15 / 130
夏恵
「ふざけるな」
しおりを挟む
「──は?」
自信満々に解決方法を提示するレーツェルだが、その方法があまりに簡潔かつ無謀な事だったため、明人は苛立ちと困惑の声を出す。額には青筋が立っていた。
「匣を取り戻すだと?」
「それしかないと思うがね」
ふざけているとしか思えない言葉に、明人は珍しく驚きを隠せないでいた。
声にも困惑が含まれており、口をあんぐりとさせる。
そもそも奪った本人がどこにいるか検討すらついておらず、方法すら分からない。
自信満々に言われたとして、彼自身出来るはずがなかった。
「やるかはお前さんが決める事であって俺が決める事ではない。判断は任せる」
「任されてもどうにもできん。匣を抜き取る事は出来るが戻す方法などは知らんし、奪った本人がどこにいるのか見当がつかん。顔も知らん赤の他人を見つけろなど無謀にもほどがある」
「では、赤の他人ではないと言ったらどうだろうな」
「なに?」
最後の言葉に、明人は片眉を上げ、怪訝そうにレーツェルを見上げる。
「言葉のままだ。知人の可能性があるという事」
「例え知人であろうと今の俺に記憶はない。知る訳が無いだろ」
「確かにそうだ。だが、そいつがもしお前さんの記憶の鍵を握っているとしたら?」
「ありえ──」
「──ない話ではないはずだろう。気付いているのではないか?」
レーツェルは明人の言葉を遮り、試しているような目線を向ける。
その目線を受け、何か考えるように顎に手を添え俯いた。
その時、レーツェルが左右の髪から覗かせている狐の耳をピクピクと動かし、森の外に目を向けた。
「君の依頼人に、良からぬ影が近付いているらしいな。……さて、ここで話を続けるかい? 俺は構わないが、お前さんはそうもいかないだろう」
「依頼人に近付く影だと? ……まさか!」
レーツェルの言葉に目を見開いた。
なんの事を指しているのか瞬時に理解した明人はその場に立ち上がり、脂汗を額に滲ませ今にも駆け出そうとする。
明人に依頼している人物は、今現在一人しかいない。
「カクリ急ぐぞ。依頼人を取られる前に!!」
足を一歩前に出したのと同時に、後ろから落ち着いた声で呼び止められてしまった。
「まぁ、待て」
「待てだと? この状況で言うか?」
「ここから走った所で何十分かかると思っている。それに、依頼人がどこにいるかなど予想でしか動けまい。それを外してしまったらどうなる?」
「なら、どうするつもりだ」
「飛ばしてやるよ」
「──は?」
明人の気の抜けた声が漏れたのと同時に、レーツェルは鋭く尖った爪を着物の袖から出し、右手を横に広げた。すると、手の平から黒いモヤが現れ一つに集まる。
それはまるで、光すらない真っ黒な空間。宇宙にある何でも吸い込んでしまう星、ブラックホールのようなもの。
「また、会いたければ来るが良い」
その言葉を最後に、レーツェルは明人を引力で引っ張り、黒い空間へと放り込む。
カクリは怪訝そうな顔を浮かべているが、それでもレーツェルを信じ近寄り、一目だけ振り向き「ありがとうございます」と一言述べ、彼の後ろへと続いた。
「また会おう。荒木相思」
※
「──って!!」
明人はレーツェルの出した黒い空間の中に無理やり放り込まれ、気付いた時にはどこかの路地裏に投げ飛ばされていた。
「こんな明人を見る事が出来るとはな」
カクリは両足で着地をし、地面にうつ伏せに倒れている彼を冷静な瞳で見下ろす。
姿が少し変わっており、耳は狐になっており、おしりにも尻尾が生えていた。
「ってぇな。ふざけるな、なんなんだアイツ。そもそも……」
「愚痴なら後で聞こう。……聞きたくはないがな。今は話し声が聞こえる方へと行った方が良さそうだ」
明人の長くなりそうな愚痴を速攻で遮り、暗闇の道が続いている先を見た。
光が入らない路地裏なため、暗くジメジメと重苦しい空気が漂っている。
