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第1話_初夏、小社にて
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長い梅雨が明け、一気に夏が訪れる。
シャツ越しにも届く、皮膚を焼くような日差しと、ジリジリと地面を焦がす熱射。
近年尋常じゃないくらい気温が上がるようになったもんだ、と溜め息をつきつつ、痩身の男は自宅最寄りの駅を降りると、郊外へと離れていく。
十数分ほど歩いて着いたこぢんまりとした神社の鳥居前で一旦足を止め、こんもりと生い茂るケヤキの木々で出来た日陰に心地よさを感じ、一息つくと敷地内の住居へ歩き出した。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
玄関の呼び鈴を鳴らすと、長髪に和装の男が柔らかな笑顔で出迎えた。
「今日はあまり生徒さんいなくてね。僕も今手が離せないから、自主練しててくれる? 後から行くから」
「はい」
そう促され、神社を訪れた男――髙城 蒼矢は軽く会釈すると、玄関を離れて住居の側面を通り、奥に建てられた小さな武道場へ向かう。
引き戸を開けると、畳張りの道場の井草の匂いが鼻に届く。清掃が行き届いていていつ来ても心地良いのは、生徒たちが自主的に清掃して帰るためだ。
蒼矢を出迎えた、神社の宮司で家主の楠瀬 葉月は古流武術をたしなんでいて、親から宮司を継ぐと同時にこの武道場を建てた。主に自分の日々の鍛錬のためだったが、思いつきで生徒を募集してみたらちらほらと人が集まり、細々とだがアットホームな空気感で続いている。一応古流武術を習えるという名目だが、空手と柔道も段持ちである葉月は型にとらわれず武術をやりたい者なら誰でも受け入れ、ぶっちゃけ適当にやっていいし教えて欲しいなら付き合うよ、という非常に自由なスタンスで場を提供している。
蒼矢も門下生の一人で、通い始めて四年ほどになる。基本的に学業優先でやらせてもらっているため、鍛錬を積むというよりは気分転換を兼ねた身体づくり程度になってしまっているが、初期から葉月には色々な面で支えられてきていて、親以外で頭が上がらない存在のひとりだ。
更衣室隣の個室トイレで道着に着替え、道場にあがると親子連れが数組いて、向かい合ってストレッチしたり子ども同士でじゃれ合っていたりと、指導者のいない空間でフリーダムに動き回っていた。
蒼矢も隅っこに陣取らせてもらい、静かにストレッチを始める。
幼少の頃はわりとすぐに熱が上がったり、気管支がやや弱いせいで普段から体調を崩しがちだったが、通い始めてから徐々にそういう不安定さもなくなって、健康的に毎日を過ごせるようになっている。
「お待たせ~」
しばらく自主練していると、道着に着替えた葉月がゆるい感じで入場し、先客の親子連れたちも交えて揃っての指導が始まる。やがて導入が終わると親は親同士、子は子同士で組み手してもらい、葉月は彼らを指導しつつ蒼矢と組み手を始めた。
色々理由があって、蒼矢は通い始めた時から葉月直々に組んでもらうことが多かった。理由の最たるは、同じ年頃からその上の年齢層あたりまでの男生徒たちが彼と組みたがらないというものだった。困った葉月が何人かに直接頼んだこともあったが、口を揃えて「気が散って出来ない」と断られてしまった。
理由は蒼矢のその容姿にあった。二十歳を前にした今でこそ間違えられることはほぼなくなったが、通い始めた当時高校一年生の蒼矢は、喋りださなければ女子にしか見えないほど可愛らしく、その美麗な容貌と小柄で白く華奢な手足に、男たちが意識し過ぎてしまうのだ。また、とある理由で男性が道着の下にあまり身に着けることのないインナーを着込んでいることが、更に余計な邪念を生ませてしまっていた。一度意を決して受け身役を買って出た漢気ある大学生が、蒼矢の胸元から視線を外すことができず、シャワー室へ駆けこんでそのまま滝行を始めてしまうという騒動が起きたこともあった。
かといって女生徒たちと組ませるという訳にもいかないため、蒼矢へは葉月が相手をする流れになった。他生徒たちへの指導の合間を縫ってになるため、どうしても基礎トレーニングや自主練だけになりがちだったが、そういった自分にまつわる裏事情を知らなくても蒼矢は素直に従い、身体づくりに励んでいった。彼としても、指導者であると同時に気心も知れている葉月に付いてもらった方が安全かつリラックスして取り組めるので、結果誰も犠牲にならない措置であったと言えるだろう。
