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5、キスをしてくれないと言われてしまった

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 うーん。エミーリアが子どもの頃は、帰宅した俺によく飛びついて来ていたものだが。女の子は難しいなぁ。

「別にキスをするわけでもあるまいに。ただ近いだけだろ」
「キスって……あの、キスですか?」
「他にあるのか?」

 エミーリアは突然眉を下げて、今にも泣きそうな顔をした。顔はまだ赤い。何か言いたそうに唇を開いては、また閉じてしまう。
 俺の胸に密着している所為で、エミーリアの心臓の音がとても良く聞こえる。
 教会の鐘を乱打しているのかと思うほどに、その鼓動は速い。

「ベルナルトお兄さまは……」
「うん?」
「わたしにキスをしてくださいません」

 ようやくエミーリアが絞り出した声は、掠れていた。
 
 俺はしばらく瞬きを忘れてしまった。いや、瞬きしないことは慣れている。国賓を迎える時に形式として剣を捧げ持つのだが。その時は左右の足を開く角度も決まっているし、瞬きも禁止だ。

「えーと。確かに俺たちは結婚式を挙げていないし、婚姻届けを国の役所に提出しただけだから。誓いのキスもなかったが」
「そうじゃないんです」

 エミーリアは小さな拳を握りしめた。その両手を、俺の胸元に当てている。
 
 分かっているんだ。君が俺に好意を抱いてくれていることは。
 ただ、俺にとってのエミーリアは今も小さな女の子で。
 契約結婚という形を取っていなければ、俺は君にキスをして、その先にも進むことだろう。
 
 もし夫と妻であれば、君の幼い頃を知っていなければ。年が離れていたとしても、何の躊躇もなかったかもしれないのに。

「エミーリア。食事にしよう」
「……はい」

 うなずいたエミーリアの拳は小刻みに震えていた。俺は彼女の拳を、両手で包み込む。
 ぽたり……と、一粒の涙が床に落ちた。

 俺の目の前にいるのは、果敢にも大海に漕ぎだし、南の島の王になろうとしていた少女ではなかった。
 望まぬ結婚に応じたくなくて、俺を選んだか弱い女性だ。

「聞かせてくれ、エミーリア。なぜ俺を選んだ?」

 問いかけながらも、その答えを聞くのが怖かった。「だって、他に知り合いなんていないから」とか「手近にいらしたから」などという答えは欲しくない。

 俺は、はっとした。
 そうか。俺は彼女が逃げるための舟にはなりたくなかったのか。南の島にたどり着いた彼女を、両腕を広げて抱きしめる立場になりたかったのだ。

 なんて馬鹿なんだ。契約結婚という形を取ることで、君に触れずに済むように予防線を張っていただなんて。
 もしエミーリアに求婚して、断られるのが怖かっただなんて。

 軍人とも思えぬ臆病者だ。

「エミーリア。やはり食事は後だ」
「え? ベルナルトお兄さま?」
「俺はもう『お兄さま』じゃないよ」

 彼女を抱え上げて、そのままキッチンとダイニングを通り抜け、寝室へと向かう。
 突然のことに驚いたエミーリアは、俺の頭にしがみついている。
 いわゆるお姫さま抱っこじゃないから、色気も何もないのだが。

「あ、あの、何をなさるの?」
「キスだ」

 廊下がいつもよりも長い。早くしないと、エミーリアが逃げてしまうかもしれない。
 ちょうど俺の耳の辺りに、エミーリアの胸が柔らかな胸が当たっている。
 
 すごいな。びっくりするほど、彼女の心臓の鼓動がはっきりと聞こえる。
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