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13、一年後のレオンとユリアーナ
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改正された法にのっとって、離婚後一年を経て、ユリアーナとレオンは結婚した。
ふたりが新居を構えたのは海の近くだった。夏の太陽が海岸通りを照らし、日傘をさした婦人が歩いている。
鮮やかなオレンジ色のナスタチウムが、庭を囲む塀をつたって咲きほこっている。それがユリアーナ達の家だった。
「レオンさま。日陰を歩いた方がいいですよ、日差しが強いです」
門から出てきたユリアーナは、軽やかな木綿の白いワンピースを着ている。この辺りは別荘地でもあるので、気軽な服装の人が多い。
「ユリアーナは日陰に入らなくていいのか?」
「わたくしは帽子をかぶりますから」
ユリアーナは午後の陽射しを浴びている。絹糸のような金の髪が、潮風にさらりと揺れた。
レオンは、そのまぶしさに目を細める。
伯爵夫人であった頃のユリアーナは、凛とした美しさはあったけれど。その表情には常に翳があった。
屋敷という檻に閉じ込められて、社交に明け暮れて、雑務も押しつけられていた。しかも財産も収入も夫であるブレフトにすべて奪われていた。
自分に地位があったなら、実力があったなら。とレオンは何度悔やんだことか。
けれどユリアーナをブレフトから奪ったところで、駆け落ちをする以外に道はない。
(衝動で動くな。伯爵夫人であるユリアーナに連絡を取れば、不義を疑われる。彼女の人生が不利になる)
ブレフトの醜聞を耳にするたびに、レオンは今すぐにでもユリアーナを救いたい気持ちを抑えた。
そばに飛んでいって、抱きしめてあげたい。悲しむ必要はないのだと、言ってあげたい。
ただブレフトの妻であるだけでユリアーナは苦しんでいるし、自分は彼女に会うこともできない。
もし勢いでユリアーナと駆け落ちでもしようものなら。一生、誰からも祝福されず、彼女は不貞を働く妻だと罵られる。
今も、未来も、どこへ行ってもユリアーナが幸福に暮らせる場所などない。
ならば、環境を整えればよい。
夫が離婚を切り出さないのなら、妻から離婚できるように法律を変えればよい。何年もかかったが、苦しんでいる女性たちの支持を得て、議員である兄の助けもあり、レオンの提案で法は変わった。
「ねぇ、レオンさま。浜辺を歩きませんか?」
今では自由になったユリアーナが、笑っている。その事実に、レオンは視界が滲んで見えた。
こんなにも嬉しいのに。こんなにも幸せなのに。どうして泣きたい気持ちになるのだろう。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない」
ユリアーナのしなやかな指が、レオンの手を握る。そして海岸林の中へと導かれた。
地面が草に覆われているので、靴の裏の感触が柔らかくなる。頭上の葉の重なりのすきまから降ってくる光が、明るい緑に見える。
ユリアーナはかぶっていた帽子を外した。帽子につけられた、藤色のリボンが風にそよぐ。
「レオンさま。ありがとうございます。わたくしを自由にするために、何年も費やしてくださったのでしょう?」
「俺は言うべきことも言えずに、先代のクラーセン伯爵に後れを取ってしまったから」
「同じです。父親に逆らうことはできずとも、先にわたくしからレオンさまに告白していればよかったのです」
ユリアーナがさらに足を進める。
海岸沿いに続く、幅の狭い林を抜けた。砂浜に寄せては返す波の音が、近くに聞こえる。
別荘に来ている人だろうか。浜辺を散歩している姿が見えた。
「でも、レオンさまはわたくしだけでなく、この国の女性に希望をくださいました」
ふり返ったユリアーナを、まばゆい太陽が照らした。背景には目が痛く鳴りそうなほどの青空と、アクアマリンを溶かしたような澄んだ海が広がっている。
「仕事も順調でよかった」
「ありがとうございます」
貴族の夫人たちは、上質な暮らしとセンスの良いインテリアをユリアーナに相談に来る。時には彼女たちの屋敷にまで出向いたり。そのついでとばかりに、どのドレスに、どのアクセサリーを合わせればよいのかも尋ねられる。
