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一章
41、夜の庭【1】
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その夜は早く寝たので、夜中になる前に俺は目が覚めてしまった。
月明りに照らされた寝室は、ぼんやりと明るく。四角く切り取られた檸檬色の明かりが、床を照らしている。
レナーテは、と見ると静かに眠っていた。
俺は音を立てぬようにベッドから降りて、そのまま部屋の外に出る。
階段を下り、テラスから庭へ出ると、木々の葉が月光に照らされて艶めいて見えた。
ガーデニアの甘く涼しい香りが鼻をかすめる。
ああ、そうか。夜の方が強く香るのだな。レナーテと暮らさなければ、そんなことも気に留めなかった。
ふいに背後から土を踏む音が聞こえて、俺は警戒した。
動物の足音ではない。侵入者か?
足音は近づいてくる。俺は大きな木の葉の陰に隠れ、息をひそめた。
ここで対処しておかないと、レナーテの眠りを妨げることになる。
暗がりに身を潜ませた俺の姿を見失ったのだろう。足音は迷うように、立ち止まったり、行ったり来たりを繰り返す。
「エルヴィンさま……いらっしゃらないの?」
へ? レナーテなのか?
葉陰から視線を凝らすと、涼しい月明りに照らされて、レナーテの琥珀色の髪が光を弾いている。
その表情は頼りなく、俺を求めて視線を彷徨わせている。
「レナーテ、どうして」
「きゃあっ!」
いきなり現れた俺に驚いたレナーテは、こぼれんばかりに目を見開き。そしてその場にしゃがみ込んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。見逃してください。わたし、お金を持ってないんです」
「おい、レナーテ」
「う、ううっ。エルヴィンさまぁ。助けて……」
いや、その俺はここに居るのだが。
「わたし、このまま殺されてしまうの? 最後にエルヴィンさまにお会いしたかった……」
会ってるよ、今。しかも別に最後じゃないから。
だが、レナーテは地面にしゃがみ込んで両手で顔を覆っているものだから、俺の顔も見てくれないし。混乱しすぎて俺の言葉も届いていないようだ。
困ったな。これじゃ俺が不審な侵入者だ。
レナーテの側にしゃがみ込み、彼女の頭をそっと撫でてやる。指が触れた瞬間、彼女は驚くほど、びくりと身を竦ませたが。
だが、ゆっくりと優しく手を動かすと、次第に緊張がとけたようだ。
「もしかしてエルヴィンさま?」
「ああ、そうだよ」
「殺人鬼は?」
「うん、そもそもいないな。庭には俺しかいなかったから」
そう告げると、突然レナーテが俺に抱きついてきた。体の均衡を崩して倒れ込みそうなほどに、激しく。
「怖かったの。殺されるかと思ったんです」
「大丈夫。勘違いだから」
しがみついてくる彼女の頭を撫でながら、俺は少し上体を屈めて柔らかな髪に顔を埋めた。
庭から香るガーデニアと、レナーテの甘い香り。どちらも同じで、心が満たされていく。
そうか、君は最後に俺に会いたかったのだな。
家族でもなく、友人でもなく。結婚したばかりの俺に。
こんなにも愛されて、また天に召されるかと思った。
だが、少々俺も図太くなってしまったようだ。つい我儘を口にしてしまうのだから。
「なぁ、レナーテ。もう一度言ってくれないか?」
「何をでしょうか」
相変わらず俺から離れる気は微塵もないらしい。レナーテの問いかけは、俺の胸の辺りに振動として伝わってきた。
月明りに照らされた寝室は、ぼんやりと明るく。四角く切り取られた檸檬色の明かりが、床を照らしている。
レナーテは、と見ると静かに眠っていた。
俺は音を立てぬようにベッドから降りて、そのまま部屋の外に出る。
階段を下り、テラスから庭へ出ると、木々の葉が月光に照らされて艶めいて見えた。
ガーデニアの甘く涼しい香りが鼻をかすめる。
ああ、そうか。夜の方が強く香るのだな。レナーテと暮らさなければ、そんなことも気に留めなかった。
ふいに背後から土を踏む音が聞こえて、俺は警戒した。
動物の足音ではない。侵入者か?
足音は近づいてくる。俺は大きな木の葉の陰に隠れ、息をひそめた。
ここで対処しておかないと、レナーテの眠りを妨げることになる。
暗がりに身を潜ませた俺の姿を見失ったのだろう。足音は迷うように、立ち止まったり、行ったり来たりを繰り返す。
「エルヴィンさま……いらっしゃらないの?」
へ? レナーテなのか?
葉陰から視線を凝らすと、涼しい月明りに照らされて、レナーテの琥珀色の髪が光を弾いている。
その表情は頼りなく、俺を求めて視線を彷徨わせている。
「レナーテ、どうして」
「きゃあっ!」
いきなり現れた俺に驚いたレナーテは、こぼれんばかりに目を見開き。そしてその場にしゃがみ込んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。見逃してください。わたし、お金を持ってないんです」
「おい、レナーテ」
「う、ううっ。エルヴィンさまぁ。助けて……」
いや、その俺はここに居るのだが。
「わたし、このまま殺されてしまうの? 最後にエルヴィンさまにお会いしたかった……」
会ってるよ、今。しかも別に最後じゃないから。
だが、レナーテは地面にしゃがみ込んで両手で顔を覆っているものだから、俺の顔も見てくれないし。混乱しすぎて俺の言葉も届いていないようだ。
困ったな。これじゃ俺が不審な侵入者だ。
レナーテの側にしゃがみ込み、彼女の頭をそっと撫でてやる。指が触れた瞬間、彼女は驚くほど、びくりと身を竦ませたが。
だが、ゆっくりと優しく手を動かすと、次第に緊張がとけたようだ。
「もしかしてエルヴィンさま?」
「ああ、そうだよ」
「殺人鬼は?」
「うん、そもそもいないな。庭には俺しかいなかったから」
そう告げると、突然レナーテが俺に抱きついてきた。体の均衡を崩して倒れ込みそうなほどに、激しく。
「怖かったの。殺されるかと思ったんです」
「大丈夫。勘違いだから」
しがみついてくる彼女の頭を撫でながら、俺は少し上体を屈めて柔らかな髪に顔を埋めた。
庭から香るガーデニアと、レナーテの甘い香り。どちらも同じで、心が満たされていく。
そうか、君は最後に俺に会いたかったのだな。
家族でもなく、友人でもなく。結婚したばかりの俺に。
こんなにも愛されて、また天に召されるかと思った。
だが、少々俺も図太くなってしまったようだ。つい我儘を口にしてしまうのだから。
「なぁ、レナーテ。もう一度言ってくれないか?」
「何をでしょうか」
相変わらず俺から離れる気は微塵もないらしい。レナーテの問いかけは、俺の胸の辺りに振動として伝わってきた。
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