11 / 77
一章
11、慣れなければなりません
しおりを挟む
きっとエルヴィンさまに呆れられてしまいました。
わたしは唇を噛みしめながら、彼の左右の肩に両手を置きました。
布地を通しても、がっしりとした肉体の様子がてのひらに伝わってきます。背中を支えてくれる大きな手。
昨夜はこの手が、わたしの素肌に触れていたんです。
学校では「貞淑な妻になりなさい」と教えられてきたけれど。でも、夫婦ってそれだけじゃないですよね。
愛し合う夫婦には、きっと子どもが授かるでしょうと修道女でもある先生は教えてくださったけれど。具体的なことは、仰らなかったわ。
なんだか、お日さまと雨がどうのとか、種子が芽吹いてとか。どうして結婚生活の話をなさっているのに、先生は子ども向けの生物の授業のような説明をするのか、まったく分からなかったんです。
もちろん、何をすれば子どもを授かるのかは、わたしだって知っています。友人たちから聞いているもの。
けれど、その……行為以外はどう接したらいいんですか?
エルヴィンさま以外に、尋ねられる人なんていないわ。
「しっかりつかまっていなさい」と仰ると、エルヴィンさまは片手を離して、椅子を引きました。
その椅子をしばし眺めた後、ゆっくりとわたしを下ろしてくださいます。
膝までめくれあがってしまったワンピースの裾を、直してくださるのですけれど。何故かエルヴィンさまはその場を動きません。
「食事はパンとか牛乳ですよね。あとはチーズに果物かしら。わたし、用意しますよ」
ダイニングにある棚の上に、かごに入った林檎やオレンジが見えます。布巾が掛けられているのは黒パンでしょう。塊をナイフで切り分けるのは慣れているんです。
そう思って椅子から降りようとした時、エルヴィンさまに肩を押さえられました。
再び腰を下ろしたわたしの前に、エルヴィンさまがひざまずきます。
まるでお姫さまと騎士みたい。いえ、エルヴィンさまは騎士ですし副団長ですよね。わたしはお姫さまでも何でもないですけれど。
「レナーテ。俺は長らく騎士団の宿舎で暮らしてきた。集団生活には慣れているが、武骨で野暮な男どもしか知らん」
「は、はい」
低い位置からわたしを見上げてくるエルヴィンさま。そのまなざしはまっすぐで、射抜かれてしまいそう。
そういえば騎士は狩りをなさるものね。副団長のエルヴィンさまなら、きっと主のお供をして狩りも慣れていらっしゃるのだわ。
野原や川辺では獣や鳥を狩り、街では女性を狩るのかしら。
ええ、武器なんていらないわ。その強いまなざしひとつで、煙水晶のような美しい瞳に見据えられただけで女性たちは、エルヴィンさまにめろめろになってしまうのよ。
「う……うぅ」
どうしましょう。わたしのことを見初めて妻にと望んでくださったけれど。もし、もっと素敵な女性が現れたら、エルヴィンさまはその方を選ぶんじゃないかしら。
「レナーテ。どうしたんだ?」
怪訝に眉をひそめて問いかけてくるエルヴィンさまの声も、ただ耳を素通りするだけ。
わたしの脳内では、あでやかな女性がエルヴィンさまと腕を組んで寄り添いながら歩く姿が浮かんでいました。
しかも、その二人を木の陰から眺めるわたし。
――ねぇ、あの子またついて来ているわ。
――視線を合わせてはいけない。勘違いで結婚してしまった元妻だ。もう離縁したというのにしつこくてね。
――お可哀想な、エルヴィンさま。
「う……う、うぅ。捨てないで……ぇ」
「え? 俺は何かあなたの私物を捨ててしまったのか? それともさっき古くなったオレンジを捨てたのだが。もしかして、あれを食べたかったのか? 熟成させていたとか」
わたしは唇を噛みしめながら、彼の左右の肩に両手を置きました。
布地を通しても、がっしりとした肉体の様子がてのひらに伝わってきます。背中を支えてくれる大きな手。
昨夜はこの手が、わたしの素肌に触れていたんです。
学校では「貞淑な妻になりなさい」と教えられてきたけれど。でも、夫婦ってそれだけじゃないですよね。
愛し合う夫婦には、きっと子どもが授かるでしょうと修道女でもある先生は教えてくださったけれど。具体的なことは、仰らなかったわ。
なんだか、お日さまと雨がどうのとか、種子が芽吹いてとか。どうして結婚生活の話をなさっているのに、先生は子ども向けの生物の授業のような説明をするのか、まったく分からなかったんです。
もちろん、何をすれば子どもを授かるのかは、わたしだって知っています。友人たちから聞いているもの。
けれど、その……行為以外はどう接したらいいんですか?
