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6、シトリン亭
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レオンのお店、シトリン亭は海岸通りにある。
一階にある席はすくなく、海を眺めることのできるテラスのほうが席が多い。
二階建てのシトリン亭と道をはさんだ向かい、浜辺にはひときわ大きな菩提樹がある。おおきく枝を広げる菩提樹のしたの心地よい木陰に、簡単なテーブルやいすをならべている。
ちゃんとした料理はテラス席で、軽食は木の下で食べることができる。
海岸通りは別荘もおおく、シトリン亭は気取らないが高級な店で、客層もよい。
だからこそ、レオンもミリアムの両親も彼女が店の手伝いをすることを許してくれた。
ミリアムはおもに、料理を運ぶ手伝いをしていた。
途中で市に立ち寄ったレオンは、貝を仕入れていた。
たっぷりの二枚貝だ。
貝の入った箱をおろし、レオンは馬車を店の裏にとめた。
燦燦と降りそそぐ午前のひかりが、水につかった貝を照らしている。二枚貝がぴゅうと水を吐くたびに、水面が太陽に反射する。
「すごいねー」
ミリアムとブルーノは、顔をつきあわせてその様子を眺めている。
(ブルーノが猫だったら、貝を食べてしまうのかしら?)
ちらっとミリアムがとなりに目を向けると、ブルーノは「わふ」と鳴いた。
「ストランド男爵令嬢。帽子をちゃんとかぶりなさい」
「ねぇ、レオンお兄さま。これ、どうするの?」
「アサリとハマグリのことか。もう砂を抜いてあるそうだから、アサリは外で蒸してもいいかと思うんだが。ハマグリは炭火で焼くかな」
「お外で? なかのキッチンじゃなくって?」
麦わら帽子を手にしたまま、ミリアムは立ちあがった。海から吹く風に、淡い水色のリボンがひらひらと揺れた。
「二種類もあるように見えないんだけど」
「小さくてざらざらしているのがアサリで、色がうすくて大きくて表面がつるっとしているのがハマグリだな」
水のなかに手を入れて「これがアサリ」「こっちがハマグリ」とレオンが見せてくれる。それでもミリアムに見分けは難しい。
「どうしてお外で料理するの?」
「におい、だよ」
レオンはなにかを企んでいるようにほくそ笑んだ。
本人は微笑んだつもりかもしれないけれど、どうみても悪そうな顔だ。
緑陰の、あわい緑の下でレオンは火を熾した。事前に作ってあったレンガを組んだコンロをはじめて使うらしい。
「あぶないぞ。下がりなさい」
じいっと火をのぞきこむミリアムに、レオンは注意する。
ブルーノはといえば、煙をきらってそうそうに浜辺へと逃げた。
陽射しがあまりにもまぶしいので、浜辺の木々は黒いシルエットになっている。立ちならぶ幹のあいだから洩れるしろい光。
ブルーノもまた黒い影そのものの色をして、寄せる波で遊んでいるのが見える。
袖をまくって、エプロンをつけたミリアムは、レオンの指示どおりにアサリとハマグリの殻を水で洗った。炭が熾火になるのを待つあいだ、レオンは手際よく太いポロねぎを切っていく。
「洗えたわ」
「じゃあ、それぞれの貝にわけて、ザルに入れてくれないか」
「はぁい」
家のキッチンでレオンが仕込みや簡単な調理をするのは見慣れているけれど。屋外で料理する姿を見るのは、ミリアムは初めてだった。
火が燃えているほうのコンロにかけた鍋から、甘いにおいが立つ。
バターを溶かして、ポロねぎを炒めているのだ。
「ストランド男爵令嬢。アサリを持ってきてくれ」
まだ水のしたたるザルを、ミリアムは急いで運ぶ。もし落っことしでもしたら、砂まみれになってしまう。せっかくのポロねぎが焦げてしまう。
慎重に。でも急がなきゃ。
レオンの料理を手伝うようになって、はじめてミリアムは丁寧に、けれど急がなければいけないことを知った。
「ありがとう。油がはねるぞ。さがっていなさい」
「どこまで?」
「まぁ、ブルーノみたいに波打ち際まで逃げる必要はないかな」
アサリを受けとりながら、レオンが苦笑した。代わりにミリアムに渡されたのは、鍋の蓋だ。
いい香りのする鍋のなかへ、一気にアサリが投入される。
かわいそう。そう思ったけれど、食事をせずに暮らすことはできない。
溶けたバターと水分がばちばちと危険でそうぞうしい音を立てる。そこへ栓を抜いた白ワインを投入。もわっと熱い湯がたつ。
「蓋を」
「は、はい」
これはほんとうに蓋がないと、周囲の者が全員やけどしてしまう。
レオンが油が跳ねるのを器用によけながら、鍋に蓋をすると、ようやく音がしずまった。
「料理って、なんて危険なの」
一階にある席はすくなく、海を眺めることのできるテラスのほうが席が多い。
二階建てのシトリン亭と道をはさんだ向かい、浜辺にはひときわ大きな菩提樹がある。おおきく枝を広げる菩提樹のしたの心地よい木陰に、簡単なテーブルやいすをならべている。
ちゃんとした料理はテラス席で、軽食は木の下で食べることができる。
海岸通りは別荘もおおく、シトリン亭は気取らないが高級な店で、客層もよい。
だからこそ、レオンもミリアムの両親も彼女が店の手伝いをすることを許してくれた。
ミリアムはおもに、料理を運ぶ手伝いをしていた。
途中で市に立ち寄ったレオンは、貝を仕入れていた。
たっぷりの二枚貝だ。
貝の入った箱をおろし、レオンは馬車を店の裏にとめた。
燦燦と降りそそぐ午前のひかりが、水につかった貝を照らしている。二枚貝がぴゅうと水を吐くたびに、水面が太陽に反射する。
「すごいねー」
ミリアムとブルーノは、顔をつきあわせてその様子を眺めている。
(ブルーノが猫だったら、貝を食べてしまうのかしら?)