前後どちらにも行けるが、片方は人通りがあるらしく明るくなっており、もう片方は暗闇が続いていた。
カクリは少年のままだと身体能力や五感は人間と同じになるが、一部でも元の姿に戻れば五感は敏感になり、身体能力も向上する。
「ちっ、行くぞ」
「あぁ」
明人もここで文句を言っても仕方がないと思い素直に従ったが、相当怒っているのは表情だけで分かる。
依頼人の前ではどうなるのか。
カクリは心配しつつ話し声がする方へと案内するように歩き始めた。
しばらく歩いた先に曲がり角があり、明人は足を止めた。
普通の人間にも聞こえるくらいには近づく事かでき、距離を図る。
「どうするつもりだ」
「まず姿を確認する」
曲がり角から少しだけ顔を出し、話し声の主を確認する。
道の先には三人の人影が見え、一人は女性で明人の依頼人である夏恵。残り二人には面識がない。
そんな三人は何かを手にして、話し合っていた。
二人いるうちの一人は明人と似たような背格好の男性。茶色の髪を後ろで結んでいる。
濃いピンクでサイバー模様が入っている黒いダッフルコートに、同じ色と柄のズボン。
ショートブーツに、手には黒い手袋がはめられていた。
もう一人はカクリよりも身長がやや小さい。小学校低学年くらいの少年。
緑色のパーマかかった肩あたりまで長い髪に、白いワイシャツに赤いネクタイ。黒いロングジャケットに、脛辺りまでのズボンを履いている。靴は普通のビジネスシューズ。
明人達がいる場所からは何を話しているのか所々しか聞こえない。
何とか会話を盗み聞こうとするも難しく、彼は小さく舌打ちをし、カクリを見下ろした。
「おい、耳かせ」
「……言い方が気になるが、まあいい」
言われたカクリは、手を明人の耳に当てた。
そうする事によって、カクリの聴覚は明人とリンクする事が出来る。
他にも嗅覚、視覚なども同じくリンクさせる事が出来るが、必ずカクリが明人のリンクさせたい箇所を手で触れていないと出来ない。
カクリの耳を借り、明人は三人の話し声に耳を傾けた。
「あの、その事はもうお願いしている人がいますので……」
「その人よりこっちの方が効率いいよ? これさえ舐めれば君は一回だけ願いが叶う」
「ですが、その代わりに失敗したら代償がありますよね……」
「詳しくは言えないけどそうだね。でも、失敗する確率なんてそんなに高くないから、大丈夫だと思うけど?」
「でも……」
何かを売りつけられている会話。
"舐めれば"と言っているので、飴か何かだとは推測できる。
”願いが叶う”がもし、カクリと同じ力なのであれば願いが叶うと言うのはおかしい。だが、あの男は確実に”願いが叶う”と言った。
明人は考えながら目を光らせ、少しの言葉も聞き逃さない。
「まぁ、どうしても嫌なら無理強いはしないけど、もし今お願いしている人が無理だった場合はどうするつもりなの?」
「それは……」
「俺もここには長くいられないんだよね。だから、今お願いしている人が無理だった場合もう一度俺に会うって事も難しいし、今のうちに試した方がいいんじゃないの?」
「……」
「それに、その人は必ず何とかしてみせるとか言ってないわけでしょ? 少なからず俺は約束するよ。これさえ舐めれば君は救われる。必ずね」
「救われる……」
「そう。だから、少しだけも試してみてよ」
夏恵は男性の圧に呑まれ、”救われる”という甘い言葉に誘惑され、差し出している飴に手を伸ばしかけてしまった。
明人はその時、カクリとのリンクを解き静かに道の角から歩き出し夏恵へと近付いて行く。そして、受け取ろうとした彼女の手を優しく掴み止めた。
「昨日ぶりですね」
「え!?」
人当たりが良い優しい笑みを浮かべながら、夏恵の手をやんわりと戻してあげた。
「こちらの方は、私の依頼人ですよ?」
「これはこれは──どちら様かな?」