「今日はこれくらいにしましょう」
葉月が参加者たちを集めて締めの挨拶をすると、解放されたように子どもたちが歓声をあげながら隣接するシャワー室へと走っていく。そのまま直帰する者もいるが、夏場になると大体の生徒はそこで汗を洗い流してから帰宅していく。葉月の方へすまなそうに会釈しながら子どもたちの後を追う保護者たちを見送り、葉月と蒼矢は道場内の整頓をし、頃合いを見計らってからシャワー室へ向かう。
「急に暑くなったから、堪えるねー。僕汗びっちょだよ。…蒼矢はあまり汗かかなそうでいいなぁ」
「いや、かきますよ…この時期はシャツ凄いんですよ」
「あぁ…、君は難儀だよね。"刻印の位置"が見えやすいから」
誰もいなくなったシャワー室へ入ると、二人は銘々に道着を脱いで裸体を晒していく。
蒼矢がシャツを脱ぐと、彼が胸元を晒せない理由《・・》があらわになる。
左胸やや上の、握り拳大の水滴の意匠。白い肌に浮かぶ濃い青の文様が、鮮やかなコントラストを描いている。
そしてそれと同じようなものが、葉月の背中、両肩甲骨中央あたりにもあった。風をモチーフにしたような深緑の文様は、緩くまとめたお団子が解かれると、背中に落ちた長髪に隠れる。
一見すると刺青かボディペイントにしか見えないが、断じてそれらではない。『刻印』と呼ばれるそれは、彼らの意思とは無関係に"あるきっかけ"をもって自然に浮かびあがって出来たものだ。
「…案外重大なネックだよね、これ」
「そうですね…誤解を生むというか、言い訳できないですからね」
「高校ではどうしてたの? 着替えとか。あ、プールの時は?」
「幸い水泳の授業はありませんでした。着替えは…トイレとかで。烈は絆創膏並べて貼ってたみたいですよ」
「あはは、いつも同じとこ怪我してるんだ! かぶれそう」
「葉月さんはどうしてたんですか?」
「常に壁を後ろにしつつ着替えてたかな。水着は指定なかったから、ウェットスーツにしてたよ。なんだか泳げそうな印象持たれちゃってたなぁ…実際はカナヅチなのにね」
それぞれの個室シャワールーム越しに、『彼ら』特有の暴露大会が繰り広げられていた。
シャツ越しにも届く、皮膚を焼くような日差しと、ジリジリと地面を焦がす熱射。
近年尋常じゃないくらい気温が上がるようになったもんだ、と溜め息をつきつつ、痩身の男は自宅最寄りの駅を降りると、郊外へと離れていく。
十数分ほど歩いて着いたこぢんまりとした神社の鳥居前で一旦足を止め、こんもりと生い茂るケヤキの木々で出来た日陰に心地よさを感じ、一息つくと敷地内の住居へ歩き出した。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
玄関の呼び鈴を鳴らすと、長髪に和装の男が柔らかな笑顔で出迎えた。
「今日はあまり生徒さんいなくてね。僕も今手が離せないから、自主練しててくれる? 後から行くから」
「はい」
そう促され、神社を訪れた男――髙城 蒼矢は軽く会釈すると、玄関を離れて住居の側面を通り、奥に建てられた小さな武道場へ向かう。
引き戸を開けると、畳張りの道場の井草の匂いが鼻に届く。清掃が行き届いていていつ来ても心地良いのは、生徒たちが自主的に清掃して帰るためだ。
蒼矢を出迎えた、神社の宮司で家主の楠瀬 葉月は古流武術をたしなんでいて、親から宮司を継ぐと同時にこの武道場を建てた。主に自分の日々の鍛錬のためだったが、思いつきで生徒を募集してみたらちらほらと人が集まり、細々とだがアットホームな空気感で続いている。一応古流武術を習えるという名目だが、空手と柔道も段持ちである葉月は型にとらわれず武術をやりたい者なら誰でも受け入れ、ぶっちゃけ適当にやっていいし教えて欲しいなら付き合うよ、という非常に自由なスタンスで場を提供している。
蒼矢も門下生の一人で、通い始めて四年ほどになる。基本的に学業優先でやらせてもらっているため、鍛錬を積むというよりは気分転換を兼ねた身体づくり程度になってしまっているが、初期から葉月には色々な面で支えられてきていて、親以外で頭が上がらない存在のひとりだ。
