、烈は拳を硬く握りしめた。
蒼矢はもうとっくに、いつもの蒼矢に戻ってる。
とりあえず一旦忘れるんだ…切り替えなきゃ。
立ち上がり、寝室へ戻りかける後ろで、洗面室の扉が開く。振り返ると、今度はきちんと上下を着ている蒼矢と目が合った。
「蒼矢、俺のこと殴ってくれねぇか?」
「…はぁ?」
仕草にまだ少しぎこちなさを残していた蒼矢だったが、神妙な顔つきでにわかにそうのたまう烈に、思わず素の声が漏れる。目の前で仁王立ちする烈は、一転して不可解そうな表情で見上げてくる蒼矢へ向けて顔を突き出した。
「思いっきりやっちゃっていいから。…来い!!」
「…嫌だよ。俺の手が痛いだろ」
「! …そっか…、…そうだよな…」
「蒼矢ー、風呂…」
薄暗い空間に声量を抑えつつ呼びかけるが、静まりかえって反応がない。
「寝ちまったか…」
奥のベッドルームへ歩を進め、就寝灯だけが点いていることを確認し、ベッドへと視線を移すと虚を突かれたように立ち止まった。
「よう」
「…影斗…!? 部屋戻ってたんじゃなかったのかよ…」
寝そべっていた影斗は、思わず声高になる烈へ注意を送る。彼の傍らには、目を閉じて静かに寝入る蒼矢の姿があった。
「…っ……!」
「さっきようやく落ち着いて、寝始めたところだ。起こしてやるなよ」
そう言うと影斗はベッドから離れ、動揺の色を見せたまま硬直する烈とすれ違い、扉へと向かう。
「待っ…」
「心配すんなよ、なんもしてねぇよ」
「! そうじゃなくてっ…、いや、それもあるけどっ…」
あわてた風に言葉をしぼり出す烈の態度に、振り返った影斗はふき出した。
「素直だなぁ、お前。ほんとになんもしてねぇよ。…お前と違って意地っ張りなそいつを慰めてただけだよ」
「…蒼矢は…大丈夫なのか?」
「さーな。何か聞き出したわけじゃねぇから」
そう言うと、影斗は蒼矢へと視線を投げる。
「でもまぁ、無理やりだけど少し吐き出させたから、明日はさっきよりマシになってるんじゃねぇかな」
「影斗…あの」
「――お前も解ってんだろ? あいつが[奴]に、何されたのか」
再び烈へと視線を戻した影斗からは、いつもの飄々としたような表情が消えうせていた。切れ長の奥二重から鋭い視線を投げ、一見無表情に見える面差しからは抑えきれない激情がにじみ、烈に突き刺さる。
「……」
激変したと言ってもいい影斗の面様に、気圧された烈は思わずうつむいてしまい、小さく頷いた。
影斗の言う通り、蒼矢と[異界の者]の間に何があったのか、[異形]から出てきた直後の彼の様子を見れば烈にもなんとなく察しはついていた。おそらく烈たちがむなしく[異形]の外壁を傷つけている間ずっと、自らにふりかかる屈辱にひたすら耐えていたのだろう。
当然、蒼矢がそれを口に出すことはない。だからこそ、心身ともに疲弊している彼をただ黙って見守り続けるしかなかった。単なる想像の範囲にとどまった薄っぺらい言葉をかけたところで心には響かない、傷つく彼を癒すことはできない。…そう思っていた。
「――次で必ずぶっ潰すからな」
「…わかってる」
「じゃ、蒼矢のこと後はよろしくな」
いつに間にか影斗の表情はいつもの調子に戻っていて、烈の肩に軽く手を置くと、入口へ向かっていく。
「まだ貸切時間中だよな? 俺も風呂入ってこよ。おやすみ~」
「あ、あぁ…」
影斗を見送った後、烈はその場でしばらく立ちつくしていた。そしてひとつ息をついてから、再び奥へ向かう。
「……」
