13 / 19
13、嵐のあと
しおりを挟む
朝には嵐は去っていた。
空はどこまでも清澄で、海も凪いでおだやかだ。海面はまるでアクアマリンを溶かしたように美しい。
「すがすがしい、気持ちのいい朝ですよ」
レオンにつきそわれて、ミリアムは浜辺にでた。
ブルーノは昨夜の荒れた風の音でよく眠れなかったのか、まだ起きてこない。
「こら、ちゃんと帽子をかぶりなさい」
「せっかくの日ざしなんですもの。もったいないわ」
「日焼けをしたらどうするんだ」
「きれいな小麦色の肌になるかもしれないわ。南国にバカンスに行くマダムみたいに」
「いや。きみの場合はまっ赤になって、肌が腫れてしまうほうだ」
まだしっとりと濡れている草地には、折れた小枝や散った葉が点々とおちている。
細い草の先端から、雨のなごりの粒がぽたりと落ちていく。まるで水晶のかけらがとけるようで、見ていて飽きない。
もともと海水浴をする習慣のない土地なので、砂浜に人の姿はない。
ふあぁ。
やっぱりよく眠れなかったミリアムが、あくびをかみ殺す。
「ソファーベッドで、ふたりは狭いな。俺もなんというか背中が痛いような」
(まぁ、それってもっと大きなベッドをお店に入れようということかしら。それともふかふかのマットを用意するのかしら)
ミリアムの睡眠不足は、おもにレオンの寝言だ。
ふだんはけっして呼んでもらえない「ミリアム」の名を、とぎれとぎれとはいえ、不明瞭とはいえ、呼んでもらえたのだから。
寝言だけど。
「まぁ、安心しなさい」
「はいっ」
「次からはこんなことがないように、ストランド男爵令嬢は屋敷での手伝いだけをお願いするから」
さっきまで晴れわたっていた周囲が、一瞬にして闇に閉ざされた気がした。
「あの、お兄さま。それって……」
「いくら我々が婚約者同士であるとはいえ、ふたりきりで朝まで過ごすのはよくないだろう」
「よくなくないですっ!」
ミリアムは勢いこんで、レオンに詰め寄った。
「……ストランド男爵令嬢、言葉がおかしいぞ」
「問題ないと思います。だって婚約者なんですもの」
「だが結婚はまだだ」
いつもよりもレオンの声が低く聞こえた。
こんなにも小鳥がかろやかにさえずっているのに、おだやかな海が陽光を反射してきらめいているのに、咲きはじめた海辺の白い花のあまい香りがするのに。
「わかりました」
ミリアムはぎゅっとこぶしを握りしめた。
今ごろになって、しっぽをぴんと立てたブルーノがミリアムの側にやってくる。
どうしたの? と言いたげに、黒い瞳が見あげてくる。
「さぁ、男爵家に戻るか。行くぞ、ブルーノ」
「わたし、荷物をはこびます」
いまにも泣きだしそうで、そんな顔を見られたくなくて、ミリアムは駆けだした。
ほんの半日まえの涙とは正反対で。
悲しいのか悔しいのか、寂しいのか。自分の感情が、自分でもわからない。
まだ湿りけの残る砂に足を取られて、つまずきそうになる。
それでも一心にミリアムは走った。
◇◇◇
駆けていくミリアムの背中を、レオンは目で追った。
「ブルーノ、行きなさい。あの様子では辺りを確認せずに、道を渡りそうだ」
「わんっ」
元気よく返事をして、ブルーノはミリアムを追いかけた。
「まったく、ちゃんと伝わっていないよな」
ため息まじりにレオンは呟く。その小さな声をさらう風はない。
「けじめはちゃんとつけておかないと、ダメだろう。こんなことで悪評がたって、婚約は破棄するようにと男爵に言われたらどうするんだ」
やれやれ、とレオンは頭をかいた。
(女の子というのは、ほんとうに難しいな)
帰りの馬車では、ふたりとも無言だった。
あまりにも重い沈黙。いつもなら御者台で、ミリアムはレオンにぴったりと寄り添っているのに。
今朝は微妙にふたりの間に空間がある。
(道の両端に生えているのが、もし暗い糸杉なら。墓場へ向かう馬車みたいだな)
よかれと思って、レオンは店での手伝いをことわった。
だが、たぶん伝わっていない。きっと伝わっていない。
(弁論は得意なんだが。どうして会話は下手なんだ、俺は)
空はどこまでも清澄で、海も凪いでおだやかだ。海面はまるでアクアマリンを溶かしたように美しい。
「すがすがしい、気持ちのいい朝ですよ」
レオンにつきそわれて、ミリアムは浜辺にでた。
ブルーノは昨夜の荒れた風の音でよく眠れなかったのか、まだ起きてこない。
「こら、ちゃんと帽子をかぶりなさい」
「せっかくの日ざしなんですもの。もったいないわ」
「日焼けをしたらどうするんだ」
「きれいな小麦色の肌になるかもしれないわ。南国にバカンスに行くマダムみたいに」
「いや。きみの場合はまっ赤になって、肌が腫れてしまうほうだ」
