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12、夢じゃない

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 アマリアお姉さまとエリクさまが部屋を出て行った後。
 ウエキは呆然とつっ立っていた。
 ガウンの腰ひもをちゃんと結んでいなかったから、右肩からガウンがずり落ちてしまっている。

「なによ。どういうことよ」

 ウエキの声はかすれていた。

「なんで夢の中まで、あたしはえらそうに叱られなきゃいけないのよ」

 ふと、ウエキの心に泡のように疑わしさが浮かぶのが、中にいるわたしには分かった。

「もしかして、これって夢じゃないの?」

 夢にしては全然目が覚めないとか。色どころか匂いも味もわかるとか、ウエキはいろんなことを考えている。

「でも、死んだりはしていないわ。確か、三軒ハシゴして道端で吐いたけど。ん? そういえば後輩が救急車を呼んでいたような……急性アルコール中毒とか、話していたような。でも、あたしはお酒に強いんだもの。そんなことあるはずないわよね」

 キューキューシャがなにかは、わたしには理解できないけれど。
 ウエキの言葉を整理すると、どうやら彼女はお酒の飲みすぎで意識がないようだ。
 おそらくは病院に運ばれて、そのまま目覚めないのだろう。

 どこに行っても、人の本質は変わらない。

(でもウエキの戻る体があるのなら、なにも問題はないわ)

 わたしの考えに反して、その日からウエキは急に真面目になった。
 これが現実であると認識したからだろう。

 夕食の時間。

 食堂にはお父さまとお母さま、それにウエキがいる。給仕がそれぞれのお皿に澄んだ琥珀色のスープを入れ終えると、ウエキは話を切りだした。

「あたしにお妃さまになるための教育を施してほしいの」

 スプーンを手にした両親は、互いに顔を見あわせる。

「ユーリア。何を言っているんだ?」
「そうよ。もうずっと厳しいお妃教育を続けてきたじゃないの。最近は少し、様子がおかしいようですから。無理をしすぎてはいけないわ」

 父と母の言葉に、ウエキは唇を噛みしめる。
 確かにお妃教育も、勉強も、王室のマナーや国際的なプロトコルもこの身に染みついている。
 けれど、覚えているのはユーリアだけ。
 ウエキにその記憶は、かけらもない。

「いいわよ。教えてくれないって言うのなら、自分で調べればいいんでしょ」

 夕食後。ウエキは、ユーリアの部屋の書棚の前に立った。

(いけない。聖女の技を記した本を読まれては)

 わたしは焦った。
 幸いなことに、コンラード殿下からお借りした書物は、すでに執事に頼んで返却してもらっている。
 けれど、ローズマリーやゴツコラの配合と、その効能を目にすれば、わたしの目論見がばれてしまうかもしれない。

「へーぇ、こっちでもハーブってあるんだ」

 ああ、どうしよう。見つかってしまった。
 この心臓は、今はウエキのものなのに。鼓動が激しくて、早鐘を叩くかのようだ。

「ミントかぁ。ミントがあるなら、モヒートとかミントジュレップができないかしら。モヒートのベースはラムで、ミントジュレップはたしかバーボンよね。ウイスキーはここにもあるけど。バーボンはたしかトウモロコシが原料で、ちょっと甘いから……完璧には再現できないかなぁ」

 さすがにお酒が好きなだけあって、ウエキはお酒の種類にも詳しいようだ。
 その時、はらりと小さな紙が床に落ちた。

「なによ、これ。よっこいしょ、と」

 奇妙な掛け声をかけて、ウエキが紙を拾いあげる。

(やめて。触らないで)

 わたしは悲鳴を上げた。
 それはコンラード殿下からのメッセージだった。

『ユーリア、君自身をどうか保ってください。事情は分かりませんが、できることがあれば、アマリアを通してぼくに相談してください。離宮での気持ちは、今も同じです』

 殿下が、変わってしまったわたしのことを信じてくれた証だ。
 この内容を読めば、たとえウエキだって自分の中にユーリア自身が残っていると気づくに違いない。

 紙から指先を離そうとした。けれど、だめだった。
 自分の体なのに、思い通りに動かない。これっぽっちも。

 ウエキはメモに目を走らせた。

「えっと、ユーリア。アマリア? ああ、あのブサイクな姉ね。相談って、誰によ。名前も書いてないのに、どうやって相談するのよ。こいつ、バカじゃないの? リキューってなに?」

(え? 読めないの?)

 確かに文字を続けて書く筆記体は、子どもはまだ習わない。

「っていうか、文字汚い。なによこれ、一文字ずつ離して書きなさいよ、続けて書くんじゃないわよ」

 悪態をつくウエキを、これまでのわたしなら「殿下の悪口を言わないで」と腹を立てていたことだろう。
 でも、今は違う。

(ありがとうございます。コンラードさま)

 きっと殿下はウエキに読まれてもいいように、解読しにくく、わたしでしか知り得ない内容でぼかしてメッセージを送ってくれたに違いない。

 ウエキに向学心がないことを、わたしは初めて感謝した。
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