更衣室隣の個室トイレで道着に着替え、道場にあがると親子連れが数組いて、向かい合ってストレッチしたり子ども同士でじゃれ合っていたりと、指導者のいない空間でフリーダムに動き回っていた。
蒼矢も隅っこに陣取らせてもらい、静かにストレッチを始める。
幼少の頃はわりとすぐに熱が上がったり、気管支がやや弱いせいで普段から体調を崩しがちだったが、通い始めてから徐々にそういう不安定さもなくなって、健康的に毎日を過ごせるようになっている。
「お待たせ~」
しばらく自主練していると、道着に着替えた葉月がゆるい感じで入場し、先客の親子連れたちも交えて揃っての指導が始まる。やがて導入が終わると親は親同士、子は子同士で組み手してもらい、葉月は彼らを指導しつつ蒼矢と組み手を始めた。
色々理由があって、蒼矢は通い始めた時から葉月直々に組んでもらうことが多かった。理由の最たるは、同じ年頃からその上の年齢層あたりまでの男生徒たちが彼と組みたがらないというものだった。困った葉月が何人かに直接頼んだこともあったが、口を揃えて「気が散って出来ない」と断られてしまった。
理由は蒼矢のその容姿にあった。二十歳を前にした今でこそ間違えられることはほぼなくなったが、通い始めた当時高校一年生の蒼矢は、喋りださなければ女子にしか見えないほど可愛らしく、その美麗な容貌と小柄で白く華奢な手足に、男たちが意識し過ぎてしまうのだ。また、とある理由で男性が道着の下にあまり身に着けることのないインナーを着込んでいることが、更に余計な邪念を生ませてしまっていた。一度意を決して受け身役を買って出た漢気ある大学生が、蒼矢の胸元から視線を外すことができず、シャワー室へ駆けこんでそのまま滝行を始めてしまうという騒動が起きたこともあった。
かといって女生徒たちと組ませるという訳にもいかないため、蒼矢へは葉月が相手をする流れになった。他生徒たちへの指導の合間を縫ってになるため、どうしても基礎トレーニングや自主練だけになりがちだったが、そういった自分にまつわる裏事情を知らなくても蒼矢は素直に従い、身体づくりに励んでいった。彼としても、指導者であると同時に気心も知れている葉月に付いてもらった方が安全かつリラックスして取り組めるので、結果誰も犠牲にならない措置であったと言えるだろう。
「今日はこれくらいにしましょう」
葉月が参加者たちを集めて締めの挨拶をすると、解放されたように子どもたちが歓声をあげながら隣接するシャワー室へと走っていく。そのまま直帰する者もいるが、夏場になると大体の生徒はそこで汗を洗い流してから帰宅していく。葉月の方へすまなそうに会釈しながら子どもたちの後を追う保護者たちを見送り、葉月と蒼矢は道場内の整頓をし、頃合いを見計らってからシャワー室へ向かう。
「急に暑くなったから、堪えるねー。僕汗びっちょだよ。…蒼矢はあまり汗かかなそうでいいなぁ」
「いや、かきますよ…この時期はシャツ凄いんですよ」
「あぁ…、君は難儀だよね。"刻印の位置"が見えやすいから」
誰もいなくなったシャワー室へ入ると、二人は銘々に道着を脱いで裸体を晒していく。
蒼矢がシャツを脱ぐと、彼が胸元を晒せない理由《・・》があらわになる。
左胸やや上の、握り拳大の水滴の意匠。白い肌に浮かぶ濃い青の文様が、鮮やかなコントラストを描いている。
そしてそれと同じようなものが、葉月の背中、両肩甲骨中央あたりにもあった。風をモチーフにしたような深緑の文様は、緩くまとめたお団子が解かれると、背中に落ちた長髪に隠れる。
一見すると刺青かボディペイントにしか見えないが、断じてそれらではない。『刻印』と呼ばれるそれは、彼らの意思とは無関係に"あるきっかけ"をもって自然に浮かびあがって出来たものだ。
「…案外重大なネックだよね、これ」
「そうですね…誤解を生むというか、言い訳できないですからね」
「高校ではどうしてたの? 着替えとか。あ、プールの時は?」
「幸い水泳の授業はありませんでした。着替えは…トイレとかで。烈は絆創膏並べて貼ってたみたいですよ」
「あはは、いつも同じとこ怪我してるんだ! かぶれそう」
「葉月さんはどうしてたんですか?」
「常に壁を後ろにしつつ着替えてたかな。水着は指定なかったから、ウェットスーツにしてたよ。なんだか泳げそうな印象持たれちゃってたなぁ…実際はカナヅチなのにね」
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