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11、エリクさま

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「なんか、体が重いんですけど。頭もぼーっとするわ」

 朝食の時間になっても、ウエキはベッドから出ることができなくなった。
 無理もない。わたしが連日、夜中に起きていて本を読み漁っているのだから。ウエキにしてみれば、睡眠時間がほとんど取れていないということだ。

「この感覚、知ってるわ。ただでさえ業務が滞っているってのに、さらに本部長が思い付きで仕事を増やすもんだから。それにお局さまが、あたしに雑用を押しつけるのよ。なんであたしなのよ。他にも手が空いてる子は、いくらでもいるじゃない」

 ぎりっと、ウエキが親指の爪を噛んだ。

「ムカつく。なんで夢の中まで会社のことを思いださなきゃいけないの。あたしはずっと寝てるのよ、もう会社になんて行かないんだから」

 ふっと、ウエキが顔を上げる。瞬きをくり返して、途方に暮れたような表情をした。

「ずっと……って。あたし、どれくらい寝続けているの?」

 その声は、あまりにもか細い。
 ドアがノックされる音で、ウエキは我に返った。

「ユーリア。起きている?」

 入ってきたのはアマリアお姉さまと、婚約者のエリクさまだった。

 そういえば、お姉さまに庭では手に入らないハーブをお願いしていたことを思いだした。
 ウエキの強靭すぎる魂を弱らせるもの。
 それは過去の記憶。主にカイシャと呼ばれる場所について。

 ならば、記憶を鮮明に蘇らせるハーブをとらせればいい。
 我が家の書庫にある本を、わたしは調べた。ハーブ園があるくらいなのだから、その効能や使用方法も残されているはず。

 そして五日前の夜中。
 ようやくローズマリーとレモングラス、ゴツコラの処方が記されているのを見つけた。

「レモングラスとゴツコラは、南方の植物だから。うちには植えられていないわ」

 途方に暮れていたわたしに、救いの手をさしのべてくれたのがアマリアお姉さまだった。

「コンラード殿下が、エリクさまに休暇をくださったの。わたくしと一緒に旅行でもどうですか? って。せっかくだから、南にでも行こうかしら」

 お姉さまが提案してくださったのは、午後だったので。その時は、ウエキが表に出ていた。
 その話を聞いたウエキは「は? 結構なご身分ね」と、相手にもしていなかった。

 でも、わたしには分かる。
 お姉さまは、自由に動けないわたしの代わりに、レモングラスとゴツコラを入手しようと考えてくれているのだと。

 明日には出発するというお姉さまとエリクさまを見たウエキは、口の端をゆがめた。

「ねぇ、護衛さん。あなたって、コンラードの騎士なのよね?」
「そうだが」

 主を呼び捨てにされたことで、エリクさまは怪訝に片方の眉を上げた。

「じゃあ。妃になるわたしのことも護ってくれるんでしょ?」

 ウエキの声は、甘ったるい。
 表面上にいるのが別人だとエリクさまは察していても、姿はユーリアのままなので。どう対応すればいいのか困っているようだ。

「王太子妃の騎士であれば、女性が選ばれることでしょう。殿下とユーリアさまがご一緒におられる場では、私はおふたりを護ることはできますが。ユーリアさまがおひとりの場合には、やはり女性の騎士がよろしいかと」
「もーぉ、頭が固いのね」

 肩をすくめたウエキは、寝間着の上からガウンを羽織った。

「じゃあ、未来の妃からのお願いを聞いて」
「……何でしょうか」

 エリクさまは、訝しむ声で問いかける。

「やっぱり護衛騎士は独身じゃないといけないと思うのよ。あなた、黒髪に目も黒いでしょ。やっぱり孤高の騎士じゃないとね。そんなクールな見た目なのに、愛妻家とかじゃ推せないわ」

「おっしゃってる意味が分かりませんが」
「だからぁ。その女との結婚はやめてって言ってるの」

 叩きつけるような激しさで、ウエキは言った。

「あなたは一生独身よ。いいわね。これは王太子妃命令よ」
「……ユーリアさまは、そのような理不尽なことはおっしゃらない」
「それは過去のあたしでしょ。今のあたしが言ってるの」

 ウエキはエリクさまの前に進み出て、彼の腕に手を添えた。

「お妃さまに推してもらえてるんだから、光栄に思うべきよ」
「離せ」
「え?」

 地の底から響くような低いエリクさまの声に、ウエキが目を丸くする。

「コンラード殿下とアマリアさまから話は伺っていたが。半信半疑ではあった。だが、ようやく実感した。お前はユーリアさまではない。お前ごときが、ユーリアさまを穢していいはずがない」

 エリクさまが剣を佩いていらっしゃらなくて、幸いだった。
 誰であろうと、権力を笠に着て、誇り高い騎士を貶すことは許されないのだから。
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