エルヴィンさま以外に、尋ねられる人なんていないわ。
「しっかりつかまっていなさい」と仰ると、エルヴィンさまは片手を離して、椅子を引きました。
その椅子をしばし眺めた後、ゆっくりとわたしを下ろしてくださいます。
膝までめくれあがってしまったワンピースの裾を、直してくださるのですけれど。何故かエルヴィンさまはその場を動きません。
「食事はパンとか牛乳ですよね。あとはチーズに果物かしら。わたし、用意しますよ」
ダイニングにある棚の上に、かごに入った林檎やオレンジが見えます。布巾が掛けられているのは黒パンでしょう。塊をナイフで切り分けるのは慣れているんです。
そう思って椅子から降りようとした時、エルヴィンさまに肩を押さえられました。
再び腰を下ろしたわたしの前に、エルヴィンさまがひざまずきます。
まるでお姫さまと騎士みたい。いえ、エルヴィンさまは騎士ですし副団長ですよね。わたしはお姫さまでも何でもないですけれど。
「レナーテ。俺は長らく騎士団の宿舎で暮らしてきた。集団生活には慣れているが、武骨で野暮な男どもしか知らん」
「は、はい」
低い位置からわたしを見上げてくるエルヴィンさま。そのまなざしはまっすぐで、射抜かれてしまいそう。
そういえば騎士は狩りをなさるものね。副団長のエルヴィンさまなら、きっと主のお供をして狩りも慣れていらっしゃるのだわ。
野原や川辺では獣や鳥を狩り、街では女性を狩るのかしら。
ええ、武器なんていらないわ。その強いまなざしひとつで、煙水晶のような美しい瞳に見据えられただけで女性たちは、エルヴィンさまにめろめろになってしまうのよ。
「う……うぅ」
どうしましょう。わたしのことを見初めて妻にと望んでくださったけれど。もし、もっと素敵な女性が現れたら、エルヴィンさまはその方を選ぶんじゃないかしら。
「レナーテ。どうしたんだ?」
怪訝に眉をひそめて問いかけてくるエルヴィンさまの声も、ただ耳を素通りするだけ。
わたしの脳内では、あでやかな女性がエルヴィンさまと腕を組んで寄り添いながら歩く姿が浮かんでいました。
しかも、その二人を木の陰から眺めるわたし。
――ねぇ、あの子またついて来ているわ。
――視線を合わせてはいけない。勘違いで結婚してしまった元妻だ。もう離縁したというのにしつこくてね。
――お可哀想な、エルヴィンさま。
「う……う、うぅ。捨てないで……ぇ」
「え? 俺は何かあなたの私物を捨ててしまったのか? それともさっき古くなったオレンジを捨てたのだが。もしかして、あれを食べたかったのか? 熟成させていたとか」
2
お気に入りに追加
1,872
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。

婚約者が他の令嬢に微笑む時、私は惚れ薬を使った
葵 すみれ
恋愛
ポリーヌはある日、婚約者が見知らぬ令嬢と二人きりでいるところを見てしまう。
しかも、彼は見たことがないような微笑みを令嬢に向けていた。
いつも自分には冷たい彼の柔らかい態度に、ポリーヌは愕然とする。
そして、親が決めた婚約ではあったが、いつの間にか彼に恋心を抱いていたことに気づく。
落ち込むポリーヌに、妹がこれを使えと惚れ薬を渡してきた。
迷ったあげく、婚約者に惚れ薬を使うと、彼の態度は一転して溺愛してくるように。
偽りの愛とは知りながらも、ポリーヌは幸福に酔う。
しかし幸せの狭間で、惚れ薬で彼の心を縛っているのだと罪悪感を抱くポリーヌ。
悩んだ末に、惚れ薬の効果を打ち消す薬をもらうことを決意するが……。
※小説家になろうにも掲載しています
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる