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盛夏

逃避

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 頭を冷やすため部屋に戻った静華は、流れ出る涙を拭き、布団へ横になった。

 ――――最悪だ。なんで、私はあんなことを言ってしまったんだ。あんなの、ただの八つ当たりだ。

 布団をぎゅっと掴み、目を閉じる。

 もう、何も見たくなくて。
 自分の弱さを感じたくなくて、自覚したくなくて。

 もう、何もかも考えたくない、何も聞きたくない。

 逃げたい、こんな自分から。

 ――――また。私は逃げるのだろうか。小説から逃げたように。仕事から逃げたように。今度は、奏多からも逃げるのだろうか。

 こんな、嫌な事から目を背け続けた自分に、何が残るのか。
 誰が、自分を見てくれるのか。

 考えれば考えるほど自分の醜さが際立ち、嫌いになる。

「…………もう、嫌だ」

「やきそば、おいしくなかった?」

「焼きそばはおいしかっ――――へ!?」

 いきなり誰かの声が聞こえ、咄嗟に体を起こす。
 そこには、目を丸くしている翔と弥狐が静華の隣にしゃがんでいた。

「な、なんでここにいるの? 遊んでいたんじゃないの?」

 聞いた後に気づく。
 あんな、大きな声を出したのだ、何事もなかったかのように遊べるわけがない。

「……ごめん、私が邪魔したんだね」

 すぐに目を逸らし、枕に顔を埋める。
 今、翔達の相手をしている余裕はないため、部屋から出るように促した。

 だが、二人は出て行かない。
 隣に座り、動かない。

 気配を感じ、気になって仕方がない。

「…………なにか、用?」

「お姉ちゃん、泣いてる。痛い?」

 翔が不安そうに、静華の頭を小さい手で撫でる。
 子供なりに静華が落ち込んでいることを察しているのか、同情するように泣きそうな表情を向けた。

 ――――翔君にも気を遣わせてしまっている。でも、笑えない。”大丈夫”なんて、言えない。

 安心させるための嘘でもなんでも、何か言わなければならないと思っているのに、静華の口からは何も出ない。

 数秒の沈黙。
 重く、今にも押しつぶされそうになる。

 そんな時、弥狐が立ちあがり、笑みを静華に向けた。

『静華よ。少々、共に来てくれぬか?』

「――――え、どこに?」

『来れば分かる』

 凛々しく、どこか儚い。
 でも、朱色の瞳は真っすぐ静華を見続ける。

 まるで、何かのメッセージが込められているかのよう。

 どこかに行く気力はなく、動きたくもない。
 でも、断らせない迫力を感じ、頷くしか出来なかった。

『頷いてくれて良かった。では、くぞ』

 ※

 弥狐は星空の下、田舎道を進む。
 その後ろを静華と翔も歩く。

 もう、翔は寝る時間のはずなのだが、興奮しているらしく全然眠そうには見えない。
 今も、元気に木の棒を手に持ち、振り回しながら歩いていた。

「弥狐君、どこに行くの? もうそろそろ教えてくれないかな」

『あともう少しだ』

「そうじゃなくて…………」

 どこに向かっているのか、目的地を教えてほしいのだがと思いながらも、これ以上聞いても答えてはくれないだろうと諦めた。

 息を吐き、周りの景色を楽しみながら歩く。

 ――――夜は、夏でも風は冷たいから気持ちいいな。

 雲は一つない星空。
 月明りで辺りは明るく、都会では考えられない景色が広がっていた。

 都会は便利で、楽しめる場所が多い。
 だが、空気は排気ガスなどで汚いと言われている。
 高い建物も沢山建てられ、空を見上げる事が出来ない。

 逆に田舎は不便。
 お店は少なく、スーパー行くのに車や公共交通機関が必要。
 でも、空気は綺麗で、澄んでいる。

 それぞれいい所と悪い所がある。

 そんな事を考えながら歩いていると、紅城神社が目に入った。
 ここでは、明日からお祭りが開催される予定。

 覗いてみると、もう準備は出来ており、屋台を隠すためにかぶせられている布を取るだけとなっていた。

 夕方の時では、まだ忙しなく動いている人達で埋め尽くされていた紅城神社。今は静かで、誰もいない。

 当たり前な事なのに、今は異様に寂しく感じる。
 思わず足を止めてしまうと、弥狐も足を止め、翔も隣に移動し神社を見上げた。

「どうしたの?」

「…………なんでもないよ」

 翔に聞かれたが、特に深い理由はないため、誤魔化し歩みを進めた。

 弥狐も『なにかあったのか?』と問いかけるが、「なんでもない」と返す。

 これ以上は何も聞かずに、案内を再開。

 ザッ、ザッと。
 三人の足音が静かな空間に流れる。

 風の音に耳を傾けていると、弥狐がやっと足を止めた。

『ついたぞ』

「え、ついたって…………」

 目の前には、何もない。ただ、田舎道が続いているだけ。
 歩いてきた道を振り返るが、前方と何も変わらない。

 なぜ、ここで立ち止まったのか。
 不思議に思いながら立ち尽くしていると、弥狐が両手を狐の形にする。

「――――え?」

『窓を作れば、見られるぞ。我の世界が』

 言いながら弥狐は、狐の形にした手を目の上で重ね、狐の窓を作り出した。

 ――――狐の、窓。

 つられるように静華は、狐の窓を作り出す。
 隣では翔も、格闘しながらも無事に狐の窓を作り出す事ができ、静華と共に田舎道を見た。

『行くぞ。――”けしやうのものか、ましやうのものか正体をあらわせ。”』

 弥狐が狐の窓を覗く際に呟く言葉を三回、言い放つ。

 ――――えっ。

 同時に、狐の窓から覗いた景色に変化が訪れた。

 今までの田舎道とは全く違う景色。
 まるでそこは、本物のお祭りの世界のよう。
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