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番外編 ベイルの一大事

01 事件は突然に

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「殿下! ヒルデガルド王女殿下! 大変でございます、デルモンド侯爵閣下が……!」

 広々としているがやけに簡素な城に、慌てふためいた使用人の声が響く。
 ヒルデガルドは握っていた羽根ペンを投げ捨てて、即座に立ち上がった。

「ベイルがなんですって?」

 空色の瞳を揺らし、自ら執務室の扉を開ける。
 ただならぬ使用人の様子に、ヒルデガルドの胸は嫌な音を立てて暴れていた。



 ここはかつて魔国と呼ばれていた場所である。
 救国の戦乙女ルーチェ率いる勇者パーティが魔王を討伐し、魔族や魔物の脅威を退けた。
 そんなパーティの聖騎士パラディンとして戦いに挑んだベイル・デルモンド侯爵が、王国の黒薔薇と称される美姫、ヒルデガルド・ユーグランドとの婚約を発表したのが三ヶ月前のこと。
 魔王討伐の褒賞と王女の嫁入りにと選ばれたのがこの土地で、正式に婚姻を結ぶ一年後、ここは大公領として、爵位を賜るヒルデガルドが治めることとなる。それは完全なる自治権を有する土地。すなわち、公国だ。
 ヒトの国だったものならまだしも、魔族が治めていた土地を新たな国として興すのには途方もない金と労力、そして人がいる。
 たった一年の猶予で、ほぼ森のこの場所を開拓すべく、ヒルデガルドは日夜政務に励んでいるのだ。

 現に今もこうして森の現地調査を兼ねて専門家と出向き、元魔王城で書類仕事の真っ最中だった。
 森へは婚約者のベイルが陣頭指揮をとり、街道予定地は問題がないか、魔物の残党がいればそれの殲滅を、と任せていたのだが。


「ベイル!」

 息を切らしホールまで赴くと、そこにはぐったりとした巨体を数人がかりで支えられている、婚約者の姿が。

「どうして……」
「王女殿下! 申し訳ありません、我々がついていながら」

 切羽詰まった様子で駆け寄ってきたのは、ベイルと共に魔王討伐を果たした男女の魔導士コンビ、大魔導師ティトと白魔導師ミアだった。
 彼らは森の生態系の調査のために同行していたのだが、おかしい。白魔導士であるミアは回復魔法が使えるのに、どうしてベイルがこのような状態なのか。

「説明を」
「──っ、姫さ……」

 掠れた声でヒルデガルドの言葉を遮ったのは他でもないベイルだった。
 たった今まで歩くのもままならない様子だったのに、ヒルデガルドの声のする方へ大股で踏み出すと、力強く彼女を抱き竦めた。

「ぐっ……! ベ、イルっ、くるし……っ!」

 熱烈な抱擁は嬉しいものではあるが、どういう状況なのか全く理解が追いつかない。こんな人目につく場所で抱きしめられるのは、初めてだったからだ。

「は……ぁ、悪ぃ……、これで……落ち着くはず、だ」

 はぁっと熱い息を吐き、髪に指を絡め地肌を撫でる。耳裏に鼻を擦りつけて、ベイルは大きく息を吸い込んだ。
 ともすれば求愛行動とも呼べそうなその行動に、ヒルデガルドは全身を甘く震わせた。

「待って、待って待って待って。そういうのはわたくしが……っ、じゃなくて本当にどうしたのベイル?! あなたらしくなくってよ?!」

 普段は押せ押せなヒルデガルドだが、その逆への耐性は全くと言っていいほどない。十三も年上のベイルは見た目とは違い理知的で、暴走しがちな彼女を優しく窘める役割をも担っているからだ。

「殿下! ベイルはその……特殊な植物の毒素を吸い込んでしまって」
「毒ですって?」

 ベイルの腕の中で、空色の瞳を鋭くした。

「申し訳ありません! ベイルさんはわたしを庇ってくれたんです。魔化した植物のサンプルを採取しようと踏み込んだら、突然襲ってきて、それで……」
「魔力持ちにしか効かない毒素を含んだ花粉です。僕たちを庇ってベイルひとりがそれを受けてしまって」
「なんてこと……」

 彼らと話している最中も、ヒルデガルドを抱きしめる力は少しも緩まない。それどころか下腹部に何やら硬いものが押し付けられている気がする。

「……一応聞くのだけれど、その、毒って?」
「えっと……それが……っ」
「さっ、催淫作用のある毒素なんです! 魔力をそういう、なんていうか、性的欲求に変えてしまうもので!」
「……では、解毒は? できるのではなくって?」
「わたしは白魔導士なので、体力の回復や傷の治癒はできるのですが、解毒は専門外で……」
「聖騎士であるベイルなら解毒はできるのですが、ご存じの通り回復呪文を自身にかけることはできないのです。魔力を喰う特殊な毒なので薬も効かず、時間も経ってしまったので今更術も効きません……」
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