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一章
32、湖畔へお出かけ【3】
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「あ、済みません。つまらない話でしたね」
「いや。そんなことはない。俺の知らないレナーテを知ることが出来て、嬉しかったんだ。むしろ、もっと貴女のことを教えてほしい」
思ったことを告げただけなのに。レナーテは、まさに花開くような笑顔を見せた。
朝露をまとう薄紅の薔薇のような、幾重にも幾重にも柔らかな花弁が開いていくような。そんな優しい笑顔だ。
「それにしてもこれは、結構高値で売れるんじゃないか?」
「ありがたいことに。でも学生の間は、収益は教会に寄付していたんです」
俺とレナーテは顔を見合わせた。
俺の仕事が始まれば、日中はレナーテと一緒に居てやることは出来ない。しかも家事は、使用人を雇っているから基本的に必要はない。
令嬢といっても、お洒落や豪華さを競うお嬢さまと違い、教会学校に通っていたレナーテは清楚で華美を苦手としている。
「あの、エルヴィンさま。わたし、これを仕事にしてもいいですか?」
レナーテは、ためらいがちに尋ねてきた。
そうか、君は自分の居場所が急に変わってしまい、自信を無くしていたのだな。
掃除にも庭の手入れにも、自分の力は必要がなく。今更、うわべだけの社交ができるはずもない。
俺は、君を鳥籠に押し込めようとしていたのか。
そう考えると、ぞっとした。
安全で、何もする必要のない不足のない生活。それはどれほど退屈なことだろう。
レナーテは燐寸で火を点けるのですら、楽しそうにしていたではないか。
日々、帰宅する俺を出迎えてくれるレナーテ。その笑顔が、徐々に乾いた空虚なものになっていったとしたら。それは彼女を閉じ込めた俺の責任だ。
「もちろんだ。商いの伝手はあるのか?」
「はい。修道院に出入りなさっている商人がいますから。このレースは、外国にも輸出されているんですよ。とくに花嫁のベールが高値で取引されています。糸の宝石と呼ばれているんですって」
知らなかった。
そういえば、結婚式でレナーテがかぶっていたベールも繊細なレースだったが。もしかして手作りか?
「レナーテはすごいなぁ」
「え? どうなさったんですか、急に」
「いや。単純にそう思っただけだ」
肌触りの良い布を畳みながら「でも、先人が遺してくださった技法やパターンを、代々受け継いでいるだけなんですよ」と、はにかみながら微笑んだ。
いや、俺がこのレースを編んだとしたら、きっと絹糸が絡まってぐちゃぐちゃになってしまうぞ。
だが、レナーテが元気になったのなら、俺は嬉しい。
籠の中に入れていた薄い皿を取りだし、レナーテに差し出す。フォークも添えて。
目の前に現れたウサギと木の葉と白鳥を模した林檎に、レナーテは紫水晶のような澄んだ瞳を輝かせる。
林檎には檸檬の果汁を振りかけてあるので、茶色く変色もしていない。
「いただいても、いいんですか?」
「勿論だよ」
「エルヴィンさまは、どれになさいます?」
俺の膝に載せた皿と、俺の顔を交互に見ながら尋ねて来るが。そこまで勘が鈍いわけではないから、彼女が求めているものは分かる。
「そうだな、俺は木の葉にしようか」
「じゃ、じゃあ。白鳥をいただいても?」
笑いを堪えるのに苦労した。そうだよ、レナーテ。君のために剥いたんだ。
メインは白鳥とウサギであり、木の葉の形の林檎は、あくまでも添え物だからな。
だが俺は、その時背後から忍び寄る人影に気づかなかった。
「いや。そんなことはない。俺の知らないレナーテを知ることが出来て、嬉しかったんだ。むしろ、もっと貴女のことを教えてほしい」
思ったことを告げただけなのに。レナーテは、まさに花開くような笑顔を見せた。
朝露をまとう薄紅の薔薇のような、幾重にも幾重にも柔らかな花弁が開いていくような。そんな優しい笑顔だ。
「それにしてもこれは、結構高値で売れるんじゃないか?」
「ありがたいことに。でも学生の間は、収益は教会に寄付していたんです」
俺とレナーテは顔を見合わせた。
俺の仕事が始まれば、日中はレナーテと一緒に居てやることは出来ない。しかも家事は、使用人を雇っているから基本的に必要はない。
令嬢といっても、お洒落や豪華さを競うお嬢さまと違い、教会学校に通っていたレナーテは清楚で華美を苦手としている。
「あの、エルヴィンさま。わたし、これを仕事にしてもいいですか?」
レナーテは、ためらいがちに尋ねてきた。
そうか、君は自分の居場所が急に変わってしまい、自信を無くしていたのだな。
掃除にも庭の手入れにも、自分の力は必要がなく。今更、うわべだけの社交ができるはずもない。
俺は、君を鳥籠に押し込めようとしていたのか。
そう考えると、ぞっとした。
安全で、何もする必要のない不足のない生活。それはどれほど退屈なことだろう。
レナーテは燐寸で火を点けるのですら、楽しそうにしていたではないか。
日々、帰宅する俺を出迎えてくれるレナーテ。その笑顔が、徐々に乾いた空虚なものになっていったとしたら。それは彼女を閉じ込めた俺の責任だ。
「もちろんだ。商いの伝手はあるのか?」
「はい。修道院に出入りなさっている商人がいますから。このレースは、外国にも輸出されているんですよ。とくに花嫁のベールが高値で取引されています。糸の宝石と呼ばれているんですって」
知らなかった。
そういえば、結婚式でレナーテがかぶっていたベールも繊細なレースだったが。もしかして手作りか?
「レナーテはすごいなぁ」
「え? どうなさったんですか、急に」
「いや。単純にそう思っただけだ」
肌触りの良い布を畳みながら「でも、先人が遺してくださった技法やパターンを、代々受け継いでいるだけなんですよ」と、はにかみながら微笑んだ。
いや、俺がこのレースを編んだとしたら、きっと絹糸が絡まってぐちゃぐちゃになってしまうぞ。
だが、レナーテが元気になったのなら、俺は嬉しい。
籠の中に入れていた薄い皿を取りだし、レナーテに差し出す。フォークも添えて。
目の前に現れたウサギと木の葉と白鳥を模した林檎に、レナーテは紫水晶のような澄んだ瞳を輝かせる。
林檎には檸檬の果汁を振りかけてあるので、茶色く変色もしていない。
「いただいても、いいんですか?」
「勿論だよ」
「エルヴィンさまは、どれになさいます?」
俺の膝に載せた皿と、俺の顔を交互に見ながら尋ねて来るが。そこまで勘が鈍いわけではないから、彼女が求めているものは分かる。
「そうだな、俺は木の葉にしようか」
「じゃ、じゃあ。白鳥をいただいても?」
笑いを堪えるのに苦労した。そうだよ、レナーテ。君のために剥いたんだ。
メインは白鳥とウサギであり、木の葉の形の林檎は、あくまでも添え物だからな。
だが俺は、その時背後から忍び寄る人影に気づかなかった。
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