――この小粒の真珠は、お嬢さまにお譲りになられた方がいいと思います。奥さまでしたら、バロックパールの方がお似合いですよ。完全な丸ではないのですが。そのぶん堅苦しさがないので普段使いができるんです。
ユリアーナに宝石の相談をした侯爵夫人は、納得してくれた上に喜んでくれた。品の良い真珠をもらった娘もまた、たいそう喜んでくれた。
自分の知識やセンスが、誰かの役に立つことが、ユリアーナはとても嬉しい。
「ユリアーナが王都に出かけているときは、俺も寂しいけど。まぁ、我慢するさ」
「あら。レオンさまがお仕事で家を空ける時も、わたくしは寂しいですよ」
ふたりは顔を見あわせて微笑んだ。
海岸林を抜けても、砂浜にはまだ植物が群生している。一重咲きのバラに似たハマナスが、うすくれないの花を開いていた。
規則的な波の音と、蜜を集める蜂の羽音。眠たくなるような午後だ。
「海の側だからでしょうか。それとも時季が違うからでしょうか。シロツメクサはありませんね」
ユリアーナは足もとを見つめた。辺りには、あわいピンク色のハマヒルガオが咲き乱れている。
「ユリアーナはシロツメクサが好きなのかい?」
「はい。レオンさまが、わたくしにあの花を指輪にしてくださってから。世界でいちばん、好きな花になりました」
あまりにもまっすぐな言葉に、レオンは頬が熱くなるのを感じた。
子どもの頃のあどけない約束を、ユリアーナは覚えていてくれた。クラーセン家での苦境を乗り越えるために、ずっと大事にしてくれていたのだろう。
レオンは手を伸ばすと、ユリアーナを腕に閉じ込めた。
もうこの手は離さない。
華奢な体を抱きしめて、お日さまの匂いのする髪にくちづけを落とす。
「あ、あの。レオンさま?」
「うん。『さま』は、いらないな」
「えっと、レオン。わたくし達、人に見られますよ」
「昔みたいに『わたし』って言ってほしい。それに誰も見ていない……多分」
恐る恐るという風に、ユリアーナがレオンの背に手をまわした。
「わがままですね。レオンは」
「ユリアーナも、俺にわがままを言ってほしい」
海を渡ってきた風が、足もとで咲いている淡いピンクの花弁をいっせいに揺らした。
(了)
ふたりが新居を構えたのは海の近くだった。夏の太陽が海岸通りを照らし、日傘をさした婦人が歩いている。
鮮やかなオレンジ色のナスタチウムが、庭を囲む塀をつたって咲きほこっている。それがユリアーナ達の家だった。
「レオンさま。日陰を歩いた方がいいですよ、日差しが強いです」
門から出てきたユリアーナは、軽やかな木綿の白いワンピースを着ている。この辺りは別荘地でもあるので、気軽な服装の人が多い。
「ユリアーナは日陰に入らなくていいのか?」
「わたくしは帽子をかぶりますから」
ユリアーナは午後の陽射しを浴びている。絹糸のような金の髪が、潮風にさらりと揺れた。
レオンは、そのまぶしさに目を細める。
伯爵夫人であった頃のユリアーナは、凛とした美しさはあったけれど。その表情には常に翳があった。
屋敷という檻に閉じ込められて、社交に明け暮れて、雑務も押しつけられていた。しかも財産も収入も夫であるブレフトにすべて奪われていた。
自分に地位があったなら、実力があったなら。とレオンは何度悔やんだことか。
けれどユリアーナをブレフトから奪ったところで、駆け落ちをする以外に道はない。
(衝動で動くな。伯爵夫人であるユリアーナに連絡を取れば、不義を疑われる。彼女の人生が不利になる)
ブレフトの醜聞を耳にするたびに、レオンは今すぐにでもユリアーナを救いたい気持ちを抑えた。
そばに飛んでいって、抱きしめてあげたい。悲しむ必要はないのだと、言ってあげたい。
ただブレフトの妻であるだけでユリアーナは苦しんでいるし、自分は彼女に会うこともできない。
もし勢いでユリアーナと駆け落ちでもしようものなら。一生、誰からも祝福されず、彼女は不貞を働く妻だと罵られる。
今も、未来も、どこへ行ってもユリアーナが幸福に暮らせる場所などない。
ならば、環境を整えればよい。
夫が離婚を切り出さないのなら、妻から離婚できるように法律を変えればよい。何年もかかったが、苦しんでいる女性たちの支持を得て、議員である兄の助けもあり、レオンの提案で法は変わった。
