幼い令嬢は、婚約者に名前で呼んでもらいたい~お兄さまとおいしいご飯~

絹乃

文字の大きさ
上 下
6 / 19

6、シトリン亭

しおりを挟む
 レオンのお店、シトリン亭は海岸通りにある。

 一階にある席はすくなく、海を眺めることのできるテラスのほうが席が多い。

 二階建てのシトリン亭と道をはさんだ向かい、浜辺にはひときわ大きな菩提樹がある。おおきく枝を広げる菩提樹のしたの心地よい木陰に、簡単なテーブルやいすをならべている。
 ちゃんとした料理はテラス席で、軽食は木の下で食べることができる。

 海岸通りは別荘もおおく、シトリン亭は気取らないが高級な店で、客層もよい。
 だからこそ、レオンもミリアムの両親も彼女が店の手伝いをすることを許してくれた。

 ミリアムはおもに、料理を運ぶ手伝いをしていた。

 途中で市に立ち寄ったレオンは、貝を仕入れていた。
 たっぷりの二枚貝だ。
 貝の入った箱をおろし、レオンは馬車を店の裏にとめた。

 燦燦と降りそそぐ午前のひかりが、水につかった貝を照らしている。二枚貝がぴゅうと水を吐くたびに、水面が太陽に反射する。

「すごいねー」

 ミリアムとブルーノは、顔をつきあわせてその様子を眺めている。

(ブルーノが猫だったら、貝を食べてしまうのかしら?)

 ちらっとミリアムがとなりに目を向けると、ブルーノは「わふ」と鳴いた。

「ストランド男爵令嬢。帽子をちゃんとかぶりなさい」
「ねぇ、レオンお兄さま。これ、どうするの?」
「アサリとハマグリのことか。もう砂を抜いてあるそうだから、アサリは外で蒸してもいいかと思うんだが。ハマグリは炭火で焼くかな」
「お外で? なかのキッチンじゃなくって?」

 麦わら帽子を手にしたまま、ミリアムは立ちあがった。海から吹く風に、淡い水色のリボンがひらひらと揺れた。

「二種類もあるように見えないんだけど」
「小さくてざらざらしているのがアサリで、色がうすくて大きくて表面がつるっとしているのがハマグリだな」

 水のなかに手を入れて「これがアサリ」「こっちがハマグリ」とレオンが見せてくれる。それでもミリアムに見分けは難しい。

「どうしてお外で料理するの?」
「におい、だよ」

 レオンはなにかを企んでいるようにほくそ笑んだ。
 本人は微笑んだつもりかもしれないけれど、どうみても悪そうな顔だ。
 
 緑陰の、あわい緑の下でレオンは火を熾した。事前に作ってあったレンガを組んだコンロをはじめて使うらしい。

「あぶないぞ。下がりなさい」

 じいっと火をのぞきこむミリアムに、レオンは注意する。
 ブルーノはといえば、煙をきらってそうそうに浜辺へと逃げた。

 陽射しがあまりにもまぶしいので、浜辺の木々は黒いシルエットになっている。立ちならぶ幹のあいだから洩れるしろい光。
 ブルーノもまた黒い影そのものの色をして、寄せる波で遊んでいるのが見える。

 袖をまくって、エプロンをつけたミリアムは、レオンの指示どおりにアサリとハマグリの殻を水で洗った。炭が熾火になるのを待つあいだ、レオンは手際よく太いポロねぎを切っていく。

「洗えたわ」
「じゃあ、それぞれの貝にわけて、ザルに入れてくれないか」
「はぁい」

 家のキッチンでレオンが仕込みや簡単な調理をするのは見慣れているけれど。屋外で料理する姿を見るのは、ミリアムは初めてだった。

 火が燃えているほうのコンロにかけた鍋から、甘いにおいが立つ。
 バターを溶かして、ポロねぎを炒めているのだ。

「ストランド男爵令嬢。アサリを持ってきてくれ」

 まだ水のしたたるザルを、ミリアムは急いで運ぶ。もし落っことしでもしたら、砂まみれになってしまう。せっかくのポロねぎが焦げてしまう。
 慎重に。でも急がなきゃ。

 レオンの料理を手伝うようになって、はじめてミリアムは丁寧に、けれど急がなければいけないことを知った。

「ありがとう。油がはねるぞ。さがっていなさい」
「どこまで?」
「まぁ、ブルーノみたいに波打ち際まで逃げる必要はないかな」

 アサリを受けとりながら、レオンが苦笑した。代わりにミリアムに渡されたのは、鍋の蓋だ。
 いい香りのする鍋のなかへ、一気にアサリが投入される。

 かわいそう。そう思ったけれど、食事をせずに暮らすことはできない。
 溶けたバターと水分がばちばちと危険でそうぞうしい音を立てる。そこへ栓を抜いた白ワインを投入。もわっと熱い湯がたつ。

「蓋を」
「は、はい」

 これはほんとうに蓋がないと、周囲の者が全員やけどしてしまう。
 レオンが油が跳ねるのを器用によけながら、鍋に蓋をすると、ようやく音がしずまった。

「料理って、なんて危険なの」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。

さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。 許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。 幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。 (ああ、もう、) やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。 (ずるいよ……) リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。 こんな私なんかのことを。 友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。 彼らが最後に選ぶ答えとは——? ⚠️好みが非常に分かれる作品となっております。

【完結】婚約破棄された悪役令嬢は、元婚約者を諦められない

きなこもち
恋愛
気が強く友達のいない令嬢クロエは、 幼馴染みでいつも優しく美麗な婚約者、アリオンに片想いしている。 クロエはアリオンを愛しすぎるあまり、平民出身の令嬢、セリーナを敵視している。 そんなクロエにとうとう愛想を尽かしてしまったアリオン。 「君との婚約を白紙に戻したい。。。」 最愛の人に別れを告げられた悪役令嬢の別れと再起の物語

初恋の人と再会したら、妹の取り巻きになっていました

山科ひさき
恋愛
物心ついた頃から美しい双子の妹の陰に隠れ、実の両親にすら愛されることのなかったエミリー。彼女は妹のみの誕生日会を開いている最中の家から抜け出し、その先で出会った少年に恋をする。 だが再会した彼は美しい妹の言葉を信じ、エミリーを「妹を執拗にいじめる最低な姉」だと思い込んでいた。 なろうにも投稿しています。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

【完結】婚約破棄寸前の悪役令嬢は7年前の姿をしている

五色ひわ
恋愛
 ドラード王国の第二王女、クラウディア・ドラードは正体不明の相手に襲撃されて子供の姿に変えられてしまった。何とか逃げのびたクラウディアは、年齢を偽って孤児院に隠れて暮らしている。  初めて経験する貧しい暮らしに疲れ果てた頃、目の前に現れたのは婚約破棄寸前の婚約者アルフレートだった。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~

柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。 家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。 そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。 というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。 けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。 そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。 ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。 それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。 そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。 一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。 これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。 他サイトでも掲載中。

処理中です...