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奇襲前夜4

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 包囲されていると言えば聞こえはいいが、敵の数は30万以上。それに対してこちらの戦力は、非戦闘員を取り込んでも2万程度しかいない……これはもう事実上、一方的な虐殺に近い。

 地図を一目見て、最早打つ手はないと分かるこの絶望的な状況で、メルディウスには打開策があるようには思えない。
  
 マスターは鉄製の指示棒を取り出すと、その先を伸ばしてテーブルに広げた地図を指す。

「この街の出口は東西南北の4箇所。そしてライラの報告によると、この包囲網の中で最も弱い場所は南の様だ。しかし、あからさま過ぎる――これを罠だと捉え。ここはあえて、最も防備が厚い場所を一点突破する。実行は明日の夜、月が真上に上がった頃に行う」
「師匠。それは敵に先制攻撃を掛ける……という事ですか?」

 不安そうな表情を見せるカレンの頭に手を置き、優しく微笑み掛ける。

 その表情はまるで、我が子を愛でる親のようでもあった。すると、今度はメルディウスが口に手を当てて考える素振りをしたまま尋ねてくる。

「だが、奇襲を掛けるにしたってリスクが大きくねぇーか?」

 彼が言うのも最もな意見だ。本来ならば、少しでもリスクを避けるのが得策である。

 何と言ってもこのゲーム世界で死ねば、現実の世界でも死ぬという疑惑は未だになくなったわけではないのだから。しかし、その彼の意見を聞いてもマスターの意志は変わらない。

「いや、元より真正面から当たって勝てる見込みなどない。ならば、籠城して完全に退路を失うより打って出て、敵の虚を突く方が勝機はある。敵の包囲も広範囲をカバーせねばならん。その為、今なら必然的に一箇所にいるモンスターの密度も薄くなる。また今のうちならば敵の概要が分からず、皆の士気も高い。しかし、絶望的な状況になればなるほど士気が落ち、正気を保てなくなる者が多く出てくるだろう。それに、相手がルール通り動いてくれるかも分からん。今まで全て先手を打たれてきたからな――今度はこっちが先手を打ち。奴の度肝を抜いてやるぞ!」
「おう! モンスター共を俺のベルセルクの錆びにしてやるぜ!」

 互いに腕をかち合わせ、ニヤッと不敵な笑みを浮かべる。
 拳を打ち付け合っている2人を見て、壁に凭れ掛かっていたバロンも満更ではない様子で口元に微かな笑みを浮かべた。

 しかし、彼等以外はそれほど乗り気とは思えない複雑な表情を見せていた。
 当然だ――30万対2万では、本来戦いになるはずがない。常識的に捉えれば、彼等の奇襲作戦は事実上の特攻戦術と言っても違いはない。

 勇敢ではあるが、そこに皆、勝機が見い出せないでいるのだ。頼みの綱は、マスターの始めに言った敵の無力化作戦しかないだろう――この街に居る者達の命運は、小学生である星の肩に掛かっていると言っても良かった……。

               * * *

 そんなことが部屋で話し合われていることなど露知らず。

 エミルに手を引かれ星が脱衣所までいくと、エミルは険しい表情で終始無言のまま着ている服を脱ぎ始める。
 普段とは明らかに違うエミルの様子を敏感に感じ取ったのか、あえてなにも喋ることもなく星も服を脱ぐ。

 着替えている間に何度かエミルの顔を見ようとしたのだが、星が見る度エミルはあからさまに目を逸らす。
 広い空間の中。シーンと静まり返った脱衣場で、星はエミルに目を逸らされる度、今まで仲良くしてきたことが嘘の様に思えて辛かった……。

 服を全て脱いで一糸纏わぬ姿になると、一足早く着替え終えていたエミルがそっと手を差し出す。やっと目を合わせてくれたエミルの瞳は、どこか悲しそうに見えた。

 浴室に入ると洗い場でいつもの様に星の体をエミルが洗ってくれる。だが、素手で洗われるのはどうしてもくすぐったくて慣れない。

 湯気で視界が霞む中で背中、腕、足と洗っていたエミルの手が突如止まり、後ろから抱きつくように星の小さな体を抱く。
 ゆっくりと肩に回された細い腕は、微かに震えていていつもと変わらないはずの体温も心なしか冷たく感じる。

「……エミルさん?」

 星がエミルの方へと振り向こうとした時、その耳元でエミルがささやくように尋ねる。

「――星ちゃん。もしも……もしもよ? もし、あなたにしかできない事があって、でも自分は死んじゃうかもしれなくて――それでも、多くの人を助けられるとしたら……あなたは……どうする?」

 その声は微かに震えていて、その声を聞いた星はエミルの方を振り向くのを止め、前を向き直すとゆっくりと瞼を閉じて考える。

 そして数秒考えた後に、徐に口を開き聞き返す。

「――それにエミルさん達も含めますか?」 
「……ええ、そうね……」

 小さく弱々しい声で返した彼女の言葉に、星は微笑みを浮かべると、ゆっくりと天井を見上げた。
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