男性は明人の姿を確認するのと同時に、先程まで笑顔だった顔が急に険しく歪む。
目を細め、怒りで燃えているような瞳を彼へと向けた。
「私は筺鍵明人と申します」
「筺鍵明人ねぇ」
明人も男も笑顔のまま言葉を交わすが、笑顔だからといって和気藹々《わきあいあい》としたものではなく、ギスギスと。
お互い絶対に譲らないような空気だった。
「私はしっかりと名乗りましたよ。では、次は貴方が名乗る番なのでは?」
「俺の名前か? そうだな。悪陣魔蛭とでも名乗っておくか」
「悪陣魔蛭さん──ですか。でしたら、霜田美由紀さんをご存知では?」
「え、美由紀?」
いきなり友人の名前が出た事に、夏恵は目を見開き驚いた。
「あぁ、前回の依頼人だな。それがどうした?」
「おや? 美由紀さんが今どうなっているかご存知では無いのですか?」
「残念ながら。俺は依頼人とは一回しか会わないし、後がどうなったのか興味が無いんでね」
"もうあいつは用無し"とでも言うような言葉。
笑顔を絶やさないのは明人と同様だが、その真意は全く違う。
「そうなのですね、それは許せませんね……」
「許せなかったら、なんだってんだ?」
「貴方が抜き取った感情。匣をお返し願えますか」
明人が言うと右手を前へと差し出した。
夏恵はなんの事だかさっぱり分からず、二人を交互に見る。
「なんの事だ? 俺はただこれを渡しただけだぜ? ハコを抜き取ったとか、意味わかんねぇ事言うんじゃねぇよ」
魔蛭は先程、夏恵に渡そうとしていた袋をヒラヒラと明人に見せびらかす。
見た目は普通の飴玉。
水色やピンク、紫や橙色と様々な色がある。
どの色も見た目だけでなんの味か予想できるが、それを袋に入れて渡そうとしていた事が怪しすぎる。
明人自身も周りからしたら怪しいが、やり方がまるで違う。
ちゃんと相手の意思で開けに来ているので、お互い合意の上ということになる。だが、魔蛭は違う。
先程の会話からして、相手の意思など関係なしに弱みを握り、そこを突き止め無理やり渡そうとしていた。
「先程の会話は聞かせていただきました。願いが叶う……ですか、それはすごい物をお持ちですね。ですが、それなりに代償が必要なのでは? そうですね……。例えば、感情など」
明人は口元に笑みを浮かべ続けているが目は笑っていなく、漆黒の瞳は怒りでユラユラと揺れ動き、今にも叫び出しそうになっていた。
それでも何とか依頼人の前という事で、素を出さないように務めているが、それももうそろ時間の問題だろう。
「まぁ、失敗したらそうなるだろうな。でもよ、失敗しなければなんもしなくても願いが叶うんだぜ? これはすごい事だろう」
「この世にそんな事があるはずありません。貴方は一体何を奪っているのですか?」
「人聞き悪い事言うなよ。奪ってるんじゃなくて合意の上での契約だ」
「────合意の上、だと?」
明人のこめかみがピクピクと動く。もうそろそろ限界が近い。
後ろから見ていたカクリは、諦めたように肩を落とした。
「あぁ、依頼主からは願いが叶う代わりに何かを貰う。詳しく言えないのは仕方なし。それを聞いて尚、受け取るんだ。それは合意以外のなんになるんだ?」
「っ、ふざけるな! あんなのは合意とは言わない。一方的に売りつけているだけだろう!」
依頼人の前と言う事も忘れ、明人は声を荒げてしまう。
カクリは「やはり……」と呟きながらも、その場から動こうとしない。
夏恵は明人のいきなりの豹変に驚き、固まってしまった。
「お~お~、怖いねぇ。でも、今回は収穫があったからこれ以上ここにいる理由はないな。返して欲しいもんはこれでいいだろ、ほらよ」
言いながら小瓶を明人に向かって投げた。
彼はいきなり投げられた事に驚きつつも、落とさないよう慎重に右手で受け取る。
右手に握られている小瓶を見下ろし、ギュッと握った。