まだしっとりと濡れている草地には、折れた小枝や散った葉が点々とおちている。
細い草の先端から、雨のなごりの粒がぽたりと落ちていく。まるで水晶のかけらがとけるようで、見ていて飽きない。
もともと海水浴をする習慣のない土地なので、砂浜に人の姿はない。
ふあぁ。
やっぱりよく眠れなかったミリアムが、あくびをかみ殺す。
「ソファーベッドで、ふたりは狭いな。俺もなんというか背中が痛いような」
(まぁ、それってもっと大きなベッドをお店に入れようということかしら。それともふかふかのマットを用意するのかしら)
ミリアムの睡眠不足は、おもにレオンの寝言だ。
ふだんはけっして呼んでもらえない「ミリアム」の名を、とぎれとぎれとはいえ、不明瞭とはいえ、呼んでもらえたのだから。
寝言だけど。
「まぁ、安心しなさい」
「はいっ」
「次からはこんなことがないように、ストランド男爵令嬢は屋敷での手伝いだけをお願いするから」
さっきまで晴れわたっていた周囲が、一瞬にして闇に閉ざされた気がした。
「あの、お兄さま。それって……」
「いくら我々が婚約者同士であるとはいえ、ふたりきりで朝まで過ごすのはよくないだろう」
「よくなくないですっ!」
ミリアムは勢いこんで、レオンに詰め寄った。
「……ストランド男爵令嬢、言葉がおかしいぞ」
「問題ないと思います。だって婚約者なんですもの」
「だが結婚はまだだ」
いつもよりもレオンの声が低く聞こえた。
こんなにも小鳥がかろやかにさえずっているのに、おだやかな海が陽光を反射してきらめいているのに、咲きはじめた海辺の白い花のあまい香りがするのに。
「わかりました」
ミリアムはぎゅっとこぶしを握りしめた。
今ごろになって、しっぽをぴんと立てたブルーノがミリアムの側にやってくる。
どうしたの? と言いたげに、黒い瞳が見あげてくる。
「さぁ、男爵家に戻るか。行くぞ、ブルーノ」
「わたし、荷物をはこびます」
いまにも泣きだしそうで、そんな顔を見られたくなくて、ミリアムは駆けだした。
ほんの半日まえの涙とは正反対で。
悲しいのか悔しいのか、寂しいのか。自分の感情が、自分でもわからない。
まだ湿りけの残る砂に足を取られて、つまずきそうになる。
それでも一心にミリアムは走った。
◇◇◇
駆けていくミリアムの背中を、レオンは目で追った。
「ブルーノ、行きなさい。あの様子では辺りを確認せずに、道を渡りそうだ」
「わんっ」
元気よく返事をして、ブルーノはミリアムを追いかけた。
「まったく、ちゃんと伝わっていないよな」
ため息まじりにレオンは呟く。その小さな声をさらう風はない。
「けじめはちゃんとつけておかないと、ダメだろう。こんなことで悪評がたって、婚約は破棄するようにと男爵に言われたらどうするんだ」
やれやれ、とレオンは頭をかいた。
(女の子というのは、ほんとうに難しいな)
帰りの馬車では、ふたりとも無言だった。
あまりにも重い沈黙。いつもなら御者台で、ミリアムはレオンにぴったりと寄り添っているのに。
今朝は微妙にふたりの間に空間がある。
(道の両端に生えているのが、もし暗い糸杉なら。墓場へ向かう馬車みたいだな)
よかれと思って、レオンは店での手伝いをことわった。
だが、たぶん伝わっていない。きっと伝わっていない。
(弁論は得意なんだが。どうして会話は下手なんだ、俺は)
0
お気に入りに追加
621
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
完結)余りもの同士、仲よくしましょう
オリハルコン陸
恋愛
婚約者に振られた。
「運命の人」に出会ってしまったのだと。
正式な書状により婚約は解消された…。
婚約者に振られた女が、同じく婚約者に振られた男と婚約して幸せになるお話。
◇ ◇ ◇
(ほとんど本編に出てこない)登場人物名
ミシュリア(ミシュ): 主人公
ジェイソン・オーキッド(ジェイ): 主人公の新しい婚約者
追放された聖女は幻獣と気ままな旅に出る
星里有乃
恋愛
精霊国家トップの魔力を持つ聖女ティアラは、王太子マゼランスの妃候補として約束された将来が待っているはずだった。ある日、空から伝説の聖女クロエが降りてきて、魔力も王太子も奪われ追放される。
時を同じくして追放された幻獣と共に、気ままな旅を始めることに。やがて運命は、隣国の公爵との出会いをティアラにもたらす。
* 2020年2月15日、連載再開しました。初期投稿の12話は『正編』とし、新たな部分は『旅行記』として、続きを連載していきます。幻獣ポメの種族について、ジルとティアラの馴れ初めなどを中心に書いていく予定です。
