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一章

9、監視

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 後宮で暮らせる男性は、宦官以外には皇太子や皇子だけ。しかも、少年の内に東宮や別の宮へ移らねばならない。

(大人になった皇子が後宮に入るなんて、前代未聞なのでは?)

 腕を組み、胸を張って立つ凌星リンシーを、玲華リンホアは見据えた。
 正体がばれた以上、楚々とした侍女を装うのをやめたようだ。諦めのいい人だ。

「これは他言無用だ。分かっているな」
「命令ですか?」

 勝手に侍女に扮して、この星河宮に押しかけてきたのは凌星リンシーだろうに。さらに命令までされるなんて。さすがに玲華リンホアは、むっとした。

 いつもは笑顔で蒼海ツァンハイに接しているが。もともと玲華は温厚な顔立ちではない。故郷の陶岳国とうがくこくにいるときは、むしろ「氷の王女」と言われたものだ。

「命令というよりは『お願い』だな。余計なもめ事は起こしたくない。時修媛。ここにいるのは、宣凌星シュエンリンシーではない、侍女の白紫安パイズーアンだ。そう扱ってくれ」 

 さっきまで居丈高だったのに。凌星は困ったように眉を下げた。

(もしかして。言い返されることに慣れていないのかも。あるいは自分が高圧的である事に自覚がなかったとか?)

 室内にぴんと張りつめていた緊張の糸が、はじけた。

「私は、時修媛シーしゅうえんの目付け役として後宮に入るよう、陛下に命じられた」
「やはり陶岳国の王女であるわたしでは、信用に足りませんか?」
「いや、そうではない。我々はある意味、一蓮托生だ。私は陛下に逆らえない、君もそうだろう?」

 南洛国に君臨する宣皇帝は、絶大な権力を持つ。そして凌星は皇太子ではない。いずれは王として封地を得ようとも、南洛国を統治することはない。

 蒼海皇女が、立ったままの玲華の傍に来た。そんな蒼海に、凌星が視線を向ける。
 開いた窗から流れてくる風が、室内の墨汁の匂いを散らした。

「蒼海皇女が未来を語ったのを、聞いたことはあるか?」
「未来?」

 突然の話の展開についていけず、玲華は瞬きをくり返した。

「そうだ。蒼海皇女は先のことがお分かりになる。そうですね?」

 蒼海は返事もせずに、玲華の腰にしがみついてくる。背後からまわされた細い腕に、力がこもっている。

(これではダメだ。蒼海さまが委縮なさっている)

 皇女が未来を見るなど、初耳だが。もしやグオ貴妃は、それを気味悪がったのでは? それに皇女がふつうではないとご存じだったから、皇后娘娘ファンホウニャンニャンはことのほか蒼海さまを大事に守っておられたのでは。

 いや、初耳なのか? ほんとうに?
 玲華は、目を見開いた。

「未来語りを聞いたことがあるようだな」

 麗しい女性の姿なのに、凌星は低い声で問うた。

「朝食は粥でした。蒼海さまがおっしゃるとおりに」
「はい?」と凌星の声が裏返る。

――あさごはんはねぇ。とろっとしたおかゆ、だよ。リンホアさまね、これきらーいっていうの。

 用意される前の献立を蒼海は知っていた。そして、その粥が何かは分からぬのに。玲華の好き嫌いまで把握している。これまでに蒼海と食事を共にしたことはなかったのに。

 たぶん、とてもつまらぬ未来視であろう。
 食事を当てたところで、誰の得にも損にもならぬ。そう、献立であれば。

「なるほど。未来語りは必ずしも政治的なものや凶事に関するものとは限らない。幼い蒼海さまにとって、政治は遠い。あなたの嗜好のほうが、よほど重要であるのだろう」

 玲華の説明は、ほんの短い言葉であったが。凌星は聡いのだろう。すぐに理解したようだった。
 言葉の端に棘があるのは気になるが。まぁ、きっと性格のよろしくない皇子なのだ、と玲華は気にするのをやめた。

 他人の言動に振りまわされる繊細な性格であったなら。他国の後宮でなど、暮らしていけない。
 むしろ相手を利用すればいい。それほどに図太くあればいい。

「凌星殿下。蒼海さまの未来語りは、当然ですが漏洩してはならぬことですね」
「むろんだ」
「殿下が、後宮に入っていらっしゃるのと同程度に内密にすべきでしょうか」

 凌星が眉根を寄せた。むっとした感情を隠せないほどに、素直な性格のようだ。

「我らは協力関係は結べそうにありませんね。殿下が蒼海さまの未来語りの監視をなさるのは、必要なのでしょう。なにか事が起これば、蒼海さまを守ってくださいますか?」
「どちらの意味の『守る』だ?」
「身に危害が及ぶ場合と、皇后娘娘という後ろ盾を失った今後の立場についての双方です」

 凌星は分かっていて、敢えて玲華に問うた。だから「どちらの」と両方を問うたのだ。

(凌星さまは皇太子ではないが、いずれは陛下より王に封じられる。迂闊なことを約束できぬ立場だからこそ、交わす言葉も用心深くなるのだろう)

 今後、自分に関わってくる相手がどのような人間性であるのかを、玲華は熟考するクセがある。
 これは陶岳国の王女であった頃から、事件があれば側寫師としての力を発揮してきたからだ。南洛国のように農地が広がっているわけではないし、山がちで国土も狭く、人口も多くはない。

 南洛国では犯人が見つかれば処刑、疑わしい場合でも拷問。その拷問で命を落とす者も多い。
 冤罪だろうが関係なく、乱暴に片っ端から処罰していけば、陶岳国からは人がいなくなる。王族自らが現場で側寫そくしゃすることで、次の犯罪への抑止力になるのだ。

「分かった。蒼海皇女に関しては約束しよう。一筆書いた方がよいか?」
「いえ、お言葉だけで充分です。信用に足るお方のようですから」

 玲華の言葉に、侍女頭の任春がほーっと息をついた。ぴんと張りつめていた室内の空気が、一瞬にして解ける。
 事情の分からぬ蒼海だけが「なに? なに?」と、玲華の顔を見上げてきた。
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