「人の感情を、想いを……。記憶を、なんだと思ってんだ」
抑えた声の中に入っている感情は怒りしかなく、いつもの笑顔も忘れ、ただただ魔蛭を燃える炎が宿っている瞳で睨み続ける。
「俺にとってはそんな大事な物では無いんでね。それに、俺の目的はただ一つ。てめぇをこの世から消すこと。そのためには他人の犠牲など興味はない」
「なにっ?!」
魔蛭の言葉に、明人は強く手を握り震わせる。
「お前が覚えてなくても関係ねぇ。これからは遠慮なくお前の邪魔をしてやるし、必ず消してやる。今までの怒り、憎しみを受けてこの世から消えろ、荒木相思。いや、筺鍵明人!!」
憎しみの籠った声と共に、彼はその場から闇に溶け込むように姿を消した。
その後を追うように一緒にいた少年も姿を消すが、その前にチラッとカクリの方を見る。
「────っ!」
気付かれていた事にも驚いたが、向けられているその目は何を思っているのか分からず、視線を送られたカクリは眉を顰めるしか出来なかった。
「そ、うし? 誰だ」
明人は何も無い空間を見ながら固まり、魔蛭の言葉をゆっくりと口にした。
夏恵は何が起きたのか分からず、「…………え?」という、抜けた声が口から漏れその場に立ち尽くすしかなかった。
自信満々に解決方法を提示するレーツェルだが、その方法があまりに簡潔かつ無謀な事だったため、明人は苛立ちと困惑の声を出す。額には青筋が立っていた。
「匣を取り戻すだと?」
「それしかないと思うがね」
ふざけているとしか思えない言葉に、明人は珍しく驚きを隠せないでいた。
声にも困惑が含まれており、口をあんぐりとさせる。
そもそも奪った本人がどこにいるか検討すらついておらず、方法すら分からない。
自信満々に言われたとして、彼自身出来るはずがなかった。
「やるかはお前さんが決める事であって俺が決める事ではない。判断は任せる」
「任されてもどうにもできん。匣を抜き取る事は出来るが戻す方法などは知らんし、奪った本人がどこにいるのか見当がつかん。顔も知らん赤の他人を見つけろなど無謀にもほどがある」
「では、赤の他人ではないと言ったらどうだろうな」
「なに?」
最後の言葉に、明人は片眉を上げ、怪訝そうにレーツェルを見上げる。
「言葉のままだ。知人の可能性があるという事」
「例え知人であろうと今の俺に記憶はない。知る訳が無いだろ」
「確かにそうだ。だが、そいつがもしお前さんの記憶の鍵を握っているとしたら?」
「ありえ──」
「──ない話ではないはずだろう。気付いているのではないか?」
レーツェルは明人の言葉を遮り、試しているような目線を向ける。
その目線を受け、何か考えるように顎に手を添え俯いた。
その時、レーツェルが左右の髪から覗かせている狐の耳をピクピクと動かし、森の外に目を向けた。
「君の依頼人に、良からぬ影が近付いているらしいな。……さて、ここで話を続けるかい? 俺は構わないが、お前さんはそうもいかないだろう」
「依頼人に近付く影だと? ……まさか!」
レーツェルの言葉に目を見開いた。
なんの事を指しているのか瞬時に理解した明人はその場に立ち上がり、脂汗を額に滲ませ今にも駆け出そうとする。
明人に依頼している人物は、今現在一人しかいない。
「カクリ急ぐぞ。依頼人を取られる前に!!」
足を一歩前に出したのと同時に、後ろから落ち着いた声で呼び止められてしまった。
「まぁ、待て」
「待てだと? この状況で言うか?」
「ここから走った所で何十分かかると思っている。それに、依頼人がどこにいるかなど予想でしか動けまい。それを外してしまったらどうなる?」
「なら、どうするつもりだ」
「飛ばしてやるよ」
「──は?」
明人の気の抜けた声が漏れたのと同時に、レーツェルは鋭く尖った爪を着物の袖から出し、右手を横に広げた。すると、手の平から黒いモヤが現れ一つに集まる。