ちらっとミリアムがとなりに目を向けると、ブルーノは「わふ」と鳴いた。
「ストランド男爵令嬢。帽子をちゃんとかぶりなさい」
「ねぇ、レオンお兄さま。これ、どうするの?」
「アサリとハマグリのことか。もう砂を抜いてあるそうだから、アサリは外で蒸してもいいかと思うんだが。ハマグリは炭火で焼くかな」
「お外で? なかのキッチンじゃなくって?」
麦わら帽子を手にしたまま、ミリアムは立ちあがった。海から吹く風に、淡い水色のリボンがひらひらと揺れた。
「二種類もあるように見えないんだけど」
「小さくてざらざらしているのがアサリで、色がうすくて大きくて表面がつるっとしているのがハマグリだな」
水のなかに手を入れて「これがアサリ」「こっちがハマグリ」とレオンが見せてくれる。それでもミリアムに見分けは難しい。
「どうしてお外で料理するの?」
「におい、だよ」
レオンはなにかを企んでいるようにほくそ笑んだ。
本人は微笑んだつもりかもしれないけれど、どうみても悪そうな顔だ。
緑陰の、あわい緑の下でレオンは火を熾した。事前に作ってあったレンガを組んだコンロをはじめて使うらしい。
「あぶないぞ。下がりなさい」
じいっと火をのぞきこむミリアムに、レオンは注意する。
ブルーノはといえば、煙をきらってそうそうに浜辺へと逃げた。
陽射しがあまりにもまぶしいので、浜辺の木々は黒いシルエットになっている。立ちならぶ幹のあいだから洩れるしろい光。
ブルーノもまた黒い影そのものの色をして、寄せる波で遊んでいるのが見える。
袖をまくって、エプロンをつけたミリアムは、レオンの指示どおりにアサリとハマグリの殻を水で洗った。炭が熾火になるのを待つあいだ、レオンは手際よく太いポロねぎを切っていく。
「洗えたわ」
「じゃあ、それぞれの貝にわけて、ザルに入れてくれないか」
「はぁい」
家のキッチンでレオンが仕込みや簡単な調理をするのは見慣れているけれど。屋外で料理する姿を見るのは、ミリアムは初めてだった。
火が燃えているほうのコンロにかけた鍋から、甘いにおいが立つ。
バターを溶かして、ポロねぎを炒めているのだ。
「ストランド男爵令嬢。アサリを持ってきてくれ」
まだ水のしたたるザルを、ミリアムは急いで運ぶ。もし落っことしでもしたら、砂まみれになってしまう。せっかくのポロねぎが焦げてしまう。
慎重に。でも急がなきゃ。
レオンの料理を手伝うようになって、はじめてミリアムは丁寧に、けれど急がなければいけないことを知った。
「ありがとう。油がはねるぞ。さがっていなさい」
「どこまで?」
「まぁ、ブルーノみたいに波打ち際まで逃げる必要はないかな」
アサリを受けとりながら、レオンが苦笑した。代わりにミリアムに渡されたのは、鍋の蓋だ。
いい香りのする鍋のなかへ、一気にアサリが投入される。
かわいそう。そう思ったけれど、食事をせずに暮らすことはできない。
溶けたバターと水分がばちばちと危険でそうぞうしい音を立てる。そこへ栓を抜いた白ワインを投入。もわっと熱い湯がたつ。
「蓋を」
「は、はい」
これはほんとうに蓋がないと、周囲の者が全員やけどしてしまう。
レオンが油が跳ねるのを器用によけながら、鍋に蓋をすると、ようやく音がしずまった。
「料理って、なんて危険なの」
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