異世界BAR

澤檸檬

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初出勤

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「そうですね。ダイキリは元々、十九世紀末にアメリカ人鉱山技師が炎天下で喉を潤すために飲んでいたお酒です。とても爽やかで飲みやすい。しかし、ごくごく飲むのはお勧めしませんね」
「え、どうしてですか?」
「ダイキリのアルコール度数は20%ほどです。一般的に飲まれているビールなどと比べても強いお酒ですからね」
「そうなんですね・・・・・・でも、とても美味しくて元気が出ます」

 そう言って楓はもう一口ダイキリを飲んだ。
 体にダイキリが染み込んでいく度に、心の奥から前向きな感情が溢れてくるように感じる。
 気付くと笑顔になってしまっていた楓。
 それはアルコールの効果だろうか。
 男性は更に言葉を続ける。

「元気が出るのはダイキリがそう言うカクテルだからですよ」
「そうなんですか?」
「カクテルには花言葉のようにカクテル言葉というものがあります。ダイキリのカクテル言葉は希望。辛く厳しい労働に耐えながら、未来への希望を絶やさなかった鉱山技師たちの想いが込められたカクテルです。現代では考えられないほど劣悪な労働環境もあったでしょう。危険もあったと思います。しかし、鉱山技師たちはこのダイキリを飲み、今日を生き抜いた。そして明日を望んだ」
「希望・・・・・・」
「そうです。そんな希望を飲み干し、より良い明日を目指して行きませんか?」

 男性はそう言って楓に微笑みかける。
 そんな言葉をかけられたことのない楓は涙が溢れそうになったが、なんとか堪えた。
 
「あり、がとう・・・・・・ございます」
「お節介が過ぎましたかな」
「いえ、本当に助かりました」

 楓はそう言って頭を下げる。
 そして楓は、これだ、と心の中で決意した。

「あのっ、お願いがありましてっ」

 
 ここまでが一ヶ月前の話だ。
 そして何故現在、楓が走っているのか。

「遅刻しちゃうっ!」

 彼女が話した通り、遅刻しそうなのである。
 < BAR パラレルワールド>でのカクテルに感動した楓は、この店で働きたいと願う。
 最初は困っていた店主の男性だったが、楓が本気で望んでいると判断し、雇い入れることにした。
 そして、今日が初出勤の日だったのだが、電車が事故で遅延し出勤時間ギリギリになってしまっている。
 時刻は十六時五十分。出勤時刻は十七時で開店時間は十七時半。
 なんとか< BAR パラレルワールド>までたどり着いた楓は勢いよく扉を開いた。

「すみません!遅くなりました!」

 そう言いながら楓が店の中に入ると、男性は人差し指を立てて静かにするように、とジェスチャーで伝える。

「あ、すみません」
「BARはこの静けさも商品です。楓さんの明るさはとても魅力的ですが、この空気に合わせてくださいね?」
「気をつけます、オーナー」

 楓がそう言うと男性は笑った。

「従業員は私と楓さんしかいないのですから、神谷と呼んでください」
「わかりました。神谷さん」
「はい。では、こちらに着替えてきてください。サイズが違うようでしたら裏に予備があります」
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