それはまるで、光すらない真っ黒な空間。宇宙にある何でも吸い込んでしまう星、ブラックホールのようなもの。
「また、会いたければ来るが良い」
その言葉を最後に、レーツェルは明人を引力で引っ張り、黒い空間へと放り込む。
カクリは怪訝そうな顔を浮かべているが、それでもレーツェルを信じ近寄り、一目だけ振り向き「ありがとうございます」と一言述べ、彼の後ろへと続いた。
「また会おう。荒木相思」
※
「──って!!」
明人はレーツェルの出した黒い空間の中に無理やり放り込まれ、気付いた時にはどこかの路地裏に投げ飛ばされていた。
「こんな明人を見る事が出来るとはな」
カクリは両足で着地をし、地面にうつ伏せに倒れている彼を冷静な瞳で見下ろす。
姿が少し変わっており、耳は狐になっており、おしりにも尻尾が生えていた。
「ってぇな。ふざけるな、なんなんだアイツ。そもそも……」
「愚痴なら後で聞こう。……聞きたくはないがな。今は話し声が聞こえる方へと行った方が良さそうだ」
明人の長くなりそうな愚痴を速攻で遮り、暗闇の道が続いている先を見た。
光が入らない路地裏なため、暗くジメジメと重苦しい空気が漂っている。
前後どちらにも行けるが、片方は人通りがあるらしく明るくなっており、もう片方は暗闇が続いていた。
カクリは少年のままだと身体能力や五感は人間と同じになるが、一部でも元の姿に戻れば五感は敏感になり、身体能力も向上する。
「ちっ、行くぞ」
「あぁ」
明人もここで文句を言っても仕方がないと思い素直に従ったが、相当怒っているのは表情だけで分かる。
依頼人の前ではどうなるのか。
カクリは心配しつつ話し声がする方へと案内するように歩き始めた。
しばらく歩いた先に曲がり角があり、明人は足を止めた。
普通の人間にも聞こえるくらいには近づく事かでき、距離を図る。
「どうするつもりだ」
「まず姿を確認する」
曲がり角から少しだけ顔を出し、話し声の主を確認する。
道の先には三人の人影が見え、一人は女性で明人の依頼人である夏恵。残り二人には面識がない。
そんな三人は何かを手にして、話し合っていた。
二人いるうちの一人は明人と似たような背格好の男性。茶色の髪を後ろで結んでいる。
濃いピンクでサイバー模様が入っている黒いダッフルコートに、同じ色と柄のズボン。
ショートブーツに、手には黒い手袋がはめられていた。
もう一人はカクリよりも身長がやや小さい。小学校低学年くらいの少年。
緑色のパーマかかった肩あたりまで長い髪に、白いワイシャツに赤いネクタイ。黒いロングジャケットに、脛辺りまでのズボンを履いている。靴は普通のビジネスシューズ。
明人達がいる場所からは何を話しているのか所々しか聞こえない。
何とか会話を盗み聞こうとするも難しく、彼は小さく舌打ちをし、カクリを見下ろした。
「おい、耳かせ」
「……言い方が気になるが、まあいい」
言われたカクリは、手を明人の耳に当てた。
そうする事によって、カクリの聴覚は明人とリンクする事が出来る。
他にも嗅覚、視覚なども同じくリンクさせる事が出来るが、必ずカクリが明人のリンクさせたい箇所を手で触れていないと出来ない。
カクリの耳を借り、明人は三人の話し声に耳を傾けた。
「あの、その事はもうお願いしている人がいますので……」
「その人よりこっちの方が効率いいよ? これさえ舐めれば君は一回だけ願いが叶う」
「ですが、その代わりに失敗したら代償がありますよね……」
「詳しくは言えないけどそうだね。でも、失敗する確率なんてそんなに高くないから、大丈夫だと思うけど?」
「でも……」
何かを売りつけられている会話。
"舐めれば"と言っているので、飴か何かだとは推測できる。
”願いが叶う”がもし、カクリと同じ力なのであれば願いが叶うと言うのはおかしい。だが、あの男は確実に”願いが叶う”と言った。