「ねぇ、レオンさま。浜辺を歩きませんか?」
今では自由になったユリアーナが、笑っている。その事実に、レオンは視界が滲んで見えた。
こんなにも嬉しいのに。こんなにも幸せなのに。どうして泣きたい気持ちになるのだろう。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない」
ユリアーナのしなやかな指が、レオンの手を握る。そして海岸林の中へと導かれた。
地面が草に覆われているので、靴の裏の感触が柔らかくなる。頭上の葉の重なりのすきまから降ってくる光が、明るい緑に見える。
ユリアーナはかぶっていた帽子を外した。帽子につけられた、藤色のリボンが風にそよぐ。
「レオンさま。ありがとうございます。わたくしを自由にするために、何年も費やしてくださったのでしょう?」
「俺は言うべきことも言えずに、先代のクラーセン伯爵に後れを取ってしまったから」
「同じです。父親に逆らうことはできずとも、先にわたくしからレオンさまに告白していればよかったのです」
ユリアーナがさらに足を進める。
海岸沿いに続く、幅の狭い林を抜けた。砂浜に寄せては返す波の音が、近くに聞こえる。
別荘に来ている人だろうか。浜辺を散歩している姿が見えた。
「でも、レオンさまはわたくしだけでなく、この国の女性に希望をくださいました」
ふり返ったユリアーナを、まばゆい太陽が照らした。背景には目が痛く鳴りそうなほどの青空と、アクアマリンを溶かしたような澄んだ海が広がっている。
「仕事も順調でよかった」
「ありがとうございます」
貴族の夫人たちは、上質な暮らしとセンスの良いインテリアをユリアーナに相談に来る。時には彼女たちの屋敷にまで出向いたり。そのついでとばかりに、どのドレスに、どのアクセサリーを合わせればよいのかも尋ねられる。
――この小粒の真珠は、お嬢さまにお譲りになられた方がいいと思います。奥さまでしたら、バロックパールの方がお似合いですよ。完全な丸ではないのですが。そのぶん堅苦しさがないので普段使いができるんです。
ユリアーナに宝石の相談をした侯爵夫人は、納得してくれた上に喜んでくれた。品の良い真珠をもらった娘もまた、たいそう喜んでくれた。
自分の知識やセンスが、誰かの役に立つことが、ユリアーナはとても嬉しい。
「ユリアーナが王都に出かけているときは、俺も寂しいけど。まぁ、我慢するさ」
「あら。レオンさまがお仕事で家を空ける時も、わたくしは寂しいですよ」
ふたりは顔を見あわせて微笑んだ。
海岸林を抜けても、砂浜にはまだ植物が群生している。一重咲きのバラに似たハマナスが、うすくれないの花を開いていた。
規則的な波の音と、蜜を集める蜂の羽音。眠たくなるような午後だ。
「海の側だからでしょうか。それとも時季が違うからでしょうか。シロツメクサはありませんね」
ユリアーナは足もとを見つめた。辺りには、あわいピンク色のハマヒルガオが咲き乱れている。
「ユリアーナはシロツメクサが好きなのかい?」
「はい。レオンさまが、わたくしにあの花を指輪にしてくださってから。世界でいちばん、好きな花になりました」
あまりにもまっすぐな言葉に、レオンは頬が熱くなるのを感じた。
子どもの頃のあどけない約束を、ユリアーナは覚えていてくれた。クラーセン家での苦境を乗り越えるために、ずっと大事にしてくれていたのだろう。
レオンは手を伸ばすと、ユリアーナを腕に閉じ込めた。
もうこの手は離さない。
華奢な体を抱きしめて、お日さまの匂いのする髪にくちづけを落とす。
「あ、あの。レオンさま?」
「うん。『さま』は、いらないな」
「えっと、レオン。わたくし達、人に見られますよ」
「昔みたいに『わたし』って言ってほしい。それに誰も見ていない……多分」
恐る恐るという風に、ユリアーナがレオンの背に手をまわした。
「わがままですね。レオンは」
「ユリアーナも、俺にわがままを言ってほしい」
海を渡ってきた風が、足もとで咲いている淡いピンクの花弁をいっせいに揺らした。
(了)
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