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14、お姉さまの帰宅
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アマリアお姉さまが南方から帰宅なさったのは、夏も終わる頃だった。
夕暮れ時。お風呂から上がったわたしは、テラスの椅子に腰かけて、涼しい風を感じていた。
馬車が車寄せに入ってくる音が聞こえ、わたしは立ちあがった。
今日は来客の予定はない。
「きっとお姉さまだわ」
まだしっとりと濡れた髪を、そのまま背中に流して走り出す。
「ただいま、ユーリア」
「お姉さまっ」
両腕を広げて迎えてくれるアマリアお姉さまに、わたしは飛び込んだ。嗅ぎなれないスパイスや香草、それになにか甘い匂いがした。
「よかった。今はわたくしのユーリアなのね」
こくりとわたしは頷いた。
「やぁ、ユーリアさまなんだね。ただいま」
馬車から降りたエリクさまが、お姉さまごとわたしを抱きしめる。
力強い腕にふたりして閉じこめられて、わたしは息苦しくてエリクさまの背中をとんとんと叩いた。
「はは、すまない。アマリアさまとユーリアさまの二人が揃っているのが、つい嬉しくて」
「こんな風にいつも抱きしめられていたら、お姉さまの背骨が折れてしまいます」
「これでも随分と加減しているんだがなぁ。むしろ力は入れていないが」
苦笑しながら、エリクさまはわたし達を解放した。
「椰子の匂いが染みついているだろう? こちらではバターを使う菓子や料理でも、向こうでは椰子油を。牛乳の代わりに椰子の実の白い部分を煮込んだものを使うからな。服にも髪にも体にも、匂いが移ってしまうんだ」
「異国の香りですね。でも、お姉さまと同じですから。香りまで仲良しなんですね」
アマリアお姉さまとエリクさまは、微笑みあった。
「やっぱり、優しいユーリアだわ。コンラード殿下には、あれからお会いしているの?」
(コンラード殿下?)
あ、いけない。ざわっと鳥肌が立った。
お姉さまの言葉に、眠っていたウエキが反応する。
「……逃げて、離れて、ください。二人とも」
わたしは後ずさった。いっそ逃げ出したかった。
でも、目の前の景色が真っ暗になって。わたしの意識は落ちていった。
「ちょっとぉ、臭いわよ。なんでココナッツミルクの匂いをさせてんのよ。なによ、あんた。帰って来たの? はーぁ? クソ生意気な婚約者を連れて、またあたしに見せびらかしたいの?」
「ユーリアさまは、そんな無礼なことは仰らない」
エリクさまが、きっぱりと断言した。
「参りましょう、アマリアさま。侯爵夫妻にご挨拶をしなければ」
「え、ええ」
ふたりはウエキに背中を向けて立ち去った。
ウエキはこぶしを握りしめ、歯を食いしばっている。
「許さない。絶対に許さない。許すものですか」
うつろな声で繰り返される呟きに、わたしは恐怖を感じた。
急がなければ。ウエキが行動を起こす前に、わたしが彼女を消さなければならない。
夜更け。ウエキは今夜も熟睡している。
わたしは瞼を開いて、ベッドから体を起こした。
アマリアお姉さまとエリクさまが、持ち帰ってくれたハーブを確認する。ウエキに感づかれないように、ハーブは部屋の外に置いてあった。
カゴに入っていたのは、お願いしていた通りのレモングラスとゴツコラ。遠い道のりなので、どちらも乾燥させてある。
すでに用意してあるローズマリーと一緒に、布の袋に入れる。それを蒸留酒の中に浸けこんだ。
ハーブティーとしてそのまま飲めばいいのだけれど。わたしの知る限り、ウエキはハーブティーを好まない。
「普段のお酒の中に、このハーブのお酒を紛れ込ませておけば。酔いが回れば、味も分かりにくくなるはずだから」
きっと大丈夫、と自分に言い聞かせながら、わたしはハーブのお酒を仕込んだ。
いずれ妃となる人間が、夜中に聖女のお酒を作るなんて。
いつか「そんなこともあったね」と笑える未来が来るように。
今日は、両親とお姉さまとエリクさま、それにわたしで夕食を取った。その時に、気になることがあった。
夕食のメインは、鹿肉のローストに、ゆでたニンジンや煮込んだ豆を添えたものだった。
その時は、ウエキが表に出ていたけれど。わたしは知っている。