明人は考えながら目を光らせ、少しの言葉も聞き逃さない。
「まぁ、どうしても嫌なら無理強いはしないけど、もし今お願いしている人が無理だった場合はどうするつもりなの?」
「それは……」
「俺もここには長くいられないんだよね。だから、今お願いしている人が無理だった場合もう一度俺に会うって事も難しいし、今のうちに試した方がいいんじゃないの?」
「……」
「それに、その人は必ず何とかしてみせるとか言ってないわけでしょ? 少なからず俺は約束するよ。これさえ舐めれば君は救われる。必ずね」
「救われる……」
「そう。だから、少しだけも試してみてよ」
夏恵は男性の圧に呑まれ、”救われる”という甘い言葉に誘惑され、差し出している飴に手を伸ばしかけてしまった。
明人はその時、カクリとのリンクを解き静かに道の角から歩き出し夏恵へと近付いて行く。そして、受け取ろうとした彼女の手を優しく掴み止めた。
「昨日ぶりですね」
「え!?」
人当たりが良い優しい笑みを浮かべながら、夏恵の手をやんわりと戻してあげた。
「こちらの方は、私の依頼人ですよ?」
「これはこれは──どちら様かな?」
男性は明人の姿を確認するのと同時に、先程まで笑顔だった顔が急に険しく歪む。
目を細め、怒りで燃えているような瞳を彼へと向けた。
「私は筺鍵明人と申します」
「筺鍵明人ねぇ」
明人も男も笑顔のまま言葉を交わすが、笑顔だからといって和気藹々《わきあいあい》としたものではなく、ギスギスと。
お互い絶対に譲らないような空気だった。
「私はしっかりと名乗りましたよ。では、次は貴方が名乗る番なのでは?」
「俺の名前か? そうだな。悪陣魔蛭とでも名乗っておくか」
「悪陣魔蛭さん──ですか。でしたら、霜田美由紀さんをご存知では?」
「え、美由紀?」
いきなり友人の名前が出た事に、夏恵は目を見開き驚いた。
「あぁ、前回の依頼人だな。それがどうした?」
「おや? 美由紀さんが今どうなっているかご存知では無いのですか?」
「残念ながら。俺は依頼人とは一回しか会わないし、後がどうなったのか興味が無いんでね」
"もうあいつは用無し"とでも言うような言葉。
笑顔を絶やさないのは明人と同様だが、その真意は全く違う。
「そうなのですね、それは許せませんね……」
「許せなかったら、なんだってんだ?」
「貴方が抜き取った感情。匣をお返し願えますか」
明人が言うと右手を前へと差し出した。
夏恵はなんの事だかさっぱり分からず、二人を交互に見る。
「なんの事だ? 俺はただこれを渡しただけだぜ? ハコを抜き取ったとか、意味わかんねぇ事言うんじゃねぇよ」
魔蛭は先程、夏恵に渡そうとしていた袋をヒラヒラと明人に見せびらかす。
見た目は普通の飴玉。
水色やピンク、紫や橙色と様々な色がある。
どの色も見た目だけでなんの味か予想できるが、それを袋に入れて渡そうとしていた事が怪しすぎる。
明人自身も周りからしたら怪しいが、やり方がまるで違う。
ちゃんと相手の意思で開けに来ているので、お互い合意の上ということになる。だが、魔蛭は違う。
先程の会話からして、相手の意思など関係なしに弱みを握り、そこを突き止め無理やり渡そうとしていた。
「先程の会話は聞かせていただきました。願いが叶う……ですか、それはすごい物をお持ちですね。ですが、それなりに代償が必要なのでは? そうですね……。例えば、感情など」
明人は口元に笑みを浮かべ続けているが目は笑っていなく、漆黒の瞳は怒りでユラユラと揺れ動き、今にも叫び出しそうになっていた。
それでも何とか依頼人の前という事で、素を出さないように務めているが、それももうそろ時間の問題だろう。
「まぁ、失敗したらそうなるだろうな。でもよ、失敗しなければなんもしなくても願いが叶うんだぜ? これはすごい事だろう」
「この世にそんな事があるはずありません。貴方は一体何を奪っているのですか?」
