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盛夏

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『翔!!!』

 ――――ガシッ!!

 伸ばした手は、翔と同じ小さな手に掴まれた。

「っ?! ヤコ!!」

『翔、我の手を掴め! 直ぐ離れるぞ!』

 言われた通り掴む。
 その時、弥狐の背後に天狗が立っていることに気づき、翔は目を大きく開いた。

「後ろ!!」

 翔の言葉に悔しげに振り返る。
 今は何も出来ない。何かすれば、翔は奈落の底。

 それだけでなく、時間もない。
 翔は、自身を掴んでいる弥狐の手を見た。

「光り…………、ヤコ!!」

 翔は思い出した。
 弥狐が人間に触れてはいけないことを。

 弥狐の手が光っている。
 翔の手を掴んでいる手が薄くなる。

 時間もなければ、どうする事も出来ない。
 だが、せめて、翔だけは守りたい。

 強く願うが意味は無いと言うように、天狗は葉を持っている手を振り上げた。

 もう駄目か――そう思うと、どこからか石が飛んできて、天狗の頭に当たる。

 だが、全く気にしていない。
 虫に刺された感覚なのか、左手で掻いて顔を横に向けた。

 そこには、石を抱えている静華と、右手に石を持っている奏多の姿。
 先程投げたのは奏多で、石は静華が痛む足など気にせず集めた物。

「弥狐! 早く翔を引き上げてくれ!」

 言いながら手に持っていた石を投げる。

 天狗からすれば、当たっても特に気にするほどでは無い。
 気にしなくてもいいが、やられる一方では癪に障る。

 簡単に殺せる方から殺してしまおう。
 そう思い、天狗は弥狐に向けていた葉を、静華達に向けた。

 ――――こっちに意識が向いた。

 意識が自分に向けば、それでいい。
 そうすれば、翔を弥狐が助けてくれる。

 それは、奏多も同じ。
 絶対に引かない、そう思わせる強い瞳は天狗に注がれ続ける。

『逃げろ!!』

 弥狐が叫ぶが、二人は動かない。
 葉は大きく振り下ろされ、突風が吹き荒れる。

 辺りに落ちている葉や土、石などが舞い上がり、強い風は静華達を襲う。

 もろに食らってしまえば、普通の人間である静華達ではタダでは済まない。
 それをわかっているが、もう逃げられない。

 咄嗟に奏多は、静華を護ろうと前に出る。
 意味は無い、だが、護らずには居られなかった。

「奏多!!!!」

 静華の声が空に響き渡る。瞬間――……


 ――――それは、ワシが許さんぞ、天狗よ。


 何処からともなく低く、それでいてマイペースな声が風に乗り聞こえた。
 同時に、静華達に放たれた突風は何が起きたのか。急に勢いが落ち、そよ風程度になる。

 なにが起きたのか理解出来ないでいると、天狗の背後に黒い霧が現れ、白い手が伸び天狗の頭を掴んだ。

「な、なに……?」

 黒い霧から、徐々に一人の青年が姿を現す。

 肩、銀髪、狐の面。
 深緑色の着物に、下駄。

 カランと地面に足を付け、銀髪を揺らし立つ男性。
 赤い瞳を光らせ、白い八重歯を見せ笑う。

『人間社会で暴れれば、罰を食らわす。そなたは、罪を犯した。ワシが、罪をしっかりと償わせてやるから、安心するんじゃぞ?』

 姿を現したのは、あやかしの中の長、九尾だった。

 声が静華と出会った時と比べると深く、表情とは裏腹に、地を這うように怒気が乗せられている。
 天狗の頭を掴んでいる手に力を籠め動きを封じ、地面に異空間への入り口を作りだした。

『せいぜい、罪を犯した自身を恨み、後悔するがよい』

 手をパッと離すと、吸い込まれるように異空間へと沈んで行く。
 悲痛の叫びと共に完全に沈み、空間は閉じられた。

 すべてが終わると、弥狐もやっと翔を引き上げる。

「ヤコ! 手が…………」

 翔の叫び声に奏多は駆け出し、九尾の横を通り弥狐に走る。
 静華も駆けだしたかったが、九尾の事も気になり、隣で止まった。

 見ると、弥狐の身体が淡い光に包まれ始めていた。
 まるで、弥狐を違う場所へと送るような光り。

 その場にいる全員、もう察してしまった。
 弥狐が人間に触れては駄目な理由。

 それは、体が消えてしまうからなんだと。

「いやだ!! ヤコ!! まだあそぶの! いやだ!!」

 泣きじゃくりながら何度も何度も、喉が避けそうな程に「いやだ」と叫ぶ。
 奏多も涙を滲ませ、どうすればいいのかと必死に考える。

「――あの、どうする事も出来ないんですか!? 弥狐君を救う事は出来ないんですか!?」

 静華が九尾に聞くが、首を横に振られてしまう。
 涙を浮かべ、「お願いします、助けて!」と、九尾の服を掴み、縋りつく。

「弥狐君は、私の閉じ込めていた思いを解放してくれたの。翔君とも沢山遊んでくれた。私に色んなものを見せてくれた。なのに、私は何もしていない。これから、沢山恩返しがしたいの。だから、お願い、助けてよ!!!」

 静華の涙は、地面に落ち、弾かれる。
 九尾の手は横に垂らしたままで、静華に伸ばそうとしない。
 遠くを見て、口を開かない。

 そんな中、弥狐の明るい声が三人の鼓膜を揺らし、涙を止めた。

『我、主らと出会えてよかった』

 翔も、奏多、静華も。
 全員、涙を浮かべながら弥狐を見た。

 弥狐の表情は、後悔も何もない、清々しい笑み。
 もう、しがらみに囚われる事もなく、解放される。
 そう思わせるような、澄んでいる微笑み。

『静華、素直になったみたいで良かった。翔も、皆を導ける才能を開花させておる。奏多は、今までと変わらないまま、自身の道を進んでほしい』

 言うと、弥狐は両手を広げた。

『これで最後だ、翔。人間の温もりを、感じさせてはくれぬか?』

 涙が溢れ、止まらない。
 でも、翔は両手で目元を擦り、涙を止める。

 まだ、完全に止まっていないが、唇を噛み、駆けだす。
 両手を広げ、弥狐に抱き着いた。


 ――――ありがとう、翔。君のおかげで、我は人間が好きなままでいれる。


 その言葉を最後に、翔の腕の中にあった温もりは、光と共に消えてしまい、そのまま地面へと落ちた。

「~~~~~う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!!」

 翔は、地面に倒れ込みながら、声を上げ泣いた。
 自身を抱きしめながら、星空に届くくらいの声量で、悲しみを溢れ出す。

 奏多も手で顔を覆い、静華も大粒の涙を零し、泣き続ける。

 その場で唯一冷静なのは九尾、ただ一人。赤色の瞳で星空を見上げた。

『弥狐よ。またどこかで会おう。またどこかで、ワシが拾ってやるからな』
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