焼いた鹿肉を切り分けるときに給仕が使ったナイフを、ウエキは厨房に忍び込んで部屋に持って帰ったことを。
きっともう一刻も猶予がない。
夕暮れ時。お風呂から上がったわたしは、テラスの椅子に腰かけて、涼しい風を感じていた。
馬車が車寄せに入ってくる音が聞こえ、わたしは立ちあがった。
今日は来客の予定はない。
「きっとお姉さまだわ」
まだしっとりと濡れた髪を、そのまま背中に流して走り出す。
「ただいま、ユーリア」
「お姉さまっ」
両腕を広げて迎えてくれるアマリアお姉さまに、わたしは飛び込んだ。嗅ぎなれないスパイスや香草、それになにか甘い匂いがした。
「よかった。今はわたくしのユーリアなのね」
こくりとわたしは頷いた。
「やぁ、ユーリアさまなんだね。ただいま」
馬車から降りたエリクさまが、お姉さまごとわたしを抱きしめる。
力強い腕にふたりして閉じこめられて、わたしは息苦しくてエリクさまの背中をとんとんと叩いた。
「はは、すまない。アマリアさまとユーリアさまの二人が揃っているのが、つい嬉しくて」
「こんな風にいつも抱きしめられていたら、お姉さまの背骨が折れてしまいます」
「これでも随分と加減しているんだがなぁ。むしろ力は入れていないが」
苦笑しながら、エリクさまはわたし達を解放した。
「椰子の匂いが染みついているだろう? こちらではバターを使う菓子や料理でも、向こうでは椰子油を。牛乳の代わりに椰子の実の白い部分を煮込んだものを使うからな。服にも髪にも体にも、匂いが移ってしまうんだ」
「異国の香りですね。でも、お姉さまと同じですから。香りまで仲良しなんですね」
アマリアお姉さまとエリクさまは、微笑みあった。
「やっぱり、優しいユーリアだわ。コンラード殿下には、あれからお会いしているの?」
(コンラード殿下?)
あ、いけない。ざわっと鳥肌が立った。
お姉さまの言葉に、眠っていたウエキが反応する。
「……逃げて、離れて、ください。二人とも」
わたしは後ずさった。いっそ逃げ出したかった。
でも、目の前の景色が真っ暗になって。わたしの意識は落ちていった。
「ちょっとぉ、臭いわよ。なんでココナッツミルクの匂いをさせてんのよ。なによ、あんた。帰って来たの? はーぁ? クソ生意気な婚約者を連れて、またあたしに見せびらかしたいの?」
「ユーリアさまは、そんな無礼なことは仰らない」
エリクさまが、きっぱりと断言した。
「参りましょう、アマリアさま。侯爵夫妻にご挨拶をしなければ」
「え、ええ」
ふたりはウエキに背中を向けて立ち去った。
ウエキはこぶしを握りしめ、歯を食いしばっている。
「許さない。絶対に許さない。許すものですか」
うつろな声で繰り返される呟きに、わたしは恐怖を感じた。
急がなければ。ウエキが行動を起こす前に、わたしが彼女を消さなければならない。
夜更け。ウエキは今夜も熟睡している。
わたしは瞼を開いて、ベッドから体を起こした。
アマリアお姉さまとエリクさまが、持ち帰ってくれたハーブを確認する。ウエキに感づかれないように、ハーブは部屋の外に置いてあった。
カゴに入っていたのは、お願いしていた通りのレモングラスとゴツコラ。遠い道のりなので、どちらも乾燥させてある。
すでに用意してあるローズマリーと一緒に、布の袋に入れる。それを蒸留酒の中に浸けこんだ。
ハーブティーとしてそのまま飲めばいいのだけれど。わたしの知る限り、ウエキはハーブティーを好まない。
「普段のお酒の中に、このハーブのお酒を紛れ込ませておけば。酔いが回れば、味も分かりにくくなるはずだから」
きっと大丈夫、と自分に言い聞かせながら、わたしはハーブのお酒を仕込んだ。
いずれ妃となる人間が、夜中に聖女のお酒を作るなんて。
いつか「そんなこともあったね」と笑える未来が来るように。
今日は、両親とお姉さまとエリクさま、それにわたしで夕食を取った。その時に、気になることがあった。
夕食のメインは、鹿肉のローストに、ゆでたニンジンや煮込んだ豆を添えたものだった。
その時は、ウエキが表に出ていたけれど。わたしは知っている。
焼いた鹿肉を切り分けるときに給仕が使ったナイフを、ウエキは厨房に忍び込んで部屋に持って帰ったことを。
きっともう一刻も猶予がない。
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