「人聞き悪い事言うなよ。奪ってるんじゃなくて合意の上での契約だ」
「────合意の上、だと?」
明人のこめかみがピクピクと動く。もうそろそろ限界が近い。
後ろから見ていたカクリは、諦めたように肩を落とした。
「あぁ、依頼主からは願いが叶う代わりに何かを貰う。詳しく言えないのは仕方なし。それを聞いて尚、受け取るんだ。それは合意以外のなんになるんだ?」
「っ、ふざけるな! あんなのは合意とは言わない。一方的に売りつけているだけだろう!」
依頼人の前と言う事も忘れ、明人は声を荒げてしまう。
カクリは「やはり……」と呟きながらも、その場から動こうとしない。
夏恵は明人のいきなりの豹変に驚き、固まってしまった。
「お~お~、怖いねぇ。でも、今回は収穫があったからこれ以上ここにいる理由はないな。返して欲しいもんはこれでいいだろ、ほらよ」
言いながら小瓶を明人に向かって投げた。
彼はいきなり投げられた事に驚きつつも、落とさないよう慎重に右手で受け取る。
右手に握られている小瓶を見下ろし、ギュッと握った。
「人の感情を、想いを……。記憶を、なんだと思ってんだ」
抑えた声の中に入っている感情は怒りしかなく、いつもの笑顔も忘れ、ただただ魔蛭を燃える炎が宿っている瞳で睨み続ける。
「俺にとってはそんな大事な物では無いんでね。それに、俺の目的はただ一つ。てめぇをこの世から消すこと。そのためには他人の犠牲など興味はない」
「なにっ?!」
魔蛭の言葉に、明人は強く手を握り震わせる。
「お前が覚えてなくても関係ねぇ。これからは遠慮なくお前の邪魔をしてやるし、必ず消してやる。今までの怒り、憎しみを受けてこの世から消えろ、荒木相思。いや、筺鍵明人!!」
憎しみの籠った声と共に、彼はその場から闇に溶け込むように姿を消した。
その後を追うように一緒にいた少年も姿を消すが、その前にチラッとカクリの方を見る。
「────っ!」
気付かれていた事にも驚いたが、向けられているその目は何を思っているのか分からず、視線を送られたカクリは眉を顰めるしか出来なかった。
「そ、うし? 誰だ」
明人は何も無い空間を見ながら固まり、魔蛭の言葉をゆっくりと口にした。
夏恵は何が起きたのか分からず、「…………え?」という、抜けた声が口から漏れその場に立ち尽くすしかなかった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
大正石華恋蕾物語
響 蒼華
キャラ文芸
■一:贄の乙女は愛を知る
旧題:大正石華戀奇譚<一> 桜の章
――私は待つ、いつか訪れるその時を。
時は大正。処は日の本、華やぐ帝都。
珂祥伯爵家の長女・菫子(とうこ)は家族や使用人から疎まれ屋敷内で孤立し、女学校においても友もなく独り。
それもこれも、菫子を取り巻くある噂のせい。
『不幸の菫子様』と呼ばれるに至った過去の出来事の数々から、菫子は誰かと共に在る事、そして己の将来に対して諦観を以て生きていた。
心許せる者は、自分付の女中と、噂畏れぬただ一人の求婚者。
求婚者との縁組が正式に定まろうとしたその矢先、歯車は回り始める。
命の危機にさらされた菫子を救ったのは、どこか懐かしく美しい灰色の髪のあやかしで――。
そして、菫子を取り巻く運命は動き始める、真実へと至る悲哀の終焉へと。
■二:あやかしの花嫁は運命の愛に祈る
旧題:大正石華戀奇譚<二> 椿の章
――あたしは、平穏を愛している
大正の時代、華の帝都はある怪事件に揺れていた。
其の名も「血花事件」。
体中の血を抜き取られ、全身に血の様に紅い花を咲かせた遺体が相次いで見つかり大騒ぎとなっていた。
警察の捜査は後手に回り、人々は怯えながら日々を過ごしていた。
