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名御屋までの道中7
しおりを挟むマスターは眉をひそめながらも「この状況だ。仕方なかろう」と大きなため息をつき、紅蓮の耳元でささやく。
「――紅蓮よ。月明かりに照らされたお主は、まるでかぐや姫の様に美しいな……」
「……美しい」
マスターのその言葉に、紅蓮はぴたりと動きを止めると、顔を真っ赤に染めながらへなへなとその場に座り込んで、今までのことが嘘の様に大人しくなる。
この事件で分かったのは、紅蓮はメルディウスだけではなく。誰であっても『かわいい』という言葉に過度な反応を示すということだ。そして『美しい』という言葉に弱いらしい……。
「マスター。そんな、私がかぐや姫のように美しいだなんて……そんな、私はそんな素晴らしい女性じゃ――」
紅蓮は体をくねらせながら、独り言を口にしている。
それを見ながら、その場に居た全員が心の中で思っていた『繊細なのか大雑把なのかどっちなんだろう』と……。
メルディウスは地面に置いていた水のたっぷり入った樽を再び肩に担ぐと「紅蓮の事は任せる」と言い残してテントの中に入っていった。その後にマスターも続いていく。
2人がテントに入って1時間が経過した――。
一時的に取り乱していた紅蓮も落ち着いたらしく。少女の顔を直視することができずに、ずっと地面を見つめていた。
それは少女の方も同じようだ――しかし、こちらは怯えているのか、体が小刻みに震えている。
それもそうだろう。未遂に終わったとはいえ、紅蓮に殺されかけたのだから、彼女が怯えるのも無理はない。
無論。ゲームのシステム上は対人戦では、装備した武器で対戦相手のHPを『0』にするのは不可能。
だが、初心者の彼女にそれが分かるはずもなく。おそらく、本気で殺されると感じたのだろう。
白雪と小虎も2人の気まずい雰囲気にどうしたらいいのか分からず、黙りを決め込んでいた。
こんな時にギルドメンバーをまとめるのがギルドマスターの仕事なのだが、肝心のギルドマスターは、一般的な物より一回り大きなテントにマスターと篭ったまま出てくる気配すらない。
そんな時、テントの中からメルディウスが満面の笑みで出てくるなり、大きな声で叫んだ。
「よーし。準備ができたぞ! そんじゃー。女性陣から先に入ってくれや!」
「……あの。急に入れと言われても、何があるか私達は聞いていませんよ? メルディウス」
不安そうな表情でそう告げた紅蓮に、メルディウスは入ってみれば分かると言わんばかりに、彼女の背中を押してテントの中へと誘導する。
テントの中へ入った紅蓮は、きょとんとしながらテント内を見渡している。
そこには檜でできた浴槽から湯気が立ち上っていて、その後ろには富士山の絵が書いてあり。周りを布に囲まれているテントの中にしては、なかなかの銭湯感を醸し出している。
彼等が樽を担いでわざわざ川まで水を汲みに行っていたのには、こういう裏があったのだ――。
紅蓮は一歩一歩踏み出して浴槽の方へと近付くと、檜の浴槽の中になみなみと注がれたお湯の中にゆっくりと手を入れた。
「……ちゃんと暖かいですね」
その発言からして、彼女が最初は疑っていたことが分かる。
まあ、彼女がそう思うのも無理はない。森の中から持ってきた水がお湯に変わるわけがないし、第一にこの檜の浴槽も疑わしく思えて仕方ない――。
「――この浴槽はどこで手に入れてきたのでしょう?」
紅蓮はその檜の浴槽について入り口に立っていたメルディウスに尋ねると、彼は恥ずかしそうに口を開く。
「い、いや。それはだな……」
メルディウスは恥ずかしそうに鼻の先を掻いていると、彼に代わって紅蓮の言葉にマスターが答える。
「その風呂は儂が天王戦の第1回大会の時に貰った物なのだ! 何でも欲しい物をくれると言うのでな。修行の為に狩場に居ることの多い儂がそれを注文したのだが、沸かすのに多くの水を必要でな。なかなか活用できなかったのだ」
それを聞いて紅蓮が「なるほど」と呟いてため息を吐く。
「つまり、メルディウスはマスターの案に『乗っただけ』ということですか? 小虎が執拗に隠すので何かと思ったら……。まあ、そんな事だろうと思いましたけど」
「なっ! ちがうぞ! じじいがアイテムボックス内を見て、風呂に入れればいいなって言ってたからよー。だから、俺が計画してだな――」
瞳を閉じたメルディウスが腕組しながら、経緯を説明しているその横で紅蓮が。
「ありがとうございます。マスター」
っと、マスターに向かってぺこりと頭を下げている。
「――って聞けよッ!!」
メルディウスはそんな紅蓮に向かって叫ぶと、紅蓮はそれを無視してテントを出た。
それを見てメルディウスは落ち込んだ様子で地面に手を付いた。
「くそ~、どうして俺ばかりこんな役回りなんだ……」
「……どんまいだよ。兄貴」
どこからともなく現れた小虎が、ぽんっとメルディウスの肩に手を乗せて慰める。
テントから表に出た紅蓮は、外で待っていた白雪と少女に声を掛けた。
「――2人共、マスターがお風呂を用意してくれました。せっかくのご行為に甘えさせてもらいましょう」
「お風呂ですか!? 私、お風呂大好きなんですよねぇ~」
少女はそう口にして、ぎこちなく笑みを浮かべている。
「紅蓮様とお風呂……是非、お伴させて下さい! 紅蓮様のお背中、お流しします!!」
それを聞いた白雪は、一瞬顔を真っ赤に染めたが、すぐに首を横に振って背筋を正した。
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