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一章
53、図書館の思い出【2】
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さて、閲覧席で読書でもするかと、手にした本をぱらぱらと開いた。
何やら挿し絵が、なよっとしている。
どういうことだ? 武勲詩だよな、そもそも挿し絵などあっただろうか。と表紙を見ると。そこには『もてない騎士のための恋愛指南。雅な騎士になれば、乙女もメロメロよ』と題字が記されていた。
しかも裏表紙に女の子の絵が描いてあって『この恋愛講座は七十年の歴史があるの。一日三十分で、モテモテよ』とも書いてある。
「雅な騎士になれば、乙女もメロメロ……よ?」
少し……ほんの少しだけ興味を抱かなかったわけではない。
だが、よくよく考えたら七十年も前の騎士は、それこそ領土争いの戦いに馳せ参じたり、領主の無理難題と忠義の狭間で悩んだりと、恋愛にうつつを抜かすほどの暇はなかったはずだ。
「いい加減なことを」
呆れた俺は、書架に本を戻そうとした。その時、手から落ちてしまったのだ。
ばさりと落ちた本を拾おうとすると、磨き抜かれた木の床に足が見えた。
「済まない。本が当たらなかったか?」
「いいえ。平気ですよ」
耳をかすめるそよ風のような声。この声は、知っている。
聞き間違えるはずがない。そう多くは耳にしたことはないが、記憶の中で反芻して覚えているからだ。
「はい、どうぞ」
本を拾って手渡してくれたのは、レナーテだ。まだ学生の。
ど、どどど、どうしよう。俺は緊張のあまり、固まってしまった。
まさか同じ日の同じ時間に図書館にいるとは思わなかった。
レナーテは学校帰りのようで、白いワンピースの制服に、琥珀色の髪をきっちりと三つ編みにして肩に垂らしている。
どう返すのが正解だ? 待て、もしかして答えはこの本の中にあるんじゃないか?
本を拾おうとした中腰の姿勢のままだったので、身長の低いレナーテと顔が同じような位置になる。
うわっ。こんな間近で顔を見たのは初めてだ。
紫水晶のような美しい彼女の瞳に、びっくりした俺の表情が映っている。
というか、俺。こんなにも驚いた顔ってできたのか。
図書館の古い本のにおいと共に、甘い花の香りが微かに鼻をかすめた。
「人気ですよね、その本。騎士さまのもあるなんて存じ上げませんでした」
「あの、それは、どういう」
俺の声はみっともないほどに上ずっていた。
分かるか? レナーテが、見ず知らずの俺に話しかけてくれたんだぞ。
無論、図書館だから囁き声だが。
いや、声をひそめているからこそ、まるで親密な中のように錯覚しそうになった。
俺はもしかして人生の運のすべてを、今使ってしまったのではなかろうか。
「学校の修道女の先生たちに隠れて、友人たちが読んでいるんです。『ウブな乙女のための恋愛指南。魔性の女になれば、男もメロメロよ』です」
そしてレナーテは、その嫋やかな指で裏表紙を指し示した。
「これも同じなんですね。七十年の歴史がある恋愛講座ですって。恋愛上手になるのかしら」
ふふっ、と楽しげにレナーテが微笑んだ。
図書館の中は薄暗いのに、光が弾けたように思えた。
「レ……」
彼女の名を呼びかけそうになり、俺は慌てて手で口を押えた。馬鹿っ、レナーテなどと呼んだりしたら、なぜ名前を知っているのかと怪しまれるだろうが。
ちなみになぜ知っているかというと、単に彼女の友人が「レナーテ」と呼んでいるのを聞いたことがあるからだ。それ以上の接点はない。
「れ?」とレナーテが首を傾げるから、三つ編みが少し揺れた。
「れ、恋愛上手になりたいのか?」
何を訊いてるんだ、俺。ああ、騎士としての鍛錬や勉強、マナーは積んできたが。やはり若い世代の騎士のように女性と洗練された会話など夢のまた夢だ。
レナーテは少し天井を仰ぐと、柔らかく目を細めた。
「教えてくださる方もいないので。お恥ずかしいですけれど、恋ってよく分からないんです」
愚かな質問だったのに、レナーテは呆れることもなく応えてくれた。
そもそも厳格な教会学校の学生だ。友人同士で恋に憧れる話はしても、見ず知らずの男からそんな質問をされることなどないだろう。