そんな帝都の一角にある見城診療所で働く看護婦の歌那(かな)は、優しい女医と先輩看護婦と、忙しくも充実した日々を送っていた。
目新しい事も、特別な事も必要ない。得る事が出来た穏やかで変わらぬ日常をこそ愛する日々。
けれど、歌那は思わぬ形で「血花事件」に関わる事になってしまう。
運命の夜、出会ったのは紅の髪と琥珀の瞳を持つ美しい青年。
それを契機に、歌那の日常は変わり始める。
美しいあやかし達との出会いを経て、帝都を揺るがす大事件へと繋がる運命の糸車は静かに回り始める――。
※時代設定的に、現代では女性蔑視や差別など不適切とされる表現等がありますが、差別や偏見を肯定する意図はありません。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
世界的名探偵 青井七瀬と大福係!~幽霊事件、ありえません!~
ミラ
キャラ文芸
派遣OL3年目の心葉は、ブラックな職場で薄給の中、妹に仕送りをして借金生活に追われていた。そんな時、趣味でやっていた大福販売サイトが大炎上。
「幽霊に呪われた大福事件」に発展してしまう。困惑する心葉のもとに「その幽霊事件、私に解かせてください」と常連の青井から連絡が入る。
世界的名探偵だという青井は事件を華麗に解決してみせ、なんと超絶好待遇の「大福係」への就職を心葉に打診?!青井専属の大福係として、心葉の1ヶ月間の試用期間が始まった!
次々に起こる幽霊事件の中、心葉が秘密にする「霊視の力」×青井の「推理力」で
幽霊事件の真相に隠れた、幽霊の想いを紐解いていく──!
「この世に、幽霊事件なんてありえません」
幽霊事件を絶対に許さない超偏屈探偵・青木と、幽霊が視える大福係の
ゆるバディ×ほっこり幽霊ライトミステリー!
悪役令嬢エリザベート物語
kirara
ファンタジー
私の名前はエリザベート・ノイズ
公爵令嬢である。
前世の名前は横川禮子。大学を卒業して入った企業でOLをしていたが、ある日の帰宅時に赤信号を無視してスクランブル交差点に飛び込んできた大型トラックとぶつかりそうになって。それからどうなったのだろう。気が付いた時には私は別の世界に転生していた。
ここは乙女ゲームの世界だ。そして私は悪役令嬢に生まれかわった。そのことを5歳の誕生パーティーの夜に知るのだった。
父はアフレイド・ノイズ公爵。
ノイズ公爵家の家長であり王国の重鎮。
魔法騎士団の総団長でもある。
母はマーガレット。
隣国アミルダ王国の第2王女。隣国の聖女の娘でもある。
兄の名前はリアム。
前世の記憶にある「乙女ゲーム」の中のエリザベート・ノイズは、王都学園の卒業パーティで、ウィリアム王太子殿下に真実の愛を見つけたと婚約を破棄され、身に覚えのない罪をきせられて国外に追放される。
そして、国境の手前で何者かに事故にみせかけて殺害されてしまうのだ。
王太子と婚約なんてするものか。
国外追放になどなるものか。
乙女ゲームの中では一人ぼっちだったエリザベート。
私は人生をあきらめない。
エリザベート・ノイズの二回目の人生が始まった。
⭐️第16回 ファンタジー小説大賞参加中です。応援してくれると嬉しいです
悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!
ペトラ
恋愛
ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。
戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。
悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。
他サイトに連載中の話の改訂版になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる