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一章

26、ただいま【2】

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「というわけで、私は急いで君の侍女である紫安に戻らねばならない。そして大理寺に向かう」
「後宮内を走ると、人目に付きますよ」

 どうせ凌星のことだ。侍女としてではなく、男性として力強く駆けていくのだろう。とりあえず玲華は忠告しておいた。

「致し方あるまい」

 早朝から振りまわされてしまった凌星は、すっと足を運んで歩き出す。薫陸香くんろっこうの涼しい香りが、ふわっと漂う。
 涼風のような人だと、玲華は思った。

 凌星の腰には、佩玉が下げられている。
 翠の玉に彫られているのは、一見すると龍に見える。だが、爪の数が五本ではなく三本だ。
 五本爪の龍は皇帝、四本爪は皇太子や諸侯、三本爪は大夫たいふという高貴な身分しか用いることができない。

 大夫とは領地を持った王族や貴族だ。後宮の門の出入りを自由にするためとはいえ、南洛国の王族が侍女であるというのはなかなかに無理があるなぁ。
 玲華は、凌星の背中を見送った。

 ふと、凌星が止まった。翠の環についた赤い房飾りが、風に揺れる。

「そうだ。蒼海皇女。あなたのおかげで玲華の帰りが遅くならずに済みました。よかったですね」
「ズーアン?」

 凌星の言っている意味が理解できず、蒼海は首をかしげた。玲華に抱きついたままで。
 星河宮に向けて歩きだした玲華だが。

「あ、歩きにくい」

 とにかく蒼海がまとわりついてくる。玲華の腰に腕をまわしたかと思えば、ぐるぐると周囲をまわりだす。次に腕と体の間から、すぽっと頭を覗かせて「へへっ」と笑うのだ。

(ダメだ。可愛い。可愛すぎる)

 しかも微笑む蒼海の目もとには、涙の痕が残っている。

(可哀想なのに、可愛いとか。どういうこと)

 頭がくらくらする。それが蒼海の眩しさによるものなのか、太陽が照りつけるせいけのかは分からないが。
 通りを行く女官や宮女たちが、立ちどまってはふたりを眺めている。

「まぁ、愛らしい」
「時修媛さまと、皇女がご一緒の姿を見られるなんて。幸運だわ」

 聞こえてくる声は、悪口ではないが。それでも目立ちに目立ってしまう。
 蒼海が、くるくるとまわる。玲華と手をつないでは、ぶんぶんと振る。そして笑顔。
 誰もが仕事に赴くのを忘れたかのように、ほわぁぁと微笑みを滲ませる。

「あの、蒼海。いつまでも宮に戻れませんから。抱っこしましょうか?」
「だっこ! いいの? あれ、だいすきっ」

 いいもなにも。このまま蒼海をくっつけて歩いていては。昼になっても星河宮にたどりつかない。
 玲華は、蒼海を抱えた。凌星や天遠なら、もっと軽々と持ちあげるのだろうが。
 それでも玲華は、他の妃嬪よりは腕力がある。

「あのね。リンホアさまとくらしてから、ツァンハイね、たかーいになるのおおいの」
「そうですね。多いですね」

 さすがに皇后娘娘の元では、蒼海を抱っこしようとする者などいなかっただろう。
 せめてこうした行いが、蒼海の寂しさを癒せるのならと願わずにはいられない。

「蒼海さまが鳥かごのことを教えてくださったから。問題なく解決しましたよ」
「なぁに?」

 何のことかわからない蒼海が、間近にある玲華の顔を覗きこむ。

「まぁ、愛らしい」「本当の母子みたい」と、周囲が賑わう。
 やはり蒼海は誰が見ても愛らしいようだ。それは誇らしいが、注目されるのはどうにも苦手だ。もういっそ女官たちの声は、木の葉が風にそよぐ音だと思うようにしよう。

――おっきなとりかごで、かくれんぼするの。こわいこわいってないちゃったの。

 蒼海が予言した鳥かごは、大きな灯籠のことだった。妹や実家に勤める侍女たちの手によって、郭貴妃は灯籠に閉じ込められた。

 灯もない夜中の寺廟。手足を縛られ、麻布をかぶせられて。真の闇のなか、聞こえてくる音に脅えたことだろう。大人といえど、四夫人の貴妃であろうと、恐ろしさに涙を流したに違いない。

 だからこそ。玲華は、灯籠に閉じ込められている郭貴妃に声をかけた。

――声を出さないでください。身動きしないでください。すぐに助けますから、と。

 大きな鳥かごは、すなわち灯籠。まだ四歳の蒼海は、灯籠という言葉を知らない。

(この子はほんとうに未来が見えるんだわ)

 だからこそ蒼海を大事に守らねば。皇后娘娘がそうなさっていたのと同じように。
 玲華は硬く決意した。
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