悪魔憑きと盲目青年

桜桃-サクランボ-

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亜里紗

「死んでください」

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 次の日。暁音はいつものように本を片手に教室へと入る。黒板の方から人を心配するような声が聞こえ、本から顔を上げた。そこには、一つの人溜まりができている。
 中心には昨日、月海に追いかけられていた亜里沙の姿。笑顔で周りの人と話していた。

「ごめんね亜里沙ちゃん。私達、昨日何も考えずに聞いて……。でも、何か悩んでいたら力になりたいの」
「そうだよ! 私達、友達じゃん! 何かあればなんでも言ってよ! 小さな事でもいいからさ!」

 亜里沙の友人達は心配そうに眉を下げ、亜里沙の手を優しく握り気持ちを伝えている。その言葉は温かく、優しい。嘘や建前ではなく、本心なのだとわかる。
 そんな友人達の言葉に、亜里沙は笑顔を浮かべて「ありがとう」と返している。その笑顔も前までとは違うもの。
 心から本気で笑っているのが伝わる、清々しい笑顔だった。

 暁音はそんな彼女の笑顔を見て、顔を逸らす。本を閉じ、鞄にしまいながら自身の席に座った。

「記憶は無いみたいね。良かったわ」

 誰にも聞こえない小さな声で呟き、無表情のまま教科書などを机の中に入れ始めた。

 ☆

 放課後になると、暁音は当たり前のように旧校舎へと向かった。迷うことなく、慣れた手つきで3ーBへと入る。
 そこには珍しく、窓側にある椅子に座っている月海の姿があった。

 暁音はそんな彼を見て、教室の中で唯一埃がかぶっていない教卓に鞄を置き、窓側に近付いていく。隙間風が月海の黒い髪と垂れている赤い布が揺らしていた。
 暁音の気配を感じた月海は、体をピクッと動かし彼女の方に顔を向ける。その両眼には赤い布が巻かれていた。

「どうしたの。今日は寝てないよ僕。ご飯もしっかりと食べた。安心しっ──」
「月海さん」

 いつもの小言を言われると思って、月海は先に言い訳のように言葉を繋げる。だが、暁音はそんな言葉など聞いておらず、はっきりと彼の名前を呼んだ。そして、彼を見下ろしながら、迷いなく口を開いた。

「死んでください」

 はっきりと伝えられた言葉に、月海は固まり顔を俯かせる。すると、いきなり彼が待っといた空気が変わった。
 何も口にしない月海。先ほどまでのやわらかい空気は消え去り、トゲトゲとした。体に突き刺さるような空気が暁音を襲う。だが、その場から動かず目の前でうなだれている彼を見下ろし続けた。まるで、何かを待っているように。

 暁音が見下ろしていると、月海がゆっくりと動き始める。流れるように目元に巻かれている赤い布を乱暴に取り、床に投げ捨て不機嫌そうに舌打ちをし彼女を見上げた。

「てめぇ。意味もなく俺を
「ごめんなさい。でも、貴方に聞きたい事があったんです。だから、貴方を呼び起こした。直ぐに終わります」
「なら、要件だけを口にしろ」
「はい。まず、昨日の女子生徒。佐々木亜里沙さんは、もうここには来ないと思います」
「ちっ、そうかよ」

 暁音の言葉で月海のが表側へと出てきた。

 月海は簡単に言えば『二重人格』。
 二重人格とは、人格障害の一種。 自我が二つに分裂する障害のこと。二重人格の人は、二つある人格をうまくコントロールできない場合がほとんど。

 軽度の二重人格の場合は、すぐに治療で治せる。だが、放置してしまった場合、悪化してさらに人格が分裂してしまう可能性もあった。

 今の月海は、二つの人格が分裂しそれぞれに自我がある状態。これ以上悪化してしまうともっと人格が分裂してしまい”解離性同一性障害”と呼ばれるものへとなってしまう。これは、簡単に言えば”多重人格”。
 一つの体にいくつもの人格が出てきてしまうものだ。

