上 下
74 / 561

理想と現実

しおりを挟む
 その夜。星は不思議な夢を見た――。

 辺りを見渡すと、そこは見慣れないマンションの一室でそこにぼんやりと立っていた。

「あれ? ここは……どこ?」

 生活感はあるが、そこには星以外の人間は誰もおらず。大きな窓からは陽の光が差し込み、隅々まで綺麗に掃除されたその部屋には、白で統一された置物が並んでいてとても清潔感があった。

 間取りは4LDKで、外から見える景色を見る限りはここが高層マンションの上階であることが分かる。
 どこか懐かしい感覚を覚えながら、星はその部屋の中をゆっくりと歩いていた。

 その時、星の目に衝撃的な光景が飛び込んできた。

「な、なに? これ……」

 星はそう呟くと、部屋のすみっこに置かれた木製の戸棚の中の写真を見つける。
 その中には紛れもない星の母親と見知らぬ男性、そして知らない女の子が笑顔で写っている。

 写真を見た時、星の頭の中が不安でいっぱいになった。
 自分は今、VRMMO【フリーダム】の中にいるはずなのだが、それなのにこんな所に居るはずがないのだ――。

 心の中では自分に言い聞かせるのだが、見たこともない場所を夢で見るはずがない。

 星は自分が見ているものが信じられず、困惑した表情を見せる。

(うそだ……きっと、お母さんにすごく似た人の家に来ちゃったんだ……)

 星はそう心の中で繰り返し、自分の服を見た。

 寝る前と同じ服を着ていることを確認し、気持ちを落ちつかせるように数回大きく深呼吸をする。
 条件反射でした星のその行動は、人前で星が泣きそうになった時にいつも取る行動だった。

 こうすると不思議と落ちついて、吹き出しそうになる涙を堪えられることができたのだ。
 しかし、ゲームの中ではどんなに落ち着けようとしても何故か涙が溢れてしまうのだが……。

 溢れる涙を拭き取り、着ていた服をもう一度じっと見つめて。

(うん、大丈夫。エミルさんに貰った服だもん……まだ帰ってきてない。でも、ならここは……どこ?)

 星は冷静に再び辺りを見渡す。

 その時、ガチャン!っと玄関の鍵が開く音が聞こえた。

 突然のことでどうしたら良いか分からず、星があたふたしているとドアが開く。
 開いたドアから入ってきたは写真の女の子と、星の母親らしき女性が笑いながら楽しそうに会話をしている。

 しかも、母親らしき女性のお腹は大きく出ていた。そのことから、その女性が妊娠していることが窺い知れた。

「お母さん。足元気を付けてね!」
「ええ、ありがとう。優しいわね。月はきっと良いお姉さんになるわ」

 女性はそう言って、その子の頭を優しく撫でる。すると、女の子は嬉しそうに笑い。母親もそんな我が子に微笑み返す。

 そこには、ごく普通の親子の微笑ましい姿が広がっていた。

 だが、その姿を見た星の胸を締めつける。
 もう長い間、母親に優しいく微笑みかけられることも、笑顔で頭を撫でられたことも星には思い出せない。

 それどころか、母親の笑った顔もよく思い出せないほどだ……。

「お母さん……あんなに嬉しそうに……わ、私は……お母さんを困らせてばかりで……ごめんなさい」

 そう小さな声で謝ると、星の瞳から抑えようとしていた涙が、止めどなく溢れ出てきた。
 いつも遅くまで仕事をして疲れきって帰ってくる母親に、自分は何ひとつしてあげられないと、星はいつも気にしていた。

 だから、自分にできることは何でもやった。洗濯や洗い物。買い物など、できる範囲でやれるだけのことをした――だが、あの少女はただ扉を開けただけで、あんなにも褒められている。
 それを見て、ふと心の中に疑問が生まれた『自分はあんなに嬉しそうなお母さんに、褒められたことがあるのだろうか……』と――。

 今思い返してみても、星の記憶の中の母親はいつもどこか寂しそうにしている姿しか思い出せない。
 その光景を思い出して星は唇を噛み締め、俯き加減でその場に立ち尽くしている。すると今度は、男性の声が耳に飛び込んできた。

「――月。お父さんの方も手伝ってくれないかい?」
「うん! 今行く~」

 声を聞いた返事をして女の子は勢い良く、玄関から飛び出していった。

 だが、星にはもうそんなことが瞳に入らないほどに心の中から溢れる思いに大きく揺さぶられる様に壁に背中を付ける。

(私は……私も一生懸命頑張ってる……はずなのに……どうして? なにが、あの子と違うの……?)

 そんな言葉が頭の中を駆け巡り、胸が苦しくなる。
 上を向いて頭の中では涙を流さないようにと、強く命令しているのに嗚咽が漏れるほど、涙が止めどなく溢れだし、行き場のない悲しみが星の心を満たしていく。

 こんな姿をお母さんに見られたら『弱虫だと』きっと嫌われてしまう。

(隠れなきゃ……)

 そう思っても、不思議と体が動かない。

 脳が命令しても体がそれを拒絶する。母親の優しい声と数日ぶりに嗅ぐ懐かしい匂い。それは、紛れもない母の匂いだ――。

 しかし、今自分の目の前で行われているものが自分ではなく。知らない女の子を愛おしそうに見つめる母の笑顔に、星は困惑し行き場のない感情だけが溢れる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【VRMMO】イースターエッグ・オンライン【RPG】

一樹
SF
ちょっと色々あって、オンラインゲームを始めることとなった主人公。 しかし、オンラインゲームのことなんてほとんど知らない主人公は、スレ立てをしてオススメのオンラインゲームを、スレ民に聞くのだった。 ゲーム初心者の活字中毒高校生が、オンラインゲームをする話です。 以前投稿した短編 【緩募】ゲーム初心者にもオススメのオンラインゲーム教えて の連載版です。 連載するにあたり、短編は削除しました。

Gender Transform Cream

廣瀬純一
SF
性転換するクリームを塗って性転換する話

性転換マッサージ

廣瀬純一
SF
性転換マッサージに通う人々の話

タイムワープ艦隊2024

山本 双六
SF
太平洋を横断する日本機動部隊。この日本があるのは、大東亜(太平洋)戦争に勝利したことである。そんな日本が勝った理由は、ある機動部隊が来たことであるらしい。人呼んで「神の機動部隊」である。 この世界では、太平洋戦争で日本が勝った世界戦で書いています。(毎回、太平洋戦争系が日本ばかり勝っ世界線ですいません)逆ファイナルカウントダウンと考えてもらえればいいかと思います。只今、続編も同時並行で書いています!お楽しみに!

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

人違いで同級生の女子にカンチョーしちゃった男の子の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...