ベッド脇にあぐらをかき、こちらを向いて眠る蒼矢の顔を眺める。余程疲れていたのか、影斗との話の最中にも起きることはなく、肌かけ布団を抱きしめるように寝入っている。穏やかな表情の中で睫毛が涙に濡れていて、烈の胸を詰まらせた。
暗く静かな室内に、蒼矢の寝息だけが聞こえてくる。
「…蒼矢、俺…何も出来なかった。ごめんな…」
烈は、眠る彼相手にしか声をかけてあげられない自分を恥じた。
翌日の朝、烈は部屋内にかすかに響く水の音で目を覚ました。
わりとすぐに覚醒し、部屋の入口の方へ耳を澄ます。隣のベッドへ視線を移すと、起き抜けたままの布団の上にタオルが乗っかっていて、それを手に取るとシャワールームへ向かう。
「――蒼矢、開けるぞ」
「あ、烈…、タオル」
「わかってる。ここ掛けとくから」
そう返し、すぐに洗面室から出て行こうとした後方でシャワールームが開く音がし、烈はぎょっとして足を止める。そして、思わず振り返ってしまったことを激しく後悔した。
視界には、半分濡れたままの下着姿の蒼矢が映り込んでいた。
「っ…お前、早いって!!」
「あぁ、…悪い」
蒼矢の薄い詫びを背中に聞きながら、烈はあわてて洗面室から飛び出す。ドア前で立ち止まり、そのまま息を吐きながら床に座り込んだ。
ほんのわずかな1カットが目に入っただけなのに、烈の想像の視界に蒼矢の半裸姿がくっきり残っていた。
「……!」
烈は、自分の中にわきあがる"動揺"を受け止めきれずにいた。
…もう10年以上一緒に育ってきた。上半身裸だって、何度も見てきたはずだった。
ただし、お互い『セイバー』に覚醒してからはまともに見る機会は少なくなっていた。実質、何年か振りに幼馴染の上裸をはっきりと目にしたことになる。
その、自分の覚えている記憶からいつの間にか変貌していた蒼矢の身体に、動揺していた。
そして同時に、その姿を見た途端ざわつき始めた自分の身体にも、動揺していた。
…今の俺は、何かおかしい。
「――烈、そこにいるか?」
「っ!!」
洗面室の中から蒼矢の呼び声が聞こえ、烈は身体を飛び上がらせた。
「っな…何?」
「…昨日のことなんだけど」
その言葉に、狼狽していた烈の表情が素に戻っていく。
「昨日は悪かった。…俺、油断して[奴]に捕まって…なんとかしようと思ったんだけど結局逃げられて、失敗させてしまった。…お前も影斗先輩も何も言わないけど、俺の責任だ」
「!? お前、そりゃ違ぇだろっ…」
ドア越しにぽつぽつと自身を責め始める蒼矢の言い草に、烈は瞬間昂って思わずがなりそうになるが、すぐに我に返り、気持ちを落ち着かせる。
「…違ぇよ、昨日は全員油断してた。影斗も俺も[奴]を舐めてた。陽だって調子乗ってただろ。…責任があるってんなら、俺ら全員だ。」
「…でも…」
「"でも"は無しだ。お前一人が悪いんじゃないんだから、もう謝んな。…そこは譲らねぇからな」
「……わかった」
そのかすかな返答を聞き、烈は拳を硬く握りしめた。
蒼矢はもうとっくに、いつもの蒼矢に戻ってる。
とりあえず一旦忘れるんだ…切り替えなきゃ。
立ち上がり、寝室へ戻りかける後ろで、洗面室の扉が開く。振り返ると、今度はきちんと上下を着ている蒼矢と目が合った。
「蒼矢、俺のこと殴ってくれねぇか?」
「…はぁ?」
仕草にまだ少しぎこちなさを残していた蒼矢だったが、神妙な顔つきでにわかにそうのたまう烈に、思わず素の声が漏れる。目の前で仁王立ちする烈は、一転して不可解そうな表情で見上げてくる蒼矢へ向けて顔を突き出した。
「思いっきりやっちゃっていいから。…来い!!」
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