 こうなってしまうと治療は難しいため、月海は今のうちに治療する必要がある。だが、それは本人が断固拒否しているため、治療する事が出来ない。

 月海の場合、主人格と裏人格が入れ替わるためのスイッチがあった。それが、先程暁音が口にした言葉。

【死】

 どんな状況、会話でさえ。言葉の中に『死』という単語が入っていた場合、裏人格が表側へと出てきてしまう。

 主人格はマイペースで他人と話すのが苦手な人見知り。比較的なんの被害も周りに与えない。だが、裏人格は別。
 荒々しい話し方に、行動一つ一つも危険。人の命すらも簡単に見ており、カッターナイフを片手に人を追いかける。
 暁音自身、何度か人を殺めているところを見た事があった。

 そんな彼と、暁音はある約束をしていた。それは、お互いの目的や娯楽を合わせた約束。誰も理解できないような、やろうとも思わない約束を。

「あの。約束、覚えていますか?」
「あぁ? そんなもんを確認するためにわざわざ俺を呼んだのかよ」
「それだけでは無いですが……。気になっていたのは確かです」
「るせぇわ。俺が忘れるわけねぇだろ」
「確かにそうですね。貴方が忘れるわけがありません。だって、貴方から言ったのですから」

 暁音は一度瞳を閉じ、数秒考えたあと。再度藍色の瞳を見せ、確認するように口を開いた。

「"私が自身の感情を取り戻した時、貴方は私を殺す"」

「間違えていませんよね?」と、月海へ確認をとる。彼女の言葉に、小さく彼は頷き暁音を見上げた。何もない空洞が暁音の目と合う。

「ですが、私は既に自身の感情はあります。それを言っても、貴方は否定するだけでしたが……。それに、この約束に何かメリットがありますか?」
「てめぇがよえーからだ」
「それも。その言葉がいまいちよく分かりません。弱いとは一体なんの事ですか? 物理的に弱いのは仕方がありませんよ?」
「その弱いじゃねぇ。いいか? お前は。それにより、自身への興味がなくなっちまった。だからこそ、興味を持たせてやりてぇんだ。単なる暇つぶしだも兼ねてな」
「暇つぶししていないで、早く私を殺せばいいのに。今なら簡単に殺せますよ。人を、殺したいでしょう?」
「そこだ。おめぇのそこが気に食わねぇ。つまんねぇんだよ。もっと、死を怖がれ。抗え。だから、今のお前はよえーんだよ」

 月海は眉間に皺を寄せ、いらただしげに口にする。その言葉に思考を巡らせるが、暁音は理解できず首を傾げた。

「なぜ、死を怖がれば弱くないのですか? 普通、怖がっている方が弱いと思うのですが」
「それくらい自分で考えろ」

 そこで会話が終わってしまった。
 月海の言葉を理解できていない暁音は、顎に手を当て考え続ける。だが、やはり分からないらしく眉間に皺を寄せた。

「…………はぁ。一つだけ聞く。おめぇは、死にたいんか?」
「自ら死にたくはありませんよ」
「なら、なぜそんな約束をしている俺といる。なぜ俺から逃げない。約束をしたところで、それはただの口約束だ。契約などをした覚えもない。逃げようと思えば簡単に逃げられるだろ」
「逃げる必要が無いので」
「………やっぱり、死にてぇんじゃねぇの?」
「ですから、自ら死にたくはありませんよ」
「なら、今ここで試してやろうか?」
「構いませんが、意味ありますか?」
「…………ちっ。それもそうだな。結局のところ、おめぇは今何がしたいんだ。なんのためにここに来た。要件をいい加減話せ」

 どうでもいい話ばかりされ、月海は徐々に怒りが込み上げ、貧乏ゆすりをしながら暁音の次の言葉を待った。

「今までの話も要件だったんですけど……。そうですね。一番気になったことを話してもいいですか?」
「手短なら許してやるよ」
「ありがとうございます。では、答えていただきたいです。今回、なぜ貴方は佐々木亜里沙さんを殺さなかったんですか?」
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