俺はレナーテと話せたことが嬉しくて。だが、二度とこんな機会は訪れないかもしれないと思うと、泣きたい気持ちになった。
もう三年も前のことだ。
何やら挿し絵が、なよっとしている。
どういうことだ? 武勲詩だよな、そもそも挿し絵などあっただろうか。と表紙を見ると。そこには『もてない騎士のための恋愛指南。雅な騎士になれば、乙女もメロメロよ』と題字が記されていた。
しかも裏表紙に女の子の絵が描いてあって『この恋愛講座は七十年の歴史があるの。一日三十分で、モテモテよ』とも書いてある。
「雅な騎士になれば、乙女もメロメロ……よ?」
少し……ほんの少しだけ興味を抱かなかったわけではない。
だが、よくよく考えたら七十年も前の騎士は、それこそ領土争いの戦いに馳せ参じたり、領主の無理難題と忠義の狭間で悩んだりと、恋愛にうつつを抜かすほどの暇はなかったはずだ。
「いい加減なことを」
呆れた俺は、書架に本を戻そうとした。その時、手から落ちてしまったのだ。
ばさりと落ちた本を拾おうとすると、磨き抜かれた木の床に足が見えた。
「済まない。本が当たらなかったか?」
「いいえ。平気ですよ」
耳をかすめるそよ風のような声。この声は、知っている。
聞き間違えるはずがない。そう多くは耳にしたことはないが、記憶の中で反芻して覚えているからだ。
「はい、どうぞ」
本を拾って手渡してくれたのは、レナーテだ。まだ学生の。
ど、どどど、どうしよう。俺は緊張のあまり、固まってしまった。
まさか同じ日の同じ時間に図書館にいるとは思わなかった。
レナーテは学校帰りのようで、白いワンピースの制服に、琥珀色の髪をきっちりと三つ編みにして肩に垂らしている。
どう返すのが正解だ? 待て、もしかして答えはこの本の中にあるんじゃないか?
本を拾おうとした中腰の姿勢のままだったので、身長の低いレナーテと顔が同じような位置になる。
うわっ。こんな間近で顔を見たのは初めてだ。
紫水晶のような美しい彼女の瞳に、びっくりした俺の表情が映っている。
というか、俺。こんなにも驚いた顔ってできたのか。
図書館の古い本のにおいと共に、甘い花の香りが微かに鼻をかすめた。
「人気ですよね、その本。騎士さまのもあるなんて存じ上げませんでした」
「あの、それは、どういう」
俺の声はみっともないほどに上ずっていた。
分かるか? レナーテが、見ず知らずの俺に話しかけてくれたんだぞ。
無論、図書館だから囁き声だが。
いや、声をひそめているからこそ、まるで親密な中のように錯覚しそうになった。
俺はもしかして人生の運のすべてを、今使ってしまったのではなかろうか。
「学校の修道女の先生たちに隠れて、友人たちが読んでいるんです。『ウブな乙女のための恋愛指南。魔性の女になれば、男もメロメロよ』です」
そしてレナーテは、その嫋やかな指で裏表紙を指し示した。
「これも同じなんですね。七十年の歴史がある恋愛講座ですって。恋愛上手になるのかしら」
ふふっ、と楽しげにレナーテが微笑んだ。
図書館の中は薄暗いのに、光が弾けたように思えた。
「レ……」
彼女の名を呼びかけそうになり、俺は慌てて手で口を押えた。馬鹿っ、レナーテなどと呼んだりしたら、なぜ名前を知っているのかと怪しまれるだろうが。
ちなみになぜ知っているかというと、単に彼女の友人が「レナーテ」と呼んでいるのを聞いたことがあるからだ。それ以上の接点はない。
「れ?」とレナーテが首を傾げるから、三つ編みが少し揺れた。
「れ、恋愛上手になりたいのか?」
何を訊いてるんだ、俺。ああ、騎士としての鍛錬や勉強、マナーは積んできたが。やはり若い世代の騎士のように女性と洗練された会話など夢のまた夢だ。
レナーテは少し天井を仰ぐと、柔らかく目を細めた。
「教えてくださる方もいないので。お恥ずかしいですけれど、恋ってよく分からないんです」
愚かな質問だったのに、レナーテは呆れることもなく応えてくれた。
そもそも厳格な教会学校の学生だ。友人同士で恋に憧れる話はしても、見ず知らずの男からそんな質問をされることなどないだろう。
俺はレナーテと話せたことが嬉しくて。だが、二度とこんな機会は訪れないかもしれないと思うと、泣きたい気持ちになった。
もう三年も前のことだ。
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