* 2020年7月4日、ショートショートから長編に変更しました。
* 2020年7月25日、長編版連載完結です。ありがとうございました。
* この作品は、小説家になろうさんにも投稿しております。
妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています
今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。
それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。
そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。
当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。
一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。
【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。
海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】
クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。
しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。
失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが――
これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。
※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました!
※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。
拾った仔猫の中身は、私に嘘の婚約破棄を言い渡した王太子さまでした。面倒なので放置したいのですが、仔猫が気になるので救出作戦を実行します。
石河 翠
恋愛
婚約者に婚約破棄をつきつけられた公爵令嬢のマーシャ。おバカな王子の相手をせずに済むと喜んだ彼女は、家に帰る途中なんとも不細工な猫を拾う。
助けを求めてくる猫を見捨てられず、家に連れて帰ることに。まるで言葉がわかるかのように賢い猫の相手をしていると、なんと猫の中身はあの王太子だと判明する。猫と王子の入れ替わりにびっくりする主人公。
バカは傀儡にされるくらいでちょうどいいが、可愛い猫が周囲に無理難題を言われるなんてあんまりだという理由で救出作戦を実行することになるが……。
もふもふを愛するヒロインと、かまってもらえないせいでいじけ気味の面倒くさいヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACより pp7さまの作品をお借りしております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【番外編】小さな姫さまは護衛騎士に恋してる
絹乃
恋愛
主従でありながら結婚式を挙げた護衛騎士のアレクと王女マルティナ。戸惑い照れつつも新婚2人のいちゃいちゃ、ラブラブの日々。また彼らの周囲の人々の日常を穏やかに優しく綴ります。※不定期更新です。一応Rをつけておきます。
芋女の私になぜか完璧貴公子の伯爵令息が声をかけてきます。
ありま氷炎
恋愛
貧乏男爵令嬢のマギーは、学園を好成績で卒業し文官になることを夢見ている。
そんな彼女は学園では浮いた存在。野暮ったい容姿からも芋女と陰で呼ばれていた。
しかしある日、女子に人気の伯爵令息が声をかけてきて。そこから始まる彼女の物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
体を乗っ取られ、意地悪な妹になりましたが、婚約者の王太子は真実の愛に気づいたようです
絹乃
恋愛
王太子妃になることが決定している侯爵令嬢のユーリアは、突然、ウエキという女性の魂に体を乗っ取られる。ウエキは、ユーリアの婚約者である王太子だけではなく、姉の婚約者の騎士までも自分のものにしようとする。これは体を乗っ取られて未来を奪われたユーリアが、大切なものを取り戻して、幸せになるお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる